AC9.4

文字数 1,644文字

 すると、おびただしい数の文字が私の視界を埋め尽くした。
 いきなりの情報量にめまいをおこしかけた私は、頭をふって意識を保ち現れた文を読み始めた。そしてサッとだがすこし読み進めたところでこれがいったい何なのかいやというほど理解し血の気が失せた。これは言ってみれば病的なまでに神経質な私の日記だった。作り自体はごく単純なもので、一日ごとに四角い枠でくぎられ、その枠内に横線が一本上に一行分のすきまをあけ引かれ、縦線が中央を広くとって二本はいっている。そうしてできた表の一行目は左に日付が入っているだけで残りは空白、二行目は左に時刻が、真ん中にその日のことが、そして右は備考欄とでもいえばいいのか、とにかく色々なことが書いてある。
 それらを細かく見ていくために、私は日記のはじまり――――私の誕生日にもどった。その記念すべき日付のすぐしたにキッチリと秒までの時刻が書かれ、その右にはたったひとこと誕生と記されていた。そこからさらに右につまり備考欄に移ると身長や体重、体温、脈拍、健康状態などがずらっと並んでいる。それから真ん中の欄に注目して読み進めていくと、時間をおうごとに記録されていくことが増えていき、いつ声を出したのか泣いたのか、どの指を動かしたとか手を動かしたとか腕をとか足とか、排尿や排便(どのような状態だったのか)にいたるまで、いったい何の意味があるのかわからないぐらいにことこまかに日付が変わるその瞬間まで書かれている。
 さらに日付や時間、身長、体重などいくつかの項目は何かと紐づけされていて、なんとなく勘づきながらもためしに日付に紐づいているものを開いてみると、予期していたどおりの信じられないものが次々と目の前に広がった。
 ぼんやりとした視界に母さんや父さんの顔がかわるがわる映っている映像、胸の中で泣いている赤ん坊をあやしている映像、眠っている映像、体を拭いている映像、オムツをはかせている映像、母さんとの映像、父さんとの映像、二人との映像、全身の写真、顔写真、体重計に乗っている写真――――そこまで見て私は見るのをやめた。
 恐怖が奥底からわきあがり、それといっしょに何かを出してしまいそうになったから。しかもいま見たのはほんの一部、まだまだ目を覆いたくなるほどある。恐怖がさらに侵食していくのを感じながら日記にもどり読み進めていった。下へ下へ進んでいくうちにだんだんと一日の内容が増えていく、さすがにそれらを詳細に見ていくのは時間がかかりすぎてしまうので拾い読みにきりかえ、そしてときどきは恐怖心よりも好奇心がまさり映像や写真も見ていくと、ある時をさかいにぼんやりとしていた視界がハッキリとしだした。それにはじめはたった一つの感情しかなかったのが、時間を追うごとに複雑な感情を抱くようになり、やがては言葉を覚え一つのまとまった思考をもつようにもなっていく様子も克明に記録されていた。そのころになると淡いながらも言われてみればと私の中から同じものが掘り起こされてくることもあった。
 両親と行った旅行に食事や買い物といった日常の何気ない風景、友達と一日中遊んだ夏休みやささいなことでした喧嘩、もうずいぶんとまえに捨ててしまった子どものころに夢中になって遊んだおもちゃ、受験のために勉強に明け暮れた日々、いくつもの会社へ出向いていたあのころ――――楽しいものから苦いものまで色んな思い出がさまざまな感情、考え、秘めたる思いをともなって色濃くなりながら一瞬にして過ぎ去っていく。が、それだけではない。白い天井を背景にした小説やふと道端の花に目を止めた一瞬に、人ごみのなかすれちがう私や電車の真向かいで遠くを見ている私など、何の意味があるのかわからない切り取られた日々の生活もとりとめもないくだらない思考や不平不満といっしょに流れていく。
 長いようで短い時間でもう一度人生を歩んできて今日へとやってきた、そしていまこの瞬間である日記の最後で、私は目の前で文字が打ち込まれるのを見た。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み