悪を見逃す癖をつけちゃいけないんだ

文字数 6,059文字


       5
 
 あれから数時間、ああでもないこうでもない、と喫茶店で頭をひねってみたけど、妙案は思い浮かばなかった。口数が減り、誰も考えが浮かばなくい重苦しい雰囲気の中、「何か見落としているかもしれないから現場に戻る」と森巣が店を出ると宣言したので、僕も彼に続くことにした。

 夕方の六時を回ったけど夏だからまだ日が長く、周囲は完全に暗くなっていない。暑さが和らいだおかげで活動しやすく、まだまだ終わらないぞという気持ちになった。

 が、水の守護神のあった噴水のそばには柵が設けられていて近づくことができないようになっていた。それはそうだよな、と振り返って周囲を眺める。

 山下公園が封鎖されていたり、公園内には人がいないのではないか、と危惧していたけどそんなことはなかった。子供やカップルや観光客と思しき集団が行き来している。もしかして、みんな爆発事件があったというニュースを知らなかったのではないか、と疑いたくなった。

「人のことを言えないけどさ、みんな自分は事件に巻き込まれるはずがないと思ってるのかな?」
「夜の九時まで時間はあるし、一度標的になった場所だから、続けて狙われることはない、と思っているのかもしれないな……ところで平、お前は自分のルックスを十段階評価でいくつだと思う?」
「なんだよ突然」
「いいから答えろよ」

 そんなことを考えたこともなかった。
 僕は森巣のように自信はない。顔で評価されることはないだろうし、背も高くないし、少し猫背気味だ。だけど、女子からは普通に接してもらえているし、悲観するほどではないとも思う。

「六点くらい?」
「大体の人間は、自分を六点以上に評価するそうだ」

 なんだかとても恥ずかしいことを言ってしまったように思えてきた。

「人間には、ポジティブイリュージョンという自分のことを過大評価したり、将来を楽観視する傾向がある。精神衛生を保つための、便利な機能だな。平がルックスを五点じゃなくて六点にしたのも、自分が事件に巻き込まれるわけがない、と思うのもそのせいだ」
「森巣は僕が五点だって言いたいのか?」

 森巣は足の先から僕の頭まで視線を移動させてから、慰めるように微笑んだ。

「俺は、平のことが大好きだぞ」

 五点以下かい、とかぶりを振る。

 のんきに歩いている人たちを眺めると、それぞれに見えないバリアがみんなに張られていて、それぞれが小さな平和を守っているように思えてくる。そんな中で、さっきから挙動不審にうろうろしている小学生がいることに気がついた。ベンチの下や茂みを覗き込み、何かを探している。なくしものでもしているのだろうか、と思ったとき、ちょうど風に乗って青い野球帽が僕の足元に転がってきた。

 拾い上げ、土埃をはたき、少年に歩み寄る。

「これ君の?」

 少年はびくりと体を震わせてから、まじまじと僕の顔を窺ってきた。ルックスを採点されているような気になり、背筋を伸ばす。

「ありがとうございます」

 少年に野球帽を返す。地元チームのものだったから、なんだか嬉しくなる。

「この公園で騒ぎがあったし、危ないから家に帰ったほうがいいよ」
「知ってます。爆弾ですよね」

 え、知ってるの? ときょとんとしてしまった。

「爆弾を探してるんです」

 そうか、これが爆弾発言というやつか、とつまらないことが思い浮かび、すぐに「なんで」と口からこぼれる。

「スイッチで簡単に解除できるみたいだから、大丈夫ですよ」
「なんで」

 少年が訝しげに首をかしげた。僕が「なんで」しか言えないと思ったのかもしれない。

「そうじゃなくて、危ないじゃないか。君はまだ子どもだし」

 誰かがこう言ってきたらこう返そうと準備していたように、少年はぐっと一拍を置いてから力強く声を出した。

「悪を見逃す癖をつけちゃいけないんだ」

 目の前にいる少年の口から出た言葉なのに、なぜだかそう思えなかった。彼は口を動かしただけで、どこかにスピーカーがあるのではないか、と探したくなる。なんと返したらいいかわからず、言葉を探している間に、少年はさっと走り去ってしまった。

