クビキリって知ってますか?
文字数 3,541文字
1
「なんで呼ばれたか、わかるよな?」
放課後、担任から職員室に呼び出された。僕は無遅刻無欠席だし、去年から成績も落としていないし、宿題もちゃんと出している。自分で言うのもなんだけど、良い意味でも悪い意味でも目立たない、手の掛からない生徒だと思う。
だけど、今回は身に覚えがあった。
「進路調査票の件、ですよね」
担任の柳井 が、少しほっとしたのがわかる。僕に自覚があるだけ、ましだと思ったのだろう。まだ若くて教師歴も浅そうだし、問題を起こされるのは勘弁と思われていそうだ。
案の定、柳井から机の上の紙を差し出される。正解だった。
二週間前、進路調査票が配られた。進学校だからか、この学校は頻繁に進路を聞いてくる。ただ勉強するのではなく、常に目的意識を持って取り組ませるのが目的らしい。
僕は、志望する大学、学部、職業、その全てになにも書かなかった。いや、書いたけど消して提出した。
「書き忘れって感じじゃないようだけど」
消しゴムをかけても、シャーペンで書いた痕は残ってしまう。そこまで確認したのか、と驚いた。
「すいません、悩んでる最中なんです」
「だけど、白紙で出すのはどうかと思うぞ」
「それは、そうですね。すいませんでした」
「平 はミュージシャンになりたいのか?」
額にぶわっと嫌な汗が浮かんだ。その文字は消したのだから、読まないでほしい。
前回の四月にあった調査では、国立大学の経営学部に行き、広告代理店で働きたいと適当に書いた。二ヶ月に一回も進路調査をするのは、脱線しないように管理するという狙いもあるのだろう。今回もそのまま書くことが望まれていたに違いない。
柳井は渋い顔をしていたが、周囲をきょろきょろと見てから、口を開いた。
「おれは、平がなりたい仕事に就くのが一番いいと思うぞ」
「え?」
「今はまだわからないかもしれないけど、自分がやりたい仕事に就けないって、結構キツイことだ。でも時間は戻せないし、挑戦しなかったことを後悔してる友達がいるんだよ。ただ、ミュージシャンを目指すにしても、大学には行った方がいいと思う。やっぱりミュージシャンはやめようと思ったときに、大学に行っておけば可能性は広がるからな」
てっきり、馬鹿な考えを捨てて学業に集中しろ、と言われるのだとばかり思っていた。意表を突かれ、「そうですね。そう思います」としどろもどろな返事をする。
「でも平、突然どうしたんだ? 何かあったのか?」
そう、何かあったのだ。
思いがけない言葉をかけられたからか、僕はつい口を開いてしまった。
「クビキリって知ってますか?」
物騒な単語が出てきたからか、柳井が怪訝な顔をする。目を瞬かせ、何か言いかけたそのとき、「柳井先生ー、ちょっといいですかー」と離れたところから声が飛んできた。
柳井は返事をし、僕に「ちょっと待っててくれ」と告げて席を立った。
一人残されて段々冷静になっていき、僕は何を言おうとしていたのか、とはっとする。
柳井は応援してくれるみたいだったけど、本気でミュージシャンになりたいわけではない。何か、今までと全然違うものにしたくて、ちょっと書いてみただけだ。
今日はこれから予備校があるから、早く終わりにしてもらわなければならない。
「呼び出しておいて、どっか行くのはないよなー。相談に乗る気があるのかないのか」
誰かの囁くようなが聞こえ、視線を泳がせる。無造作に置かれたプリント、積まれているダンボール、あくびをしている教員、そして後ろに立っている二枚目の男子生徒と目が合い、はっとした。
彼の白と黒が印象的だった。傷やにきび跡の一つもない白い肌、そして対照的な濡れ羽色をした艶のある髪。優しそうに目を細め、爽やかな笑みを浮かべている。
「学年主任から、会議で進路調査を徹底しろって話が出たらしいよ。それで、呼び出しが始まってるんだってさ」
「へえ、そうなんだ」と返事をしながら、彼を観察する。クラスの問題児には見えないけど、何故呼び出されているのだろう。僕の視線を感じたのか、彼は苦笑しながら頭を掻いた。
