ブライアンはパンを焼いた
文字数 5,158文字
2
二年生の校舎を出て、隣に建つ文化部の部室棟に入る。美術室のある四階に到着すると、「悪いな。人が多い場所だと、愛想良くしないといけないから疲れるんだよ。それに、話す内容が内容だしな」
と森巣は、ぶっきらぼうに言った。
目つきが悪くなり、奥歯に挟まってるものを気にしているみたいに口角を動かし、顔のストレッチをしている。笑顔を作っているのは、疲れるのかもしれない。
美術室を見回す。
ほんのり甘いような、絵の具の匂いがする。昼休みだし、てっきり部屋の中には誰もいないと思っていたけど、女子生徒が一人いた。こちらに背を向け、石膏像の油絵を描いている。大きなヘッドフォンを着けているからか、僕らが入ってきたことにまだ気づいていないようだ。
「霞 のことは気にしなくていい。喋っていても聞こえていない」
そう言って、森巣は手近な席に座った。霞という名前に聞き覚えがある気がするけど、とりあえず椅子を引き、森巣の隣に座った。
「久しぶりだね」
「そうだな。てっきり、あの後お前は俺に付きまとってくるかと思っていた」
思わず顔をしかめる。先月、ある事件の調査をするため、僕は森巣に協力し、この森巣、つまり彼の本当の性格を知った。
「僕は、なにか事件が起きるたびに、森巣の方が調査をするぞって訪ねてくるんじゃないかと思ってたよ」
「なんで俺がそんなことをしなきゃいけないんだ。そういうのは警察の仕事だろ」
「じゃあ、なんでこの前は事件を解決したんだよ」
「他でもない、大事なクラスメイトのためじゃあないか」
かぶりを振り、「それで」と本題に促す。
「一体、僕になんの用だい?」
「強盗ヤギ」
自分の表情が強張るのがわかる。
「また手伝うなら、報酬も出すぞ」
「いや、僕はもう、前みたいなことは」
「そうだ、お前の曲を聞いたぞ」
目を見張り、森巣を見る。
森巣は飄々とした表情で、「ネットにアップしていただろ?」と、続けた。
今までこっそり一人でギターを弾いていたけど、最近やっとバンドを組んでみたいと思うようになり、楽器屋でメンバー募集の張り紙をした。どんな曲をやるのか知らせるため、録音し、それをバンドメンバーを募集するサイトにアップしていている。だけど、バンドをやりたいと言うのが気恥ずかしくて、このことは誰にも言ったことがなかった。
「お前はオルタナが好きなんだな。あのリフはユニークで、なかなか良いと思うぞ」
「聴いたのか? いや、なんで知ってるんだ!?」
問いただそうと歩み寄った瞬間、後ろから「あれ」と女子の声が響き、振り返った。
絵を描いていた女子生徒が、僕らに気づいたようだ。彼女の顔を見て、「あっ」と漏らしてしまった。
長い黒髪に、白いカチューシャが映えている。右目の下に、涼しげな泣きぼくろがある。人形のような、パッチリとした瞳がこちらを見ていた。
「いたの? 声をかけてよー」
彼女は森巣を見てから、僕に視線を移してにっこり微笑んだ。彼女には見覚えがあるし、フルネームも知っている。
三年に小此木霞 という才色兼備の生徒がいる、という話は二年生の僕でも聞いたことがある。ボランティア部の部長で、地域の老人ホームや養護施設との交流も行っており、地方紙だけど新聞にも載ったらしい。全校集会で表彰されているのを見たこともあった。
「初めまして。良ちゃんのお友達?」
「初めまして」と返事をしながら、僕たちは友達ではないよな、と思って森巣を一瞥する。が、特にリアクションを返してこないので、「同じ学年で」と適当にごまかした。
「友達いたんだ!?」
「うるさいよ」
「あんなにいらないって言ってたくせに」
「友達なら、俺にはたくさんいるじゃないか。休み時間に教室を覗きに来るといい」
「あれは友達ごっこでしょ?」
小此木さんは、ニコニコしながらこちらに近づいてきた。
「小此木霞です」
「もちろん、知ってますよ」
森巣を見て、得意げに胸を張る小此木さんに、僕も簡単な自己紹介をする。
