百万円もらったんですけど
文字数 4,747文字
1
ギターを構え、目を閉じてイメージを見る。言葉を捕まえ、弦を弾き、メロディに乗せる。クリアーな気持ちで、伝えたいことを歌にする。
音楽と人に、真摯に向き合う。そうすれば、どこまでも響き、誰にでも届く。
そんな風に思いたかったけど、僕の初めてのライブは散々たるものだった。テンポが早くなり、声が上擦り、コード進行を間違えた。後半は平常心を取り戻せたが、思い返すと悲しくなる。
僕は初ライブ、もとい駅前での弾き語りをした。
七月下旬の日曜日、日差しも強くなってきたが、額と脇に沸いた汗は、暑かったからだけではないだろう。緊張しないよう準備もしてきたが、あまり意味はなかった。
だけど、何も得なかったかというと、そういうわけではない。
僕は、初めてのライブで百万飛んで五円を手に入れた。
桜木町駅の東口は、タクシー乗り場やバスターミナルのある大きな広場になっている。ランドマークタワーや赤レンガ倉庫のような観光名所もあるし、ショッピング施設が幾つもあり、「横浜」に観光に来た人が集まる場所でもある。休日出かけたとき、行き交う人々の中、路上ライブをしている人を見かけたことは一度や二度ではない。
広場に並ぶベンチの一つに座り、僕はどうしたらよいかわからず、視線を泳がせている。やましいことをしたわけではないのだが、大金を持っているせいで動悸が激しくなり、落ち着かない。
行き交う人々は、みんなどこかを目指して歩いている。ショッピングとかデートとか、楽しい時間を過ごすのだろう。時計の下や駅前で立ち止まっている人たちは、みんな手元のスマートフォンを見つめていた。誰も僕のことなんて見ていない。
みんな見ず知らずの他人だから当たり前なのだが、こんなに人がいるのに、誰も気にかけてはくれない。大勢の中で孤独を感じ、途方に暮れてしまう。
膝の上に置かれたボディバッグは、財布とスマートフォン、そして札束の入った封筒が仕舞ってあり、来たときよりもずしりと来る。
「あー、もう終わっちゃったよね?」
はっとして視線を移すと、紺色のワンピースにオフホワイトのサマーカーディガンを羽織った小此木 さんが立っていた。
柔らかい日差し包まれるような安堵感を覚え、強く握っていた自分の拳を解く。
「小此木さん、来てくれたんですね!」
思わず、エースが試合に間に合った、というような声をあげてしまった。小此木さんは、驚きつつも、「ごめんね遅れて」と右手を立てた。
私服姿を初めて見たけど、ずいぶん大人っぽく見える。手に持っているキャラメル色のカバンもお洒落だ。学校でいるときと同じ、白いカチューシャをしているのを見て、なんだかちょっと安心した。
弾き語りを見に行くよ、と言ってくれていたけど、小此木さんは現れなかった。その理由は、わかっている。駅からアナウンスがずっと聞こえていた。
「信号のトラブルで、電車が一時間以上止まっちゃってて。それで、初演奏はどうだった? 伝説の始まりを見逃してしまったわたしに教えてよ」
小此木さんがベンチの左端に腰掛けると、ふわっと良い香りがした。少し緊張がほぐれ、僕はやっと重い荷物を下ろせるような気持ちになる。
「実は、予定通り三時から三十分演奏したんですけど」広場の時計をちらりと見ると、十五時四十五分を指している。
「演奏は、ハッキリ言って悲惨だった気がするんですけど」
「初めてだし、仕方がないんじゃない? 三十分やり通したってことがえらいと思う」
「三曲目に、五円を入れてくれた女の子が現れました」
「すごいじゃない! 初めての演奏でお金をもらうって、なかなかないことだと思うよ」
「いや、それだけじゃないんですよ。二十分くらいたった頃に、男の人が来て、封筒をギターケースの中に入れたんです。終わってから封筒の中を見たら、札束でした。多分百万円です」
「百万円かぁ、すごいねぇ」
冗談だと思っているのだろう、小此木さんは困惑しつつも、慰めてあげようという優しさから笑みを浮かべている。だが、僕の歪んだ表情を見て、何かあると察してくれた。
「え? 本気で言ってるの?」
ボディバッグのファスナーを開け、封筒の中を小此木さんに向ける。人形のような小此木さんの目が見開かれ、さらに大きくなった。
「……本物?」
「ジョークグッズかも、と思って何枚か確認してみたんですけど、すかしも入ってましたし、ホログラムもちゃんとあります。これ、どうすればいいんですかね」
