第43話

文字数 2,149文字

 薫はだいぶ軽くなった腕を伸ばしてシャルロットの手に触れ、誇りと信念が詰まって輝く瞳をまっすぐ向けた。
 その揺るぎの無さに、取り込まれていくようにシャルロットは頷いていた。
「おー、お熱いですなぁ」
 突然の声に、ばっと横を向いた二人は、美鈴を抱きながらにやにやと笑うゆかを見た。
「う、うるさいわね!」
 先ほどとは違う意味で顔を赤くした薫が、ついと視線を逸らした。シャルロットまでつられて顔が赤くなり、照れ笑いを浮かべて視線をはずした。
「ふひひ、薫ちゃんったら、照れちゃってかーわうぃいー!」
 冷やかすように、半分以上素でゆかが叫ぶと、ぎろりと薫が殺意を込めてにらみつけた。思わず首をすくめてそそくさ退散した。
「そういえば、ユカの意義名は、どうして?」
 一度勢いがついたから、シャルロットは躊躇いなくゆかに尋ねた。
「え、いやぁ……」
 美鈴の首元に顔をうずめていたゆかは、そのまま顔を上げずに言いよどんだ。聞いてはいけなかったのかと思ったシャルロットが、謝ろうとして、ゆかが顔を上げた。
「まあ、隠すことじゃ、ないしね……」
 開き直ったような声で無表情なゆかは、上半身を起こして美鈴を抱きなおす。
 一瞬間をおいたゆかは、美鈴の背中を撫でた。
「アタシ、一人っ子なんだけどね。薫は知ってるか」
 ちらりと横目で見ると、さすがに体を起こすことは出来ないが、薫はまっすぐにゆかを見つめていた。雰囲気からして真面目な話だとわかったようだ。
「うちさ、跡取りで、男の子が欲しかったみたいでさ……」
 つぶやくように、淡々と語る。
「アタシを産んだせいで、お母さんもう赤ちゃん産めないらしくて、それでおじいちゃんとかお父さんにすごい責められて、病気になっちゃって、今病院にいるんだ」
 語られた事実に、薫は眉根を寄せて目を伏せた。シャルロットはこの世界のことを分かっていないので、いまいち話の内容を理解していないようだ。
「それでアタシ、バカで勉強できないからさ、ずっと走ってたんだ。走ってる時は何も気にしなくていいし、風も、気持ちいいからさ」
 どこも見ていない視線を落として、ゆかは首元からネックレスをひとつ引き出した。どこにでも売っているような、安物の十字のペンダント。それを軽く握りしめる。
「でも、やっぱりお父さんも、おじいちゃんも、アタシのことなんか見てくれないし……」
 事実だけを語るゆかの姿があまりにも痛々しくて、薫はなんて言葉をかければ良いのか迷った。そして何もいえない自分が嫌になり顔をしかめてしまう。
「あ、ごめん。変なこといっちゃて」
 自嘲をわずかに含んだゆかが慌てて二人に詫びた。
「へんじゃない」
 突然美鈴が喋り、ペンダントを握る手をそっと自分の手で包んだ。小さな美鈴の手に包まれたゆかの手には、無数の縫い跡があった。それを労るように、美鈴は優しく抱いた。
「綿貫さん、わるくない」
 うるんだ目でじっとゆかの目を合わせた。
「わるくない。綿貫さんのせいじゃない」
 声はいつもと変わらないのに、今の美鈴の声はまるで胸にしみ込むように、じんと熱く響いていく。驚いて目を見開いたゆかに、美鈴は微笑を浮かべてみせる。
「だから、もう自分をいじめないで」
 諭すように言いながら、その実美鈴の声はどこか祈りや救いを希うようだった。まるで美鈴が自身がその言葉を言ってもらえる日を望んでいるような、切迫したような雰囲気だった。慰めや無責任な励ましではない、本当に相手の為に送る言葉。
「綿貫さんは良い人だよ。優しいし、かっこいいし。わたしをたすけてくれたもん。だから、もう自分をいじめないで……」
 切に願う美鈴を、ゆかは強く抱きしめて肩に顔をうずめた。
「ごめんね。ありがとう……」
 鼻声でささやき、ずっと鼻を鳴らす。
「でも、だめだ。まだアタシは自分が好きになれないよ。守りたい人に、こんなに慰められてめそめそ泣く、自分を侮蔑しちゃうんだもん」
 華奢な美鈴の体を抱きながら、ゆかは震えた。どれだけ願われても、それだけは変わらなかった。
「別に、今すぐじゃなくてもいいのよ」
 そこに傍観していた薫が口出しした。美鈴が目だけを向けた。
「ぼくには、よくわからないけど、でもユカは悪い人じゃないよ。ぜったい!」
 必死に賛同するシャルロット。彼女にはこの世界の事情は分からないだろうが、それでも分かる範囲でゆかを励まそうとしていた。
「だから、じっくり考えを改めていきなさい。卑屈な人は、そのうち周りにも害を与えだすわ」
 ふっと笑みを浮かべて、薫はゆかに手を伸ばして、指先だけわずかに触れた。
「ここに三人もあなたを肯定する人間が居るわ。それでもあなたは自分を否定するつもり?」
 ゆかはぐっと言葉に詰まって俯く。
「その思考は敵を過大評価し、己を過小評価し、作戦に支障をきたす。あなたは、自分を信じなさい」
 彼女なりの精一杯の励ましの言葉だろう。言っていて妙に照れくさくなったのか、顔を背けた。
「自己を否定するのは、あなたを肯定する私たちまで否定することよ。己の思考、発言に責任を持ちなさい。そして、胸を張って行けばいい」
 じんと言葉に、胸が熱くなる。
「ありがとう……」
「さ、あなたたちはもう寝なさい」
「はぁい」
「おやすみなさい」
「お、おやすみなさいっ!」
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