町は悪意に溢れている
文字数 7,349文字
6
昼休みになり、意気揚々と六組の教室へ向かう。
昨夜、言われた通り森巣にメールを送ったが、返信はなかった。何かあったのでは? と少し気になっていたけど、同級生に囲まれながらパンを食べていた。
後ろの扉をノックすると、森巣と目が合った。意外そうに眉を上げている。
「あれ、平。どうしたの?」
「迎えに来たんだよ」
「なにか約束してたっけ?」
「魚に会いに行く約束をしたじゃないか」
森巣は少しの間、じっと僕を見ていたが、暗号絡みだと意味が通じたようで、「あーそうだった」と表情を緩め、周りの生徒に「ごめん、ちょっと行ってくる」と告げてこちらにやって来た。
廊下に出ると、示し合わせたわけではないけど、自然と美術室へ足が向いた。
美術室は今日も開いていたが、昼休みになったばかりだからか、小此木さんはまだ来ていなかった。
「おい、魚に会いに行くってなんのことだ?」
「あれ、伝わってたんじゃないの?」
「あのままあそこにいたら、変な知り合いがいると思われそうだからついてきたんだ」
森巣はそう言うと、不機嫌そうにどかっと席に着いた。隣の席を引き、僕も腰掛ける。
「それで?」
「暗号の意味がわかったんだよ」
「ほう、話してみろよ」
森巣は机に手を置き、足を組んだ。彼に挑んでいるような緊張感を覚え、肌がぴりりとした。
「新しい暗号は『ジミが魚に会いに行く』だった。僕はジミ、と聞いてピンと来たよ。ジミ、と言えばギターの神様、ジミ・ヘンドリックスだ。そこで、暗号に出てくる他の人物名と共通点があることに気がついた」
「共通点?」
「元ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズ、ドアーズのジム・モリソン、グレイトフル・デッドのロン・ピッグペン・マッカーナン、ブルース歌手のロバート・ジョンソン、そしてジミ・ヘンドリックス、全員ミュージシャンだ。共通点はそれだけじゃない。全員、二十七歳でこの世を去っている。偶然にしちゃ多いから、彼らは悪魔と有名になる代わりに二十七歳で死ぬ契約を交わしたんじゃないかっていう伝説もある」
「それで?」
「昔、ロックンロールは悪魔崇拝と結びつけられていたって言うし、ヤギは悪魔の象徴だろ? 強盗ヤギは銀行とかじゃなくて、個人経営の店を襲ってるから、金銭目的っていうよりも何かしらの儀式のつもりで店を襲ってるんじゃないかな。地図で襲われた店を繋いでみて、何か記号になってないか確かめてみないか?」
これで、強盗ヤギの正体に大きく近づけるのではないか? 僕はそう思っていた。森巣はすぐに反応を示さず、「なるほど」も「そうだったのか!」の一言もなく、ただまじまじと僕の顔を見ていた。
と思いきや、森巣は、ぷっと吹き出し、快活な笑い声を美術室に響かせ始めた。
その瞬間、頭の中でブレーカーが落ち、自分が大間違いをしていたのだと悟る。
「お前は想像力がたくましいなあ」
「僕が間違えたってことはわかったけど、どう大間違いをしたのか説明してほしい」
「屍体に蹴りを入れるけどいいのか?」
「傷口に塩くらいの言い方で頼むよ」
森巣は、ふっと息をと整えてから、「いいか?」と口を開いた。
「暗号を解読して、次の店がヒントになっていることがわかった。そして、残された文章をつなげると、文章になることもわかった。さらに、そこには二十七歳で死んだミュージシャンが登場していることもわかった。けど、それは一旦忘れろ」
「はい?」
「事件の真相は、俺が昨日見たものと、お前が昨日見たもので、全てがわかるぞ」
「そうだ森巣、あれは一体なんだったんだよ? 犯人を煽って、何がしたかったんだ?」
森巣が右手の親指と人差し指を立て、僕に向けた。指先からプレッシャーを感じ、顔をしかめる。
「銃口を覗くためにやったんだ」
「なんのために」
「本物か確かめるためだ。モデルガンは悪用されないように、銃口の中にインサートという金属の板が埋め込まれていて、無理に外そうとすると、壊れてしまう。インサートは削ってどうにかしたみたいだが、少しバリが残っていた。それに、本物だったら銃身の内側にライフリングという螺旋状の溝があるはずなのに、それもなかった」
「よく、あの状況でそれを確認できたな」