小此木さんはしばし呆気に取られていたが、スイッチが切り替わったように、真剣な顔つきになった。
「今の情報だけだと、ストリートミュージシャンが演奏をして、その対価にお金をもらったって感じだけど」
「僕の演奏ですよ? しかも、初めての。人に認めてもらえたら嬉しいですけど」
「わたしは平 くんの曲好きだけど、額が大きすぎるよね」
何か裏があるのでは? と思うのは考えすぎではない気がする。
「警察に行っても、それって事件なの? って目で見られて終わりですかね」
「それか、相談を受けた警察官もギターを持って駅前に立つかもね」
真面目に考えてくださいよ、と懇願するように見つめると、「ごめんごめん」と謝られた。でも、警察官に相談しても、高校生のくせに大金をもらいやがって、と思われそうな気もする。
「実は音楽事務所の人で、とりあえず手付金を払ってくれたとか」
「それなら、名刺をくれたり名乗ったりしてくれてもいいもんですよね」
「そうだ、どんな流れでもらったの? 詳しく教えてよ」
一大事ではあったけど、あまり目立つことはなかった。丁寧に話そうと、記憶を呼びさます。
「三時からそこで演奏を始めて、五曲目をやってる間に男の人が近づいてきたんです。白い半袖のシャツにジーンズを履いた、少し太ったおじさんでした。黒縁メガネを掛けていて、あの、有名なフライドチキンショップの創業者にちょっと似てましたね」
小此木さんが、頭の中で思い描いてるよ、と言うようにウンウンうなずく。
「なにか話さなかったの?」
「ちょっとの間、難しい顔をしてじっと僕の演奏を聴いてましたけど、話はなかったですね。封筒を入れられて、なんだろう? とは思いましたけど、そこまで注意してなくて」
「ちなみに、そのおじさんは何曲くらい聴いてた?」
「ええっと、近づいてきて、しばらく聴いてから封筒を中に入れて、それでどっかに行っちゃったんですけど、一曲分もなかったですね」
言葉にしながら、はっとする。小此木さんが、案じるような視線を向けてきた。
「演奏をしてるときって、周りがすごく見えるんですよ。ただでさえ、立ち止まってくれる人なんていないので、離れた場所にいても聴いてくれてたら、わかったはずだなぁと思いました」
予想していたのか、「んー、やっぱり」と小此木さんは口を開いた。
「さすがに百万円を払うんだとしたら、ちゃんと聴かないと変だよね。スカウトマン説はないかも」
百万円を手に入れた、なんてクラスメイトに話したら「さあ、なにを奢ってくれるのかな?」と言い出しそうだけど、小此木さんは両腕を抱き、眉根に皺を寄せ、真剣に考えてくれている。
「仮説として考えられるのは、平くんに預けただけとか、お金持ちの気まぐれとか、間違えて別の封筒を入れちゃったとか、あとは何かの事件に関係するお金かって感じだね」
「金持ちの道楽だとしたら、目的がわからないですよね。百万円払って、僕のリアクションが見たいとは思えませんし」
「百万円は払いたくないけど、平くんのリアクションはちょっと見てみたかった」
「ただ驚いて、固まってましたよ。面白みがなくて、逆ドッキリになると思います」
一般人を巻き込んだドッキリなのだとしたら、早くネタばらしをしてもらいたいのだが、周りを見回してもそんな気配はない。
「預けるにしても一声かけるでしょうし、きな臭いですね。間違えた封筒を入れたにしても、そもそも百万円の入った封筒と何を間違えたのか」
「だね。ちょっと変だけど、現実的に考えたら、事件の可能性があるね」
例えば、何か強盗事件があり、逃走中に証拠を隠すため、なくなく金を僕に押しつけた、というようなことはないだろうか。
駅前広場には街頭ビジョンがあり、地元企業のCMや占い、天気予報やニュースが流れている。銀行強盗事件が発生し、犯人が桜木町方面へ逃走中、と流れはしないかと眺める。
「虎のマスク」と名乗る人が、児童養護施設にランドセルや勉強机などを寄付しているというニュースを見てなんだかちょっと嬉しくなり、顧客リストがなく規模が掴めないでいる、摘発された女子高生の売春グループの客に小学校教師がいた、というニュースにガッカリする。
「そういえば、平くんは電車の遅延に巻き込まれなかったんだね」
「ええ、実は始める二時間前からここに来てたんで」
「二時間!?」
「家にいても緊張するから、いっそこっちで時間が来るのを待ってようと思いまして」
