名探偵登場
文字数 2,955文字
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爆発によって飛び散ってくるのがステンドグラスだったら、悲劇的だけど優雅な光景なのだろう。だけど、僕に向かってくるのは石像の破片だ。石像の拳が、スローモーションで僕の顔に向かって飛んでくる。
僕は、同級生の森巣 に相談をしたいことがあり、山下公園にある噴水の前で待ち合わせをしていた。噴水は花壇に囲まれ、中央には水の守護神像という、肩に甕を担いだ像が建っている。
突然、何もかもが変わってしまうような轟音と共に、その像が爆発した。僕は、水の守護神の怒りを買うようなことはしていない。なぜ、こんなことに? と脳裏によぎる。
思い返せば、森巣と出会ってから妙な事件に巻き込まれることが多い。ブラジルの蝶が羽ばたいたからテキサスで竜巻が起こる、という話を聞いたことがある。この爆発だって、もしかしたら森巣と出会ったから起こったのではないか? と疑いかけたそのとき、背中が押され、体がぐわんと揺れて前のめりに倒れた。
手のひらに、夏の日差しをたっぷりと受けたアスファルトの熱を覚える。痛みと熱さで呻いていたら、離れた芝生の上にいるコーギー犬と目が合った。爆発を初めて見たのか、耳をピンと立てて驚きをあらわにしている。
キーンと響く耳鳴りの中、「大丈夫かい?」と男の声が聞こえた。肩に手を回され、起き上がるのを手伝ってもらいながら、ぐっと足に力を入れる。
「ありがとうございます」
相手が長身で、顔を見上げてしまう。
青い瞳が金色のまつげで縁取られ、鼻が高く、彫りの深い顔立ちをしていた。長い金髪を後ろで結び、七部丈の黒いシャツにグレーのベストを羽織っている。足首までの丈のチノパンにスリッポンという格好は、ラフだけど決まっていた。さっきの爆発と言い、自分が映画の中に紛れ込んでしまったのではないか、と疑いたくなる。
「怪我はないかい?」
そう言って白い歯を覗かせる彼をまじまじと見ていたら、「探偵王子」と聞こえた。声のした方を見ると、少し離れた場所で若い女の人がこちらを窺っていた。
はっとし、改めて恩人を見る。僕は彼のことを知っていた。
モデルでも映画スターでもなく、彼は私立探偵だ。
鶴乃井 ・C・スターキー、日本人とイギリス人のハーフで、高校生のときに両親を亡くし、それ以降はロンドンを離れて祖母のいる日本で過ごしている。ロンドンにいた頃から探偵として活動をしており、先週みなとみらいの高層マンションで起こった密室殺人事件を解決したことで、すっかり時の人となっている。年齢も二十三歳と若く、テレビで探偵王子と紹介されているのを見たことがあった。
「……怪我は、ないよね?」
不審そうな顔で、鶴乃井が僕を見る。見つめすぎたと慌て、「ないです! ありがとうございます!」と頭を下げた。
「あの、鶴乃井さんですよね。探偵の」とおそるおそる訊ねると、鶴乃井は少し照れくさそうに視線を泳がせた。
「ああ、そうだよ」
「やっぱり。ニュース見ました」
「ああ、うん」
「あの、応援してます」
緊張のせいでぎこちない会話になり、口下手なんだから話を切り出さなければよかったと後悔しながら、言葉を探す。そのせいでつい、「実は友達も探偵で、親近感湧いてて」と口にしてしまった。
「探偵?」
「ええ、あの、Mっていう名前で」
「そのこと、詳しく」
鶴乃井がそう口にした、その瞬間、「よお、お待たせ」と背後から声が聞こえた。噂をすれば、で現れた声の主は、イヤフォンを外しながらスマートフォンをジーンズのポケットにしまっている。
夏休みだから、会うのは久々だ。日焼けをしたり、背が大きく伸びたりして別人になっていたわけでなくて、なんだかほっとする。相変わらず、外見だけは二枚目の好青年だ。
森巣は、やっと僕が鶴乃井と話をしていたことに気がついたようで、立ち止まった。
「ついさっき石像が爆発して、探偵の鶴乃井さんに助けてもらったんだ」
頭大丈夫か? とでも言いたげに、怪訝な表情になる。が、立ち込める火薬の匂いや、この場の緊張感に察したのか、表情を更に険しいものにした。
説明したいが、僕自身も状況を理解しておらず、助けを求める。
「鶴乃井さん、あの爆発はなんだったんですか?」
僕らの視線が集まると、鶴乃井は少し申し訳なさそうに、「詳しいことは言えないけど、事件の調査中なんだ」と言い淀んだ。