「小此木にモデルガンを向けてもらって、練習もしたしな」
「銃が本物だったら、とは思わなかったのか?」
「おいおい、それを確かめるためにやったんだろ」
僕はそういうことを言いたかったわけじゃない。
もし、銃が本物だったら? 強盗ヤギがもっと短絡的な思考の持ち主だったら? とは思わなかったのだろうか。銃口を覗き込むなんて、自分の死を見つめてしまうみたいで、僕にはできない。
「昨夜お前から届いたメールで、俺は何が起こっていたのかわかった」
「慰めはいいよ。あれは役には立たなかっただろ。実際、森巣が強盗ヤギを煽ってる間、特におかしなことをしている人はいなかった。あの女性客がスマートフォンのカメラで撮影していたことだって、気づかなかったわけだし」
「強盗と俺が一触即発になってるんだぞ? なんでオーナーは女の客やお前と目が合うんだ?」
森巣に言われて「あぁ」と口から声が漏れた。
強盗犯がなじみの客に銃を向け、今にも発砲するのではないか、と剣呑な空気になっている中で、彼は何故視線を外せたのか。
「強盗に遭っている奴の行動じゃないな」
「どういうことだ? 強盗は来ていたじゃないか。ヤギのマスクを被って、金を出せと脅していた」
「いいや、あの店は襲われていた訳じゃない。平、お前はなんで動画がネットにアップされていたんだと思う?」
「そりゃあ、事件に巻き込まれちゃった自分を注目してもらいたいからだろ?」
「違うな。あの動画には、撮影者が映っていないし、もし、自己承認欲求を充したいなら、動画サイトじゃなくて、SNSに投稿するだろ」
確かにそうか、と合点が行く。僕は今の今まで、自撮りする感覚で、事件動画を投稿しているのだとばかり思っていた。
頭の中で、回路が繋がるみたいに、思考が繋がった。
オーナーは、女の客がスマートフォンで撮影していることを知っていた。そのことから導き出せる答えは一つしか思いつかない。
「オーナーと女の客、強盗ヤギはグルだったのか。でも、強盗ヤギと組む目的はなんだろう」
「経営難の飲食店に声をかけて、強盗に遭ったフリをするよう協力を仰いだんだろうな。知っているか? 襲われた店はどこも客の入りが増えているらしい」
森巣の口から語られる話が、僕の頭の中に立ち込めていた霧を晴らしていく。
思い返せば、確かにどの動画でも店の料理が絶妙な角度で映っていたし、動画を見た佐野は、腹が減ったとかあの店に行こう、と言っていた。
サブリミナルと言えば大げさだけど、コマーシャルにもなっていたのだろう。それに、暗号だ。暗号があるから動画を見たいと思う人は増えただろうし、実際に店に多くの人が行ってるという話も聞いた。
「被害者がいない、安全な強盗だったってことか」
強盗ヤギは、新しい広告の方法ですよ、といくらかお金をもらって、あのパフォーマンスをしていたのか。上手いこと考える奴がいるものだなぁ、と感心してしまう。テレビでCMを流してもらうよりも、ずっと安上がりで、効果も出たのではないだろうか。
ふと、森巣が静かにしていることが気になった。じっと僕の様子を窺うようにこっちを見ている。
「お前は今、強盗ヤギたちが店の救世主に思えてるんじゃないのか?」
「救世主、とまではいかないけど、頭の良い奴だなとは思ったよ」
「この事件はこれで終わりじゃない。そこから先を知る覚悟はあるか?」
知らなければ、面白いことを考える強盗グループがいた、という話になる。
森巣に試されている。知らなければよかった、と思うことになるのだろう。
だけど、関わってしまった以上、引き返すという選択肢はない。
首肯する。
「昨日、あの店ではショーが行われてたんだよ」
「ショー? 僕らは人質じゃなくて観客だったって言うのか?」
「いいや、俺たちはエキストラだ。観客は」
森巣はそう言うと、スマートフォンを僕に向けた。
「動画を見る連中だ」
画面の中央にある再生ボタンを押され、昨日の強盗ヤギの事件映像、ではなく、まず広告が流れ出した。
「狙いはこれだ。一回再生されるごとに、約〇.一円の広告収入が発生する」
「広告収入?」
「動画の再生回数はもうすぐ三百万超えだ。一日経ってないのに、三十万円だ。これからまだまだ伸びるだろう。事件が起きれば、相乗効果で前の動画の再生数も伸びる。犯罪を扇動する内容ではないし、生々しい暴力があるわけじゃないから、規約で削除されることもない」
