第49話

文字数 4,317文字

 小さな背中は、ただまっすぐに遥かな高みにいるそれを視線を交わらせていた。
「み、美鈴?」
「みーちゃん?」
「ミレイ……?」
 尋ねると、一度俯いた美鈴は、すぐに顔を上げた。
「神さまなんて、いらない。どんな不条理も、理不尽も、わたしから大切な人たちを奪おうとするなら、全部わたしがやっつける」
 美鈴は決然と胸を張って告げた。
 その周囲に百以上の神々のうちのひとつだったものが顕現する。さらにあまたの神話の終焉に登場するキーパーソンたちが次々と顕現していく。
 世界を滅ぼすには十二分すぎる勢力が、美鈴のライブラリから顕現させられていた。
 薫の資料には、今美鈴の魔力数値が表示されていない。
 それどころか美鈴を中心にして約五十メートル以内に魔力が溢れ、蜃気楼のように美鈴の姿が歪んで見えるほどに力場が歪んでいた。
 その蜃気楼の端ですら、アッガレッシオンを遥かに凌駕するほどの魔力が検出されているという。その中心点、現状での美鈴は一体どれほどの魔力を擁しているのか想像もつかない。
「天沢さん……」
 静かな声が、薫を呼んだ。震える拳を握り込んでいた薫は、びくりと肩を跳ねさせて返事を返す。
「この”人たち”を、上手に使ってあげて。間違えると、終わっちゃうから」
 なにが終わってしまうのか尋ねたかったが、背筋を這い回る寒気がそれを咎めた。
「任せて。あんな偶像、一瞬で葬って見せるわ」
 薫は高射砲を魔力に解体して、無線通信機に作り変えて黄昏の輩に渡した。
 瞳を憎悪と殺意にたぎらせた彼らは、まさしく世界中のすべてを怨んでいた。世界を滅ぼす狂気を、薫は実感して竦みあがりそうになる。
「じゃあ、はじめるよ」
 静かに、漣すら立たないほど静かな声で美鈴はしっかりとつぶやく。
 それに呼応して怒号を上げ、世界を滅ぼさんと憎悪をたぎらせた終焉の軍勢が、手に手に世界を終わらせるための武器を掲げた。
「さあ、神を殺すわよ」
 薫が命令を下すと、指示通りに最前列が躊躇うことなく突っ込んでいった。
「我を行かせよ! 神の血を啜らせろ!」
 興奮してわめくものは無視して、戦術を練っていく。半数以下にまで減った”目”で何とか敵の弱点を探し出す。
「第一陣は逐一状況を報告しなさい」
 世界を壊すための兵隊が、神に立ち向かっていく。
「ああ、来てくれたのね……」
 薫がつぶやくと、何かが落ちてきた。
 混ざり合った神の頂上から、それは落ちてきた。
 鋼色の鎧。絢爛豪華なマント。
 手に巨大な剣を持った、それは、
「うれしいわ。アッガレッシオン将軍。自ら、殺されにきたのね」
『我は神聖アルマニア帝国奪還軍軍長、アッガレッシオン・ウンド・エロベルング・ヘッレシャフト・ドゥーチ・ダス・シュヴェード=剣元帥。三桂評議会が第三席。我が戦道にただ一度の敗走を刻みつけた、極辺境の恐るべき大魔女よ、いや、ウンミット・インメル・ゲヴィネン・ヘンリッヒケント=全軍団長。貴将とこの剣を交えんとあい参った』
 巨大だ。気迫が、前回とは桁違いだった。あらゆる術を使い、残りの命すらこの戦いの為だけに燃やし尽くしているに違いない万年の戦を渡り歩いた大将軍は”今ここに立っている”のだ。
 グランドだった荒れ野を挟み、対峙したそれは、途方もない年月を、戦い、途方もない勝利の名を築き続けた最高位の将。生きる魔法と戦争の歴史そのものが今目の前にいた。
「よろしくてよ、アッガレッシオン将軍。ウンミット・インメル・ゲヴィネン・ヘンリッヒケント=全軍団長が全力を持って、お相手いたしますわ」
 薫の体が震えた。
 恐怖や恐れではなかった。
 これが、戦争快楽ッ!
