第59話
文字数 3,926文字
しかし美鈴はそのほぼすべてを魔力へと精製している。元の生命力の量は、女王と変わらないのだから、純粋な魔力の量は、女王を遥かに凌駕している。
それでも決着が付かなかったのは、単純な魔法使いとしての経験の差だ。いくら強力な武器を持っていても、それを使うのが素人では意味が無い。武器の差で劣っていても、熟練の兵士ならば勝てるのと同じである。
だがそれでも双方一進一退で硬直である。さすがの歴戦の兵士とて、圧倒的過ぎる兵器を前にしては、その生命を守るだけで手詰まりである。逆に美鈴も攻め落とす決め手がない。
その状況で、美鈴の魔力容量は増えた。現状、神の楽園や、悪魔の地獄、神や神を殺した黄昏の輩ですら難なくと顕現して見せた彼女が、その魔力を倍に増やした。
聡明な頭脳を持つ女王はそのことを即座に把握し、どうしても最悪の事態が思い浮かび拭いきれない。
「じゃあ、わたしを倒せる?」
美鈴が、ゆっくりとまぶたを開いた。
刹那、女王の本能が、目の前のそれから離れろと体を勝手に操っていた。
世界が改変される。
万物の法則が更新されていく。
時間は不平等に流れ始める。
すべてが、美鈴の想像通りに変更された。
「存在証明原本を書き換えたとでも言いますのッ!?」
女王が神をも存在が記された、すべての原点を見て驚愕した。
すべての始まりである神を創る為に作られたはずの原点が、記された存在証明が次々に書き換えられていく。神でさえ改変が許されなかった定義が、覆った。
驚愕を通り越して唖然となった女王の瞳が、恐怖に染まった。
「この世界は、ひとつの物語なのかもしれないよね?」
尋ねるように言いながらも、美鈴の声は確信していた。
「わたしは、どんなお話でも、一度知った物語からならどんなものでも呼び出せるんだよ」
かつんと美鈴の甲冑のかかとが鳴った。
はっと気付いたときには、そこはすでに日常を取り戻した街だった。いや、人だけは居なかった。誰も居ないが、そこは女王が破壊しつくした街そのものだ。
「それなら、わたしが”この世界を呼び出せ”ても、おかしくはないでしょう?」
今、美玲の中には、無数の世界があった。
シャルロットの命を使い、美玲は自分の中に、世界をひとつ作った。魔法使いは元より自分を世界から切り離し、閉じたひとつの世界だと自分を認識している。
美玲はその隔絶された世界の中で、もうひとつ世界を作った。
その世界には人が六十億人いた。ではその世界の人間を全て魔力に置き換えればどうなるか。そして次は六十億の世界を造り、全世界を魔力に置き換える。それを延々と繰り返せば、途端に彼女の魔力総量は、世界を構成するエネルギー量を凌駕する。
それが美玲の魔力の根元。
かつんとかかとがアスファルトに触れて鳴る。
そこはすでに日常があった。
街も人も、すべていつも通り。
ただ、人々の記憶には、女王に破壊された街も、殺される直前の記憶もあった。
「そ、そんな出鱈目、できるはず」
かつんと鳴り、美鈴の両となりにゆかと薫がふっと現れ、目を白黒させている。
「じゃあ、わたしを殺してみて」
表情のない美鈴がつぶやき、思い出したように女王が結界を張ろうとして、止まる。
「う、うそですわッ!」
何度試しても、結界どころか魔力すらも流れ出ない。”この世界”では、女王の魔力が呼び出せないのだ。そう改変した。
女王は改めて顔を恐怖に凍りつく。すでに美鈴の後ろには、シャルロットや美鈴の家のものが並んで、女王を見ていた。
「あなたは悪いことをしてきた」
だからといって、彼女が免罪されることはない。美鈴にはそのつもりは無い。
「あなたに何がわかるの!? 最初から全部あったくせに! 愛情を一身に受けてきた癖に、わたくしに偉そうなことが言えるの!?」
女王はヒステリックに叫び、その場にすとんと腰を抜かして座り込んだ。おそらく、経験したことがない恐怖に直面して混乱しているのだろう。1万年も貼り付けてきた、強固な仮面がはがれ落ちた瞬間だ。見た目相応の少女のように泣きじゃくった。
「いや、いやよ! どうして!? わたくし、お父様もお母様もいなかったの! ずっとひとりぼっちで、評議会の通りのままにしてきただけなのよッ!?」