「鶴乃井さんは、石像が爆発するって知ってたんですか?」
森巣が丁寧な口調でそう訊ねるも、返事は「すまない。調査中で、詳しくは言えない」だけだった。
「テロの予告があったなんてニュースは見ていないし、警察から外出を控えるようになんて発表も聞いてません。鶴乃井さんは、なぜここに?」
「すまない。それも調査中で、詳しくは言えないんだ」
僕には、鶴乃井が調査中で詳しくは何も言えない、ということしかわからなかったけど、森巣はなるほど、と頷いた。
「犯人から脅迫を受けている人がいて、誰にも言えないってことですね。それか、俺たちが他言してパニックを起こすと思われているか」
鶴乃井の眉が微かに動いた。調査中だと言っていたから、さっきの爆発に全く無関係というわけではないのだろう。なにか知っているはずだ。
だけど森巣は、それ以上追求することなく、「ありがとうございました。平 、行こう」と告げて、背を向けて歩き始めた。もういいのか、と困惑しながら森巣に続く。
すると、「待ってくれ」と後ろから声が飛んできた。
「君がMなのか?」
森巣が僕を一瞥し、鶴乃井に視線を移した。一瞬のことだったけど、鋭い眼光で射竦められ、肝が冷える。
森巣がシラを切るよりも先に、「そうなんだろ?」と鶴乃井が言葉を重ねた。
取り返しのつかないことをしてしまった、という後悔の波に飲まれる。
森巣は以前、Mという名義で強盗事件の真相を推理し、動画投稿サイトで発表したことがある。動画が爆発的な再生数を記録したけど、森巣はそれに溺れることなく、ネットで活動を続けることなかった。顔も実名も出していなかったから、僕がうっかり言わなければ、誰にもバレなかったはずだ。上手く誤魔化してくれ、と祈りながら固唾を呑む。
逡巡するような間を置き、森巣は「そうです」と答えた。
「え?」
驚きの声をもらしたのは、僕だった。森巣は照れ臭そうに頭をかき、それを見て鶴乃井も表情を緩め、なんだか少し嬉しそうな顔をしている。
「メールは送っていたんだけど、Mと会うのは初めてだね」
「あれってご本人からだったんですね。すいません、そんなわけないと思って返信してなくて」
「いや、いいんだ。その気持ちはわかる。でも、会って話をしてみたかった」
顔見知りというわけではなさそうだけど、有名人の鶴乃井が森巣と仲が良さそうに砕けた口調で話しているのは、なんだか不思議な光景だった。
「実は、Mの言う通り、犯人から脅迫を受けている人がいる」
読み通りのことを言われ、森巣がやっぱり、と小さく頷く。
「それは、私なんだ」
爆発によって飛び散ってくるのがステンドグラスだったら、悲劇的だけど優雅な光景なのだろう。だけど、僕に向かってくるのは石像の破片だ。石像の拳が、スローモーションで僕の顔に向かって飛んでくる。
僕は、同級生の
突然、何もかもが変わってしまうような轟音と共に、その像が爆発した。僕は、水の守護神の怒りを買うようなことはしていない。なぜ、こんなことに? と脳裏によぎる。
思い返せば、森巣と出会ってから妙な事件に巻き込まれることが多い。ブラジルの蝶が羽ばたいたからテキサスで竜巻が起こる、という話を聞いたことがある。この爆発だって、もしかしたら森巣と出会ったから起こったのではないか? と疑いかけたそのとき、背中が押され、体がぐわんと揺れて前のめりに倒れた。
手のひらに、夏の日差しをたっぷりと受けたアスファルトの熱を覚える。痛みと熱さで呻いていたら、離れた芝生の上にいるコーギー犬と目が合った。爆発を初めて見たのか、耳をピンと立てて驚きをあらわにしている。
キーンと響く耳鳴りの中、「大丈夫かい?」と男の声が聞こえた。肩に手を回され、起き上がるのを手伝ってもらいながら、ぐっと足に力を入れる。
「ありがとうございます」
相手が長身で、顔を見上げてしまう。
青い瞳が金色のまつげで縁取られ、鼻が高く、彫りの深い顔立ちをしていた。長い金髪を後ろで結び、七部丈の黒いシャツにグレーのベストを羽織っている。足首までの丈のチノパンにスリッポンという格好は、ラフだけど決まっていた。さっきの爆発と言い、自分が映画の中に紛れ込んでしまったのではないか、と疑いたくなる。
「怪我はないかい?」
そう言って白い歯を覗かせる彼をまじまじと見ていたら、「探偵王子」と聞こえた。声のした方を見ると、少し離れた場所で若い女の人がこちらを窺っていた。