信じられない、という顔で僕を見る小此木さんに、「友達と遊びにいく日とかもそうなんですよ、そわそわするから、早く家を出ちゃうんです」と弁解する。
「もしかして、昨夜もあんまり眠れなかった? 目にがっつりクマがあるよ」
慌てて目の周りを拭っていると「小心者のバンドマンって面白いね」と笑われた。
「まあこの辺は、ショッピングモールもあるから時間を潰せるかぁ」
「いえ、ずっとベンチに座ってました」
「二時間?」
「二時間。早く来たのに、戻る時間を考えて腕時計を何度も見るのが嫌なんですよ」
「でもまあ、大道芸人さんもいるし、駅前でも楽しめるね」
駅前広場では、青いオーバーオールに白黒ボーダーのシャツを着た、ピエロメイクの男がパントマイムをしている。壁を作ったり、カバンが持ち上がらない、とコミカルな動きで、僕の弾き語りよりも人の足を止めていた。
「あの人は、僕の弾き語りと入れ替わりだったんで、いなかったですね。僕は、ぼーっと駅前の風車とか見てました」
「わたし、平くんのことがわからなくなってきたよ」
ぽつりと小此木さんがこぼし、ほとほと申し訳ない気持になる。
「もしかしてさ、その二時間で何か変なものを見ちゃって、その口止めに金を払われたんじゃないかな?」
変なものってなんですか? と訊ねようと思ったが、それを訊ねるような視線を受けた。
「子供がアイスを落として泣いてるのとかは見ましたけど」
「関係なさそうだね」
封筒の金は預けられたか、間違って渡されたのだと思うことにして、男が戻ってくるのを僕たちはとりあえず待つことにした。
話題がなくなり、今更であるけど、休日に私服姿の小此木さんと一緒にいることに気づき、緊張してきた。何か話題を探さなければ、と焦り、「小此木さんは、休みの日とか、何をしてるんですか?」と質問をぶつける。
「こうやって、駅前のベンチに座ってトラブルに巻き込まれてる」
「なんだかすいません」
「ううん、全然いいの。わたし、何もしてないのが苦手だから。目の前に何かやることがないと、生きてる感じがしないのよね。だから平くんには悪いけど、困難に直面するとさ、なんだろう、こう」
小此木さんは、もどかしそうに言葉を選び、「たぎるね」と少女のように屈託無く笑った。
僕も、小此木さんのことがわからなくなってきましたよ。
ギターを構え、目を閉じてイメージを見る。言葉を捕まえ、弦を弾き、メロディに乗せる。クリアーな気持ちで、伝えたいことを歌にする。
音楽と人に、真摯に向き合う。そうすれば、どこまでも響き、誰にでも届く。
そんな風に思いたかったけど、僕の初めてのライブは散々たるものだった。テンポが早くなり、声が上擦り、コード進行を間違えた。後半は平常心を取り戻せたが、思い返すと悲しくなる。
僕は初ライブ、もとい駅前での弾き語りをした。
七月下旬の日曜日、日差しも強くなってきたが、額と脇に沸いた汗は、暑かったからだけではないだろう。緊張しないよう準備もしてきたが、あまり意味はなかった。
だけど、何も得なかったかというと、そういうわけではない。
僕は、初めてのライブで百万飛んで五円を手に入れた。
桜木町駅の東口は、タクシー乗り場やバスターミナルのある大きな広場になっている。ランドマークタワーや赤レンガ倉庫のような観光名所もあるし、ショッピング施設が幾つもあり、「横浜」に観光に来た人が集まる場所でもある。休日出かけたとき、行き交う人々の中、路上ライブをしている人を見かけたことは一度や二度ではない。
広場に並ぶベンチの一つに座り、僕はどうしたらよいかわからず、視線を泳がせている。やましいことをしたわけではないのだが、大金を持っているせいで動悸が激しくなり、落ち着かない。
行き交う人々は、みんなどこかを目指して歩いている。ショッピングとかデートとか、楽しい時間を過ごすのだろう。時計の下や駅前で立ち止まっている人たちは、みんな手元のスマートフォンを見つめていた。誰も僕のことなんて見ていない。
みんな見ず知らずの他人だから当たり前なのだが、こんなに人がいるのに、誰も気にかけてはくれない。大勢の中で孤独を感じ、途方に暮れてしまう。
膝の上に置かれたボディバッグは、財布とスマートフォン、そして札束の入った封筒が仕舞ってあり、来たときよりもずしりと来る。
「あー、もう終わっちゃったよね?」
はっとして視線を移すと、紺色のワンピースにオフホワイトのサマーカーディガンを羽織った
