事件はもう解決した

文字数 2,735文字

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 横浜は開港の地として有名であり、外国人の居留地も置かれていた。関内と横浜港を結ぶ道路が開通し、外国人が馬車で行き来したことから、その道や周囲は馬車道と呼ばれている。イベントなどで実際に馬車が走ったりするし、街づくりの観点から景観が意識され、壁がレンガ調のビルや、西洋館風の建物が多くて趣がある。

 鶴乃井の事務所があるのも、歴史と伝統がありそうな建物の二階だった。絵に描いたような、横浜の探偵事務所という感じがする。

 細い階段を上がり、上部が磨りガラスになっているドアをノックすると、「どうぞ」と声が返ってきた。森巣と視線を交わし、中に入る。
「失礼します」

 探偵事務所というものは簡素なものを想像していた。だけど、室内は木製の家具や観葉植物が目立ち、間接照明の効果もあって温かい印象を受ける。テーブルはオフィス用品のカタログに載っているようなものではなく、安らぎのあるスウェーデン家具のようだ。探偵事務所というよりも、海外のデザイン事務所のように思えた。

 部屋の奥にある、赤茶色の革製ソファに彼は座っていた。探偵というよりも、モデルが撮影を終え、一服しているような感じだ。
 彼は手元の紙から顔を上げ、こちらに視線を移す。

「待ってたよ。さっきは急に出て行ってすまなかったね。どうぞ、掛けて」

 促され、二人で、鶴乃井の向かいの席に腰掛ける。おしりが優しく包まれる、座り心地のよいソファだった。

「素敵なオフィスですね」と改めて周囲を眺める。
「私には助手がいないから、一人で持て余しているんだけどね。解決した誘拐事件の依頼人が、身代金の半分を謝礼代わりにくれたんだ。使い道がなかったからちょうどよかった」

 森巣は調子良く、すごいですね、と驚いた様子で相槌を打っているが、自慢しやがってと思っているのかもしれない。

「そうだ、君たちにも紅茶を入れよう。フォートナム・アンド・メイソンの、ダージリン、アールグレイ、セイロン、アッサム、色々あるがなにがいい?」

 森巣と顔を見合わせる。僕には、なにを言っているのか全然わからなかったから、君が決めてくれと、視線で訴える。「すいません、ダージリンで」

 鶴乃井が「気が合うね」と白い歯をのぞかせ、テーブルの上のティーコジーを外し、机の上に用意されていた、金縁で青い花で彩られたアンティークっぽいカップに紅茶を注いでくれた。

 緊張しながら口にすると、フルーティでこくのある深い味わいが広がり、香りが鼻を抜けていった。紙パックの紅茶くらいしか飲んでこなかったけど、高級なものだとわかる。

「それで、本題に移るけど、Mは今回の事件がどこまでわかったんだい? ギブアップするつもりって言っていたけど」
「ええ、実はあれからずっと行き詰まっちゃって、鶴乃井さんのご意見が聞きたいんです。というか、率直に言いますけど」

 森巣はそこで、逡巡するような間を置き、口を開いた。

「今まで、鶴乃井さんの活躍を見て、俺は引退しようと思っていたんです。俺には解けないものをたくさん推理しているし、人気もある。初めは俺もライバルが現れた、と思いましたけど、あなたには負けを認めます。ここに来たのは、少しでも役に立てればと思って、ウニボマーに関する俺の推理をお伝えしようと思ってきたんです」

 そう言って森巣が力なく笑うと、鶴乃井は虚をつかれたように、目を丸くした。喜びというよりも、なんだかショックを受けたみたいだ。

「そんな、もったいない。君ほどの才能があれば、もっと事件に挑めるだろう。私一人ではカバーしきれないし、考え直してもいいんじゃないか。すぐに決めなくても」
「そう言ってもらえるのは嬉しいですけど、鶴乃井さんがいれば大丈夫だと思うんですよ」

 鶴乃井は、少し残念そうに唸りながら、口に手をやった。

「鶴乃井さんは今回の事件、どこまでわかったんですか?」

 僕が尋ねると、鶴乃井は言いにくそうに僕と森巣の顔を見た。

「実は、この事件はもう解決したんだ」
「解決したんですか!?

 森巣が大げさに驚くと、鶴乃井は少し嬉しそうに微笑んだ。

「一時間前、黄金町の名画座が答えだとメールを送り、五分後に正解だと返信も届いたんだ」
「そうだったんですか!? このことを警察には」
「まだ言っていない。ここだけの話、夜の九時に名画座でもう一度会おうと誘われている」
「まさか、行く気じゃないですよね?」

 反射的に眉をひそめる僕を見て、鶴乃井はやれやれと首を横に振った。

「平くんにはわからないかもしれないが、Mならわかってくれるんじゃないか? 勝負をしかけてきた犯人が、謎を解いた探偵に一人で来て欲しいと言っている。探偵だったら行かなければならない」
「鶴乃井さんが会いたいから、ではなくてですか?」
「そうだね。それもある。爆弾の一つは公表していた場所にあったし、爆発によって死傷者が出ていない。顔を晒し、堂々と私にゲームをしかけてきた。私は、この事件を起こしたのがどんな人物なのか、ゆっくり話をしてみたいのかもしれない」
「挑戦を受けた名探偵が、犯人と対峙する。まあ、憧れてしまうシチュエーションですよね」

 森巣が、同意を示すように言うと、鶴乃井は嬉しそうに微笑んだ。

「そういえば、どうしてあの名画座にウニボマーが現れると推理したんですか?」
 質問をぶつけてみると、鶴乃井は「どこから話そうか」と興が乗った様子で、右手の人差し指を立てて話し始めた。

「もう一つの爆弾はどこか? あの動画を見ればわかるが、彼はもう一つの爆弾を手に持って説明していた。つまり、彼が持ち歩いているというのが答えだ。自分が予定時刻の九時にどこにいるか? というのが真の問題になる。彼の発言からは、映画ファンであることがわかった。だから、『鳥』のリバイバル上映をするあの名画座の中央に現れると推理した。他にも可能性はあると思ったが、ウニボマーは自分について言及していたから、より内面に関するものを選んだんだ。そして結果は、正解だった」

「なるほど」と相槌を打つ。やり取りを重ねるごとに、森巣が言った通りだぞ、と思い始める。
「そういえば、犯人のジェスチャーもヒントだと思うんですけど、あれはなんなんですかね」
「ジェスチャー?」

 森巣はポケットからスマートフォンを取り出し、身を乗り出して鶴乃井に向けた。鶴乃井が眉間に皺を寄せ、再生される動画を覗き込む。僕も自分のスマートフォンをポケットから取り出した。

 そっと「名画座に爆弾」と小此木さんにメッセージを飛ばす。
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登場人物紹介

平羊介 音楽が趣味の平凡な高校生。だったはずが、同級生の森巣と出会い、平和な日常が終わる。勇気を試され、決断を迫られ、町で起こる事件に巻き込まれて行く。

森巣良 イケメンで優しい、クラスの中心にいる生徒。だけど彼には裏の顔があり……その正体は腹黒毒舌名探偵だった。正義の味方ではないが、自分の町で起こる事件に、森巣なりの美学を持って解決しようとする。

小此木霞 平と森巣の高校の先輩。森巣とは幼馴染で、彼が心を許している数少ない存在。森巣の裏の顔や、彼が何をしているのか知っている。知識が豊富でパズルが得意なので、たまに森巣に協力をする。事件に挑む二人のよき理解者。

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