脱法ハーブか、ノンアルコール梅酒

文字数 3,640文字

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 半年前、脱法ハーブを吸引した男が車の運手をし、買い物帰りの親子を跳ね飛ばした事件があった。母親は重傷を負ったが、小学二年生の男の子は即死だったという。

 通報を受けてかけつけた警察官に男は逮捕されたが、自分が何をしたのか、運転していたことさえも覚えていないと言った。男は、運転前に脱法ハーブを吸っており、脱法ハーブを吸ったが違法なものだと知らなかったと供述している。

 おれは「被害者が子供」というニュースを見ると、胸が張り裂けそうになる。その悲しみは、次第に「許さない」という沸々とした怒りに変わった。

 運転に支障は出ないと思っていた、と言う原告に対し、「過去に使用したことがあるから、効用はわかっていたはずだ」と有罪判決を下した判例もある。この男も、裁判にかけられて有罪になるだろう。

 だが、それでも腹の虫が収まらない。

 脱法ハーブを吸引した男が悪いのか。脱法ハーブを売っていた連中が悪いのか。
 許せない、という気持ちを原動力に、おれは脱法ハーブについて調べ始めた。

 詳しく知る前は、危ないものならば、覚醒剤や大麻のように取り締まりをすればいいじゃないかと思ったけど、どうやらそう上手くはいかないらしい。

 厚生労働省が、乾燥したハーブに吹き付ける化学物質を禁止指定薬物にすることで規制をしても、脱法ハーブは化学式を少し変えた新商品を作ることで網をかいくぐってきた。そしてまた、新しく作られた脱法ハーブが事件を起こし、成分を調べて禁止指定薬物にしても、化学式をいじった新たな脱法ハーブが作られる、といういたちごっこが繰り返されている。

 これでは埒があかないからか、二〇一三年三月に、脱法ハーブの「包括指定」の規制方式が取られることになった。使用されている化学物質が、薬物規制法で指定されているものと、実質的に同等であるとき、この化学物質も規制することができる、というものだ。これにより、指定薬物は従来の七九物質から八五一物質にまで拡大した。

 包括指定による国内の取り締まりは強化され、脱法ハーブの市民権はどんどんなくなってきている。

「なのに、事件は起きてる。本当にガッカリだよね」
「規制があるのに、使用者が出るっていうのは、普通の麻薬と肩を並べたってだけの話じゃないのか?」
「まあね。でも、普通の麻薬よりも、安価で粗悪だからタチが悪い。それに、この前までドラッグとして認識されてなかったから、まだ危機感がないのかも。その辺りが問題なんだろなぁ、と思って前に記事にしたけど」

 ちらりと窺うと、「読んでない」と即答された。そうだろうと思っていた。

「おれは次に、脱法ハーブがどうやって売られているのか、流通について調べた。まず、ブローカーが中国と日本の製造元の間に入ってやり取りをして、中国からハーブに塗る化学物質を仕入れるんだ。次に、製造元が製品を卸して、卸しが小売に回すという感じだね」
「滑川はどこに関わってるんだ?」
「ブローカーだった。中国のメーカーに、日本で禁止されている指定薬物の状況や規則を伝えて、日本の法に触れない構造の化学薬物を発注したり、国内で次にどんな化学物質を使って商品化するかを決めてる。脱法ハーブ製造のブレインだよ」

 都市によってブローカーはいるようだが、滑川は特別だと感じた。薬学部を出ているらしく、知識とノウハウがなければ、マネはできない領域だ。

「脱法ハーブは、堂々と店で売られていたけど、規制が多くて店舗販売が難しくなってきている。だから最近、独自の検査機関を作って、安全な脱法ハーブを謳った新商品を作ったみたいだよ。脱法ハーブが全部禁止になって、せっかく作った流通網が駄目になるのを避けたいのかもね」

「安全な脱法ハーブか。ノンアルコール梅酒、みたいな感じだな」

 ちょっと考えてから、違うと思うよと突っ込もうとしたが、先に「冗談だ」と言われた。兄貴は冗談が似合わない。

「しかし、どうやって調べたんだ。お前が繁華街で聞き込みをしたとも思えないんだが」
「まさか、そんなことしないよ。全部この部屋から調べたんだ。SNSでハーブを使ってるやつらを見つけて、仲良くなって、色々と教えてもらうんだよ。人はある程度仲良くなると、もっと仲良くなるために、ここだけの話って秘密を教えたがるからね。おれはこういう時のために、日頃から十人分のアカウントを更新してるんだ。講義めんどいーとか、趣味はカフェ巡りとか、休日は打ちっぱなしとか、若い力で政治を変えよう、とかね。いそうだろ?」
「お前はネットだと行動的だし、社交的なんだな」