「ちょっと待ってくれ。つまり、動画再生で稼ぐ為に、事件を起こしていたってことか!?」
森巣が口元を歪め、小さく笑った。右手をこちらに向け、指を立てながら説明を始める。
「最初の動画が公開されて話題になり、三本目の動画にマークが写り込んでいた。それは、ゾディアックという連続殺人犯が使っていたマークだとわかった。そして暗号が騒ぎになり、それが解読され、次の店の予告と文章だとわかった。次に、二十七歳で死んだミュージシャンが主語になっていたと気づく奴が現れる。今度は、その意味が何か? とみんなが気になる。向こうは、興味関心が薄れないよう、餌を定期的に撒いていた。お前は、まんまと向こうの思惑通りに、食いついたな」
森巣は言葉をそこで一旦止めた。まるで、僕に考えるよう、促すような間だった。
「暗号文に意味なんてないんだな? あれはただの客寄せか」
「そうだ。強盗ヤギは首謀者じゃない。昨日のあれを見ただろ。もう五件目なのに慣れた様子がなくて、二人の間には上下関係も信頼関係も見えてこなかった。あの二人で強盗をするのは、初めてだったのかもしれないな」
「確かに、森巣の奇行に狼狽してたし、レコーダーの使い方も慣れてないみたいだったな」
「おそらく強盗ヤギは何人もいるんだろう。ICレコーダーを使って命令をするのもマスクを被るのも、中が別人であることを隠すためだ。おそらく、強盗ヤギを思いついた連中は、借金で首が回らなくなっている奴らを強盗役にしたり、経営難の飲食店に声をかけて、強盗に遭ったフリをするよう協力を仰いだんだろう。ネットに書き込みがあったのは、デモンストレーションの一部か、調子に乗って自己顕示欲に負けた奴が現れたのかもしれないな」
森巣は楽しそうにスマートフォンの画面を見ながら、「しかし、面白いことを考える奴がいるもんだ」と笑った。
「森巣は、いつから気づいてたんだ?」
「そうだなまず、あいつらは本気で強盗するつもりなのか? と気になった。ネットで騒ぎになってからも活動を続けているし、誰かに撮影されていないか気にしている風もなかった。だから、銃が本物なのかを調べて、本気の強盗なのかを知りたくなった。銃を使ってなければ、止めるのは簡単だろうと思ってな」
「確かに、動画で目立ったり注目されるのは、強盗にとってメリットがないよな」
「次に、動画の投稿者に関する情報がわからないし、広告が邪魔だったから違和感を覚えた。動画を投稿して、広告設定するのは審査なしで出来るみたいだし、なんでこいつは儲けてるんだ? と気になった」
大胆で狡猾、そんなことを考える奴がいるのか。そして、既視感のようなものを覚え、森巣をまじまじと見る。森巣はなんだか楽しそうに、目を細めていた。
「確信を持ったのは、お前から来たメールを読んだからだ。事前に説明すると、お前は反対して騒ぎそうだから直前に伝えたんだが、よく冷静に周りを観察してくれたな。俺は、お前のそういうところを気に入っている。勇気がある、というのも一つの才能だ。才能がない奴は、どうやったら自分が助かるか、それしか考えることができないからな」
勇気がある、と言われるのは嬉しいことなのかもしれない。だけど、素直に喜べない。
「森巣は僕のことを買ってくれているみたいだけど、もう君に協力はできないと思ってほしい。僕はまだ高校生だし、君みたいに悪に立ち向かうなんて無理だよ」
森巣は僕の言葉を受けると、真剣な表情で、ゆっくりと口を開いた。
「悪は誰だと思う?」
「悪?」
「お前は正義とか悪とかに拘っていたが、今回の事件の誰が悪人だと思う?」
「そりゃあ、その強盗ヤギのシステムを考えた奴だろ」
「本当にそうか?」
森巣がじっと僕を見る。僕の心の奥底を覗き込むような、そんな目だった。
他人を利用し、巻き込み、自分は安全な場所にいる、そいつが一番の悪ではないか。
しかし、何が正義で何が悪か、自分の周りに紫のもやが立ち込めているみたいで、何がなんなのかわからなくなってきてもいた。
「俺は、強盗ショーを演じた奴らや、彼らをプロデュースしている奴よりも、安全な場所から他人の不幸を楽しむ、想像力のない奴らが一番の悪だと思うがな」
森巣の言葉が、胸に突き刺さった。
