犯人に心当たりがあるんですけど
文字数 2,881文字
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『森巣くんは信じても大丈夫だよね?』
僕の心の声ではない。瀬川から、簡潔なメールが届いた。
去年、アドレス交換をしたはいいけど、メールをした記憶はない。初めて届いた瀬川からのメールには、顔文字や絵文字が一つもなく、深刻さを物語っているように感じる。
慌ててスマートフォンを操作し、森巣と何かあったのか訊ねてみたが、『急に変なメールを送ってごめんね。大丈夫』という短いメールが返って来たきり、連絡は取れなくなった。
頭の中が、疑問で埋め尽くされていく。
森巣は何故、クビキリについて知らないふりをしていたのだろうか。何故、第一発見者だと教えてくれなかったのだろうか。そして、瀬川から何故あんなメールが届いたのだろうか。
まさか、森巣は何か、クビキリに関係しているのだろうか。
畳み掛けるように不安に襲われ、胸騒ぎが止まらない。
いてもたってもいられず、『森巣はちょっと怪しい。僕がなんとかする』と瀬川にメールを送る。
一体、何が起こっているのか、不安に心をかき乱されながら、僕は再び犯人が消えた曲がり角へ戻った。
角を曲がると、そこは袋小路だ。左右には塀が立ち、奥にはコンクリートの壁がそびえ立っている。
森巣は何かに気づいたみたいだったが、何を見つけたのだろうか。それとも、それさえも嘘なのだろうか。
塀やコンクリートの壁は調べた。忍者屋敷のように、仕掛けがあって回るなんてことはない。瀬川の犬を連れていたら逃げられないかもしれないが、せめてどちらの家に逃げ込んだかは調べられないだろうか。
行き止まりの前でぐるぐると歩き回りながら、覚悟を決める。心臓がどんどん胸を打っているのがわかる。
ふっと息を吐き出し、周りを確認してから右の塀に手をかけ、奥を覗き込む。
剪定された木が並んでいた。小さな芝生の庭があり、何かのプランターも置かれている。縁側も見えた。カーテンは閉まっているし、それ以外に、何か特別なものは見えない。
降りて、今度は反対側の塀に向かう。冷や汗を拭い、塀に手をかける。
地面を蹴り、覗き込んだ。
が、すぐに体を戻し、塀に背を向けた。
見つかった! と舌を打つ。
背後から、ものすごい勢いで「ワンワンワンワンワンワン」と鳴き声がする。
塀の向こうに、小さな庭があるところまでは右の家と同じだった。が、縁側の引き戸の向こうに、退屈そうに伏せている大きな毛玉のような犬がいた。僕を見た途端に「仕事だ仕事だ!」と立ち上がり、吠え続けている。
もしや、と思って袋小路を出て表札を確認する。そこには、セールスお断り・猛犬注意というプレートがついていた。もしかしたら、森巣もこれを見つけていたのかもしれない。
左の塀を超えても、犬に吠えられて見つかってしまう。夕方は犬の散歩の時間だったりするのかもしれないが、イレギュラーもあるだろうしリスクが高い。
犯人は、右の家に逃げ込んだに違いない。だとすると、この右の家の住人が犯人の可能性もあるのではないだろうか。瀬川が探しに来ても、居留守を決めればその場ではバレないし、後日訪ねて来られても白を切ればよいだけだ。
瀬川の犬の鳴き声問題は解決されていないが、一度、動きの検証をしてみることにした。
瀬川から犬を奪うためには、まずリードを瀬川から離さなければならない。角を十メートルくらい離れ、瀬川が突き飛ばされたポイントまで移動する。
瀬川のつもりになって、地面に手をついてみながら、考える。
すぐに立ち上がれるだろうか? いや、しばらくは何が起こったかわからず、呆然としてしまうだろう。じっと曲がり角を見つめながら、人間は動揺するとどれくらいの間動けないのか、と考える。
犯人の後ろ姿を思い浮かべ、走らせてみる。蝶のマークが入ったパーカーが遠ざかる。我に帰るのは状況を把握してから、つまり犯人が視界から消えてから、はっとするのではないだろうか。
そろそろ立ち上がる頃かな、とじっと曲がり角を睨む。
「なにしてるんだ?」
突然背後から声をかけられ、心臓が口から飛び出るのではないかと思った。
振り返ると、目の前にキャラメル色の革靴と、皺の無いねずみ色のスラックスが見えた。視線を上げていくと、見覚えのある顔があり、訝しげに僕を見下ろしていた。
視線がぶつかったまま、なぜここに柳井がいるんだ? と固まる。