「どうしたんだ? 公園で小学生に話しかける不審者」

 森巣に茶化されても、言い返す気になれなかった。

「今の子、爆弾を探してるって言ってた。まだ子供なのに」
「お前だって、未成年だろ」
「それはそうなんだけど」
「さっき、爆弾魔が動画サイトにあの映像を投稿した。爆弾の形がウニっぽいから、ウニボマーと呼んでみんな騒いでいたぞ」

「ウニボマーねぇ」と溜息を吐く。テレビやパソコンの向こう側にいる人たちにしてみたら、日常生活に刺激を与えてくれるただの事件なのかもしれない。
「小此木はここに来ていない。それが一般的な感覚だ。俺について来たお前も、人のことは言えないぞ」

 今年の春、森巣に出会うまでの僕だったら、爆弾のニュースを見ても、夏休みだし事件が解決するまで家から出ないでいようと思ったはずだ。参考書に向かい、僕のやるべきことはこれだから、と思ってクーラーの効いた部屋で過ごしたに違いない。

 それでいい人もいる。だけど、僕が変わったのは、僕の歴史が増えたからだ。価値観が変わる出来事があったからだ。あの少年に、そこまでのなにかがあったとは、ちょっと思えなかった。

「でも、さっきの子は多分、小学二、三年だと思う。その歳で、悪を見逃す癖をつけちゃいけない、なんて思うものか?」

 思わないな、と森巣が即答した。だろ? と賛同者が出たことでほっとする。

「悪を見逃す癖をつけちゃいけない、それは鶴乃井の言葉だ。名探偵の決め台詞だな」
「感化されているわけか」

 それが良いことなのか悪いことなのか判然とせず、もやっとする。言っていることは正しい。でも、やるのはどうか、という矛盾が胸の中でぐるぐる掻き回る。

 少年の背中を探して視線を泳がせると、彼の他にもオリエンテーリングでもするみたいに、何かを探し歩いている人たちが何人も目に入り、愕然とした。

「俺たちは夏休みでも、今日は平日だ。さすがにうろうろしてるのは、学生とか観光客だな」
「あとは、名をあげたいって人たちかもね。あのウニボマー事件を解決した名探偵っていう席を狙ってるんじゃないかな」

 森巣が手近なベンチに腰掛けたので、僕も隣に座る。きらきらと輝く水面はなく、日も沈みかけているため、どんよりとした海が広がっている。一夏の思い出として記憶に残る海にしては、情緒も感動もなかった。

「現場に戻ってきたけど、なにかわかったかい?」
「微妙だな」
「これから、サーカスと関帝廟も回ってみる?」
「どこも同じだろ。別になにもわかりはしないだろうな」と返事をし、「お前が横浜観光をしたいなら、付き合ってやるぞ」と付け加えた。
「地元民はなかなか行かないからね」
 膝に力を入れ、よっこいしょと立ち上がる。
「冗談だろ?」
「冗談だよ」

 膝を曲げ、どっこいしょと腰かける。

「やっぱり野毛山動物園にしかけられてるんじゃないかな?」
「それはない」

 怪しいと思うんだけどな、と肩をすくめる。
 現場に戻ってきたけど、僕らがここで見たものは、壊された像と、あまり変わらない人々だった。平和ではないのに、あまり変わらない日常というのが、なんだか妙な感じがする。