「良ちゃんのこと、心配していたのよ。外面ばっかり良いけど、普通に話せる相手がいないんじゃないかって」
「外面がいいなんて、小此木に言われたくないな」
「心外ね。わたしは良ちゃんとは違います」
それで、と小此木さんは僕に向き直り、「平くんも色々と大変だったみたいね。この前の事件のことは、良ちゃんに聞かせてもらったわ」と微笑んだ。
「そうですね。でも、僕はなにも」と返事をしながら、はっとして森巣を睨んだ。目立ちたくないから、秘密にしておいてくれ、と言っていたじゃないか。
「大丈夫だ。霞から秘密が漏れることはない」
腹黒森巣が良ちゃんと呼ばれているし、名前で呼び合っているし、「二人はどういう?」とおそるおそる訊ねてみた。
「改めて考えると、なんだろうね。わたしは近所のお姉さん?」
「昔からの知り合いだ」
二人とも容姿に恵まれ、頭も良くて人望がある。似合いのカップルに見えていたのだが、そういう訳ではなさそうだ。
そこでふと、疑問が浮かんだ。
「小此木さんも、もしかし、てその、森巣みたいに?」
「ん?」
「性格に裏表があったりするんですか?」
突然、森巣の快活な笑い声が美術室に響き、此木さんはむっとした様子で腕を組んだ。
「平、なかなか鋭いぞ。わたしみたいに友達を作った方が楽しいよ、と言われたから、真似をすることにしたんだ。人気があった方が、なにかと効率がいいとわかったからな」
「それは意味が違うし、周りの人に優しくするのは、当たり前のことよ」と小此木さんがかぶりを振る。
「そうだ、これ。頼まれていたやつ」
小此木さんが、ブレザーのポケットから紙を取り出して、森巣に差し出した。
「早かったな」
「簡単だったもの。午前中だけでわかったわよ」
なんの話をしているのだろうか、と覗き込むと、ルーズリーフに赤色で五十音表やアルバファベッド、数列や記号がたくさん書き込まれていた。その表のそばに、見覚えのあるマークが書き込まれている。
「これって、強盗ヤギの暗号?」
「ああそうだ」と森巣は頷き、紙を僕に向けた。
紙には、ゾディアックのマークと、綺麗な文字が並んでいる。暗号文の下に青い文字で書かれた文章に目が奪われた。
『ndumznmwqendqmp Brian bakes bread』
『vuyiqzffaomrq Jim went to cafe』
『dazqmfezmmpxqe Ron eats noodles』
『danqdfsqfemzmbbxq Robert gets an apple』
解読されている。
「え? これって小此木さんが解いたんですか!?」
「そうよ。大したことはしてないけど」
「いやいや、すごいじゃないですか! 僕にはただの文字化けにしか見えないですもん」
「謙遜じゃなくて、これは単文字換字暗号っていうとても単純な仕組みなの。出てくる平字の頻度にムラがあるから、なんとなく想像できちゃうし、鍵字を使って変換を混ぜ合わせていなかったから、規則を見つけたらするするわかっちゃうのよ」
小此木さんが滔々と教えてくれているが、理解が追いつかず、森巣に助けを求める視線を向ける。
「平字は暗号化する前の文章のことで、鍵字ってのは暗号化した文章を解くためのものだ。鍵が多いと複雑になるのはわかるだろ? これは鍵が少ないから単純だったってことだ。それこそ、女子高生が授業中に解読することができるレベルでな」
「だったら自分でやればよかったのに。これって、アルファベットのAをMにして、並べただけなの。BはN、CはOって感じ。シーザー暗号っていう、基本的なシステムだったから、みんなに解読されるのも時間の問題じゃないかな」
「もしかして一つずつ、ずらして検証したんですか?」
小此木さんは「一応ね」と言ってから、はっとした様子で森巣を見た。
「面倒臭そうだから、わたしに任せたんでしょう!」
「信頼しているからに決まってるじゃあないか」