はっとし、改めて恩人を見る。僕は彼のことを知っていた。
モデルでも映画スターでもなく、彼は私立探偵だ。
「……怪我は、ないよね?」
不審そうな顔で、鶴乃井が僕を見る。見つめすぎたと慌て、「ないです! ありがとうございます!」と頭を下げた。
「あの、鶴乃井さんですよね。探偵の」とおそるおそる訊ねると、鶴乃井は少し照れくさそうに視線を泳がせた。
「ああ、そうだよ」
「やっぱり。ニュース見ました」
「ああ、うん」
「あの、応援してます」
緊張のせいでぎこちない会話になり、口下手なんだから話を切り出さなければよかったと後悔しながら、言葉を探す。そのせいでつい、「実は友達も探偵で、親近感湧いてて」と口にしてしまった。
「探偵?」
「ええ、あの、Mっていう名前で」
「そのこと、詳しく」
鶴乃井がそう口にした、その瞬間、「よお、お待たせ」と背後から声が聞こえた。噂をすれば、で現れた声の主は、イヤフォンを外しながらスマートフォンをジーンズのポケットにしまっている。
夏休みだから、会うのは久々だ。日焼けをしたり、背が大きく伸びたりして別人になっていたわけでなくて、なんだかほっとする。相変わらず、外見だけは二枚目の好青年だ。
森巣は、やっと僕が鶴乃井と話をしていたことに気がついたようで、立ち止まった。
「ついさっき石像が爆発して、探偵の鶴乃井さんに助けてもらったんだ」
頭大丈夫か? とでも言いたげに、怪訝な表情になる。が、立ち込める火薬の匂いや、この場の緊張感に察したのか、表情を更に険しいものにした。
説明したいが、僕自身も状況を理解しておらず、助けを求める。
「鶴乃井さん、あの爆発はなんだったんですか?」
僕らの視線が集まると、鶴乃井は少し申し訳なさそうに、「詳しいことは言えないけど、事件の調査中なんだ」と言い淀んだ。
「鶴乃井さんは、石像が爆発するって知ってたんですか?」
森巣が丁寧な口調でそう訊ねるも、返事は「すまない。調査中で、詳しくは言えない」だけだった。
「テロの予告があったなんてニュースは見ていないし、警察から外出を控えるようになんて発表も聞いてません。鶴乃井さんは、なぜここに?」
「すまない。それも調査中で、詳しくは言えないんだ」
僕には、鶴乃井が調査中で詳しくは何も言えない、ということしかわからなかったけど、森巣はなるほど、と頷いた。
「犯人から脅迫を受けている人がいて、誰にも言えないってことですね。それか、俺たちが他言してパニックを起こすと思われているか」
鶴乃井の眉が微かに動いた。調査中だと言っていたから、さっきの爆発に全く無関係というわけではないのだろう。なにか知っているはずだ。
だけど森巣は、それ以上追求することなく、「ありがとうございました。
すると、「待ってくれ」と後ろから声が飛んできた。
「君がMなのか?」
森巣が僕を一瞥し、鶴乃井に視線を移した。一瞬のことだったけど、鋭い眼光で射竦められ、肝が冷える。
森巣がシラを切るよりも先に、「そうなんだろ?」と鶴乃井が言葉を重ねた。
取り返しのつかないことをしてしまった、という後悔の波に飲まれる。
森巣は以前、Mという名義で強盗事件の真相を推理し、動画投稿サイトで発表したことがある。動画が爆発的な再生数を記録したけど、森巣はそれに溺れることなく、ネットで活動を続けることなかった。顔も実名も出していなかったから、僕がうっかり言わなければ、誰にもバレなかったはずだ。上手く誤魔化してくれ、と祈りながら固唾を呑む。
逡巡するような間を置き、森巣は「そうです」と答えた。
「え?」
驚きの声をもらしたのは、僕だった。森巣は照れ臭そうに頭をかき、それを見て鶴乃井も表情を緩め、なんだか少し嬉しそうな顔をしている。
「メールは送っていたんだけど、Mと会うのは初めてだね」
「あれってご本人からだったんですね。すいません、そんなわけないと思って返信してなくて」
「いや、いいんだ。その気持ちはわかる。でも、会って話をしてみたかった」
顔見知りというわけではなさそうだけど、有名人の鶴乃井が森巣と仲が良さそうに砕けた口調で話しているのは、なんだか不思議な光景だった。
「実は、Mの言う通り、犯人から脅迫を受けている人がいる」
読み通りのことを言われ、森巣がやっぱり、と小さく頷く。
「それは、私なんだ」