「進路調査、なんて書くか決めかねてさ、白紙のまま出したんだよ。書き忘れましたって時間を稼ごうと思ったんだけど、まさか呼び出されるとは」
「僕も同じだ」
「本当に!? 奇遇だね」
自然と頬が緩んだ。
「ああ、バカをやるもんじゃないね。素直に前と同じのを書けばよかった」
「でも、ちょっと回数が多すぎるよなー。わたしのこと好き? どこが好き? 嫌いになってないよね? なんてしつこく聞かれても、冷めるだけなのに」
そう言われると、確かにそんな気もする。彼女がいたことはないけど。
可笑しかったので笑っていると、「名前は?」と訊ねられた。
「平羊介 。君は?」
「森巣良 。六組だよ」
ブレザーに着いてる襟章の色が同じだから、彼も二年生だろう。
挨拶を交わすと、森巣は遠慮がちに、小声で「ところでさ」と訊ねてきた。
「さっき言ってたクビキリってなに? 柳井先生クビになっちゃうの?」
「違う違う。そういう意味のやつじゃないよ」
森巣が不思議そうに首をかしげた。クビキリを知らないのか、と少し驚いたけど、彼はクラスの中心にいるような生徒に見えるし、暗い話題とは縁がなかったのかもしれない。
「最近、動物の首と胴体が切り離された死骸が、町で見つかってるんだよ」
「何それ!? あっ、でもなんか聞いたことがある気がする」
「その死骸がクビキリって呼ばれてるんだ」
顔をしかめている森巣を見ていたら、あのことも言ったらどう反応するだろうか、興が乗った。
「実は、その犯人を見たんだ」
「マジで!?」
彼は目を剥き、驚きで口を大きく開けた。人に言うのは初めてだったけど、嬉しい反応だった。なんとなく、自分の価値が上がったような気分になる。
森巣は、急に真面目な顔つきに変わり、腕を組んだ。
「平、この後」と森巣が言いかけたところで、「お待たせお待たせ」と柳井が戻ってきた。僕と森巣が喋っていたことに気づいていないようで、「それで、なんだっけ」と言いながら椅子に座る。
森巣に視線を移すと、苦笑しながら右手を振り、職員室の出口へと向かって行った。まだ話していたかったから、少し残念だ。
「ええっと、話の途中だったよな。クビキリって、あの動物のやつのことか?」
「はい。でも、なんでもありません」
そう答えたが、柳井はじっと僕を見て、話すよう促してくる。仕方がないので、適当に誤魔化すことにした。
「この前、近所の公園でクビキリを見つけたんです。それを見てから、なんて言うか、当たり前のことなんですけど、生きていると死んでしまうんだな、と思って。理不尽に終わりがくることもあるし、漫然と生きないで、真剣に考えたいなと悩み始めてしまいまして」
口にしてみると、なんだかもっともらしい言い分になった気がする。
柳井は面食らった様子で話を聞き、しばらく僕をまじまじと見ていたが、「そうか」と小さく何度も頷いた。
「そんなことがあったのか。それは、ショックだったろうな。わかった。来週まで待つから、よく考えて再提出してくれ。相談をしたかったら、いつでも時間を作るから言いなさい」
「ありがとうございます」
「今度は、ちゃんと書いてくるんだぞ」
早く終わってよかったとほっとしながら、柳井に返事をし、職員室を後にする。
廊下には六、七人生徒がたむろしていた。スポーツが得意そうな背の高い男子や、髪にゆるいパーマのかかった女子たちを横目に、彼らの脇を通り過ぎる。
「平ー」
ビックリしながら視線を移すと、集団の中心で森巣が手を振っていた。
やはり彼は人気者なのだなぁ、とぼんやり思いながら小さく手を振り返す。
「ごめんみんな、俺このあと用事あるから」
思いもよらぬ行動だった。森巣は周りにいる生徒たちにそう言うと、一人で抜け出して僕に近づいてきた。女子たちが名残惜しそうな顔をしている。男子たちからはお前誰? という視線を向けられ、僕は目をそらした。
森巣が僕に視線を向けながら歩き出し、僕も慌てて隣を歩き始める。何が起こったかわからず動揺していると、森巣が「ごめんね」と話し始めた。