かぶりを振り、森巣を許す小此木さんを見ていたら、二人はなんだか姉弟のようだな、と思った。「だけど、これってどういう意味なんでしょうね」
「ブライアンはパンを焼いた、ジムはカフェに行った、ロンは麺を食べる、ロバートはリンゴを手に入れる、次に襲う店の予告をしているってこと以外はわからないな」
「予告!?」
「おいおい、見ればわかるだろ」
森巣に言われ、今までに強盗ヤギが襲撃した店を思い返すと、確かにその通りだった。二人はとっくに気づいていたようで、眉一つ動かしていない。
「小此木さん、この暗号は次に襲う店の予告っていうだけなんでしょうか? 誰に向けて、何のために予告をしてるのかもわからないし、他の単語とか文章にも意味がある気がするんですけど」
「んー、考えてはいるんだけど、そこはわからないわね。ちょっと情報不足というか、ピンとくるものがなくて」
小此木さんはそう言って肩をすくめたが、その表情はまだ何かを考えているようだった。
「なにかわかったら教えてあげるね」
「ありがとうございます。僕も考えてみます」
主語の人名、述語のパターン、単語の意味などから連想できることはないか? と考えてみるが、ぱっと思いつくことはなかった。
「暗号が正しいとすると、次に襲われるのは青果店ってことかな?」
「いや、次に襲われるのは青リンゴのアップルパイを売っている喫茶店かもしれないな」
「なんで知ってるんだよ?」
森巣が小此木さんに視線を移すと、小此木さんが口を開いた。
「クラスに強盗ヤギのことをすごい調べてる子がいて、ネットの掲示板に次はパン屋か古本屋か青リンゴのアッップルパイの店じゃないかって書き込みがあったって言ってたの」
「それは、信憑性があるんですかね?」
「外れることもあったけど、蕎麦屋のときは的中したみたい。あてにできる情報かは微妙だけど、それが今日なんだって」
「警察に言って信じてもらえますかね」
「おいおい、通報はしないぞ」
森巣は、おかしそうに口元を歪め、首を横に振った。
「俺は別に、奴らを逮捕してもらいたいわけじゃないからな。鬱陶しいからやめさせたいだけだ」
森巣の考えていることはよくわからない。小此木さんに視線を移すと、少し呆れた様子ではあったけど、反対意見を言わなかった。
「放課後に俺は店に行ってみる。検証もしてみたいしな」
「そうかい。僕は別に止めないよ」
強盗ヤギの暗号解読の話を聞けたのは楽しかったけど、僕まで行くことはないだろう。「わたしは、平くんも行った方がいいと思うよ」
小此木さんの口から、予想もしていなかった言葉が出てきた。
「何でですか? 強盗ヤギが来るなら、行きたくないですよ」
「まあまあ。本当に来るとは限らないんだし。あのお店のアップルパイが食べられるうちに、行っておいた方がいいなぁと思って。平くん、青リンゴのアップルパイって食べたことないでしょ」
「いや、食べたことないですけど、何か違うんですか?」
「うふふふふ」
教えてくれる気はないらしい。
「それでね、ついでにちょっと画材道具のお使いも頼みたいんだけどなあ」
小此木さんから、遠慮がちな視線を受け、僕はちらりと森巣を見る。もうどっちでもいいから早くしてくれ、という気持ちが表情から滲み出ていた。
「もし行ってくれたら、ベースが上手な友達を紹介してあげる」
「本当ですか? っていうか」
「うん、良ちゃんに教えてもらって聴いたよ。わたしは好きだなあ。他のもあったら聴きたいんだけど、新しいのはないの?」
「ありがとうございます、でも、最近のはちょっと」
嬉しいやら恥ずかしいやらで、悶絶してしまう。アップした曲は、前に森巣と事件の調査をした後、降ってくるように浮かんだ曲だった。あれから、ちょっとマンネリになっていて、あのときのような曲を書けていない。
森巣と僕は価値観が違う。が、もう一日だけなら付き合ってみてもいいかもしれない、と気持ちが傾き始めている。