常に第三者で、他人の不幸さえも娯楽にしてしまう。森巣が言う悪とは、人間の悪意のことだろう。無意識であるが故におぞましく、掴み所のない、もやのような存在だ。
「お前は、まだ悪に立ち向かうなんて無理だと言う。じゃあ、何歳になったら立ち向かうんだ? 筋肉がついたら立ち向かえるようになるのか? そもそも、人間の悪意から目をそらすことなんてできると思うか?」
それは、と口を開いたが、言葉が続かない。無理だろう。
「森巣、君は何をしたいんだ?」
「俺は正義だとか悪だとか、言葉遊びに興味はない。ただ、まっすぐ歩いていたい。だから、気に入らないものが目に入ったらそれを根絶やしにしていく。それが信条だ」
「鬱陶しいとか目障りだって言ってたのは、強盗ヤギのことじゃないんだな」
「ああ、そうだ。馬鹿みたいに動画を再生させている連中のことだ」
教室で、電車で、家や会社で、喫茶店や食事の席で、みんなが動画を再生させている。どんな気持ちで見ているのか。見て、何が満たされるというのか。
ふーっと長い息を吐き出し、椅子の背もたれに体を預ける。森巣の言うことを、やっと理解できた。
森巣は腕時計を一瞥し、「十二時を過ぎたから、動画が投稿されているはずだ」と言った。
「動画?」
「今、お前に話したような内容で、事件の解説動画を知り合いが投稿した。拡散させる自信があると言っていたから、どのくらい伸びるか見ものだな」
「今まで自分たちが動画を見ていたせいで、と気づくかな」
「いや、気づかないだろうな。利用されたと被害者面をするか、悪かったなんて全く思わないんじゃないか?」
「なんで動画を作ったんだよ」
そう言いながら、これできっと強盗ヤギはやり辛くなるだろうな、と思った。もしかしたら、もうこのヤギマスクの連続強盗は中止になるかもしれない。
そこでふと、広告設定はしたのか? と疑問が浮かんだ。が、訊ねるまでもないだろう。
森巣は、「それじゃあ、俺は教室に戻る」と席から立ち上がり、「またな」と言い残して美術室から去っていった。
ぼーっと見送っていたら、森巣と入れ替わりに、小此木さんが美術室にやって来た。
「行っちゃったね」
「聞いていたんですか」
「聞こえているに決まってるじゃない。空気読んで参加しないでいてあげたのよ」
小此木さんは、荷物を机の上に置き、「昨日は大変だったね」と僕に声をかけながら、油絵の続きを描く準備を始めた。石膏像が運ばれ、イーゼルが組み立てられ、キャンバスが置かれる。
「小此木さんは、なんで僕に森巣とあの店に行くよう勧めたんですか?」
訊ねると、小此木さんは、ぺたぺたと絵筆で絵の具をかき混ぜながら、「んー」と小さく唸ってから口を開いた。
「良ちゃんが珍しく他人のことを褒めていたのよ、勇気がある奴だったって。わたしも、良ちゃんは悪い子じゃないし、友達ができたらいいなって心配していたからね」
「小此木さん、森巣は正しいんでしょうか。悪なんでしょうか」
「良ちゃんは、自分だけの価値観で判断して、行動しているだけよ。正しいとか間違ってるとか、そういうのじゃないわよね。答えになってないかな?」
質問の答えではないけど、その通りなのだろうと思ったので、「いいえ、それで大丈夫です」と返した。
目を逸らそうと思っても、町は悪意に溢れている。
社会には、正義もなければ、悪もないのかもしれない。
だけど、僕も自分が正しいと思う道を歩きたい。
小此木さんのキャンバスを見やる。下塗りはもう終わったようで、いよいよ明るい色が着けられていくようだ。
木炭で描かれたリンゴの上に絵筆が運ばれ、真っ赤になっていくのを見ながら、自分の意思が固まるのを感じていた。
第二話おわり
参考文献
『実録・闇サイト事件簿』渋井哲也 幻冬舎新書
『暗号の数理 改訂新版作り方と解読の原理』一松信 講談社ブルーバックス
『図解ハンドウェポン(F‐Files No.003)』大波 篤司 新紀元社
『YouTubeで食べていく 「動画投稿」という生き方 』愛場大介 光文社新書
『YouTube 成功の実践法則53 』木村博史 ソーテック社
TED「斬首動画が何百万回も再生されてしまう理由」フランシス・ラーソン
(https://www.ted.com/talks/frances_larson_why_public_beheadings_get_millions_of_views?language=ja)