「平ってこれから時間ある?」
「この後?」この後は夜まで予備校がある。だけどつい、「何もないよ」と返事をしていた。
「詳しく話を聞かせてもらえないかな?」
「なんで呼ばれたか、わかるよな?」
放課後、担任から職員室に呼び出された。僕は無遅刻無欠席だし、去年から成績も落としていないし、宿題もちゃんと出している。自分で言うのもなんだけど、良い意味でも悪い意味でも目立たない、手の掛からない生徒だと思う。
だけど、今回は身に覚えがあった。
「進路調査票の件、ですよね」
担任の
案の定、柳井から机の上の紙を差し出される。正解だった。
二週間前、進路調査票が配られた。進学校だからか、この学校は頻繁に進路を聞いてくる。ただ勉強するのではなく、常に目的意識を持って取り組ませるのが目的らしい。
僕は、志望する大学、学部、職業、その全てになにも書かなかった。いや、書いたけど消して提出した。
「書き忘れって感じじゃないようだけど」
消しゴムをかけても、シャーペンで書いた痕は残ってしまう。そこまで確認したのか、と驚いた。
「すいません、悩んでる最中なんです」
「だけど、白紙で出すのはどうかと思うぞ」
「それは、そうですね。すいませんでした」
「
額にぶわっと嫌な汗が浮かんだ。その文字は消したのだから、読まないでほしい。
前回の四月にあった調査では、国立大学の経営学部に行き、広告代理店で働きたいと適当に書いた。二ヶ月に一回も進路調査をするのは、脱線しないように管理するという狙いもあるのだろう。今回もそのまま書くことが望まれていたに違いない。
柳井は渋い顔をしていたが、周囲をきょろきょろと見てから、口を開いた。
「おれは、平がなりたい仕事に就くのが一番いいと思うぞ」
「え?」
「今はまだわからないかもしれないけど、自分がやりたい仕事に就けないって、結構キツイことだ。でも時間は戻せないし、挑戦しなかったことを後悔してる友達がいるんだよ。ただ、ミュージシャンを目指すにしても、大学には行った方がいいと思う。やっぱりミュージシャンはやめようと思ったときに、大学に行っておけば可能性は広がるからな」
てっきり、馬鹿な考えを捨てて学業に集中しろ、と言われるのだとばかり思っていた。意表を突かれ、「そうですね。そう思います」としどろもどろな返事をする。
「でも平、突然どうしたんだ? 何かあったのか?」
そう、何かあったのだ。
思いがけない言葉をかけられたからか、僕はつい口を開いてしまった。
「クビキリって知ってますか?」
物騒な単語が出てきたからか、柳井が怪訝な顔をする。目を瞬かせ、何か言いかけたそのとき、「柳井先生ー、ちょっといいですかー」と離れたところから声が飛んできた。
柳井は返事をし、僕に「ちょっと待っててくれ」と告げて席を立った。
一人残されて段々冷静になっていき、僕は何を言おうとしていたのか、とはっとする。
柳井は応援してくれるみたいだったけど、本気でミュージシャンになりたいわけではない。何か、今までと全然違うものにしたくて、ちょっと書いてみただけだ。
今日はこれから予備校があるから、早く終わりにしてもらわなければならない。
「呼び出しておいて、どっか行くのはないよなー。相談に乗る気があるのかないのか」
誰かの囁くようなが聞こえ、視線を泳がせる。無造作に置かれたプリント、積まれているダンボール、あくびをしている教員、そして後ろに立っている二枚目の男子生徒と目が合い、はっとした。
彼の白と黒が印象的だった。傷やにきび跡の一つもない白い肌、そして対照的な濡れ羽色をした艶のある髪。優しそうに目を細め、爽やかな笑みを浮かべている。
「学年主任から、会議で進路調査を徹底しろって話が出たらしいよ。それで、呼び出しが始まってるんだってさ」
「へえ、そうなんだ」と返事をしながら、彼を観察する。クラスの問題児には見えないけど、何故呼び出されているのだろう。僕の視線を感じたのか、彼は苦笑しながら頭を掻いた。
「進路調査、なんて書くか決めかねてさ、白紙のまま出したんだよ。書き忘れましたって時間を稼ごうと思ったんだけど、まさか呼び出されるとは」