柔らかい日差し包まれるような安堵感を覚え、強く握っていた自分の拳を解く。
「小此木さん、来てくれたんですね!」
思わず、エースが試合に間に合った、というような声をあげてしまった。小此木さんは、驚きつつも、「ごめんね遅れて」と右手を立てた。
私服姿を初めて見たけど、ずいぶん大人っぽく見える。手に持っているキャラメル色のカバンもお洒落だ。学校でいるときと同じ、白いカチューシャをしているのを見て、なんだかちょっと安心した。
弾き語りを見に行くよ、と言ってくれていたけど、小此木さんは現れなかった。その理由は、わかっている。駅からアナウンスがずっと聞こえていた。
「信号のトラブルで、電車が一時間以上止まっちゃってて。それで、初演奏はどうだった? 伝説の始まりを見逃してしまったわたしに教えてよ」
小此木さんがベンチの左端に腰掛けると、ふわっと良い香りがした。少し緊張がほぐれ、僕はやっと重い荷物を下ろせるような気持ちになる。
「実は、予定通り三時から三十分演奏したんですけど」広場の時計をちらりと見ると、十五時四十五分を指している。
「演奏は、ハッキリ言って悲惨だった気がするんですけど」
「初めてだし、仕方がないんじゃない? 三十分やり通したってことがえらいと思う」
「三曲目に、五円を入れてくれた女の子が現れました」
「すごいじゃない! 初めての演奏でお金をもらうって、なかなかないことだと思うよ」
「いや、それだけじゃないんですよ。二十分くらいたった頃に、男の人が来て、封筒をギターケースの中に入れたんです。終わってから封筒の中を見たら、札束でした。多分百万円です」
「百万円かぁ、すごいねぇ」
冗談だと思っているのだろう、小此木さんは困惑しつつも、慰めてあげようという優しさから笑みを浮かべている。だが、僕の歪んだ表情を見て、何かあると察してくれた。
「え? 本気で言ってるの?」
ボディバッグのファスナーを開け、封筒の中を小此木さんに向ける。人形のような小此木さんの目が見開かれ、さらに大きくなった。
「……本物?」
「ジョークグッズかも、と思って何枚か確認してみたんですけど、すかしも入ってましたし、ホログラムもちゃんとあります。これ、どうすればいいんですかね」
小此木さんはしばし呆気に取られていたが、スイッチが切り替わったように、真剣な顔つきになった。
「今の情報だけだと、ストリートミュージシャンが演奏をして、その対価にお金をもらったって感じだけど」
「僕の演奏ですよ? しかも、初めての。人に認めてもらえたら嬉しいですけど」
「わたしは
何か裏があるのでは? と思うのは考えすぎではない気がする。
「警察に行っても、それって事件なの? って目で見られて終わりですかね」
「それか、相談を受けた警察官もギターを持って駅前に立つかもね」
真面目に考えてくださいよ、と懇願するように見つめると、「ごめんごめん」と謝られた。でも、警察官に相談しても、高校生のくせに大金をもらいやがって、と思われそうな気もする。
「実は音楽事務所の人で、とりあえず手付金を払ってくれたとか」
「それなら、名刺をくれたり名乗ったりしてくれてもいいもんですよね」
「そうだ、どんな流れでもらったの? 詳しく教えてよ」
一大事ではあったけど、あまり目立つことはなかった。丁寧に話そうと、記憶を呼びさます。
「三時からそこで演奏を始めて、五曲目をやってる間に男の人が近づいてきたんです。白い半袖のシャツにジーンズを履いた、少し太ったおじさんでした。黒縁メガネを掛けていて、あの、有名なフライドチキンショップの創業者にちょっと似てましたね」
小此木さんが、頭の中で思い描いてるよ、と言うようにウンウンうなずく。
「なにか話さなかったの?」
「ちょっとの間、難しい顔をしてじっと僕の演奏を聴いてましたけど、話はなかったですね。封筒を入れられて、なんだろう? とは思いましたけど、そこまで注意してなくて」
「ちなみに、そのおじさんは何曲くらい聴いてた?」
「ええっと、近づいてきて、しばらく聴いてから封筒を中に入れて、それでどっかに行っちゃったんですけど、一曲分もなかったですね」
言葉にしながら、はっとする。小此木さんが、案じるような視線を向けてきた。
「演奏をしてるときって、周りがすごく見えるんですよ。ただでさえ、立ち止まってくれる人なんていないので、離れた場所にいても聴いてくれてたら、わかったはずだなぁと思いました」
予想していたのか、「んー、やっぱり」と小此木さんは口を開いた。
