AC4.5

文字数 2,267文字

 そうして彼女はまたいなくなった。自分はなぜだか罪悪感を覚えていた。とはいえ、その罪悪感もひとまず最初のテストを終えた解放感の前ではあまり長続きしなかった。それで彼女が準備に行っているあいだ何をしていようか、あたりをぐるっと見渡しながら考え、とりあえずこの教室も調べてみることにした。
 まずは目の前の机から軽く調べてなにもないのを確認したあと、立ち上がって黒板へとむかった。チョークぐらいならと粉受けを探してみたもののその粉すらなく、あくまでも教室を演出するためだけの飾りらしい。次にうしろのロッカーへと足を進め、小部屋を一つ一つのぞいていった。ほんらいならここに生徒一人一人の荷物が入れられているはずだけど、ここのはすべてが空っぽ。最後に――これじゃひまつぶしにもならないと思いながら――窓のところへとやってきた。しかし、ここの窓は入って来た時に言ったようにその体をなしていない。まるでペンキを塗りたくったようにまっくらで、かろうじてさわったときのつめたさとたたいたときのちょっとこもったように響くコンコンという音で窓だとわかるぐらいだ。とにかくここも端から端までくまなく調べみたが成果はなく、ため息をこぼし席へ戻ろうと体の向きを変えた瞬間、あることが閃き即座に体をもどした。
 はたして本当にここは地下なのか? 窓がまっくらなのは地下にあるからだと勝手に納得していたけど、本当は外にあるものを隠したいからだとしたら?
 ありえなくはない。突如として湧いてきた可能性におもわず胸が高鳴る。試してみる価値はあるとさっそく机のところへ戻り椅子をつかまえてきた。と、その前に確認しておきたいことがあるので椅子を脇に置き、両手を窓にあてがい右耳をぴったりとくっつけ、そのまま三十秒ほど息をひそめた。しかし四十、五十、六十とその時間はのびていった。そして二分ほど辛抱強く待ってみたものの、聞こえてくるのは自分の呼吸と鼓動だけだった。外の音が聞こえてくるかもという期待はものの見事に打ち破られた。幸先のわるさに一抹の不安をおぼえつつ、椅子のところにもどり、手をかけた。すると、
「これは私からの助言ですが」そう前置きをして彼女が言った。「窓を壊そうと考えているならやめておいたほうがいいですよ。それはぜったいに壊れないようになっていますので。逆にあなたのほうが怪我をしてしまうかもしれません」
「…………準備はおわったんですか?」その助言に対して自分は平静を装いながらそう返した。
「はい。それで呼びに来たのですが、いそいそとなにかやっているようなのでしばらく見ていたところ、やろうとしていることがわかったので声をかけさせてもらいました」
「そうですか」
「ですが、それで気が済むというのならやってみるのもありだと思います。やるやらないはあなたの自由ですから」そう言うと彼女は「これ以上はじゃましませんよ」とでも言うように気配を消した。
 自分は椅子に手をかけたまま窓を見つめた。
 彼女の登場に出端をくじかれ新たな可能性にわきたっていた興奮も冷めてしまった。くわえてこの沈黙のうらで彼女が見守っていると思うとさらに気がそがれる。だけど、そんなくだらないことで自分の意志を曲げたくはない。冷たくなったうえに小さくなった心をふたたびふるわせ、椅子を両手で高く持ち上げ、肺いっぱいに空気を吸い込んだ。そして思いっきり叩きつけた。
 短い鈍い音があった。そのあとには鼓膜を圧迫する沈黙があった。
 自分は椅子から手を離し、一歩前へ出た。そこには黒々とした新品のように綺麗な窓があった。触ってみてもつめたくなめらかで、目を凝らしてみても何かが当たった跡すら見つけられない。正直なところ本気で壊せるとは思っていなかったけれど、まさか傷のひとつすらつけられないとは。結果のあまりの虚しさに、自分は当てた気になっているだけなんじゃ、という気さえしてきた。しかし、確かに当てたことは自分自信がよくよくわかっていた。結局、彼女の言う通りになってしまった。肩を落とし、無言の力ない足取りで、椅子を引きずり耳をつんざくような音を響かせながら席へもどった。そして椅子に腰をおろすと彼女が話しかけてきた。
「大丈夫ですか?」
「……大丈夫です」なにが、と心の中では問い返しながら答えた。
「私が忠告した通り、ここにある窓は絶対に壊れません。たとえどんなものを使ったとしても、です」そう彼女は強調した。
 絶対というのはさすがにありえない。ただすくなくとも自分一人の力ではあと何万、何十万回と叩いても到底不可能なのは痛いほどわかった。
「それでどうしますか? まだつづけますか?」
「……次に行きます」すこしだけ考えたふりをして答えた。
「では、正面の扉を開けますので次の会場へと向かってください。そのさい扉を開けてすぐのところに今回のごほうびがありますので、ぜひ忘れずに受け取ってください」
 そう彼女が言い終わったあと、すこしだけ時間をおいて自分はゆっくりと立ち上がった。そのあと一瞬だけ考え、椅子を戻して、正面の扉へと向かった。そして扉の前についたところで自分は左手首に視線を落としそっとなでた。鋭い痛みがはしった。ため息がこぼれる。彼女の忠告通りになってしまったことが腹立たしくて、そういう風に腹立てている自分がまた情けない。だけど、いくら嘆いても怪我をしてしまったものはしょうがない、せめてこれが残りのテストに影響しないことを願うばかりだ。最後に左手を握ったり開いたりして調子をみてから次へと進んだ。
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