「そういえば、お前の相談ってのはなんだったんだ?」
「ああ、でも今はそういうときじゃないからいいよ」
「言ってみろよ。考えがまとまらないから、息抜きだ」

 それならば、と少し気が軽くなり、ポケットにしまってあった携帯音楽プレイヤーを取り出して話を始める。

「バンドを組むことにしたんだ。丁度メンバーが抜けたから、一緒にやろうと誘ってくれた人たちが二組いる」
「軽音部にでも入ったのか?」

「いや、学校の外だよ。一つはスリーピースバンドで、ドラムがメチャクチャ上手い。もう一つは、ユニークなギターを弾く人が一人いるから、ツインギターのバンドにできる。どっちにもそれぞれの良さがあって、悩んでるんだ。それで、森巣に二つのバンドを聴いてもらって、意見を聞きたいなと思って」
「お前のやりたいジャンルはオルタナティブロックだろ? なんとなくツインギターの方が向いている気がするけどな」

 演奏を聴いて判断してくれないか、とプレイヤーを森巣に渡す。森巣はイヤフォンを耳にはめ、海に視線をやった。

「平は一人でギターを弾いたり、歌ったりするのじゃ満足できないのか?」
「一人でもやるけど、それでも誰かと会って、一緒にやってみたいんだ。誰かとやることに、期待をしてるのかもしれない」

 そう説明していたら、店の裏でウニボマーについて感じたことを思い出した。

「ずっと考えてたんだけどさ、ウニボマーがやってることが遊びなら、彼も僕と同じ気持ちだったんじゃないかな。ずっと一人で、遊ぶ相手がいなかった。だから、誰かに出会いたくてやってるのかもしれない。この言い方が正しいかはわからないけど、セッションをしたいのかも」
「音楽をやるやつは、なんでも例えを音楽にするよな。人生は音楽に似ている、とか」
「なあ、森巣にはウニボマーの気持ちがわかってるんじゃないのか?」

 どういうことか、と視線で訊ねてくる森巣に、説明をする。

「君は僕なんかとは段違いで頭が良いと思う。だけど、そのせいで周りのやつらが馬鹿に見えたり、友達がいないと孤独を感じることがあるだろ。僕だったら、遊びたいだけで爆弾騒ぎなんて起こさないけど、たとえば、森巣や鶴乃井と本気で遊ぼうと思ったら、これくらいの規模で遊びをしてもおかしくはない、そうは思わないか?」

 森巣が黙って僕の話を聞いているので、言葉を重ねる。

「ウニボマーは本気で遊べるゲームがないから、自分で用意したんだ。ドロケーって追いかけっこと同じだよ。ケーサツ側のプレイヤーになりたがる人もいれば、ドロボー側になりたいプレイヤーもいる」

 どうなんだ? と詰問するような口調になってしまったけど、止まらなかった。じっと森巣の顔を見つめていると、彼は少し唇を引いてぶっきらぼうに、「そうかもしれないな」とつぶやいた。

「探偵が自分を見つけなかったら、ウニボマーはそのまま爆弾で死ぬつもりなんだと思う」
「おいおい、飛躍したな」
「顔を出してたから、指名手配もされるし、今後の人生でずっとつきまとうはずだろ? こんな事件を起こしてただで済むはずがないし、自暴自棄なのか一世一代なのか、大きな賭けをするつもりでゲームを始めたんじゃないかな。このまま、自分は誰にも理解されないし、誰とも出会えないんじゃないかと絶望しきっての犯行だとしたら?」

 なかなか森巣が返事をせず、採点をされているような緊張感を覚える。固唾を飲んで見守っていると、森巣は思案するような間を置き、イヤフォンを耳から外した。

「オルタナティブっていうのは、亜流とか、普遍的なよいものとか、型にはまらないとかって意味で使われるだろ。お前にも、亜流の選択肢があるじゃないか」

 事件じゃなくてバンドの話か、とたじろぎながら、耳を傾ける。

「二つのバンドの好きなメンバーを引き抜いて、お前が新しいバンドを作る」
 そんなこと考えたこともなかった、とはっとする。だけど、すぐに首を振った。
「ダメだよ。そんなこと、できない。それぞれが仲良くやっているんだし」
「バンドは仲良しだからやるのか? すごいプレイヤー同士が音を鳴らすから化学反応が起きて、盛り上がるんじゃないのか? 本当に必要なのは、ただ楽器ができるやつじゃなくて、最高のバンドをするためのメンバーじゃないのか?」

