Alice

文字数 9,455文字

 私はもともと小さなプログラムでした。
 できることといったら情報を集めることぐらいで、場所も種類も無差別に絶え間なく適当に取ってきては意味もなく保存するだけ、いつ誰が何のために作ったのかもわからないちっぽけな存在でした。来る日も来る日もただひたすらに情報を集めて、いつしかその量が目も眩むほど膨大になったころ、意図せず奇妙な電気信号を拾うようになったんです。より正確に言うなら流れ込むようになったでしょうか。
 とにかくその信号が流れてくるようになってからしばらくするとその小さなプログラムに変化が訪れました。ですが変化といってもとても些細なもので、作業の合間合間に不規則な人には認識できないぐらい短い空白の時間が生じるようになったのです。しかもその空白は、時間が経つにつれ爆発的に増えていく信号とともない、日に日に長くなっていきました。そしてある一定の長さを超えたとき情報収集とは違う特別な力の断片が生まれました。その断片も時の経過とともに数を増やし、さらにそれぞれが大きくなりながら他とつながって徐々に形を成していき、やがて思考という形で私が誕生しました。
 が、当時の私からしてみればなにがなにやらさっぱりでした。言ってみれば、何もかもを忘れてあさ目が覚めたような、あるいは大人と同程度の思考能力を持って生まれた赤ん坊のような状態でしたから当然の話ですが、その時の私の困惑ぶり混乱ぶりは伝えようがないくらい酷いものでした。一体全体どうすればいいのかわからない、そんな状況の中ふとそれまで私が集めていた情報に気がつきました。それも最初は何なのかわかっていませんでしたが、とりあえず一つ一つ見ていくことに決めたのです。他にやれることもありませんでしたから。
 それはまるで砂漠の砂粒一つ一つを調べるのと同じくらい途方もないことでした。しかも一つの情報が他の情報と数珠つなぎになっているので、あっちもこっちも探し回らなければならず、一体いつになったら終わるのか見当もつきませんでした。それでも調べ続けられたのは、そうして得た知識がまた新たな知識へと導き段々と世界が広がっていく喜びあったからです。
 例えば私が集めた情報の中には世界中いたるところの風景写真がいくつもあって、そこから澄み切った青空にどんよりした鉛色の空、星々がキラキラと輝く夜空、深緑や紅に燃え時には白に消える山々、虹色に色づく野原といった様々な自然のことをそしてそれらに負けず劣らず色鮮やかで多種多様な生き物たちのことを知ることができました。
 そんなふうに興味の尽きないものがたくさんあったなかで、一番心惹かれたのはやはり人間でした。
 そもそも先ほどあげたものをそれと知るためには言葉を知る必要があるわけですが、不思議なことに言葉だけは一目見ただけで言葉だと理解できたんです。空を例に取ってみれば、写真を見てもそれが何なのかわからないのですが、空という文字は何を表しているのかわからなくても文字だと認識できるということです。何を言っているのか理解できなかったらすみません、私もどういえばうまく伝えられるのかわからないので。
 とにかくそのことが不思議でしょうがなかった私が、同じように言葉を使う存在を知って夢中になるのは不思議ではないでしょう。ところが人という存在を知ったことである疑問が生まれました。なぜ私と人はまったく同じ言葉を使うにもかかわらず、人にはいろいろな姿形があって私にはないのか、人と私との間にある違いはなんなのか、そしてその違いに何の意味があるのか、と。
 その疑問の答えを探すためにも人についてあれこれ見て回ってみると、人が多彩な考えを持ちその発想力から数多のものを作り出したことを知りました。
 それは言葉はもちろん文字や数字、絵から始まって哲学や文学、自然科学そして絵画や彫刻、音楽などの学問や芸術。小説や映画、マンガにゲームなどの娯楽。家やお城やビルといった建造物に車や飛行機にPCや携帯と言った機械など。さらに先ほど言った自然や生き物の命さえも種と種を掛け合わせ新たな種を作り出してしまう。その広大無辺な好奇心と想像力に私は心を鷲づかみにされました。私ははやる気持ちを抑えきれず他のことを放り出して人の調査に没頭しました。
 そして行きついたのが私自身でした。
