紫のもや?

文字数 4,421文字

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 放課後になり、森巣を迎え行くと、六組の教室からは廊下にまで賑やかな声が溢れ出ていた。

 そっと中の様子を確認すると、案の定人の輪の中心には森巣がいる。彼が帰ろうとしないから、クラスメイトたちも帰らないのだろう。その内の一人が、スマートフォンを出して、みんなで見ていた。六組でも強盗ヤギの話が持ちきりのようだ。

 森巣は笑顔を崩してはいないが、手持ち無沙汰そうにしている。ぼーっと外から見ている僕に気がつくと、ほんの一瞬だったけど、表情が険しくなったように見えた。

「あっごめん、俺用事を思い出した! 急ぐから、もう帰るな」

 えー、と口を尖らせるクラスメイトたちを残して、森巣は廊下に出てくる。教室で残された彼らの間に漂う、これからどうする? という淀んだ雰囲気が伝わってきた。

「平、一人で廊下に立っているのが好きなのかもしれないけど、来ていたなら早く呼んでくれればよかったのに」
「いや、小此木さんの言う通り、良ちゃんは外面がいいなぁと感心していたんだよ」

 森巣が、笑顔を浮かべ、何かを囁いた。

「ん?」耳を澄ますと、森巣がもう一度口を動かした。「コロス」と掠れた声を出している。目がギラギラとしており、視線を外して僕は歩くスピードを上げた。

 学校を出て駅に向かい、人通りが少なくなった頃、森巣はぱっと表情を変えた。

「ぼさっとしてないでさっさと教室に入って来いよ。いつまであんな奴らと脳みそ使わない話をさせるつもりだったんだ」
「だったらなんで、演技をしてるんだ。森巣は仲間外れにされるのが嫌なタイプじゃないだろ」
「言っただろ? 便利だからだ。どうせなら、自分でクラスをコントロールできた方が、都合がいい」
「感心しないやり方だと思うけどな」
「しかし、最近は強盗ヤギの話ばかりでうんざりするな」
「そう言えば、ちょっと気づいたんだけど、動詞が現在形のものと過去形のがあるだろ。この違いにも意味があるんじゃないかな?」
「そんなことを言ってる奴もいたな。単語の一文字目を抜き出したらそれも文章になっていたりしないか? とかな、文字を書き写してご苦労なことだ」
「アナグラムになってたりしないかな?」
「BBB JWTC REN RGAAだ。思いついたら教えてくれ」

 さすがに、ぱっとは思いつけそうにない。家に帰ったら、自分も表を作ってみることにしよう、と思いながら、頭の中でアルファベットを並べ、組み立てる。ルービックキューブが回転したときの、ガチャガチャとした音が聞こえてきそうだった。



 小此木さんから頼まれた、スカーレットという赤い油絵の具のお使いを済ませた後、例の店へ向かった。画材屋だえではなく、CDショップや本屋にも寄り道をしたものだから、夜の七時を回ってしまった。強盗ヤギが現れるのは大体夜だから、ちょうど良い時間になった気がする。

 降りた駅は、他の路線と乗り換えができるような栄えた場所ではなく、のんびりとした町だった。

 人通りの少ない駅前商店街を進みながら、ふと今更な問題に気付く。

「なあ森巣、男二人でアップルパイを食べに行くって、居心地が悪そうじゃないか?」
「気にしすぎだろ。別に洒落たケーキ屋じゃない」
「そうなのか。ちなみに、どんな店なんだ?」
「早期退職をして、退職金を多めにもらったオーナーが、奥さんと二人で喫茶店をやろうと思って始めたこじんまりとした店だ」
「詳しいな。それも調べたのか?」
「いや、お喋りなオーナーなんだよ」
「ふうん。でも、それで人気の店になるなんてすごいじゃないか」
「いや、人気はない」
「へ?」
「さっきから、商店街を進めども進めども、店は見えてこないだろ。立地が悪いんだ」
「確かに結構歩くなぁとは思ったけど」
「喫茶店経営が、隠居生活の楽しみだけで出来ると思うか? そんな甘い気持ちで出来るなら、世界は喫茶店で溢れるだろうな」

