殺人事件の真相は
文字数 2,165文字
8
柳田優一 は恋人の橘紗栄子 の住むマンションで、彼女に別れ話を切り出した。
以前からこの日のために別れを匂わせていたし、一時間後には新しく恋人になるであろう吉野麻里 との待ち合わせもあり、さっさと終わらせようと思っていた。新しい門出に、イタリアンのディナーだって予約してある。
話を済ませ、泣いている橘紗栄子を残し、柳田優一はマンションを後にした。だが橘紗栄子は、柳田優一が浮気をしていることを、以前から知っていた。そして、これから別の女に会いに行くことも。ふつふつと湧いてきた怒りを抑えきれず、橘紗栄子は包丁をカバンに詰め、家を飛び出した。
本来であれば、電車に乗った柳田優一に追いつくことはできない。
だが、電車の信号トラブルの影響で、電車は駅に止まっており、橘紗栄子は車内にいる柳田優一を発見できた。
白昼堂々、電車内で橘紗栄子は柳田優一を包丁で突き刺した。
だが、その犯行を誰も見ていなかった。
乗客たちはみな、スマートフォンに夢中で、誰も気づかなかったのだ。刺し殺された柳田優一でさえも、包丁が胸に刺さるまで、スマートフォンをいじっていた。
駅やホームに設置された監視カメラの映像に橘紗栄子が映っており、警察の取り調べで橘紗栄子は自供した。
現代日本の、他人に対する無関心さの象徴、というニュースが昨夜流れた。
「森巣はこれもわかってたのか?」
昼休み、僕は森巣から美術室に呼び出されていた。小此木さんが美術部を掛け持ちしているから、ここで昼ごはんを食べること多い。
「いいや、俺はお前たちがなんで殺人事件にまで気をまわすのか一番の謎だった。アマゾンの蝶が羽ばたいたのも、何か関係してるんじゃないのかな? と言い出すんじゃないかと思ったぞ」
あと、ここでなら森巣が、好青年のマスクを外せるから、という理由もある気がする。
「わたし、ニュース見てビックリしちゃった。そんなことってあるのね」
「珍しいことだが、初めてのことじゃない。二〇一三年にサンフランシスコでも、満員電車で男が射殺された事件がある。そのときも、乗客はスマートフォンをいじっていて、発泡するまで誰も気づかなかったそうだ」
森巣はそう言うと、サンドイッチを口に放り込んだ。
「昨日はありがとう。森巣のおかげで、無事に解決できたよ」
僕がそう告げると、森巣はまじまじと僕を見てきた。気持ちが悪いな、と思われているのだろう。
「直接ちゃんと言ってなかったなと思って」
「その後に、手伝いをしてもらっただろ。ギブアンドテイクだ。気にするな。俺からしてみれば、道を訊ねられて答えるくらい造作もないことだったからな」
「なんにせよ、助かったよ。でも、意外だった。てっきり、百万円の取り分をよこせ、と言われるかと思った」
「お前は俺をなんだと思ってるんだ? 俺は悪魔のように頭が切れるが、悪魔じゃない。別にその金に興味はない」
森巣は冷酷な一面を持っているから、てっきり横取りしようと計画するのではないかと思っていた。
「それよりも、俺はお前が金をピエロに返した方が意外だったな」
「そう! わたしもそれ思った」
小此木さんが、絵を描きながら声だけ参加してくる。
「馬鹿にしたければしていいよ」
「じゃあ遠慮なく。市民の義務、とか言って警察に通報すると思っていた。悪いことをしちゃだめですよぉ、先生に言いつけますよぉ、警察に行きましょうよぉ、とか言ってな」
「そんな喋り方じゃないだろ」
ピエロから話を聞くまでは、警察に通報しようか、説得しようか、とも考えていた。
「やっていることは、違法だと思う。だけど、見逃したくなったんだ」
多分、納得してしまったからだろう。森巣は興味がなさそうに、スマートフォンに視線を落とした。
「平くん、ちょっと変わったよねー」
小此木さんの、呑気な声が聞こえ、果たしてそうだろうか、と首をかしげる。
「おい、見てみろよ」
森巣が含み笑いをしながら、机の上にスマートフォンを置いた。
動画の再生が始まり、半袖半ズボンの体操服を着た中年男性が、一人でラジオ体操をしている。通行人が立ち止まり、彼の写真を撮っていた。誰だったか思い出せないが、彼をテレビで見たことがある。
「勘違いをした政治家が、中年が個性を主張できる世の中を、と解釈したみたいだぞ。さて、真相が露呈したら、こいつはどうするんだろうな。これからブームになったら、見ものだ」
場所が他の地方であるし、ピエロが活動を続けているということではないだろう。
ピエロの気が変わり、警察に情報を言わないだろうか、と少し心配になった。
第3話おわり
参考文献
『制服少女たちの選択 After 10 years』宮台真司 朝日文庫
「News week スマホに夢中で誰も銃に気付かなかった」2013/10/9