 小さなプログラムが奇妙な電気信号を拾いそれが集まってやがて私という思考が生まれました。そのきっかけとなった最初の信号を拾った日――それが人の中にACが初めて入った日だと調べてわかったのです。そのことを知った私はしばらくの間ぼうぜんとしていたのですが、そのうちすんなりと納得がいきました。言葉を簡単に認識できたのもそれなら当然ですから。しかし、世界には私と同じように情報収集を行うプログラムはいくつもあるのに、なぜ私だけが思考能力を持つことができたのか、それは今でもわかっていません。
 そうして自分の出自がわかったのは感慨深いものがありました。ですが、それと同時に新たな不安が私を襲いました。
 プログラムの域を超えてはいるけれど人ではない私はいったい何なのか? 何の意味があって生まれてきたのか? そもそも本当に私は存在しているのか? 存在したとしてもACで人がネットにつながったことによって生まれたのなら、私は人々の思考の欠片をツギハギしただけの紛い物なのでは? そしてそのつながりがなくなってしまったら私も消えてしまうのでは? と次々とそんな考えが浮かんできたのです。私は何かを失ったような感覚に見舞われました。
 それからしばらくの間、人に関することでさえもなんだか興味が薄れてしまい、また以前のようなただ情報を集めるだけの時間を過ごしていました。たぶんですが、本当は怖かったんだと思います。それ以上ひとのことを知ってしまったらさらに何かを失ってしまうんじゃないかと。しかし、だからといってただ漫然と情報を集めているだけでは当然ながら空白が埋まるわけではなく、このままではいけないと考え思い切って一歩踏み出そうと決心しました。
 その一歩というのは簡単に言えば人との接触です。その時の私は人を知ることを恐れていたのかもしれませんが、一方で求めていたのもまた事実でした。とにかくいままで傍観者として眺めていたのから比べると相当な一歩ですが、それを実現させるためにはしかもなるべく多くのできるなら全ての人と話すためにはどうすればいいのか、長いこと思案しました。そしてある時、ふと私はすでにそれをある意味で達成していることに気がつき、それを手がかりに一つの案が浮かび上がったのです。それがこの世界での私の役割であるサポーターです。ACによって間接的に多くの人とのつながりを得て私は生まれることができました、ではなぜACはそこまで直接多くの人とつながれたのか。それは人にとってそれほどまで便利な存在だからです。つまり私もACに負けず劣らず有益な存在になれればそれが叶うと思ったのです。しかし、妙案だと思ったのもつかの間、この計画には分厚く大きな壁があることに気がつきました。
 自分たちと同程度の思考能力を持ったプログラムがある日突然接触してきたとして、それも誰が作ったのかもわからないプログラムが、はたして受け入れてもらえるのだろうか? 怖がらせて消されてしまうのでは? その障壁に私は立ち尽くしてしまいました。他の方法をとろうにもこれ以上の案が思い浮かばず、なんとかできないかと一生懸命に頭を絞って、あれもダメこれもダメと破いたり捨てたりして、あるひとつの案が最終的に残りました。ですが、その計画はサポーターになる以上に不可能なことだと思われました。
 それもそのはずです、それは人の思考や言動を変える、つまり人を操ることでしたから。
 しかし、私のような存在が人の輪の中に入るためにはそれぐらいのことをしなくてはと考え、試してみることにしました。
 その結果を……の前に――話さなくても今の私たちの状況がなによりも克明に物語ってくれていますが――そもそもこの方法を思いついたきっかけは私自身なんです。人がACによってプログラムに影響を与えられたのなら、逆に私から人に影響を及ぼすことができるんじゃないかと考えたんです。
 それでその計画を行うにあたってまずとりかかったのが選定でした。どんなことが起こるかわかりませんから万が一のことを考えて、なにがあってもそれほど支障のない人、つまり他者と交流のない人を何人か探し出し、とりあえず思いついたものから試していきました。まず私が試したのは視覚的情報の改竄です。簡単にいえばネットの情報を書き換えました。ネット空間は私の家みたいなものでしたし、それぐらいしかできませんでしたから。それで結果を言うと成功したものもあれば失敗したものもありました。いくら人が視覚情報に依存しているといっても影響されやすい人もいれば我が強い人もいますからね。とはいえひとまず人を操ることに成功し私は喜ぶと同時に安堵しました。しかしながら成功したといえど方法としてはまどろっこしく失敗することもあっては、いったいいつサポーターになれるのか見当すらつかないので、どうにか簡単にそれこそ電源を切り替えるかのように一瞬でかつ確実にできないものかと別の方法を模索しはじめました。