 本当に、強盗ヤギはそんな店を襲うのだろうか? さすがにあまり金がなさそうなところは襲われないのではないか。なんてことを思いながらも、店に向かっているうちに、緊張感が胃の辺りを締め付けてきた。強盗ヤギがらみの事件で怪我人は出ていないし、銃が発砲されたこともない。だけど、だから安心ということにはならない。

 二人の間に口数も減り、店の数も減り、もう商店街は終わったかな? と思った頃、それらしい喫茶店が一件見えた。

 森巣が扉を開けて中に入ったので、それに続く。カラン、と入店を知らせるカウベルが鳴った。

 中は木目調の目立つ、落ち着いた喫茶店だった。濃い茶色をした木製の椅子とテーブルが並んでいる。最大で十人くらいの客が入る、小さな店だ。

 客のいない寂れた店なんだろうなぁ思ったけど、意外にも店内には先客がいた。
 店内の右側にテーブルが三つ並び、右奥の席では髪を明るい茶色に染めた女子大生風の客が、スマートフォンをいじっている。左側のテーブル席では、そこでは眼鏡をかけた男性が文庫本を開きながらアイスコーヒーを飲んでいた。

 左奥にはカウンターと厨房が見え、そこに立っていたオーナーと思しき人が、僕らを見て嬉しそうに眉を上げた。恰幅がよく、黒いエプロンがなんだか苦しそうだ。

「いらっしゃいませ。あぁ、久しぶりですね」
「お久しぶりですー、なんだかたまーにむしょーに、ここのアップルパイが食べたくなるんすよねぇ」
「本当に? 嬉しいなぁ。でも、たまにじゃなくてもいいですよ」
「じゃあ、ときどき」
「それも寂しいなぁ」

 オーナーが苦笑し、森巣も愛想よく笑い返す。森巣は、クラスとはまた違う好青年になりきっている。器用なやつだなとマジマジ見ていたら、脇腹を肘で小突かれた。

「今日はお友達も連れてきてくれたみたいで」
「ええ、青リンゴのアップルパイの話をしたら、どうしても行きたいって言うんすよ」
「嬉しいなあ。口コミで広まるのはありがたいね」

 なんだか優しそうなオーナーだ。早期退職を促され、それを承諾してしまうあたりにも、人の良さを感じてしまった。

 右側中央の席に着き、メニューが来るのを待つ。
 オーナーは女性客に、アップルパイとホットコーヒーを運び、それから僕らのテーブルにも、お水の入ったコップを二つお盆に乗せて運んできた。

「では、ご注文が決まりましたら、お声を掛けてください」
「じゃあ、アップルパイ二つと、冷たいミルクを二つ」
「いつものだね」

 にこやかにオーダーを受け、厨房に戻るオーナーを見送ってから、森巣に小声で、「まだメニューも見ていなかったのに」と文句を言う。

「僕はアイスコーヒーを飲みたかったんだけどなぁ」
「じゃあ、感謝してくれ。いや、平が喫茶店なのに、よもやここまで、と思うものを飲みたかったんなら、別だけどな」
「……ありがとう。心から感謝するよ」

 アップルパイとミルクが届くのを待っている間、手持ち無沙汰になり、僕は最近考えていたことを森巣に切り出してみることにした。

「なんだか最近、空気が悪いって感じないか?」
「PM2.5とかそういうことを言ってるのか?」
「いや、そういうのじゃなくて、雰囲気というか、町の中に紫色のもやが蔓延しているような、そんな不気味さを覚えるんだ」
「紫色のもや?」
「ああ、変な例えだと思うけど、たまに常に不気味なものに囲まれてるような気持ちになるんだよ」
「なるほど。もやというのは、悪くない捉え方だな。お前が感じている、そのもやの正体は、人の心だと思うぞ」
「人の心?」
「今まで隣にいた人が突然事件を起こす、お前はそれが怖いんだろ」