昼休みになり、意気揚々と六組の教室へ向かう。
昨夜、言われた通り森巣にメールを送ったが、返信はなかった。何かあったのでは? と少し気になっていたけど、同級生に囲まれながらパンを食べていた。
後ろの扉をノックすると、森巣と目が合った。意外そうに眉を上げている。
「あれ、平。どうしたの?」
「迎えに来たんだよ」
「なにか約束してたっけ?」
「魚に会いに行く約束をしたじゃないか」
森巣は少しの間、じっと僕を見ていたが、暗号絡みだと意味が通じたようで、「あーそうだった」と表情を緩め、周りの生徒に「ごめん、ちょっと行ってくる」と告げてこちらにやって来た。
廊下に出ると、示し合わせたわけではないけど、自然と美術室へ足が向いた。
美術室は今日も開いていたが、昼休みになったばかりだからか、小此木さんはまだ来ていなかった。
「おい、魚に会いに行くってなんのことだ?」
「あれ、伝わってたんじゃないの?」
「あのままあそこにいたら、変な知り合いがいると思われそうだからついてきたんだ」
森巣はそう言うと、不機嫌そうにどかっと席に着いた。隣の席を引き、僕も腰掛ける。
「それで?」
「暗号の意味がわかったんだよ」
「ほう、話してみろよ」
森巣は机に手を置き、足を組んだ。彼に挑んでいるような緊張感を覚え、肌がぴりりとした。
「新しい暗号は『ジミが魚に会いに行く』だった。僕はジミ、と聞いてピンと来たよ。ジミ、と言えばギターの神様、ジミ・ヘンドリックスだ。そこで、暗号に出てくる他の人物名と共通点があることに気がついた」
「共通点?」
「元ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズ、ドアーズのジム・モリソン、グレイトフル・デッドのロン・ピッグペン・マッカーナン、ブルース歌手のロバート・ジョンソン、そしてジミ・ヘンドリックス、全員ミュージシャンだ。共通点はそれだけじゃない。全員、二十七歳でこの世を去っている。偶然にしちゃ多いから、彼らは悪魔と有名になる代わりに二十七歳で死ぬ契約を交わしたんじゃないかっていう伝説もある」
「それで?」
「昔、ロックンロールは悪魔崇拝と結びつけられていたって言うし、ヤギは悪魔の象徴だろ? 強盗ヤギは銀行とかじゃなくて、個人経営の店を襲ってるから、金銭目的っていうよりも何かしらの儀式のつもりで店を襲ってるんじゃないかな。地図で襲われた店を繋いでみて、何か記号になってないか確かめてみないか?」
これで、強盗ヤギの正体に大きく近づけるのではないか? 僕はそう思っていた。森巣はすぐに反応を示さず、「なるほど」も「そうだったのか!」の一言もなく、ただまじまじと僕の顔を見ていた。
と思いきや、森巣は、ぷっと吹き出し、快活な笑い声を美術室に響かせ始めた。
その瞬間、頭の中でブレーカーが落ち、自分が大間違いをしていたのだと悟る。
「お前は想像力がたくましいなあ」
「僕が間違えたってことはわかったけど、どう大間違いをしたのか説明してほしい」
「屍体に蹴りを入れるけどいいのか?」
「傷口に塩くらいの言い方で頼むよ」
森巣は、ふっと息をと整えてから、「いいか?」と口を開いた。
「暗号を解読して、次の店がヒントになっていることがわかった。そして、残された文章をつなげると、文章になることもわかった。さらに、そこには二十七歳で死んだミュージシャンが登場していることもわかった。けど、それは一旦忘れろ」
「はい?」
「事件の真相は、俺が昨日見たものと、お前が昨日見たもので、全てがわかるぞ」
「そうだ森巣、あれは一体なんだったんだよ? 犯人を煽って、何がしたかったんだ?」
森巣が右手の親指と人差し指を立て、僕に向けた。指先からプレッシャーを感じ、顔をしかめる。
「銃口を覗くためにやったんだ」
「なんのために」
「本物か確かめるためだ。モデルガンは悪用されないように、銃口の中にインサートという金属の板が埋め込まれていて、無理に外そうとすると、壊れてしまう。インサートは削ってどうにかしたみたいだが、少しバリが残っていた。それに、本物だったら銃身の内側にライフリングという螺旋状の溝があるはずなのに、それもなかった」
「よく、あの状況でそれを確認できたな」
「小此木にモデルガンを向けてもらって、練習もしたしな」
