AC8.2

文字数 1,644文字

 迷路に入ってさっそく地図を開いてみた。それに書き込まれた自分の現在位置と迷路を見て言葉を失った。
 自分はいま真南にいるらしく、自分を表しているであろう赤い三角形が真北を向いて地図の一番下中央にあり、その三角形を二本の黒い平行線が挟み込んでいる。実際の迷路も前は壁で左右に道が続いているので、正しい情報が書き込まれているようだ。それで自分が言葉を失うはめになったのは、その書き込まれた線がまるで画面についたゴミみたいに目を疑うほど極々わずかしか地図を埋めておらず、五時間では絶対に全てどころか四分の一、いや十分の一すら回れないのが概算するまでもなくあきらかだったからだ。この迷路で鍵とエレベーターキーを集めきれるのは相当に運を持ち合わせていないと到底不可能だ。
 しかし、今の自分に運なんてものはこの黒い線ほども存在しない。そう、自分の手にあるのはすでに描き終えている。
 地図を小さくして、左右の道を見比べた。どちらも見た目は全く一緒で、耳を澄ましたところで物音が聞こえるでもなく、しょっぱなから嫌な思い出が色濃い二択が苦しめてくる。どうしようかと苦い顔をしてもう一度左右をみくらべ、悩んだすえ理由もなく右の道を選んだ。
 そうして走り出してすぐ、体にどこかぎこちなさがあるのを感じはじめた。そのぎこちなさを言葉にするなら、まるで操り人形のように自分の意志で動いているようで動いていない、心が空っぽで体だけが勝手に動いているような、そんな感じがする。なぜこうなってしまっているのか、その原因はわかっている。自分の気持ちが宙ぶらりんなままでいるからだ。だから、このざまなんだ。
 それから気の抜けた走りで、ときどき休憩を入れながら走り回って、気がついたら何もないまま一時間が過ぎてしまった。立ち止まって地図を見ても埋まっているのは何分のとすら言えないぐらいの範囲だけ。人に会わないのは――どれくらいの人が参加しているのかわからないけれど――この広さなら当然と言えば当然なのであまり気にならないものの、鍵はともかくとして目にしたのがコンクリートだけなのはマズい。もしかしたらこの広大無辺な迷路に通路以外の場所は思っているよりもはるかに少ないのでは。そんな考えが浮かんできて気持ち悪い汗が手のひらをじっとりと濡らす。そして今まで時間の透明な壁に阻まれていた死が、一瞬だけその魔の手を自分に伸ばしたのをハッキリと感じた。その遠い未来の話だったはずの気配に感じたことのない恐怖が、諦めてしまってもいいとぬかしていた心を蝕んでいく。
 自分はいったいどうやって死ぬのか、前にも暇つぶし程度になんとなく想像したことがあって、その時は不幸な結末も穏やかな最期も思い描けたけれど、いま描き出せるのはすべて暗い未来のみ。先行きが真っ暗なのにあれほど頼りにしていた安物のライターをなぜか置いてきてしまった。両手がからっぽなのが不安でたまらない。どうしようと焦りから辺りをきょろきょろと見回す、がどこを見ても変わらない景色と恐ろしいほどの無音にますます焦りがつのる。とにかく走って……走り続けるしかない。止めていた足をふたたびあてもなく動かしはじめた。
 それから二十分ぐらい走ったところでやっと期待できそうなものを見つけた。これをここにきてからどれほど見ただろうか、そう思わずにはいられなかった。しかし、かならず何かあるという予兆でもあるので今だけは嬉しい。時間も惜しいのでさっそく扉をといきたいところだけど、その前に少し道を引き返して周りに誰かいないか耳を澄まして確認した。本当に他に誰かいるのかと疑わずにはいられないほどに静かだった。確認が終わったのでそうそうに切り上げ扉の前まで戻り、できるかぎり音をたてないように慎重に開けていった。そしてある程度開けたところで隙間から中の様子をうかがってみると、最初はそれが何なのかわからなかったけど、すぐに珍しく自分の期待していたものだとわかったのでそのまま開けて中に入った。
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