どのくらいの時間が経ったのかわからないが、はっとし、慌てて立ち上がり、「瀬川の気持ちを考えていて」と弁解する。柳井の眉間の皺が深くなった。
一度深呼吸をさせてください、と頼み、気持ちを落ち着かせる。
「実は昨日、六組の瀬川が、散歩中に犬を拐われたらしいんですよ」
「ああ、その話は知ってるよ」
「それが、ここらしくて」
「ここなのか!?」
柳井が何か目印でも探すみたいに、自分の立っている場所に視線を這わせる。
「犬を拐われた瀬川は、どのくらい呆気にとられたのか、ちょっと考えてたんです。実際自分が呆然とすると、体感は長く感じちゃってよくわからないですね」
「変な頑張り方だな」
憐憫の籠った視線を受けながら、「先生こそ、ここでなにしてるんですか?」と訊ねる。
「おれはこの辺に住んでるんだよ。犬の散歩をする瀬川にも会ったことがある」
「そうなんですか!?」
「実は、今も家庭訪問をしてきたんだ。お母さんも気落ちしていたなぁ。犬とは言え、家族がいなくなったんだから辛いよな。これから、これを掲示板とか電柱に貼って歩くんだそうだ」
柳井がポケットから折り畳んだ紙を取り出し、差し出してきた。受け取り、広げる。
ソファの上に座っている犬の写真が、紙の中央に大きくプリントされていた。あとは、マリンという名前と、いなくなった日時、瀬川家の連絡先、そして懸賞金を五十万円かけていると書かれている。
じっと紙を見つめながら、懸賞金は三十万円ではなかったか、と思い返す。あの後、やっぱり五十万にしようと話し合いがあったのかもしれない。不安だから金額を上げたのだとしたら、切りがないのではないかと心配になった。
「先生、そこの家の人に話を聞きたいんですけど、何かいい方法はないですかね?」
「この家? なんで?」
瀬川の犬が拐われた一連の流れを説明する。瀬川が犬の鳴き声を覚えていないのなら、やはりこの家の住人が関係している可能性が高い。まだ犬が生きているとしたら、中を覗ければ、鳴き声が聞こえるかもしれない。
だけど僕は、自分で説明をしながら、違和感を覚え始めていた。
自分が何かとんでもない思い込みをしている気がしている。
そして消えた犯人に関して、一つの推論が思い浮かんだ。
自分で思いついておきながら、ぞっとし、困惑した。
支えを求めるような気持ちで、柳井に相談をする。
「柳井先生、犯人に心当たりがあるんですけど、聞いてもらえませんか?」
『森巣くんは信じても大丈夫だよね?』
僕の心の声ではない。瀬川から、簡潔なメールが届いた。
去年、アドレス交換をしたはいいけど、メールをした記憶はない。初めて届いた瀬川からのメールには、顔文字や絵文字が一つもなく、深刻さを物語っているように感じる。
慌ててスマートフォンを操作し、森巣と何かあったのか訊ねてみたが、『急に変なメールを送ってごめんね。大丈夫』という短いメールが返って来たきり、連絡は取れなくなった。
頭の中が、疑問で埋め尽くされていく。
森巣は何故、クビキリについて知らないふりをしていたのだろうか。何故、第一発見者だと教えてくれなかったのだろうか。そして、瀬川から何故あんなメールが届いたのだろうか。
まさか、森巣は何か、クビキリに関係しているのだろうか。
畳み掛けるように不安に襲われ、胸騒ぎが止まらない。
いてもたってもいられず、『森巣はちょっと怪しい。僕がなんとかする』と瀬川にメールを送る。
一体、何が起こっているのか、不安に心をかき乱されながら、僕は再び犯人が消えた曲がり角へ戻った。
角を曲がると、そこは袋小路だ。左右には塀が立ち、奥にはコンクリートの壁がそびえ立っている。
森巣は何かに気づいたみたいだったが、何を見つけたのだろうか。それとも、それさえも嘘なのだろうか。
塀やコンクリートの壁は調べた。忍者屋敷のように、仕掛けがあって回るなんてことはない。瀬川の犬を連れていたら逃げられないかもしれないが、せめてどちらの家に逃げ込んだかは調べられないだろうか。
行き止まりの前でぐるぐると歩き回りながら、覚悟を決める。心臓がどんどん胸を打っているのがわかる。
ふっと息を吐き出し、周りを確認してから右の塀に手をかけ、奥を覗き込む。
剪定された木が並んでいた。小さな芝生の庭があり、何かのプランターも置かれている。縁側も見えた。カーテンは閉まっているし、それ以外に、何か特別なものは見えない。
降りて、今度は反対側の塀に向かう。冷や汗を拭い、塀に手をかける。
地面を蹴り、覗き込んだ。
が、すぐに体を戻し、塀に背を向けた。
見つかった! と舌を打つ。