「銃が本物だったら、とは思わなかったのか?」
「おいおい、それを確かめるためにやったんだろ」
僕はそういうことを言いたかったわけじゃない。
もし、銃が本物だったら? 強盗ヤギがもっと短絡的な思考の持ち主だったら? とは思わなかったのだろうか。銃口を覗き込むなんて、自分の死を見つめてしまうみたいで、僕にはできない。
「昨夜お前から届いたメールで、俺は何が起こっていたのかわかった」
「慰めはいいよ。あれは役には立たなかっただろ。実際、森巣が強盗ヤギを煽ってる間、特におかしなことをしている人はいなかった。あの女性客がスマートフォンのカメラで撮影していたことだって、気づかなかったわけだし」
「強盗と俺が一触即発になってるんだぞ? なんでオーナーは女の客やお前と目が合うんだ?」
森巣に言われて「あぁ」と口から声が漏れた。
強盗犯がなじみの客に銃を向け、今にも発砲するのではないか、と剣呑な空気になっている中で、彼は何故視線を外せたのか。
「強盗に遭っている奴の行動じゃないな」
「どういうことだ? 強盗は来ていたじゃないか。ヤギのマスクを被って、金を出せと脅していた」
「いいや、あの店は襲われていた訳じゃない。平、お前はなんで動画がネットにアップされていたんだと思う?」
「そりゃあ、事件に巻き込まれちゃった自分を注目してもらいたいからだろ?」
「違うな。あの動画には、撮影者が映っていないし、もし、自己承認欲求を充したいなら、動画サイトじゃなくて、SNSに投稿するだろ」
確かにそうか、と合点が行く。僕は今の今まで、自撮りする感覚で、事件動画を投稿しているのだとばかり思っていた。
頭の中で、回路が繋がるみたいに、思考が繋がった。
オーナーは、女の客がスマートフォンで撮影していることを知っていた。そのことから導き出せる答えは一つしか思いつかない。
「オーナーと女の客、強盗ヤギはグルだったのか。でも、強盗ヤギと組む目的はなんだろう」
「経営難の飲食店に声をかけて、強盗に遭ったフリをするよう協力を仰いだんだろうな。知っているか? 襲われた店はどこも客の入りが増えているらしい」
森巣の口から語られる話が、僕の頭の中に立ち込めていた霧を晴らしていく。
思い返せば、確かにどの動画でも店の料理が絶妙な角度で映っていたし、動画を見た佐野は、腹が減ったとかあの店に行こう、と言っていた。
サブリミナルと言えば大げさだけど、コマーシャルにもなっていたのだろう。それに、暗号だ。暗号があるから動画を見たいと思う人は増えただろうし、実際に店に多くの人が行ってるという話も聞いた。
「被害者がいない、安全な強盗だったってことか」
強盗ヤギは、新しい広告の方法ですよ、といくらかお金をもらって、あのパフォーマンスをしていたのか。上手いこと考える奴がいるものだなぁ、と感心してしまう。テレビでCMを流してもらうよりも、ずっと安上がりで、効果も出たのではないだろうか。
ふと、森巣が静かにしていることが気になった。じっと僕の様子を窺うようにこっちを見ている。
「お前は今、強盗ヤギたちが店の救世主に思えてるんじゃないのか?」
「救世主、とまではいかないけど、頭の良い奴だなとは思ったよ」
「この事件はこれで終わりじゃない。そこから先を知る覚悟はあるか?」
知らなければ、面白いことを考える強盗グループがいた、という話になる。
森巣に試されている。知らなければよかった、と思うことになるのだろう。
だけど、関わってしまった以上、引き返すという選択肢はない。
首肯する。
「昨日、あの店ではショーが行われてたんだよ」
「ショー? 僕らは人質じゃなくて観客だったって言うのか?」
「いいや、俺たちはエキストラだ。観客は」
森巣はそう言うと、スマートフォンを僕に向けた。
「動画を見る連中だ」
画面の中央にある再生ボタンを押され、昨日の強盗ヤギの事件映像、ではなく、まず広告が流れ出した。
「狙いはこれだ。一回再生されるごとに、約〇.一円の広告収入が発生する」
「広告収入?」
「動画の再生回数はもうすぐ三百万超えだ。一日経ってないのに、三十万円だ。これからまだまだ伸びるだろう。事件が起きれば、相乗効果で前の動画の再生数も伸びる。犯罪を扇動する内容ではないし、生々しい暴力があるわけじゃないから、規約で削除されることもない」