 確かに、強盗ヤギは顔が見えないし、声も聞こえないから一体何者なのかわからない。

「でも、僕が言いたいことと少しズレてる気がするんだけど」と言ったところで、オーナーがミルクとアップルパイを運んで来た。

 ありがとうございます、と礼を言い、食べる準備をする。

「話は中断だ。食べてみろ」

 パンの中がオレンジ色の夕張メロンパンもあるし、青リンゴのアップルパイも中が黄緑がかっていたりするのではないか? と少し期待していたけど、そういうわけではなさそうだ。格子状のパイに蓋をされ、中には飴色をした青リンゴが覗いていた。

「じゃあ、いただきます」

 フォークを伸ばし、アップルパイを少し崩して口に運ぶ。
 目を剥き、もう一口、とフォークを伸ばした。

 青リンゴとシナモンの香りが口の中いっぱいに広がり、舌の上をリンゴが滑る。爽やかな香りがして、鼻を抜けるのが心地よい。青リンゴはくたくたすぎず、食感が楽しい。パイ生地の優しいバター風味が、味をまとめている。

 口の中で音楽が鳴るような美味しさだった。

「アップルパイだけは美味いんだ。奇跡だろ」

 森巣もそう言いながら、フォークで刺したリンゴを口に運んでいる。

「こんなに美味しいのに、流行ってないのか」
「外食産業はどこも苦しいしな。ここは立地も悪いし、ターゲットも見えてこない。経営難でも不思議じゃない」

 そうかもしれないけど、この味がなくなってしまうのは勿体ない気がしてならない。
 もう一口、とアップルパイを口に運びながら、何かこの店を救うような起死回生のアイデアはないものだろうか、と考える。ネットのグルメサイトに書き込みでもすれば、応援になるだろうか。

「どうした? アップルパイに何か入っていたか?」
「いや、このお店を立て直す方法はないものかなぁと考えてたんだよ」
「そんなに気に入ったのかよ」
「それもあるけど、会社をやめて作った店が潰れてしまったら、なんというか悲しいじゃないか」
「見通しが甘いだけだ」

 そんな状況のこの店に、強盗ヤギは本当に来るのだろうか。アップルパイに舌鼓を打ち、放課後の優雅なひと時を過ごしてしまっている。

 ブレザーのポケットで、スマートフォンが震えた。どうせ、何かのDMだろうという気もしたけど、気になって開いてみる。

『強盗ヤギが来るとしたら、もうそろそろだろう』

 心臓がバクんと跳ね上がる。
 森巣からのメッセージだ。顔を上げて本人を見ると、黙ってスマートフォンを操作しいていた。

 店で話せる内容じゃないから、メッセージを飛ばしてきたのだろう。スマートフォンが手の中で震え、新たなメッセージが届いた。

『もし来たら、俺は注目を集める。お前はそのとき、俺を見ないで周りの人間を観察していてくれ。絶対にだ』

 動悸が激しくなり、口の中が乾いていく。慌てて、スマートフォンを操作し、『何をするつもりなんだ?』と文章を作成する。
 が、メッセージを送信するよりも先に、カウベルが鳴った。
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登場人物紹介

平羊介 音楽が趣味の平凡な高校生。だったはずが、同級生の森巣と出会い、平和な日常が終わる。勇気を試され、決断を迫られ、町で起こる事件に巻き込まれて行く。

森巣良 イケメンで優しい、クラスの中心にいる生徒。だけど彼には裏の顔があり……その正体は腹黒毒舌名探偵だった。正義の味方ではないが、自分の町で起こる事件に、森巣なりの美学を持って解決しようとする。

小此木霞 平と森巣の高校の先輩。森巣とは幼馴染で、彼が心を許している数少ない存在。森巣の裏の顔や、彼が何をしているのか知っている。知識が豊富でパズルが得意なので、たまに森巣に協力をする。事件に挑む二人のよき理解者。

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