 圧倒的強者が目の前にいる。ただの自分では、殺されたことも、殺した事も気付かれずに踏みつぶされていたいたに違いない。
 それでも今は戦える。この圧倒的な強者と戦える。
 これが快楽と言わずに何と言おうか。
「いざ、勝負なり!」
戦争(たたかい)をしましょう、将軍。すべてを賭けて、戦争(たたかい)をしましょう」
 両者前に出て、剣を掲げた。
 言葉は必要ない。
 胸に闘いの誓いを刻む者同士、この瞬間に血潮が沸き立つ。
「勝利の栄光をわが手にッ!」
「勝利の栄光をわが手にッ!」
 十万の軍団と数千の軍団が衝突した。
 神によって踏み荒らされた大地で、戦いは始まった。
 いくつもの世界で繰り広げられた、神と神に抗った者たちの戦いが、この世界で再演される。
「ゆか。二人を連れて行きなさい。ここは、私が引き受けるわ」
 魔導コンピュータで情報処理と、己の僕に命令を下しながら薫が言う。
「で、でも……」
 隣で唖然呆然としていたゆかが戸惑う。
「これは、私の戦い。あなたたちにもそれがある。行きなさい」
「……わかった」
 うなずくゆか。両手に美玲とシャルロットを抱きしめた。
「絶対、負けないでね」
 美玲が言うと、微笑を浮かべた。
「ふふ。大丈夫、あの首は、私だけのものよ」
 余裕の笑みを浮かべていた。彼女なら、きっと大丈夫だ。
 ゆかに抱かれて、美玲たちは飛び立つ。
 三人には、見せられない。
「たのしい。楽しいわ、アッガレッシオン将軍。ありがとう、感謝しているわ。この世界を攻めに来てくれて」
 この幸福感は、本来なら目覚めてはいけなかった。
 この戦いが始まって、もう何人の民間人が死んだか。
 どれだけの犠牲が生まれたか。
 考える必要はない。薫の手元には資料がある。わかっている。
 自分がどれだけ不謹慎で、あまりにも愚かな感情を芽生えさせてしまったのか。
 分かっている。だからこそこの瞬間が愛おしい。
 敵が攻めてくる。それをいなして、反撃する。戦陣を切るアッガレッシオンを取り囲み、攻撃を加える。
「あなたも、楽しいでしょう?」
 玉座の形をしたコンピュータの上で、四十八のモニターを眺める。
 誰もが笑っていた。
 聖剣を手に戦う、アッガレッシオン。
 神話の武器を手に戦う、黄昏の徒。
 世界を奪おうと襲う徒を、世界を滅ぼさんと戦った徒で迎え撃つ滑稽さ。
 苛烈を極めた戦いは、正しく終焉の戦争そのものを見せつける。
 アッガレッシオンの強さは、終焉の徒を相手にも圧倒する。
 世界中に各々存在する神話は、帝国に滅ぼされた世界の物語なのだろう。
 一撃で見渡す限りを焼き尽す攻撃。それを受けてもびくともしないアッガレッシオンは、反撃の一振りで数名の邪神や悪魔を呆気なく葬る。
 一撃々々の重さで、都度世界が揺れる。揺れが起きるたびに、必ず誰かが死んでいる。
 世界を亡ぼす、というに正しく相応しい戦闘。
 この終焉の再演の中、誰もが笑っていた。
 誰もが望んでいた、世界を滅ぼすほどの大きな戦い。
 それをこの場で剣を握る誰もが願っていた事だった。
「楽しいでしょう。強敵と交える、それだけで全身が打ち震え、生を極限まで分ち合える。楽しいわよね。私も、こんなに楽しいのは、初めて」
 艶然と薫は笑う。手元には一見チェス盤にも見える、この戦いの縮図。
「六千八百五十四手。それがアナタの余命」
 勝利の確信。それと、自分の魔力が枯渇するのも、同じタイミングである事、そしてそれが意味する事も、薫は理解している。
 だからこそ、彼女もまた笑っていた。