「ちょっと待ってくれ。つまり、動画再生で稼ぐ為に、事件を起こしていたってことか!?」
森巣が口元を歪め、小さく笑った。右手をこちらに向け、指を立てながら説明を始める。
「最初の動画が公開されて話題になり、三本目の動画にマークが写り込んでいた。それは、ゾディアックという連続殺人犯が使っていたマークだとわかった。そして暗号が騒ぎになり、それが解読され、次の店の予告と文章だとわかった。次に、二十七歳で死んだミュージシャンが主語になっていたと気づく奴が現れる。今度は、その意味が何か? とみんなが気になる。向こうは、興味関心が薄れないよう、餌を定期的に撒いていた。お前は、まんまと向こうの思惑通りに、食いついたな」
森巣は言葉をそこで一旦止めた。まるで、僕に考えるよう、促すような間だった。
「暗号文に意味なんてないんだな? あれはただの客寄せか」
「そうだ。強盗ヤギは首謀者じゃない。昨日のあれを見ただろ。もう五件目なのに慣れた様子がなくて、二人の間には上下関係も信頼関係も見えてこなかった。あの二人で強盗をするのは、初めてだったのかもしれないな」
「確かに、森巣の奇行に狼狽してたし、レコーダーの使い方も慣れてないみたいだったな」
「おそらく強盗ヤギは何人もいるんだろう。ICレコーダーを使って命令をするのもマスクを被るのも、中が別人であることを隠すためだ。おそらく、強盗ヤギを思いついた連中は、借金で首が回らなくなっている奴らを強盗役にしたり、経営難の飲食店に声をかけて、強盗に遭ったフリをするよう協力を仰いだんだろう。ネットに書き込みがあったのは、デモンストレーションの一部か、調子に乗って自己顕示欲に負けた奴が現れたのかもしれないな」
森巣は楽しそうにスマートフォンの画面を見ながら、「しかし、面白いことを考える奴がいるもんだ」と笑った。
「森巣は、いつから気づいてたんだ?」
「そうだなまず、あいつらは本気で強盗するつもりなのか? と気になった。ネットで騒ぎになってからも活動を続けているし、誰かに撮影されていないか気にしている風もなかった。だから、銃が本物なのかを調べて、本気の強盗なのかを知りたくなった。銃を使ってなければ、止めるのは簡単だろうと思ってな」
「確かに、動画で目立ったり注目されるのは、強盗にとってメリットがないよな」
「次に、動画の投稿者に関する情報がわからないし、広告が邪魔だったから違和感を覚えた。動画を投稿して、広告設定するのは審査なしで出来るみたいだし、なんでこいつは儲けてるんだ? と気になった」
大胆で狡猾、そんなことを考える奴がいるのか。そして、既視感のようなものを覚え、森巣をまじまじと見る。森巣はなんだか楽しそうに、目を細めていた。
「確信を持ったのは、お前から来たメールを読んだからだ。事前に説明すると、お前は反対して騒ぎそうだから直前に伝えたんだが、よく冷静に周りを観察してくれたな。俺は、お前のそういうところを気に入っている。勇気がある、というのも一つの才能だ。才能がない奴は、どうやったら自分が助かるか、それしか考えることができないからな」
勇気がある、と言われるのは嬉しいことなのかもしれない。だけど、素直に喜べない。
「森巣は僕のことを買ってくれているみたいだけど、もう君に協力はできないと思ってほしい。僕はまだ高校生だし、君みたいに悪に立ち向かうなんて無理だよ」
森巣は僕の言葉を受けると、真剣な表情で、ゆっくりと口を開いた。
「悪は誰だと思う?」
「悪?」
「お前は正義とか悪とかに拘っていたが、今回の事件の誰が悪人だと思う?」
「そりゃあ、その強盗ヤギのシステムを考えた奴だろ」
「本当にそうか?」
森巣がじっと僕を見る。僕の心の奥底を覗き込むような、そんな目だった。
他人を利用し、巻き込み、自分は安全な場所にいる、そいつが一番の悪ではないか。
しかし、何が正義で何が悪か、自分の周りに紫のもやが立ち込めているみたいで、何がなんなのかわからなくなってきてもいた。
「俺は、強盗ショーを演じた奴らや、彼らをプロデュースしている奴よりも、安全な場所から他人の不幸を楽しむ、想像力のない奴らが一番の悪だと思うがな」
森巣の言葉が、胸に突き刺さった。
常に第三者で、他人の不幸さえも娯楽にしてしまう。森巣が言う悪とは、人間の悪意のことだろう。無意識であるが故におぞましく、掴み所のない、もやのような存在だ。