あの小此木さんが、何で森巣の行いを許容しているのかが不思議だし、もしかしたらまた曲を思いつくのではないか? と淡い期待が生まれた。ここは小此木さんに乗せられて、もう少し森巣について知ってみても良いかもしれない、と自分を納得させる。
二年生の校舎を出て、隣に建つ文化部の部室棟に入る。美術室のある四階に到着すると、「悪いな。人が多い場所だと、愛想良くしないといけないから疲れるんだよ。それに、話す内容が内容だしな」
と森巣は、ぶっきらぼうに言った。
目つきが悪くなり、奥歯に挟まってるものを気にしているみたいに口角を動かし、顔のストレッチをしている。笑顔を作っているのは、疲れるのかもしれない。
美術室を見回す。
ほんのり甘いような、絵の具の匂いがする。昼休みだし、てっきり部屋の中には誰もいないと思っていたけど、女子生徒が一人いた。こちらに背を向け、石膏像の油絵を描いている。大きなヘッドフォンを着けているからか、僕らが入ってきたことにまだ気づいていないようだ。
「
そう言って、森巣は手近な席に座った。霞という名前に聞き覚えがある気がするけど、とりあえず椅子を引き、森巣の隣に座った。
「久しぶりだね」
「そうだな。てっきり、あの後お前は俺に付きまとってくるかと思っていた」
思わず顔をしかめる。先月、ある事件の調査をするため、僕は森巣に協力し、この森巣、つまり彼の本当の性格を知った。
「僕は、なにか事件が起きるたびに、森巣の方が調査をするぞって訪ねてくるんじゃないかと思ってたよ」
「なんで俺がそんなことをしなきゃいけないんだ。そういうのは警察の仕事だろ」
「じゃあ、なんでこの前は事件を解決したんだよ」
「他でもない、大事なクラスメイトのためじゃあないか」
かぶりを振り、「それで」と本題に促す。
「一体、僕になんの用だい?」
「強盗ヤギ」
自分の表情が強張るのがわかる。
「また手伝うなら、報酬も出すぞ」
「いや、僕はもう、前みたいなことは」
「そうだ、お前の曲を聞いたぞ」
目を見張り、森巣を見る。
森巣は飄々とした表情で、「ネットにアップしていただろ?」と、続けた。
今までこっそり一人でギターを弾いていたけど、最近やっとバンドを組んでみたいと思うようになり、楽器屋でメンバー募集の張り紙をした。どんな曲をやるのか知らせるため、録音し、それをバンドメンバーを募集するサイトにアップしていている。だけど、バンドをやりたいと言うのが気恥ずかしくて、このことは誰にも言ったことがなかった。
「お前はオルタナが好きなんだな。あのリフはユニークで、なかなか良いと思うぞ」
「聴いたのか? いや、なんで知ってるんだ!?」
問いただそうと歩み寄った瞬間、後ろから「あれ」と女子の声が響き、振り返った。
絵を描いていた女子生徒が、僕らに気づいたようだ。彼女の顔を見て、「あっ」と漏らしてしまった。
長い黒髪に、白いカチューシャが映えている。右目の下に、涼しげな泣きぼくろがある。人形のような、パッチリとした瞳がこちらを見ていた。
「いたの? 声をかけてよー」
彼女は森巣を見てから、僕に視線を移してにっこり微笑んだ。彼女には見覚えがあるし、フルネームも知っている。
三年に
「初めまして。良ちゃんのお友達?」
「初めまして」と返事をしながら、僕たちは友達ではないよな、と思って森巣を一瞥する。が、特にリアクションを返してこないので、「同じ学年で」と適当にごまかした。
「友達いたんだ!?」
「うるさいよ」
「あんなにいらないって言ってたくせに」
「友達なら、俺にはたくさんいるじゃないか。休み時間に教室を覗きに来るといい」
「あれは友達ごっこでしょ?」
小此木さんは、ニコニコしながらこちらに近づいてきた。
「小此木霞です」
「もちろん、知ってますよ」
森巣を見て、得意げに胸を張る小此木さんに、僕も簡単な自己紹介をする。
「良ちゃんのこと、心配していたのよ。外面ばっかり良いけど、普通に話せる相手がいないんじゃないかって」
「外面がいいなんて、小此木に言われたくないな」
