第13話

文字数 2,057文字

 あまりにも大きな湯船と、最初から大勢で入ることが前提というように備えられた複数のシャワーなど、完全に個人の邸宅にはふさわしくない環境だった。
「はいらないの?」
 不思議そうにしている美鈴からすれば、いつも使っている”自宅の浴室”なのだろうが、どうにもそのあまりの世間との離れように、薫とゆかは苦笑を浮かべた。
「みーちゃん()がこんな豪邸だとは。予想だにしなかったばい」
 コメカミに指を当てたゆかが唸り、薫はいちど頭を振り気を取り直した。そして美鈴に続いてシャワーの前に置かれた小さな椅子に座った。
「浮世離れているわけね」
 ふうとため息交じりにつぶやき、薫はシャワーヘッドを掴んでお湯を出して温度を確かめる。それから体を隠していたタオルを少しぬらして、髪の毛をまとめて頭に巻いた。
「髪長いと大変だよねぇ」
 しみじみとその光景を見ていたゆかがつぶやくと、薫は目を細めてゆかを挟んだ側に座る美鈴を見た。
「まぁ、慣れればこんなことしなくてもいいみたいだけど」
 すこし面白そうにつぶやいた。何のことを言ってるのかいまいち分からなかったゆかは、薫の視線を追って美鈴を見た。そこには何も気にせず頭からお湯を浴びている美鈴がいた。
「ああ、なるほど……」
 何かに感心して、ゆかも自分の体を洗う。
「そうだ! 背中を洗いっこしよう!」
 突然の提案に美鈴と薫がゆかを見た。美鈴が首をかしげる一方、薫は眉間にしわを寄せて訝しむ。
 ゆかはほらほらと隣に座った美鈴の肩を掴んで背中を向けさせると、濡れた髪の毛を肩から前に流す。スポンジの泡を立て直して、背中を洗い始めた。
「く、くすぐったい……」
 小刻みに震える肩と声から、笑い出すのを堪えているのが良く分かったが、だらしない顔をしたゆかはお構いなく楽しそうに続ける。
「ほら、ぼけっとしないで、薫もやってよ」
 ほれほれと器用にも美鈴の背中を洗いながら、自分の背中をくいくいと揺すった。
 それに少し憮然とした薫は、ごしごしと力強くスポンジをこすりつけた。
「か、薫さん!? い、痛い! それいたっ!」
「あら、ごめんあそばせ」
 悲鳴を上げるが、鼻歌でも歌いだしそうな勢いでむしろさらに力を込めた。
「こ、こうたい!」
 限界に達したゆかが叫ぶと、くるりと向き直り薫を向き合った。
「よ、よくも……」
 じとっとした目で睨むが、どこ吹く風という調子で受け流され、逆にすっと目を細めてにこりと笑った。含みのあるその仕草に、すぐに仕返しなんてものが、ゆかには許されない立場であることを思い出させられた。
 彼女の立場は学級を纏める各委員をさらに纏め上げる長で、さらには教師達に委託されて各部活動や委員会の予算配分までをも任されているのだ。そんな彼女を相手に、真正面からケンカが出来るはずがない。
「うぅうぅうぅうぅ……」
「お分かりのようで」
 ゆかは恨めしそうに薫の白い背中を睨みつけた。
「綿貫さん?」
 美鈴が申し訳なさそうに声をかけてきた。一瞬慌てて、ゆかがお願いと頼んだ。
「あぁ~、いいわぁ。妖精に背中流してもらっている気分だわぁ……」
 ゆかがぼやき、勝ち誇ったような顔をしたら、薫に睨まれた。思わず肩を竦めた。
「そろそろ、席替えしようか。ね、美鈴?」
 薫が首だけ振り向いて美鈴に尋ねた。尋ねられたが当の本人は良く分かっていなかった。
「そうなの?」
 小首をかしげた彼女に、そういうものだからといって、薫はゆかをどかして、そこに美鈴を座らせる。
「私からね」
 美鈴に背中を向けさせて、彼女の背中を優しくスポンジで撫でる。
 そうして三回ほど背中を洗い合い、シャワーで流し合って湯船に浸かった。両脇にゆかと薫が座り、真ん中に美鈴が小さくなっている。
「うっはぁー! 極楽じゃー! って、すこし背中いたい……」
 湯船のふちに背中を預けて両手を広げたゆかが叫んで、もぞもぞと動いた。
「おじさんみたいよ」
 薫がぼやくと、美鈴がころころ笑う。
「い、いいじゃん!」
 二人の反応にゆかは顔を赤らめて、慌てて背筋を伸ばして手を膝の上に置いた。ばしゃんと大きな水しぶきが立つ。
 ひとしきり笑った後、ふうと息をついた薫が浴場を見渡して嘆息した。
「それにしても、大きいわね」
 薫があと十人ほどが余裕で入れるくらい大きな湯船を見渡してつぶやき、頭のタオルを直す。
「いつもひとりで入ってるの?」
 姿勢を正したが背中がむずがゆいのか、ゆかは落ち着きがない。それ以外にも落ち着かない理由があるようだが、そこは堪えてもらわなければならない。
「たまに、葉月さん……、お世話してくれる人が一緒に入ってくれるけど、いつもは、ひとり、なんだ……」
 心なしか恥ずかしそうにつぶやき、視線を下げた。その顔がお湯のせいかも知れないが、ほんのりと桜色になっている。
 ほんのわずかな間沈黙して美鈴を見ていた二人は突然くすりと笑い、彼女に抱きついた。
「ふあ!?」
 驚いて間抜けな声を上げた美鈴に、ふたりは楽しそうにじゃれ付くように頭を撫でたり脇をくすぐったりと、好きなことをした。
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