背後から、ものすごい勢いで「ワンワンワンワンワンワン」と鳴き声がする。
塀の向こうに、小さな庭があるところまでは右の家と同じだった。が、縁側の引き戸の向こうに、退屈そうに伏せている大きな毛玉のような犬がいた。僕を見た途端に「仕事だ仕事だ!」と立ち上がり、吠え続けている。
もしや、と思って袋小路を出て表札を確認する。そこには、セールスお断り・猛犬注意というプレートがついていた。もしかしたら、森巣もこれを見つけていたのかもしれない。
左の塀を超えても、犬に吠えられて見つかってしまう。夕方は犬の散歩の時間だったりするのかもしれないが、イレギュラーもあるだろうしリスクが高い。
犯人は、右の家に逃げ込んだに違いない。だとすると、この右の家の住人が犯人の可能性もあるのではないだろうか。瀬川が探しに来ても、居留守を決めればその場ではバレないし、後日訪ねて来られても白を切ればよいだけだ。
瀬川の犬の鳴き声問題は解決されていないが、一度、動きの検証をしてみることにした。
瀬川から犬を奪うためには、まずリードを瀬川から離さなければならない。角を十メートルくらい離れ、瀬川が突き飛ばされたポイントまで移動する。
瀬川のつもりになって、地面に手をついてみながら、考える。
すぐに立ち上がれるだろうか? いや、しばらくは何が起こったかわからず、呆然としてしまうだろう。じっと曲がり角を見つめながら、人間は動揺するとどれくらいの間動けないのか、と考える。
犯人の後ろ姿を思い浮かべ、走らせてみる。蝶のマークが入ったパーカーが遠ざかる。我に帰るのは状況を把握してから、つまり犯人が視界から消えてから、はっとするのではないだろうか。
そろそろ立ち上がる頃かな、とじっと曲がり角を睨む。
「なにしてるんだ?」
突然背後から声をかけられ、心臓が口から飛び出るのではないかと思った。
振り返ると、目の前にキャラメル色の革靴と、皺の無いねずみ色のスラックスが見えた。視線を上げていくと、見覚えのある顔があり、訝しげに僕を見下ろしていた。
視線がぶつかったまま、なぜここに柳井がいるんだ? と固まる。
どのくらいの時間が経ったのかわからないが、はっとし、慌てて立ち上がり、「瀬川の気持ちを考えていて」と弁解する。柳井の眉間の皺が深くなった。
一度深呼吸をさせてください、と頼み、気持ちを落ち着かせる。
「実は昨日、六組の瀬川が、散歩中に犬を拐われたらしいんですよ」
「ああ、その話は知ってるよ」
「それが、ここらしくて」
「ここなのか!?」
柳井が何か目印でも探すみたいに、自分の立っている場所に視線を這わせる。
「犬を拐われた瀬川は、どのくらい呆気にとられたのか、ちょっと考えてたんです。実際自分が呆然とすると、体感は長く感じちゃってよくわからないですね」
「変な頑張り方だな」
憐憫の籠った視線を受けながら、「先生こそ、ここでなにしてるんですか?」と訊ねる。
「おれはこの辺に住んでるんだよ。犬の散歩をする瀬川にも会ったことがある」
「そうなんですか!?」
「実は、今も家庭訪問をしてきたんだ。お母さんも気落ちしていたなぁ。犬とは言え、家族がいなくなったんだから辛いよな。これから、これを掲示板とか電柱に貼って歩くんだそうだ」
柳井がポケットから折り畳んだ紙を取り出し、差し出してきた。受け取り、広げる。
ソファの上に座っている犬の写真が、紙の中央に大きくプリントされていた。あとは、マリンという名前と、いなくなった日時、瀬川家の連絡先、そして懸賞金を五十万円かけていると書かれている。
じっと紙を見つめながら、懸賞金は三十万円ではなかったか、と思い返す。あの後、やっぱり五十万にしようと話し合いがあったのかもしれない。不安だから金額を上げたのだとしたら、切りがないのではないかと心配になった。
「先生、そこの家の人に話を聞きたいんですけど、何かいい方法はないですかね?」
「この家? なんで?」
瀬川の犬が拐われた一連の流れを説明する。瀬川が犬の鳴き声を覚えていないのなら、やはりこの家の住人が関係している可能性が高い。まだ犬が生きているとしたら、中を覗ければ、鳴き声が聞こえるかもしれない。
だけど僕は、自分で説明をしながら、違和感を覚え始めていた。
自分が何かとんでもない思い込みをしている気がしている。
そして消えた犯人に関して、一つの推論が思い浮かんだ。
自分で思いついておきながら、ぞっとし、困惑した。
支えを求めるような気持ちで、柳井に相談をする。
「柳井先生、犯人に心当たりがあるんですけど、聞いてもらえませんか?」