第54話

文字数 3,625文字

 二人は走っていた。
 巨大な回廊のような部屋をいくつも抜けて、まっすぐ走り続ける。
 目的地は分かっている。
 強大すぎる女帝の気配、魔力の波動に向けて走る。
「そこまで」
 突然の声。二人はピタと足が止まった。
 止めるつもりはなかった。それでも止まった。
 魔法の類だ。
 二人は知らないが、薔薇侯爵と同じ、因果の変調だ。
「法典枢機卿」
 シャルロットが声を絞り出した。
 白の法衣をまとった長身の偉丈夫。神経質そうな顔は、眉根を寄せている。
「礼のないネズミだ」
 法典を片手に佇むのは、現アルマニア帝国の法執行を司る、三桂評議会の一席。実質的な最高指揮者である。
「許しのない者は、敷地内の往来ができぬと、”法で定めてある”。ただちに罰を受けよ」
 何ものかに、見えない存在に押しつぶされるように、二人はその場に座り込まされた。重圧によって、抵抗すらできない。
「女王陛下の私有地、並びに評議会の所有する敷地に侵入した者は、死刑である。場合によってはその親族も含めて一両日以内に斬首、もしくは爆砕と定められている」
 身動き一つできない美鈴たちは、何が起きているのかも分からない。因果に引き摺られるまま、何もできない。
「罪状は明らかになった。では、裁判を始めよう」
 法典枢機卿が高らかに宣言する。
 二人の手には枷がいつの間にか嵌められている。
「つまんねぇ、ごっこ遊びだなぁ。一万歳のじいさんがやる事じゃねぇなあ?」
 ごうと風が鳴る。
 まるで操り人形の糸が切れたかのように、二人の体は突然動くようになった。
 さっと立ち上がり、枢機卿との間合いを開ける。
「おじいちゃん!」
 美鈴が振り返ると、そこには宗孝と、大岡たち美鈴の家の者がフル装備でいた。
「これほど、我が陛下と法の威光に背く愚か者いようとは……」
 あからさまな嘆息をして見せて、法典枢機卿は侵入者たちを睨む。
「我は神聖アルマニア帝国、三桂評議会が第一席。ヴィーシン・ズィデン・レヒト・ゴートロゼン=法典枢機卿。過去現在未来の帝国の真正を証明する者である。我れらが法典にいかなる罪も罰せられよう」
「真正? 笑わせるぜ。押し込み強盗風情が」
 宗孝は笑い、十文字槍を肩に担ぎ、左手で印を組む。
「さーて、法律屋。ご自慢の法典で、オレを止められるかね?」
「極辺境の魔術師。いかなる蛮族とて、我が法に膝をつかん」
 法典を開き、術が開いた。
「こいつは俺が相手をしてやる。お前さんたちは先へ行きな」
「……分かった」
「お気を付けて」
 本当は祖父だけにしたくはない。一緒に戦いたい。
 祖父の力を疑っているわけではないが、何事も一人より二人の方が良いに決まっている。
 しかし時間がないのも事実。
 一刻も早く茨の女帝を止めなければ、世界が壊されてしまう。そうなる前に、早く決着を付けなければならない。
 横目で宗孝の後ろを見ると、すでに陣地を構築し、いつでも射撃を開始できるような家の者たちもいる。葉月がひらひらと手を振り返してくる。
 大丈夫だ。全員いるんだ。
 唇をきつく結びなおし、美鈴はシャルロットの手を引いて走り出した。
 その瞬間猛烈な発砲音が空間を押しつぶす勢いで炸裂する。
 悲鳴を上げるシャルロットを無理やり引き連れて、走った。
 茨の女帝の気配はすぐ近くである。
 空間という概念が外と中では大きく違うこの宮殿の中では、どこをどう来たのかはまるで分らない。
 宗孝と別れて三つ目の部屋を抜け、ついにその時が来た。
 ドアを開けた瞬間に、広がる濃密な魔力。
 相応な力のある美鈴ですら、一瞬気圧される圧力。
 隣にいたシャルロットは、一瞬だけ意識を失った。繋いだ手から叩き込まれた美鈴の魔力のカツが無ければそのまま倒れていただろう。
「貴女が、女王さま?」
 美鈴の誰何に、かの者は大仰にうなずいた。
 今まで通り抜けた部屋も広大だったが、その部屋は別格だった。
 いうなれば部屋というよりも、巨大なスポーツ観戦場だった。
 その冗談のように広い部屋は真紅の宝飾が隙間なく散りばめられている。
 そして部屋の中央。小山のようになった一角は、彼女の為の玉座である。
「いかにも。わたくしこそ神聖アルマニア帝国、第百九十三代皇帝ディ・ビズィット・フォン・マイナー・ヴェルト=茨の女帝ですわ」
 数多の世界。数多の星、国家を飲み込み、八百兆の人の頂点に君臨する覇者。
 神聖アルマニア帝国の覇を一万年の悠久の間轟かせ続けた、真正の王者。