「お前は、まだ悪に立ち向かうなんて無理だと言う。じゃあ、何歳になったら立ち向かうんだ? 筋肉がついたら立ち向かえるようになるのか? そもそも、人間の悪意から目をそらすことなんてできると思うか?」
それは、と口を開いたが、言葉が続かない。無理だろう。
「森巣、君は何をしたいんだ?」
「俺は正義だとか悪だとか、言葉遊びに興味はない。ただ、まっすぐ歩いていたい。だから、気に入らないものが目に入ったらそれを根絶やしにしていく。それが信条だ」
「鬱陶しいとか目障りだって言ってたのは、強盗ヤギのことじゃないんだな」
「ああ、そうだ。馬鹿みたいに動画を再生させている連中のことだ」
教室で、電車で、家や会社で、喫茶店や食事の席で、みんなが動画を再生させている。どんな気持ちで見ているのか。見て、何が満たされるというのか。
ふーっと長い息を吐き出し、椅子の背もたれに体を預ける。森巣の言うことを、やっと理解できた。
森巣は腕時計を一瞥し、「十二時を過ぎたから、動画が投稿されているはずだ」と言った。
「動画?」
「今、お前に話したような内容で、事件の解説動画を知り合いが投稿した。拡散させる自信があると言っていたから、どのくらい伸びるか見ものだな」
「今まで自分たちが動画を見ていたせいで、と気づくかな」
「いや、気づかないだろうな。利用されたと被害者面をするか、悪かったなんて全く思わないんじゃないか?」
「なんで動画を作ったんだよ」
そう言いながら、これできっと強盗ヤギはやり辛くなるだろうな、と思った。もしかしたら、もうこのヤギマスクの連続強盗は中止になるかもしれない。
そこでふと、広告設定はしたのか? と疑問が浮かんだ。が、訊ねるまでもないだろう。
森巣は、「それじゃあ、俺は教室に戻る」と席から立ち上がり、「またな」と言い残して美術室から去っていった。
ぼーっと見送っていたら、森巣と入れ替わりに、小此木さんが美術室にやって来た。
「行っちゃったね」
「聞いていたんですか」
「聞こえているに決まってるじゃない。空気読んで参加しないでいてあげたのよ」
小此木さんは、荷物を机の上に置き、「昨日は大変だったね」と僕に声をかけながら、油絵の続きを描く準備を始めた。石膏像が運ばれ、イーゼルが組み立てられ、キャンバスが置かれる。
「小此木さんは、なんで僕に森巣とあの店に行くよう勧めたんですか?」
訊ねると、小此木さんは、ぺたぺたと絵筆で絵の具をかき混ぜながら、「んー」と小さく唸ってから口を開いた。
「良ちゃんが珍しく他人のことを褒めていたのよ、勇気がある奴だったって。わたしも、良ちゃんは悪い子じゃないし、友達ができたらいいなって心配していたからね」
「小此木さん、森巣は正しいんでしょうか。悪なんでしょうか」
「良ちゃんは、自分だけの価値観で判断して、行動しているだけよ。正しいとか間違ってるとか、そういうのじゃないわよね。答えになってないかな?」
質問の答えではないけど、その通りなのだろうと思ったので、「いいえ、それで大丈夫です」と返した。
目を逸らそうと思っても、町は悪意に溢れている。
社会には、正義もなければ、悪もないのかもしれない。
だけど、僕も自分が正しいと思う道を歩きたい。
小此木さんのキャンバスを見やる。下塗りはもう終わったようで、いよいよ明るい色が着けられていくようだ。
木炭で描かれたリンゴの上に絵筆が運ばれ、真っ赤になっていくのを見ながら、自分の意思が固まるのを感じていた。
第二話おわり
参考文献
『実録・闇サイト事件簿』渋井哲也 幻冬舎新書
『暗号の数理 改訂新版作り方と解読の原理』一松信 講談社ブルーバックス
『図解ハンドウェポン(F‐Files No.003)』大波 篤司 新紀元社
『YouTubeで食べていく 「動画投稿」という生き方 』愛場大介 光文社新書
『YouTube 成功の実践法則53 』木村博史 ソーテック社
TED「斬首動画が何百万回も再生されてしまう理由」フランシス・ラーソン
(https://www.ted.com/talks/frances_larson_why_public_beheadings_get_millions_of_views?language=ja)