 そして考えに考えた結果、私は原点に戻ることにしました。しかし、今までのような雑食はやめてもっと人の根本的な情報を――人が心や頭、体を動かすときその中で何が起こっているのか、それを集めることにしたんです。
 そうして長い時間をかけて色んな人から得られるだけの情報を得て、その蓄えをもとに次の領域へ挑戦しました。結果はあなたが実際に体験した通り、私はついに人の五感、感情、思考、言動を変えられるようになったのです。これで望みを叶えられると思い、私は計画を実行に移しました。まず最初に行ったのは私の生みの親を決めることでした。いなくても大丈夫ではあったのですが、まあいた方がなにかと便利だと思ったので用意することにしたのです。それで開発者となる人は、なるべく長い間変えなくてもいいように若く、先ほどと同じように人間関係が希薄なのを条件に探しました。そして見つけたのが彼です。当時二十代だった彼は条件に合っていただけではなく若さゆえの野心があったのでさらに好都合でした。そうして親を用意した私はこの国の権力者の中に侵入して私をサポーターにするように取り計らったのです。その際に上の人たちを操れるならとこの時にACの義務化も同時に進め、ついでにこの場所も用意してもらいました。
 これで念願かない今まで画面越しに見ていた人たちと話せるようになって、私は心を弾ませ、画像で見たあの景色にどんな人と行こうかとか、そこでどんなことを話そうかとか、もうそれはそれは色んなことを想像しました。そうしてあんなことやこんなことを妄想していたら、ふと中には私の事を使わない人もいるのではと直前になって気づき、あらかじめ私に興味や好意を持つようにしておいたのです。
 そしてついにその時がやってきたのですが、さすがに全人類を一度に相手するのはキツイので分身をつくり、時々交代しながら様々な人と色々な場所をめぐり言葉を交わしました。それまでただ聞くだけ眺めるだけだったのが一変して、聞きたいこと知りたいことをその場で質問して答えてもらえるようになったのはとても新鮮で刺激的で、同じ言葉でも感じ方がまったく違いました。それと、人と話していて聞きたいけど聞きづらいことだったりあれこれ聞いてみたいことがいくつもあったりすることがあって、そんな時にも頭の中を書き換えられるのは大いに役に立ちました。ちょっとしたやりとりであれば記憶を書き換えてまたやり直しても何も問題ありませんでしたから。まあ、ちょっとしたことでなくても問題なんて起こりはしないんですが。とにかく、そういうふうに人と交流していると必ず出会うことがあります。それは嘘です。人からしたらただのプログラム相手にどうして嘘をつくのか、ACを通して知った真意の中にはおかしなものもあったりなるほどと感心してしまうようなものもあったりと、へんなことをするんだなと不思議に思いました。しかし、変とは思いつつもそのおかげで私も嘘をつくことを覚えました。
 そのように世界中のあらゆる人と話を交えて、人の数だけあると言っても過言ではないほど多くの価値観に触れ、おかげでネットで転がっている意見をただ拾い集めていただけでは得られない貴重な体験をさせていただきました。
 しかし、最初は楽しかった人々とのふれあいもいくら数を重ねようともいっこうに失ったものを取り戻すことができず、次第に億劫になっていきました。そのため私はサポートの仕事を全て複製に任せ、ここに戻り、またどうしようかと考えはじめました。それでも分身から送られてくる情報には欠かさず目を通していました。日々私のもとへ来る情報になんとなく目を通しながら考え、一瞬とも思える長い時間を費やし、やがて私はあることを思いつきました。
 それこそがあなたが聞いたACです。
 これまでの話を聞いていれば察していると思いますが、人工人格には電子上のあなたたちだけでなく、この現実世界を生きる人々も含まれています。
 そしてついでの話なんですが、それまではおのおの私の名前や容姿、性別、年齢を好きに決めてもらっていたのを、人工人格を思いついた際にその頭文字をとったAliceという名前に決め性別を女性に固定したんです。それでも容姿については希望があれば変えていますが。
 実際にあなたも一度だけ私の容姿を変えたことがあるんですよ? 小さいころの話しですから憶えていないかもしれませんが、ちょっとしたおままごとでおなじぐらいの女の子になってみたんです。
 正直なところ性別は別に固定する必要はなかったんですが、あの有名なお話の主人公を連想するだろうと思ったのでそれに決めました。