(http://www.newsweekjapan.jp/stories/us/2013/10/post-3069.php)
以前からこの日のために別れを匂わせていたし、一時間後には新しく恋人になるであろう
話を済ませ、泣いている橘紗栄子を残し、柳田優一はマンションを後にした。だが橘紗栄子は、柳田優一が浮気をしていることを、以前から知っていた。そして、これから別の女に会いに行くことも。ふつふつと湧いてきた怒りを抑えきれず、橘紗栄子は包丁をカバンに詰め、家を飛び出した。
本来であれば、電車に乗った柳田優一に追いつくことはできない。
だが、電車の信号トラブルの影響で、電車は駅に止まっており、橘紗栄子は車内にいる柳田優一を発見できた。
白昼堂々、電車内で橘紗栄子は柳田優一を包丁で突き刺した。
だが、その犯行を誰も見ていなかった。
乗客たちはみな、スマートフォンに夢中で、誰も気づかなかったのだ。刺し殺された柳田優一でさえも、包丁が胸に刺さるまで、スマートフォンをいじっていた。
駅やホームに設置された監視カメラの映像に橘紗栄子が映っており、警察の取り調べで橘紗栄子は自供した。
現代日本の、他人に対する無関心さの象徴、というニュースが昨夜流れた。
「森巣はこれもわかってたのか?」
昼休み、僕は森巣から美術室に呼び出されていた。小此木さんが美術部を掛け持ちしているから、ここで昼ごはんを食べること多い。
「いいや、俺はお前たちがなんで殺人事件にまで気をまわすのか一番の謎だった。アマゾンの蝶が羽ばたいたのも、何か関係してるんじゃないのかな? と言い出すんじゃないかと思ったぞ」
あと、ここでなら森巣が、好青年のマスクを外せるから、という理由もある気がする。
「わたし、ニュース見てビックリしちゃった。そんなことってあるのね」
「珍しいことだが、初めてのことじゃない。二〇一三年にサンフランシスコでも、満員電車で男が射殺された事件がある。そのときも、乗客はスマートフォンをいじっていて、発泡するまで誰も気づかなかったそうだ」
森巣はそう言うと、サンドイッチを口に放り込んだ。
「昨日はありがとう。森巣のおかげで、無事に解決できたよ」
僕がそう告げると、森巣はまじまじと僕を見てきた。気持ちが悪いな、と思われているのだろう。
「直接ちゃんと言ってなかったなと思って」
「その後に、手伝いをしてもらっただろ。ギブアンドテイクだ。気にするな。俺からしてみれば、道を訊ねられて答えるくらい造作もないことだったからな」
「なんにせよ、助かったよ。でも、意外だった。てっきり、百万円の取り分をよこせ、と言われるかと思った」
「お前は俺をなんだと思ってるんだ? 俺は悪魔のように頭が切れるが、悪魔じゃない。別にその金に興味はない」
森巣は冷酷な一面を持っているから、てっきり横取りしようと計画するのではないかと思っていた。
「それよりも、俺はお前が金をピエロに返した方が意外だったな」
「そう! わたしもそれ思った」
小此木さんが、絵を描きながら声だけ参加してくる。
「馬鹿にしたければしていいよ」
「じゃあ遠慮なく。市民の義務、とか言って警察に通報すると思っていた。悪いことをしちゃだめですよぉ、先生に言いつけますよぉ、警察に行きましょうよぉ、とか言ってな」
「そんな喋り方じゃないだろ」
ピエロから話を聞くまでは、警察に通報しようか、説得しようか、とも考えていた。
「やっていることは、違法だと思う。だけど、見逃したくなったんだ」
多分、納得してしまったからだろう。森巣は興味がなさそうに、スマートフォンに視線を落とした。
「平くん、ちょっと変わったよねー」
小此木さんの、呑気な声が聞こえ、果たしてそうだろうか、と首をかしげる。
「おい、見てみろよ」
森巣が含み笑いをしながら、机の上にスマートフォンを置いた。
動画の再生が始まり、半袖半ズボンの体操服を着た中年男性が、一人でラジオ体操をしている。通行人が立ち止まり、彼の写真を撮っていた。誰だったか思い出せないが、彼をテレビで見たことがある。
「勘違いをした政治家が、中年が個性を主張できる世の中を、と解釈したみたいだぞ。さて、真相が露呈したら、こいつはどうするんだろうな。これからブームになったら、見ものだ」
場所が他の地方であるし、ピエロが活動を続けているということではないだろう。
ピエロの気が変わり、警察に情報を言わないだろうか、と少し心配になった。
第3話おわり
参考文献
『制服少女たちの選択 After 10 years』宮台真司 朝日文庫
「News week スマホに夢中で誰も銃に気付かなかった」2013/10/9
(http://www.newsweekjapan.jp/stories/us/2013/10/post-3069.php)