生まれ落とされ、傀儡のように言い操られていたのは事実だ。彼女は何も教えられず、ただ力の権化として魔法を磨き、その圧倒的な魔力で幾多の世界を押しつぶして征服してきた。
その絶対の存在であり、彼女の存在意義でもあった魔力が、今の彼女にはまったく作り出せない。一万年の間彼女を支えてきた唯一の存在がなくなった今、一瞬にして茨の女帝は瓦解していく。
かつんという、美鈴が近づく音がするたびに、肩を大きく揺らして少しでも這って逃れようとする。純白の手袋をした手で、濡れてぐしゃぐしゃになった顔を覆って、小さく震えた。
「それでも、あなたは許されない。沢山の人を殺して、傷つけてきたのは、本当なんだから」
静かに言い、美鈴はあと二歩まで近づいた女王に刃を向けようとした。
「それじゃあよ」
突然の声に、恐怖に歪んだ女王は戸惑った。
満身創痍の宗孝が、前に出てきて、美鈴の剣を持つ手を押さえた。
「俺が、一緒にいてやるよ。おまえさんも、俺の可愛い孫娘だしなぁ」
愛刀を杖にした宗孝は女王の隣にしゃがみ、いつものように柔和な笑みを浮かべて彼女の頭を撫でた。
「ムネタカお祖父様……?」
泣きじゃくり不思議そうに顔を上げた女王は、年端も行かない少女だった。狂気の仮面が砕かれた素顔だった。
「おまえさんはよ。踏み込んじゃ行けねぇとこまで行っちまった。それなりに罰も受けにゃならねぇ。それはわかるな?」
こくりと小さく頷く。
「いい子だ。でもよ、おまえさんも、俺の孫娘だしよ。一緒に、お叱り受けようや。な?」
目を見開き、信じられないという顔で宗孝を見上げた。
そして宗孝は一度厳しい顔を作り、ふっと振り返った。そこには彼の部下で、家に仕えているもの達が複雑な顔で立ち尽くしていた。
「大岡! 聞こえるかッ!?」
「はい!」
いつもとなにも変わらない大岡が、背筋を伸ばした。
「わりぃが、俺は孫と一緒に近所まで頭下げてくるからよ。戻ってくるまで、家の事を任せるぜ。少しばっかり遅くなるかもしらねぇから、そしたら美玲に家の鍵を渡してやってくれねぇか?」
言葉の意味を察したのか、大岡は細い目をいっぱいに開いた。そして膝を付いて、深々と頭を下げた。
「お任せください! 必ず、お留守お守りしてみせます!」
「それじゃあ、そろそろいってくるかな」
掛け声を共に立ち上がり、座り込んでいた女王の手を掴んで立たせる。
事態を把握した美玲は、顔を青ざめさせて駆け寄ろうとして、人生で二度目の祖父の叱責をもらった。
「おまえさんは、おねぇちゃんだろうが。あんまり、妹の前でわがままいうなよ、な? それにちょいと近所まで頭下げて来るだけだからよ。そんな顔すんじゃねぇやい」
美鈴は泣きそうな顔を俯かせた。
「今生の別れじゃぁ、ねえんだからよ」
柔和な笑みを浮かべた宗孝は、すこしだけ手を伸ばして美鈴の頬を軽く撫でるように、雫をふき取る。
「すぐ、戻るからよ。しゃんとしてんだぜ」
言われて、美鈴は小さく頷く。
「よし。それじゃあ、行ってくる。ほら、お姉ちゃんに、ちゃんと挨拶しな」
とんと女王の背中を押しやりると、赤面した彼女は小さく頭を下げた。悄然としたしぐさは、確かに美鈴よりも幼い印象を受ける。
「まあ、そういうこった。じゃあ、行くか」
また小さく女王、美鈴の妹、愛子 は頷いて、小さく美鈴を見た。
「お、お姉さま、少しだけ、お許しを……」
畏怖が拭えないのだろう。小さく震える声で美鈴に魔力を返してくれるように願いを請う。
「うん……」
わずかに美鈴は後ろを向いて、シャルロットの顔を見た。視線に気付いたシャルロットは前に出て、愛子の前に出る。
「ぼくには、何も力がない。だから、あなたを断罪することも、復讐する事も叶わない。それでも、今のぼくと同じ立場の人は、いくらでもいることを忘れないでください」
複雑な思いを語ることは出来ない。目前で殺された家族や仲間のこと、助けてくれた人々のことを考えれば、今すぐにでも殺したいのが心情だろう。しかし、それをしてどうなるというのだろうか。おそらく、三桂評議会や女王という絶対的な支配者を失った数千の世界すべてで暴動が起きる。それは想像を絶する被害を生み、その殆どの世界で文明が滅ぶだろう。
帝国という存在は、膨大な犠牲を基に八百兆の人を束ね、無数の世界を安寧に導いたことに違いはないのだ。