 天沢薫、という少女は、真正の生粋の天才だった。
 3才になる前に、すでに自我を確立させていた。その気になれば渡米し、5最で最高峰学府にでも挑めただろうが、そうしなかった。
 ”変に目立っては、行動が制限されるものね”
 その考えを導き出した彼女は、あくまで中の上、上の下。学校の中ではトップでも、世間に出ればそこそこ頭がいい部類、程度に仕分けられるレベルになるように調整していた。
 おおよその事を1見て100理解するような頭脳(中身)を持っていたがゆえに、すべてが退屈で刺激のない世界。普通を装うために、子供らしいリアクションを取って過ごしていた。
 そんな中で出会った、隣の家の少女。家庭事情が面倒くさそう、という事以外は極普通の女の子だった綿貫ゆか。
「なんで、いつもつまらなそうなの?」
 昔から感は驚くほど鋭く、でも子供らしかったゆかは、母の蔑まれる姿を見たくなくて、逃げるように薫と遊ぶようになっていた。
 そういう事を分かっていた薫は、彼女が驚くような事がしたくて色々悪さをしながらも、証拠隠滅は完璧に行っていた。
 何をしてもゆかの反応は面白かったが、それだけだった。彼女といるのは好きだったし、大切な一時だったのは間違いない。ただ、薫は求めてしまっていたのだ。
 そんな薫が楽しめたのは、オンラインの戦争ゲームだった。
 世界中のゲーマー達との戦いは、予想を超える事が多かった。薫の考えを超える事が起きる。
 戦争というのは、いつも誰もが予想しない出来事とによって盤上がひっくり返る。
 薫はそうして瞬く間に戦いの虜になっていた。
 心では殺し合いなんて、と唾棄しつつも、本能が求めていた。
 それがこうして舞い込んできた。友人たちには、本当に申し訳ないと思っている。
 故郷を失い、仲間に裏切られ、常に死の恐怖に怯えて過ごして来たシャルロットには、心の底から謝りたい。
 しかし、今は歓喜しているのだ。快楽に心酔しているのだ。
 剣戟の音、怒号、断末魔、いまわの際の怨嗟に、勝利のためと勇猛果敢に散る雄叫び。
 それらの情報すべてを聞き入れ、脳髄を突き抜ける闘争の喜びに打ち震える。
「貴方は、本当に、強いわ。きっともう、私の生涯で、悦びに震えることは、二度とないでしょう。貴方よりも強い将は、もういないもの」
 すべての脳細胞、魔術コンピュータ、並列した己の手勢、すべてを統合して敵の動きを予想し対策し、戦術を立案し、それを実行させる。
 完璧な戦闘だが、それもすぐにアッガレッシオンの予想を超える手によりご破算となる。
「きっと、これは、私が一生涯でいられるすべての快楽を、この瞬間に前借しているのね。それも法外な利子も込みで」
 理解を超えた時、それを千分の一秒で解明し理解して、対策する。脳を酷使しすぎてひどく頭痛がするが、それすらも愛おしく感じる。
 恋文をつづるように、薫は徐々に近づいて来るアッガレッシオンの姿を見つめた。
「ふふ。でもいいわ。貴方との闘いを、戦争を味わえるなら、私はもう聖人として、あらゆる欲を捨てても良い。いま、この瞬間こそ、私の統べてよ。貴方も、そうでしょう?」
 うっとりと、恋人に向けるようなとろけるように熱い視線を、独りだけとなった帝国最強の騎士に向けた。
 きっとこの気持ちは、恋慕と同じなのだ。ただ、共に歩み、過程を築き、子を成し死んでいく。それとは違う形の、確かな愛だった。
 薫は笑みを浮かべ、笑いながら戦う、武人を見た。
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