「心外ね。わたしは良ちゃんとは違います」
それで、と小此木さんは僕に向き直り、「平くんも色々と大変だったみたいね。この前の事件のことは、良ちゃんに聞かせてもらったわ」と微笑んだ。
「そうですね。でも、僕はなにも」と返事をしながら、はっとして森巣を睨んだ。目立ちたくないから、秘密にしておいてくれ、と言っていたじゃないか。
「大丈夫だ。霞から秘密が漏れることはない」
腹黒森巣が良ちゃんと呼ばれているし、名前で呼び合っているし、「二人はどういう?」とおそるおそる訊ねてみた。
「改めて考えると、なんだろうね。わたしは近所のお姉さん?」
「昔からの知り合いだ」
二人とも容姿に恵まれ、頭も良くて人望がある。似合いのカップルに見えていたのだが、そういう訳ではなさそうだ。
そこでふと、疑問が浮かんだ。
「小此木さんも、もしかし、てその、森巣みたいに?」
「ん?」
「性格に裏表があったりするんですか?」
突然、森巣の快活な笑い声が美術室に響き、此木さんはむっとした様子で腕を組んだ。
「平、なかなか鋭いぞ。わたしみたいに友達を作った方が楽しいよ、と言われたから、真似をすることにしたんだ。人気があった方が、なにかと効率がいいとわかったからな」
「それは意味が違うし、周りの人に優しくするのは、当たり前のことよ」と小此木さんがかぶりを振る。
「そうだ、これ。頼まれていたやつ」
小此木さんが、ブレザーのポケットから紙を取り出して、森巣に差し出した。
「早かったな」
「簡単だったもの。午前中だけでわかったわよ」
なんの話をしているのだろうか、と覗き込むと、ルーズリーフに赤色で五十音表やアルバファベッド、数列や記号がたくさん書き込まれていた。その表のそばに、見覚えのあるマークが書き込まれている。
「これって、強盗ヤギの暗号?」
「ああそうだ」と森巣は頷き、紙を僕に向けた。
紙には、ゾディアックのマークと、綺麗な文字が並んでいる。暗号文の下に青い文字で書かれた文章に目が奪われた。
『ndumznmwqendqmp Brian bakes bread』
『vuyiqzffaomrq Jim went to cafe』
『dazqmfezmmpxqe Ron eats noodles』
『danqdfsqfemzmbbxq Robert gets an apple』
解読されている。
「え? これって小此木さんが解いたんですか!?」
「そうよ。大したことはしてないけど」
「いやいや、すごいじゃないですか! 僕にはただの文字化けにしか見えないですもん」
「謙遜じゃなくて、これは単文字換字暗号っていうとても単純な仕組みなの。出てくる平字の頻度にムラがあるから、なんとなく想像できちゃうし、鍵字を使って変換を混ぜ合わせていなかったから、規則を見つけたらするするわかっちゃうのよ」
小此木さんが滔々と教えてくれているが、理解が追いつかず、森巣に助けを求める視線を向ける。
「平字は暗号化する前の文章のことで、鍵字ってのは暗号化した文章を解くためのものだ。鍵が多いと複雑になるのはわかるだろ? これは鍵が少ないから単純だったってことだ。それこそ、女子高生が授業中に解読することができるレベルでな」
「だったら自分でやればよかったのに。これって、アルファベットのAをMにして、並べただけなの。BはN、CはOって感じ。シーザー暗号っていう、基本的なシステムだったから、みんなに解読されるのも時間の問題じゃないかな」
「もしかして一つずつ、ずらして検証したんですか?」
小此木さんは「一応ね」と言ってから、はっとした様子で森巣を見た。
「面倒臭そうだから、わたしに任せたんでしょう!」
「信頼しているからに決まってるじゃあないか」
かぶりを振り、森巣を許す小此木さんを見ていたら、二人はなんだか姉弟のようだな、と思った。「だけど、これってどういう意味なんでしょうね」
