第48話

文字数 2,617文字

 街で三番目に高いこの校舎の屋上からは、隆起がほとんどないすり鉢状の街を見渡すことができる。見渡せた街に言葉が出なかった。
 アッガレッシオンが布陣しているであろう場所から、まっすぐに美鈴たちのいる校舎に向けて地面が裂けていた。冗談のように深く刻まれたその裂け目は、美鈴の位置からでは底が見えないほど深い。
「【聖剣】は女王を守るためにしか使えないはずなのに……」
 シャルロットの脳裏に絶望的な予想が頭をよぎり、その場に座り込んでしまう。恐怖で胃が締め上げられて吐き気がこみ上げた。
「後方、ここから三千八百メートル離れた敵本陣に、新たな魔法使いが複数転移してきたわ。その中の一人が、魔力の数値化ができないほどの力を持っているようね」
 測定不能と書かれた一番最後に転移してきたその人物が、おそらく帝国最高権力者だろう。
「気づかれた、みたいね……」
 薫は更新された情報の中に、魔力探査かく乱が一部除去されていることと、偵察機が三機ほど破壊されていることが付け加えられていた。女王の登場は想定していたが、さすがに早すぎる。アッガレッシオンにダメージを与えてからだろうと思っていた。
「アルマニア帝国女王陛下、御出座! 聖ディ・ビズィット・フォン・マイナー・ヴェルト=茨の女帝法王陛下御出座!」
 七つの目を持った大鷲の群が、嘶きながら空を埋め尽くす。聴く者の心を掻き毟る耳障りなひび割れ声が、街を埋め尽くす。
 その嘶きを、シャルロットは耳を塞ぐように頭を抱えてうずくまった。恐怖に震え上がり、青ざめた頬に涙が伝う。この空を見た者の、それが正しい反応なのだ。
 薫は奥歯をかみ締め、ゆかも中空に立ち止まりその空を見上げていた。
 空を埋め尽くしていた大鷲どもはいつしか嘶きを止め、ひとつに固まっていく。
 轟音と共にゆかが屋上に戻ってきて、そっと三人に寄り添う。美鈴はただ一点、敵本陣をまっすぐに睨んでいた。
「なに、あれ」
 ゆかに尋ねられるが、薫も偵察機がすでに半数が撃破されてしまい、情報量が著しく減少している。ましてかく乱まで解けているとなれば、状況は悪い。
「なにか映った」
 ゆかが声をあげると、美鈴以外が顔を上げた。上空に浮かんだ黒い塊に、人の影が映った。ベールで隠したような胸像だった。
『わたくし、百九十三代アルマニア帝国皇帝、ディ・ビズィット・フォン・マイナー・ヴェルト=茨の女帝です。最後の煉獄である、極辺境の鬼の皆様。もうご安心ください。本日より、この地は神政アルマニア帝国の統治下になります』
 鳴り響く声に、ゆかだけが首をかしげた。
 告げられた言葉に、一体どれだけの人々が耳を疑ったか。いや、そもそも続けざまに襲う異変に恐怖しなかったものは居ないだろう。
『つきましては、反抗勢力の殲滅を兼ねて、この街を燃やそうと思います』
 燃やすのならば、この街にいる人間すべてを殺すということなのだろうが、その突拍子のなさに我が耳を疑った。
「天沢さん、撃って!」
 美鈴が声を上げると、砲身の中に何かが顕現化したのが分かった。内容も分からず薫は砲を敵陣に向かって全力で撃つ。光線を残してまっすぐに飛んだそれは、まばゆい閃光を伴って何かに直撃する。
「直撃、したみたいだけれど……」
 偵察機を周辺に向かわせたが、有用な情報は得られていない。薫は破壊された偵察機を修復できないか試みた。
 一瞬乱れた上空の映写装置の映像だが、すぐに回復してまたシルエットが映し出された。
『反抗勢力の皆さん。わたくしは残念でなりません』
 若干の憂いを帯びた澄んだ高い声は、無念さをあらわにして語る。
『神の子を葬る程度の力しかない武器で、このわたくしを殺せるなんて思っているのでしょうか? わたくしはたかが神の子程度ということなのでしょうか!?』
 潤んだ声は、屹然とした威厳を持っていた。
『神をも従わせたわたくしに挑むというのなら、世界を壊すつもりでお出でなさい』
 世界が、震撼する。
 揺れではない。世界が最後の時を迎えたかのように、歪み、むせび泣くように、大地を、空を、すべてを震撼させた。
 何事かと目を瞠った四人は、変化を見た。
 世界は極彩色に彩られ、あらゆる建造物は一瞬にして衰退し崩壊していった。
 一定以上の魔力耐性のない生命は干からびて、その生命力はすべてそれに吸い上げられていく。大地すらも、生命を育む偉大な地母の活力が吸い上げられ、干からび裂けていく。
 生い茂る緑も残らず灰色に変色し、腐臭すら漂わない枯れた世界へと変化していった。
 眼に見えるだけでも、忽ち荒廃した荒地に姿を変えていった。
 そして伏していた龍が身を擡げるように、裂けた大地から緩慢な動きでその巨大すぎる肢体を地面から引きずり出していく。
 地響きと共に、美鈴たちの学校も崩れ始める。咄嗟にゆかは美鈴を抱いて飛び上がった。薫は慌てて腰を抜かして動けないシャルロットの腕を引いて、高射砲に飛び乗る。それと同時に高射砲は脚を伸縮させて跳んだ。
 瓦礫の山と化した校舎跡地に高射砲が着地すると、その隣にゆっくりとゆかも近づく。
 呆然とした三人が、後光を輝かせるそれを見上げた。
「神をも従わせる……」
 シャルロットが呻くように、その信じられない事実をつぶやく。
 立ち上がった巨大なそれは、神話上に存在する神をいくつもぐちゃぐちゃに混ぜ合わせたような姿をしていた。
 一番下には地上最大の哺乳類の形をした神。その背からは蓮の花が生え、そこから無限の慈悲と千の腕が生えた神。首があるはずの場所にはまた違う神の上半身があり、腕の位置には違う神の顔があった。肩には金色の鎧を着た全知全能の神が生えている。無数の神々が混ぜ合わされたそれは、もはや神と呼ぶにはおぞましすぎる姿だった。
 見上げるように巨大なそれの最上部には巨大な神殿が築かれ、そこにすべての神々を混ぜ合わせたそれをも凌駕する何かが居ることが分かった。圧倒的な力の差に、虚脱する。しかしゆかの腕の中から降りた美鈴だけは、表情のない顔でそれを見据えていた。
『さあ、おいでなさい。矮小なる魔法使いたち。神の母に挑む覚悟はできて?』
 ガラスのベルを丁寧に鳴らしたような声で、天上にたたずむそれが嗤う。すべての生物を見下し、軽蔑し、憎悪し、殺意を抱くほどに愛したそれが、悠然と佇み、美鈴を待っていた。
 それの神々しさにすべてを忘れかけた三人は震えるのをこらえて、美鈴を見た。
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