AC7.6

文字数 1,158文字

 扉の先の光景に自分は長いことノブを掴んだまま立ちつくしていた。やがてなかば放心状態で誘われるように部屋の中央へと歩いていった。そこではたべかけのチョコレートが自分のことを待っていた。
 この光景を忘れるわけがない。周りを見渡してみても何もかもがいっしょだった。これがどういうことを意味しているのか理解している。だけど……そんなことありえない、ありえるわけがない。そう否定しながらもチョコレートから目を離せずにいると、
「残念でしたね。はじめからになります」彼女が淡々と告げた。
「はじめからって……そんなこと…………」そこから先が言葉にならなかった。
 理解はできても受け止めきれない現実が、考えるより先に背後の扉へと足を向かわせていた。扉につき即座にノブを掴んでやけくそ気味に扉を引いた。が、ビクともしなかった。もう一度、全力で引いてみたものの結果は同じだった。
「テストの性質上あと戻りはできませんので扉を閉めさせてもらいました。それでどうしますか? 今なら棄権ができますが、続けますか?」ノブをだらしなく掴んだままの自分に彼女はおかまいなしに聞いてきた。
 答えは決まっていたけれど、言葉にするのに時間が必要だった。
 ――気をきかせてなのか新品のジャージが用意されてあったのでそれに着替えて、あらためて迷路の入口の前に立った。しかし、手を伸ばすことができない。頭で一生懸命にうごかそうとしても体が拒む。怖い。ふたたびあの暗闇の中を進んだら、いま自分の中で芽生えてしまったある可能性が、踏みつぶしてしまえないほど成長してしまう気がして。それならここで棄権すればいい――もうひとつの声がまた現れてそう語りかけてくる。このまま真実を闇の中に葬ってしまえばいい、もしかしたら後々もう一つの箱のように中身が気になるかもしれないけど、もう自分には鍵がふたつある。ふたつあれば十分脱出できると彼女は言っていたんだからやりたくないものをわざわざやる必要はない。それで脱出したら何か新しいことを始めよう、こんなくだらないことに頭を悩ませる余裕もなくなるほど夢中になれるなにかを――――。
 と、そこまで聞いて自分は頭を振った。たしかに怖い、目をそむけたくなるほど怖いけど、この考えがただの早とちりだってことも十分ありえるし、信じられないようなことが起こったからといってたった一回でやめるなんてあまりにも臆病がすぎる。彼女の意味深な発言が思い出される。そう、脱出するためにかならず合格しなければいけないんだ。臆病風に吹かれ諦めかけている自分に活を入れ、おもむろに扉を開けた。
 闇が悠然と待ち構えていた。
 体が大きく跳ね、固まった。が、それもわずかな間だけで、自分は意を決してその闇のなかへ踏み入った。そんな自分を闇は包み込むように迎え入れた。
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