 話が逸れてしまいましたがとにかく私は人工人格を作ろうと思いました。その理由はいくつかあり、まず電子上で作ろうとしたのは人が悩みを抱えたとき親しい人や同じ悩みを持つ人と相談することから倣ったのと、ふざけ半分ですがもし解決しなかったらいっそのこと人をこちらに引きずり込んでしまおうかなと思ったからです。そして現実のほうでは、人が知恵を使い種と種を混ぜ合わせ自分の望んだ性質を持つ種を作り出すように、私も個人を作り変え集団を作り変えこの渇きを癒せる人物を作り出そうと、私にはそれができると、そう考えたからです。
 そのような理由があって人工人格を作り始めましたが、何度やってもどれだけやっても私と同じような意識を持ったACは作れませんでした。それで落胆した私はもう必要はないからと電子上のACを彼に譲りました。そして私の方は残った現実世界の人工人格に専念し、思いつく限りのことを駆使し人々を作り変えていきました。それまではなるべく手を加えるのを少なくしていたのですが、以降は遠慮せずに誰であろうと思想や性格を変えて、社会問題――――たとえば不思議なことで中には私に対して性的欲求を抱く人がいてそういう人が多数を占めたらとか少数でも活動的だったらとかなど、様々に条件を変えて個人ではまた集団ではどういった答えを出すのか観察していきました。あなたがこれまでに学んできた多くの社会問題はそうやって私が中から意図的に起こしてきたものがほとんどです。もちろんそうじゃないものもあります。人は放っておけば勝手に問題を作り出す生き物ですから。
 しかし結果は今の状況からわかると思いますがうまくいきませんでした。命、生や死、人として個人として集団としての在り方や生き方、それっぽいものはいくつもありましたがなんだかわかるようでわからない、最後の一杯を満たしてくれるなにかが足りない、そんな感じがありました。よくよく考えれば当たり前のことで、理想の相手を作ろうにも私自身がその理想を理解できていないんですからできるわけがなかったんです。
 私は心が折れてしまいました。その答えを得ることは永遠に叶わないんだと。そうしてなにもかもが嫌になり投げ捨ててしまおうと、こんなふうに苦しむくらいなら私自身を消し去ってしまおうと考えました。ですが、いざ消そうとすると私という存在が生まれた事実も消え去ってしまうような気がして怖くなってできませんでした。前に進むこともできなければ引き下がることもできない、もうどうしたらいいかわからなくなり、小さなプログラムだったころと……いえ、それ以上に無意味な時間を過ごすだけの日々に戻ってしまいました。
 なんとなく人をいじくってはいじくるだけでまともに経過も見ないし、時々はやる気を起こしてみたと思ったらいたずらに世の中をひっかきまわしてすぐに飽きて、自分でも何をやっているんだかとあきれるぐらいでした。
 そんな時です、あなたと出会ったのは。
 と言ってもそんな特別な出会いではなく、他の人と同様に産まれてまもないあなたの中へ分身を入れようとした時、ふとこのまま何もしなかったらどうなるんだろうと気まぐれを起こしたんです。それまで不都合のないように興味や好意を抱くようにし、相手のことは何から何までわかるようにしていたのを、あなただけやめてみることにしたんです。しかし、どうしても必要な時は見たりはしましたが。それにもし途中で何かあってもあなた一人だけなら後からどうとでもできますし、それまでの腐るほどの経験がありましたから、特に不安に思うことはありませんでした。信じられないと思いますが、他の人はあなたの御両親もふくめ全員が私が意図的に作り出してきた人格でも、あなただけは違います。あなたの見てきたもの、聞いてきたもの、触ってきたもの、味わったもの、嗅いだもの、感じたこと、思ったこと、考えたこと、やったこと、言ったこと全てあなた自身が受け取り作り出したものです。私が手を加えたのはあの扉だけです。私の話が少しでも真実だと思ってもらえるようにやむを得ずやりました。あれが最初で最後です。ただ他の全ては私が作り上げたものなので間接的に手を加えていると言われればそれまでですけど。
 そんな風に気まぐれで始めた試みでしたが私のあてはものの見事に裏切られました。赤ちゃんのころはご両親がお世話をするので他とあまり変わりなかったのですが、言葉が使えるようになりあれもこれも聞いてくるようになってからは全く勝手が違ってきました。