 ネットだからだろ、と言ってもわかってもらえないだろう。
 ぽーんとノートパソコンから軽快な音がした。ダイレクトメッセージが届いたようだ。

 SNSのダイレクトメッセージという機能は、メールのようにやりとりができ、他の人に見られることがないから返信をしやすかったのだろう。今まさに、おれのネットでの社交性が役立とうとしている。

『メッセージみました。絶対に誰にも言わないでくれるんですよね?』

 兄貴、と呼んでノートパソコンを見せる。

「SNSに投稿をしたコンビニ店員から、ダイレクトメッセージが届いた」
「知り合いだったのか?」
「いや、おれが運営してるまとめサイトのアカウントをフォローしてくれてたから、サイトに載せないし誰にも言わないので情報をくれませんか? 謝礼ははずむのでってダイレクトメッセージを送ったんだよ」

 ダイレクトメッセージは、アカウント同士が相互に繋がっていないと送れない。おれのサイト宣伝用のアカウントにはフォロワーが十万人おり、こういうときの為に全員フォローを返すようにしている。

 ノートパソコンに向き直り、早速返信を打つ。

『はい。教えて頂いた情報は、当方のサイトや他者には絶対に口外いたしません。私の個人的興味のために、ご教授いただけますと幸いです。また、謝礼もお約束いたします。一情報につき、一万円で質問に答えて頂きたいのですが、いかがでしょうか?』

 すぐに、『わかりました。でもちゃんとお金は払ってくれるんですか?』と返ってきた。

『はい。万が一にも、支払いがなければ、このやりとりをスクリーンショットで撮り、私が謝礼を支払わなかったと公開していただいて構いません』
『わかりました。いいっすよ』

 もしそんなことが起これば、猛烈なバッシングが起こり、サイトの人気は落ちてしまう。このやり取りを公開すれば、自分が情報を売ろうとしていたこともバレるのだが、そこまで彼は頭が回らなかったようだ。謝礼はちゃんと払うつもりだし、問題はないだろう。

「運転していたのは、本当に女なのか確認してくれ」と兄貴に言われ、代わりにタイプする。

『運転席にいた女性についてですが、彼女が運転をしていたのでしょうか? 男は助手席から出てきたとのことですが、車内で入れ替わったということは考えられますか?』
『いや、ないと思いますよ。店に車が突っ込んできて、すぐに男は車から出てきたんで』
『ありがとうございます。次の質問ですが、女性の様子はどうでしたか?』
『あー、あれはキメてる感じでしたよ。呂律が回ってなくて千鳥足だったし。あっ、来た警察官に、脱法ハーブって何度も言ってましたよ!』

 やはり、竹宮祥子が脱法ハーブを使用していたようだ。この裏付けは非常に助かる。

『あとは他に、何か気づいたことはありませんか? なんでも構いませんので』
『なんでもって、なんだろ。車が来たあと、店長が事務所でこっそり泣いてたとか?』

 それはいらない情報だが、『そういうので構いません』と返信を打つ。

『店の外で、道路挟んだ反対側に、若い女がずっと立ってて、暑い中大変だなぁと思いましたね。もしかして、俺にだけ見えた幽霊かもと思ったんすけど、そんなわけないっすよね』

 そんなわけないだろ、と思いながら、これもまたいらない情報だったなぁと眉根に皺が寄る。『他にはありますか?』

『今月末に店が閉店する予定だったんすけど、雑貨とかは在庫抱えたくないから、もう仕入れないんすよ。店の中、結構寂しくなっちゃってましたね』

 兄貴に、何か何か訊ねる? と目配せすると、首を横に振られた。おれも、彼から聞きだせる情報はもうなさそうだな、と感じ『ありがとうございました』とメッセージを送る。

『では、後ほど銀行講座に五万円プラスお礼の一万円を振り込ませていただきます。もし、なにか思い出したことがありましたら教えてください』
『え、いいんすか?ありがとうございます。当分営業できないと思うし、店長とパートの人誘って焼肉行きたいと思います!』

 その情報もいらないなぁと思いながら、ネットのウィンドウを閉じた。
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登場人物紹介

平羊介 音楽が趣味の平凡な高校生。だったはずが、同級生の森巣と出会い、平和な日常が終わる。勇気を試され、決断を迫られ、町で起こる事件に巻き込まれて行く。

森巣良 イケメンで優しい、クラスの中心にいる生徒。だけど彼には裏の顔があり……その正体は腹黒毒舌名探偵だった。正義の味方ではないが、自分の町で起こる事件に、森巣なりの美学を持って解決しようとする。

小此木霞 平と森巣の高校の先輩。森巣とは幼馴染で、彼が心を許している数少ない存在。森巣の裏の顔や、彼が何をしているのか知っている。知識が豊富でパズルが得意なので、たまに森巣に協力をする。事件に挑む二人のよき理解者。

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