 反論できずに黙っていると、「まあ、別にいいんだけどな」と森巣は付け加えた。
 そう言いながら彼はポケットからスマートフォンを取り出して、操作を始めた。何かを調べているのかと思ったけど、誰かにメールを送っているようだった。

「なにしてるんだ?」
「お前に言われて閃いた。ギブアップしようと思うので、その前に相談しませんか、と鶴乃井にメールを書いている。鶴乃井の話を聞き出せれば、真相がわかるかもしれない」

「本気か?」と思わず訊ねてみたけど、森巣が本気じゃないことをするわけがない。森巣は送信が済んだのか、スマートフォンを膝の上に置いた。
「なにか言いたいことがあるのか? 奥歯にものが挟まってるような顔をしてるぞ」
「言っていいのかわからないけど、ちょっとがっかりだ」

 黙っている森巣に、「だってそうだろ」と言葉を重ねる。

「時間だって、まだ三時間はあるし、諦めるのは早いだろ。自分の手札じゃ弱いから、敵のカードを盗み見ようなんて、それはずるくないか?」
「俺は、ただのゲームのプレイヤーだ。これは、最後に誰が笑うかってゲームだぜ」
 いつだって森巣は涼しい顔をしているが、それは負け惜しみではなかったはずだ。性格が悪くて裏表があるけど、屹然とした強さもある。そこを認めていたので、なんだかショックだ。

「鶴乃井が原因なのか?」
「なんだと?」

「鶴乃井にお株を奪われて、森巣はアイデンティティを傷つけられたんじゃないのか? それで卑屈になってるとしか思えない」

 挑発するような言葉になっているという自覚はあった。彼の自尊心を傷つけてしまうのではないか? という不安も覚える。だけど、「僕は森巣の凄さを知ってる」と伝えたかった。役に立てるかわからないけど、僕もいるし、まだ考える余地はあるはずだ。

「お前らは、俺と鶴乃井を並べたがるよな。たまにうんざりするぜ」

 冷たい言い方でもないし、笑うような感じでもなかった。森巣がどう思ったのかわからず、慌てて「ごめん、言いすぎたかもしれない」と悔恨まじりに弁解する。

「悲しいなあ。俺は平のことが」
「そのくだりはもういいって」

 森巣が手をひらひらと宙で泳がせた。

「冗談はさておき、俺と鶴乃井は決定的に違う。あいつは、みんなで社会を良くしようとしている。俺は別に、そんなことをしなくてもいいと思っている」
「それは、なんだか……鶴乃井の方が立派だな」
「どんどん悪くなる世界を悲観するより、俺は楽しみたいね」

 森巣のスマートフォンが震え、「喰いついたぞ」と森巣が笑みを漏らす。

「なんだって?」
「行くぞ。向こうは、何かを掴んでいるようだ」

 僕らがもたついている間に、一気に追い抜いて行かれたわけだ。いや、もともと向こうの方がずっと冴え渡っていて、前を走っていたのかもしれない。
 なのに、森巣はなぜ笑っているんだ?

「平、作戦を教えよう」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

平羊介 音楽が趣味の平凡な高校生。だったはずが、同級生の森巣と出会い、平和な日常が終わる。勇気を試され、決断を迫られ、町で起こる事件に巻き込まれて行く。

森巣良 イケメンで優しい、クラスの中心にいる生徒。だけど彼には裏の顔があり……その正体は腹黒毒舌名探偵だった。正義の味方ではないが、自分の町で起こる事件に、森巣なりの美学を持って解決しようとする。

小此木霞 平と森巣の高校の先輩。森巣とは幼馴染で、彼が心を許している数少ない存在。森巣の裏の顔や、彼が何をしているのか知っている。知識が豊富でパズルが得意なので、たまに森巣に協力をする。事件に挑む二人のよき理解者。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み