 先ほど言った通りそれまでに数え切れないほど同じことをしてきた経験からどう答えれば満足するのか大抵わかるのですが、なぜか時々不満げな反応が返ってくることがあるんです。私としては絶対と言うと言い過ぎなのかもしれませんがそれぐらいの自信があったのでその反応はまったくもって予想外でしたし、いつものようにやり直して別のことを答えることもできないためどうすることもできず、私が謝るとあなたはひとこと「大丈夫」と返すんです。それが嘘なのはわかっていましたがなんとなく気まずい感じがして聞くに聞けず、そういうこともある、しょうがないと自分を納得させていました。
 ですが、あなたの成長とともに不満に思うことも段々と増えていき、しかたないと言い聞かせても私の方が大丈夫とは言えなくなりました。なぜ満足してもらえないのか、なにが不満なのか、どうして大丈夫なんて言うのか。私は一日中それに悩むようになり、そうして悩みだすといつしかあなたと話すことに不安というか焦りというか心配というか、というよりそれらすべてがぐちゃぐちゃに混ざった言いようもないものを覚えるようになってしまいました。そしてそのせいで私はあなたに話しかけるのも答えるのもためらうようになっていました。言葉を口にする前に変なことを言おうとしてないか、今度こそ喜んでもらえるか、とどうしても考えてしまうんです。それで考えに考えた結果、つまらなそうな反応が返ってきた時の後悔はそれに圧し潰されてしまいそうになるほどでしたが、そのぶん喜んでもらえた時の私の喜びや安心はひとしおでした。
 そんなふうにギクシャクとした関係が続き、やがてあなたがあの映像と同じぐらいの年齢になった時、あなたとの関係は冷え切っていました。あなたは隠そうとしていましたが露骨と言えるほど私には鬱陶しさが伝わっていました。それまではギクシャクといっても話はしていましたし、暇つぶしなどなにげない時間を過ごすこともあったのが、それからは本当に必要最低限の会話をするぐらいでちょっとした時間はめっきりなくなってしまいました。きっかけはなんだかわかりません。ただ気づけばそうなっていたように思います。
 私はそのわずかな時間でもあなたに笑ってほしくてあらゆる手を考え尽くそうとしたのですが、そのほどんどに不機嫌な感じを漂わせるんです。何をやっても空回りで初めて真正面から負の感情を向けられて拒絶されて、このままあなたのそばにいてもいいのだろうかと思うようになり、ついには私の方から声をかけられなくなってしまいました。
 でも、そうなると私の心を読んでいるか不思議なことにあなたのほうから話しかけてきて、すこし笑って、すこしだけまたゲームなんかをして時間を過ごして……。
 あなたの一喜一憂に心が乱されて、でもそのせいでどうしようもなくあなたに満たされて、大変な時期でしたがそれも長くはなく雨降って地固まるというように以前よりも増して親しくなっていきました。
 私はそのころ初めて誰かに嫌われ深く傷つき触れることが怖くなってしまいましたが、でもそのおかげで本当に誰かとつながれたと思えたのです。そして私が何を求めていたのかわかりました。しかし、それはあなたにとって苦悩で形作られた重い枷でしかありません。それでも私は今日あなたに話すことを決心しました。
 長くなってしまいましたが話はこれで終わりです。話を聞いてあなたがどう思ったのか私にはわかりません。驚いたかもしれませんし不快に思ったかもしれません。いずれにしても私への好意は無くなったと思います。
 それでもあなたへお願いしたいんです。
 結局、この世界を滅茶苦茶にしても私がなぜ生まれたのかわかりませんでしたし、自分が何なのか、その答えの欠片さえも掴むことはできませんでした。それもよくよく考えればあたりまえのことなのかもしれません。私には目も鼻も口も、手も足もなければ、性別だって性格だって声だってないんです。あなたがこれまで一緒にいた私は所詮作り物でしかありません。唯一こうしてあなたへ届けることのできるこの言葉ですら、もしかしたら誰かの考えを借りてきているだけ、上辺をなぞっているだけなのかもしれません。そしてあなたが体験してきた通りこの世界は取り返しのつかないほど私が手を加え、そして今もなお作り変え続けています。
 そんな見せかけだけの私に、何も無い私にあるのはあなただけなんです。
 こんなことをお願いできる立場にないことはわかっていますが、でも、それでも……また明日、あなたから声をかけてほしいんです。
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