 しかしそれは美鈴にとっては関係のない事だった。
「貴女はどうして、こんなひどい事ができるの?」
「ひどい? とは? わたくしには、わからないですわ」
 はてと、御簾の向こうで小首を傾げるような気配が伝わってくる。
「貴女は、たくさん人を殺した。傷つけた。それはいけない事だって、わからないの?」
「力ないものに、生きる資格なんてないのですわ」
 決然とした声で、その人物は言い放つ。その周囲には無数の結界が幾何学的に並び、あたかも物語の中の魔法使いま用いるような円陣に見えた。
「茨の女帝……」
 目を見開いてつぶやいたシャルロットは、もはや腰が砕けることすらできないほどの恐怖に、全身を緊縛された。
 気品と色気を伴った女傑は、しかしどこまでも傲慢で、貪欲に世界をむさぼりつくす。
 無限に伸びていく時間と並行する彼女こそが、あらゆる世界を支配した八百兆人の頂点。絶対的な支配権を持つ帝国の女王。彼女の前では、いかなる神話の神すらもひれ伏した。
 圧倒的すぎる威厳の前に、シャルロットの全身は壊れた機械のように震えていたが、ぱたりと止んだ。
 だが女王を前にしても、美鈴は揺るがない。
 漣すら立たない湖畔のようにただ静かに、数十メートル以上離れた女傑を見据えていた。
 大量の花びらを散らしたような豪奢なドレスとつばの広い帽子は、純白と深紅、暗黒をそれぞれ垂らして配色をされ、眼球を通して痛烈に彼女を印象付けさせる。そして顔の上半分だけを覆った黄金の仮面には、毒華に集まる極彩色の蝶の彫刻が施されていた。
 しかし極上のドレスを着てなお、茨の女帝と八百兆の人々に恐れれる彼女は、傲然とした存在感を世界に上書きする。
「わたくしは、とても悲しいですわ」
 仮面に隠された顔を悄然とさせて、女王は肩を落として、さめざめと仮面の上に手を当てた。
「わたくしの前に、立つものがいまだに居ることが、とても悲しいですわ。わたくしにひれ伏さない愚劣な人間が、いえ、生物が居ることが、わたくしはとても悲しいですわ」
 どっと音が、全身を強く打つ音が聞こえた。突然の体が十倍以上も重たくなり、シャルロットはその場でつぶれるように倒れて床にはいつくばった。
 内臓といわず、全身が押しつぶされる。明らかな魔法攻撃だ。その攻撃が突如止み、怪訝に顔を上げると、そこには凛と立つ美鈴の背中があった。
「どこまで、悲しい人なのでしょうか」
 美鈴はぐっと踏み込み、手に持った剣を振り上げ、殺すべき相手へ照準をつける。
「ああ、なんておぞましい」
 嘆きの声を上げる女王。そして肉薄する美鈴を、ひと睨みした。
 刹那、シャルロットの横を美鈴の体が吹き飛んで通過し、鏡の間の一番奥の壁に叩きつけられた。衝撃で半数の鏡が割れて散った。
「ミレイ!」
 恐怖に縛られたシャルロットは、それでも仲間の下へと駆け寄る。
「極致たるわたくしに向け、刃を向けるなんて。ああ、なんて愚か。あなたは全能なる神の親に、敵意を向いて刃を向けるというのかしら。それがどれほど悲しく、哀れで、愚かなことか、あなたは分かっていて?」
 悲憤するようにわが身を語る者は滑稽だろうが、しかし今そう語る者は、八百兆人の頂点たるディ・ビズィット・フォン・マイナー・ヴェルト=茨の女帝、その人だ。その傲慢も許されるただひとりの人間である。
「まだ立ち向かうというのかしら?」
 嘆きの声を向けられた美鈴は、虚無に近い静寂を伴い屹然と佇み、手の剣を女王に向けた。
「そんなの、どうでもいいよ。あなたが王女さまでも、神様でも、わたしから大切な人を奪ったなら、傷つけたなら、わたしがあなたを倒すだけだから」
 それが神の前の驕りだと罵られようと、彼女は胸に誓いの名を刻んでいた。
 誓いは、すべての創造主に決別し、挑むものにこそふさわしい。
 なぜなら絶対の摂理に挑んだ魔法学者が生み出した仕組みだからだ。ならば神を使役する者が敵として立つ時にこそふさわしい。
 滔々と溢れる美鈴の魔力量は、もはや人の器に収まるものではない。しかしそれは女王とて同じ。二人の魔力は空間にまであふれ出し、ぶつかり合い小さな黄金の雷を無数に発生させている。そんな現象、シャルロットは見たことがない。
 ぞくりと背筋を振るわせたシャルロットの体を、ぐいと横に押しやり、美鈴は前に踏み出す。その瞬間、美鈴の魔力が急速に圧縮する。百万分の一まで濃縮され、その分女王の魔力が一気に押し寄せた。
「ミレイ!」
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