「ブライアンはパンを焼いた、ジムはカフェに行った、ロンは麺を食べる、ロバートはリンゴを手に入れる、次に襲う店の予告をしているってこと以外はわからないな」
「予告!?」
「おいおい、見ればわかるだろ」
森巣に言われ、今までに強盗ヤギが襲撃した店を思い返すと、確かにその通りだった。二人はとっくに気づいていたようで、眉一つ動かしていない。
「小此木さん、この暗号は次に襲う店の予告っていうだけなんでしょうか? 誰に向けて、何のために予告をしてるのかもわからないし、他の単語とか文章にも意味がある気がするんですけど」
「んー、考えてはいるんだけど、そこはわからないわね。ちょっと情報不足というか、ピンとくるものがなくて」
小此木さんはそう言って肩をすくめたが、その表情はまだ何かを考えているようだった。
「なにかわかったら教えてあげるね」
「ありがとうございます。僕も考えてみます」
主語の人名、述語のパターン、単語の意味などから連想できることはないか? と考えてみるが、ぱっと思いつくことはなかった。
「暗号が正しいとすると、次に襲われるのは青果店ってことかな?」
「いや、次に襲われるのは青リンゴのアップルパイを売っている喫茶店かもしれないな」
「なんで知ってるんだよ?」
森巣が小此木さんに視線を移すと、小此木さんが口を開いた。
「クラスに強盗ヤギのことをすごい調べてる子がいて、ネットの掲示板に次はパン屋か古本屋か青リンゴのアッップルパイの店じゃないかって書き込みがあったって言ってたの」
「それは、信憑性があるんですかね?」
「外れることもあったけど、蕎麦屋のときは的中したみたい。あてにできる情報かは微妙だけど、それが今日なんだって」
「警察に言って信じてもらえますかね」
「おいおい、通報はしないぞ」
森巣は、おかしそうに口元を歪め、首を横に振った。
「俺は別に、奴らを逮捕してもらいたいわけじゃないからな。鬱陶しいからやめさせたいだけだ」
森巣の考えていることはよくわからない。小此木さんに視線を移すと、少し呆れた様子ではあったけど、反対意見を言わなかった。
「放課後に俺は店に行ってみる。検証もしてみたいしな」
「そうかい。僕は別に止めないよ」
強盗ヤギの暗号解読の話を聞けたのは楽しかったけど、僕まで行くことはないだろう。「わたしは、平くんも行った方がいいと思うよ」
小此木さんの口から、予想もしていなかった言葉が出てきた。
「何でですか? 強盗ヤギが来るなら、行きたくないですよ」
「まあまあ。本当に来るとは限らないんだし。あのお店のアップルパイが食べられるうちに、行っておいた方がいいなぁと思って。平くん、青リンゴのアップルパイって食べたことないでしょ」
「いや、食べたことないですけど、何か違うんですか?」
「うふふふふ」
教えてくれる気はないらしい。
「それでね、ついでにちょっと画材道具のお使いも頼みたいんだけどなあ」
小此木さんから、遠慮がちな視線を受け、僕はちらりと森巣を見る。もうどっちでもいいから早くしてくれ、という気持ちが表情から滲み出ていた。
「もし行ってくれたら、ベースが上手な友達を紹介してあげる」
「本当ですか? っていうか」
「うん、良ちゃんに教えてもらって聴いたよ。わたしは好きだなあ。他のもあったら聴きたいんだけど、新しいのはないの?」
「ありがとうございます、でも、最近のはちょっと」
嬉しいやら恥ずかしいやらで、悶絶してしまう。アップした曲は、前に森巣と事件の調査をした後、降ってくるように浮かんだ曲だった。あれから、ちょっとマンネリになっていて、あのときのような曲を書けていない。
森巣と僕は価値観が違う。が、もう一日だけなら付き合ってみてもいいかもしれない、と気持ちが傾き始めている。
あの小此木さんが、何で森巣の行いを許容しているのかが不思議だし、もしかしたらまた曲を思いつくのではないか? と淡い期待が生まれた。ここは小此木さんに乗せられて、もう少し森巣について知ってみても良いかもしれない、と自分を納得させる。