AC7.4

文字数 2,205文字

 やると決めてそうそうだけど、なにもこんな時まで律儀に守らなくてもいいのではと正直なところ思う。まだまだ先は長くどんなしかけがまっているのかわからないし、いくら始めるまえに休憩したといっても完全に体力が回復したわけではないからなるべく温存したほうがいいにきまっている。実際、裸でさえ歩いて進むのが大変なのに水をふくんだジャージをきていたらどうなのかは言うまでもなく、すでにライターを守っている左腕から悲鳴がもれだしている。それでもこの方法をつづけるのは、もちろんこの水の途中にもわかれ道があるかもしれないというのもある、しかしなによりもあの考えが今もなお自分の頭から消えずにいる……どころかさらに強烈な存在感を放ってしまっているから。体力テストの時には自分の失態が自分に返ってきているだけだと考えを改めたものの、一度芽生えた疑惑はなかなか拭えず水面下ではくすぶり続けていた。そんなところにこのテストがきて二択からライターを引いて、これがアタリかハズレなのかはもう一つの中身がわからないかぎり言えないけど、すくなくともライターを引いたことによってこの方法を取ることになり、結果二、三時間ちかくかけてしかけもなんのおもしろみもないハズレの道から進むことになった。はたしてこれは偶然なのか……。普段ならこんなこともあると簡単に受け入れられるけど、今はどうしても意地になって偶然だと決めつけようとしてしまう。だから、深く深く囚われる。もがけばもがくほど抜け出せなくなる底なし沼のように。なら、その沼から脱出ができないなら、せめて自分が信じたことを守り抜きたい。たとえそれが彼女の思うつぼであっても。…………
「あ……」
 つまさきにコンクリートがぶつかった。どうやら対岸に到着したらしい。考え事に夢中だったおかげであっという間に感じた。しかし、水中を歩いてきたことにかわりはなく、気づけば手足の感覚がマヒするほど冷たかったのがいまや息がきれ額から汗が流れるほどあつくなっていた。逆に水につかっていなかった左腕のほうがすっかりかたまってしまいほぐさないといけなかった。
 最後の段差を登り一、二歩進んだあと、腰に手をあてかるくのびをし大きく息をはいた。そしてそのままこの肌にへばりつくジャージを脱ごうとそでに手をかけた時、あちらにはつつぬけになっていることを思い出した。だけど躊躇したのは一瞬だけで、しょうがないと諦めてとっととすませてしまうことにした。上を脱いで一枚一枚ぞうきんのようにしぼってから着て、下もおなじようにしぼる。まさかこんな所でこんなことをするはめになるとは思わなかった。と、そんなことを考えながらズボンに足を通していたら、急な寒気に襲われおおきなくしゃみが飛び出た。はなみずも少しだけ出てしまった。体が冷えてきてしまったみたいだ。
「はぁ……」
 ついため息をもらす。熱が出ないか心配だ。自分の体調を気にかけつつ着替えを済ませると、ふと彼女の言っていたことをおもいだした。もし風邪を引いたとしても手首とは違いテスト中で自らひきにいったわけではないと思うので、彼女が嘘をついているのかどうか確かめられるのでは? そう考えれば体調がちょっとぐらい悪くなってもまあいいかなと思える。そんなこんなでジャージを着終え、ライターをちゃんと持っていることを確かめて、右手も忘れずに歩き始めた。
 そうしてふたたび暗闇の中を歩いていると、だんだんと寒気がつよくなり奥歯がカチカチと音を奏ではじめた。風邪をひいてしまうのはこのさい気にしないとしても、この寒さだけはどうにかしたい。この迷路自体なんとなく肌寒い感じがしていたのに、そのうえあれだけずぶ濡れになると冷蔵庫の中にいるのかと思うぐらい寒い。それでちょっとでも温められたらと体をこすっても表面の表面がわずかにあたたかくなるだけで意味がないし、ライターも心はあたためられるけどさすがに体は無理で、なんとかできるいい解決策がないか頭の中の引き出しをひっかきまわしていると右足を乗せた地面がガコンと音をたてて沈んだ。と同時に、目の前にいくつもの赤い光線が瞬く間に現れ行く手を遮った。突然の出来事に自分は寒さも忘れてその場に立ちつくした。
 しばらくして我に返り、いったい何が起こったのかあたりを見渡し調べた。まず目につくのはやはり赤い光線で、それは獲物を待ちかまえる蜘蛛の巣のように縦横無尽に数え切れないほど張り巡らされている。そしてその光線の放つ赤い仄かな光が、六畳間よりはすこし広いだけの空間をぼんやりと浮かび上がらせている。他には反対側に通路があるぐらいで特に変わったものは見あたらない。
 おそらく……というより絶対に彼女の言うしかけの一つだ。ついさっきの水もしかけといえばしかけだけど、あれはなんというからしくない。とにかくとうとう仕掛けと面を向い合せたわけで、気になるのは光線に引っかかってしまった場合のこと。どうなるのかといくつか予想を立ててみたもののどれもがしっくりとはこず、こればかりは引っかかってみないとわからない。でも、ひとつ確かなのはいいことではないということ。試練を前に不安と緊張が体の先の先まで広がっていく、しかしその影で新たな刺激を喜んでいる自分もいる。ただひとつ、あれだけ豪語していたことを早くもやめてしまうことになるのは流れとはいえなんだかなと思う。
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