「さすがに百万円を払うんだとしたら、ちゃんと聴かないと変だよね。スカウトマン説はないかも」
百万円を手に入れた、なんてクラスメイトに話したら「さあ、なにを奢ってくれるのかな?」と言い出しそうだけど、小此木さんは両腕を抱き、眉根に皺を寄せ、真剣に考えてくれている。
「仮説として考えられるのは、平くんに預けただけとか、お金持ちの気まぐれとか、間違えて別の封筒を入れちゃったとか、あとは何かの事件に関係するお金かって感じだね」
「金持ちの道楽だとしたら、目的がわからないですよね。百万円払って、僕のリアクションが見たいとは思えませんし」
「百万円は払いたくないけど、平くんのリアクションはちょっと見てみたかった」
「ただ驚いて、固まってましたよ。面白みがなくて、逆ドッキリになると思います」
一般人を巻き込んだドッキリなのだとしたら、早くネタばらしをしてもらいたいのだが、周りを見回してもそんな気配はない。
「預けるにしても一声かけるでしょうし、きな臭いですね。間違えた封筒を入れたにしても、そもそも百万円の入った封筒と何を間違えたのか」
「だね。ちょっと変だけど、現実的に考えたら、事件の可能性があるね」
例えば、何か強盗事件があり、逃走中に証拠を隠すため、なくなく金を僕に押しつけた、というようなことはないだろうか。
駅前広場には街頭ビジョンがあり、地元企業のCMや占い、天気予報やニュースが流れている。銀行強盗事件が発生し、犯人が桜木町方面へ逃走中、と流れはしないかと眺める。
「虎のマスク」と名乗る人が、児童養護施設にランドセルや勉強机などを寄付しているというニュースを見てなんだかちょっと嬉しくなり、顧客リストがなく規模が掴めないでいる、摘発された女子高生の売春グループの客に小学校教師がいた、というニュースにガッカリする。
「そういえば、平くんは電車の遅延に巻き込まれなかったんだね」
「ええ、実は始める二時間前からここに来てたんで」
「二時間!?」
「家にいても緊張するから、いっそこっちで時間が来るのを待ってようと思いまして」
信じられない、という顔で僕を見る小此木さんに、「友達と遊びにいく日とかもそうなんですよ、そわそわするから、早く家を出ちゃうんです」と弁解する。
「もしかして、昨夜もあんまり眠れなかった? 目にがっつりクマがあるよ」
慌てて目の周りを拭っていると「小心者のバンドマンって面白いね」と笑われた。
「まあこの辺は、ショッピングモールもあるから時間を潰せるかぁ」
「いえ、ずっとベンチに座ってました」
「二時間?」
「二時間。早く来たのに、戻る時間を考えて腕時計を何度も見るのが嫌なんですよ」
「でもまあ、大道芸人さんもいるし、駅前でも楽しめるね」
駅前広場では、青いオーバーオールに白黒ボーダーのシャツを着た、ピエロメイクの男がパントマイムをしている。壁を作ったり、カバンが持ち上がらない、とコミカルな動きで、僕の弾き語りよりも人の足を止めていた。
「あの人は、僕の弾き語りと入れ替わりだったんで、いなかったですね。僕は、ぼーっと駅前の風車とか見てました」
「わたし、平くんのことがわからなくなってきたよ」
ぽつりと小此木さんがこぼし、ほとほと申し訳ない気持になる。
「もしかしてさ、その二時間で何か変なものを見ちゃって、その口止めに金を払われたんじゃないかな?」
変なものってなんですか? と訊ねようと思ったが、それを訊ねるような視線を受けた。
「子供がアイスを落として泣いてるのとかは見ましたけど」
「関係なさそうだね」
封筒の金は預けられたか、間違って渡されたのだと思うことにして、男が戻ってくるのを僕たちはとりあえず待つことにした。
話題がなくなり、今更であるけど、休日に私服姿の小此木さんと一緒にいることに気づき、緊張してきた。何か話題を探さなければ、と焦り、「小此木さんは、休みの日とか、何をしてるんですか?」と質問をぶつける。
「こうやって、駅前のベンチに座ってトラブルに巻き込まれてる」
「なんだかすいません」
「ううん、全然いいの。わたし、何もしてないのが苦手だから。目の前に何かやることがないと、生きてる感じがしないのよね。だから平くんには悪いけど、困難に直面するとさ、なんだろう、こう」
小此木さんは、もどかしそうに言葉を選び、「たぎるね」と少女のように屈託無く笑った。
僕も、小此木さんのことがわからなくなってきましたよ。