「僕も同じだ」
「本当に!? 奇遇だね」
自然と頬が緩んだ。
「ああ、バカをやるもんじゃないね。素直に前と同じのを書けばよかった」
「でも、ちょっと回数が多すぎるよなー。わたしのこと好き? どこが好き? 嫌いになってないよね? なんてしつこく聞かれても、冷めるだけなのに」
そう言われると、確かにそんな気もする。彼女がいたことはないけど。
可笑しかったので笑っていると、「名前は?」と訊ねられた。
「
「
ブレザーに着いてる襟章の色が同じだから、彼も二年生だろう。
挨拶を交わすと、森巣は遠慮がちに、小声で「ところでさ」と訊ねてきた。
「さっき言ってたクビキリってなに? 柳井先生クビになっちゃうの?」
「違う違う。そういう意味のやつじゃないよ」
森巣が不思議そうに首をかしげた。クビキリを知らないのか、と少し驚いたけど、彼はクラスの中心にいるような生徒に見えるし、暗い話題とは縁がなかったのかもしれない。
「最近、動物の首と胴体が切り離された死骸が、町で見つかってるんだよ」
「何それ!? あっ、でもなんか聞いたことがある気がする」
「その死骸がクビキリって呼ばれてるんだ」
顔をしかめている森巣を見ていたら、あのことも言ったらどう反応するだろうか、興が乗った。
「実は、その犯人を見たんだ」
「マジで!?」
彼は目を剥き、驚きで口を大きく開けた。人に言うのは初めてだったけど、嬉しい反応だった。なんとなく、自分の価値が上がったような気分になる。
森巣は、急に真面目な顔つきに変わり、腕を組んだ。
「平、この後」と森巣が言いかけたところで、「お待たせお待たせ」と柳井が戻ってきた。僕と森巣が喋っていたことに気づいていないようで、「それで、なんだっけ」と言いながら椅子に座る。
森巣に視線を移すと、苦笑しながら右手を振り、職員室の出口へと向かって行った。まだ話していたかったから、少し残念だ。
「ええっと、話の途中だったよな。クビキリって、あの動物のやつのことか?」
「はい。でも、なんでもありません」
そう答えたが、柳井はじっと僕を見て、話すよう促してくる。仕方がないので、適当に誤魔化すことにした。
「この前、近所の公園でクビキリを見つけたんです。それを見てから、なんて言うか、当たり前のことなんですけど、生きていると死んでしまうんだな、と思って。理不尽に終わりがくることもあるし、漫然と生きないで、真剣に考えたいなと悩み始めてしまいまして」
口にしてみると、なんだかもっともらしい言い分になった気がする。
柳井は面食らった様子で話を聞き、しばらく僕をまじまじと見ていたが、「そうか」と小さく何度も頷いた。
「そんなことがあったのか。それは、ショックだったろうな。わかった。来週まで待つから、よく考えて再提出してくれ。相談をしたかったら、いつでも時間を作るから言いなさい」
「ありがとうございます」
「今度は、ちゃんと書いてくるんだぞ」
早く終わってよかったとほっとしながら、柳井に返事をし、職員室を後にする。
廊下には六、七人生徒がたむろしていた。スポーツが得意そうな背の高い男子や、髪にゆるいパーマのかかった女子たちを横目に、彼らの脇を通り過ぎる。
「平ー」
ビックリしながら視線を移すと、集団の中心で森巣が手を振っていた。
やはり彼は人気者なのだなぁ、とぼんやり思いながら小さく手を振り返す。
「ごめんみんな、俺このあと用事あるから」
思いもよらぬ行動だった。森巣は周りにいる生徒たちにそう言うと、一人で抜け出して僕に近づいてきた。女子たちが名残惜しそうな顔をしている。男子たちからはお前誰? という視線を向けられ、僕は目をそらした。
森巣が僕に視線を向けながら歩き出し、僕も慌てて隣を歩き始める。何が起こったかわからず動揺していると、森巣が「ごめんね」と話し始めた。
「平ってこれから時間ある?」
「この後?」この後は夜まで予備校がある。だけどつい、「何もないよ」と返事をしていた。
「詳しく話を聞かせてもらえないかな?」