AC7.2

文字数 2,259文字

 ――――気がつけばペットボトルの水は底にわずかに残るばかりで、チョコも半分以上食べてしまっていた。
 もう十分に休憩できたので残りを一気に飲み干し、チョコは銀紙で包んでから立ちあがり、チョコだけを右の机に置き正面の扉へと向かった。そして扉の前に立ち、ライターを持っていることをしっかり確認した。彼女から説明を受けたときにこのライターが何のためにあるのかだいたいの予想はついた。もしもその予想があたっているなら、このライターだけがお供というのは心許ない。不安に絶えず乱されがちな自分の鼓動を感じながら、最後に何か気になることはないのかあれこれ探してみた。特に思い当たることはなく、となればあとはもう扉を開けるのみ。鼻から大きく息を吸って口から吐く、そしてノブを力強くにぎり少しだけ扉を開けた。
 ――やっぱり自分の予想は当たっていた。そのまま扉を最後まで開き、中に足を踏み入れて、そしてゆっくりと扉を閉めた。
 扉の先は光から完全に隔離された暗闇だった。目に見えるのはただただひたすらに黒。なにも目に見えるものがないから自分が遠くを見ているのか近くを見ているのかわからない。ためしに手を目の前で振ってみても動かしている感覚だけで他はすべて暗闇に隠されてしまっている。足元もコンクリートの固い感触はあれど見えないから無の上に立っているようだ。そんなふうに距離感のつかめないなにもかもが飲みこまれている暗闇に身を置いていると、だんだん全身が闇と一体化していくような感覚に包まれ、いつしか意識だけの存在になってしまったかのような錯覚に陥りはじめた。
 こうなっていることは予想通りだったから驚きはしないけど、この暗闇の中を限りのあるライターだけを頼りに進んでいかなければならないのは先が思いやられる。しかもいくつか仕掛けがあるという。ポケットの中を探りライターを握る。このままライターを取り出して親指に力を入れたらかんたんに明かりがともせる。けれどおいそれと使うことはできない。そこで休憩中に思い出したある方法を使って進んで行こうと思う。その方法とは、最初に右か左のどちらかの壁に決めたら、ハズレの道だと思ってもたとえ気になることが反対側にあったとしても、その壁沿いに進みづづけるというもの。
 一応こうすれば、そしてしかけを考慮しなければ、すべての道を行けるので覚えなくてもすむ。この方法の重要な点は自分の勘に誘惑されずに理論を信じること、いいかえるとそういう命令を下された機械にならなければいけないということだ。言うは易く行うは難しなのはわかっている、それでもこういう時は一度決めたことは守らないと。とある人も、森にまよったときにあちらこちらと進むのではなく一度選んだ道を進み続けたほうがいい、と言っている。ライターを使えるのは何らかの異変を感じとったときだけだ。これでとりあえず方針は決まり、あとはそれをしっかり守るだけだ。ライターを左手に移し空いた右手で壁にさわる。するとコンクリートのザラっとしてつめたい感触がいやに伝わってきて、背中がぞわっとした。その感触に驚いて一瞬離してしまいそうになったが、逆に思いっきり押しつけ絶対に離すもんかと気合を入れた。そして目の前の虚空を見据えて、足と指先に神経を集中させ慎重に歩きだした。
 そうして歩きだしてから少しして、はやくも初めての変化を指先がとらえた。ここまでまっすぐだったのが右へ直角に曲がっていて、手をのばしてさぐってみるとそのまま続いていた。決めた方針通りなにがあるのか確かめるためライターの火を灯すと、オレンジ色のぼんやりとした光が自分とその周囲をわずかにやさしく照らしだし、三方向にのびている道を浮かびあがらせた。それを見ておもわず眉間にしわをよせた。いきなり十字路か。おそらくこの三本の道の先もここと同じようにどこかで枝分かれしていて、それももちろんどこかでまじわる可能性はあるものの二つはハズレだと考えると、およそ叶うとは期待できないけれど右がアタリなのを願うばかりだ。ねんのために持ってきておいたペットボトルをポケットからとりだし目印として角に置く、そしてライターの火を消しふたたび暗闇に塗られた視界で迷路をすすみはじめた。
 右の道もおなじようにまっすぐのびているのかと思ったやさき、同じ変化を指先が感じたのでライターで確認してみると、今度は右に道があるだけだった。そのまま右にまがって進んでいくとすぐに行き止まりにぶつかった。ここでほんらいなら振り返ってさっきの十字路に引き返すところを、道中さわっていないほうの壁に通路があるかもしれないので、このまま壁伝いに進んでいく必要がある。言ってみれば、自分は行き止まりにぶつかろうがなんだろうが、ふりかえらずとにかく前に進み続けなければならないということだ。そう言うとなんだがとんでもないことをしているようだけど、この迷路の出口を目指すならそういう心構えがあってこそな気がする。そういうわけで止めていた歩みを再開し、足を前へと運びつづけた。
 そうして壁沿いに進んでいって、結局なにごともなく最初の分岐路に戻ってきた。どうやら右の道は曲がり角と行き止まりがあるだけのようだ。最初だからこんな感じですよと用意していた道なのだろうか。とにかく簡単にハズレの道だとわかったのはよかったけれど、できるなら最初からアタリの道を引いてほしかった。しかし、そんなことを言ってもしかたないので、気を取り直し次の道に入っていった。――――
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