その事実だけは、憎もうが敬おうが変わらないのだ。ならば、束ねた人々をよりよい方向へ導くことこそが、茨の女帝と恐れられた彼女の使命なのだろう。ここで、死ぬことではないはずだ。
「わかり、ました……」
今の愛子には、魔力を錬れるだけでも恐怖の対象なのだろう。今まで虫ほどにも思っていなかった相手に恐怖して、萎縮する。
「それじゃあ、いくよ」
戻ってきた魔力に、愛子はほっと胸をなでおろし、それでも背後の絶対的恐怖に震えながら、世界を行き来する門を呼び出した。
荘厳にして贅を凝らした巨大な門は、そこに在って無い存在。わずかにかすんで向こう側が透けている。そしてそのデザインは、美鈴の家の離れにあった、事故の原因になったものによく似ていた。
ゆっくりと開いていく門。並んだ少女と老人。
「それじゃ、いってくらぁ」
後ろ手を振り、宗孝は愛子の肩に手を置いて、その向こう側へと消えていった。
それを、美鈴はいつまでも見送っていた。
それでも決着が付かなかったのは、単純な魔法使いとしての経験の差だ。いくら強力な武器を持っていても、それを使うのが素人では意味が無い。武器の差で劣っていても、熟練の兵士ならば勝てるのと同じである。
だがそれでも双方一進一退で硬直である。さすがの歴戦の兵士とて、圧倒的過ぎる兵器を前にしては、その生命を守るだけで手詰まりである。逆に美鈴も攻め落とす決め手がない。
その状況で、美鈴の魔力容量は増えた。現状、神の楽園や、悪魔の地獄、神や神を殺した黄昏の輩ですら難なくと顕現して見せた彼女が、その魔力を倍に増やした。
聡明な頭脳を持つ女王はそのことを即座に把握し、どうしても最悪の事態が思い浮かび拭いきれない。
「じゃあ、わたしを倒せる?」
美鈴が、ゆっくりとまぶたを開いた。
刹那、女王の本能が、目の前のそれから離れろと体を勝手に操っていた。
世界が改変される。
万物の法則が更新されていく。
時間は不平等に流れ始める。
すべてが、美鈴の想像通りに変更された。
「存在証明原本を書き換えたとでも言いますのッ!?」
女王が神をも存在が記された、すべての原点を見て驚愕した。
すべての始まりである神を創る為に作られたはずの原点が、記された存在証明が次々に書き換えられていく。神でさえ改変が許されなかった定義が、覆った。
驚愕を通り越して唖然となった女王の瞳が、恐怖に染まった。
「この世界は、ひとつの物語なのかもしれないよね?」
尋ねるように言いながらも、美鈴の声は確信していた。
「わたしは、どんなお話でも、一度知った物語からならどんなものでも呼び出せるんだよ」
かつんと美鈴の甲冑のかかとが鳴った。
はっと気付いたときには、そこはすでに日常を取り戻した街だった。いや、人だけは居なかった。誰も居ないが、そこは女王が破壊しつくした街そのものだ。
「それなら、わたしが”この世界を呼び出せ”ても、おかしくはないでしょう?」
今、美玲の中には、無数の世界があった。
シャルロットの命を使い、美玲は自分の中に、世界をひとつ作った。魔法使いは元より自分を世界から切り離し、閉じたひとつの世界だと自分を認識している。
美玲はその隔絶された世界の中で、もうひとつ世界を作った。
その世界には人が六十億人いた。ではその世界の人間を全て魔力に置き換えればどうなるか。そして次は六十億の世界を造り、全世界を魔力に置き換える。それを延々と繰り返せば、途端に彼女の魔力総量は、世界を構成するエネルギー量を凌駕する。
それが美玲の魔力の根元。
かつんとかかとがアスファルトに触れて鳴る。
そこはすでに日常があった。
街も人も、すべていつも通り。
ただ、人々の記憶には、女王に破壊された街も、殺される直前の記憶もあった。
「そ、そんな出鱈目、できるはず」
かつんと鳴り、美鈴の両となりにゆかと薫がふっと現れ、目を白黒させている。
「じゃあ、わたしを殺してみて」
表情のない美鈴がつぶやき、思い出したように女王が結界を張ろうとして、止まる。
「う、うそですわッ!」
何度試しても、結界どころか魔力すらも流れ出ない。”この世界”では、女王の魔力が呼び出せないのだ。そう改変した。
女王は改めて顔を恐怖に凍りつく。すでに美鈴の後ろには、シャルロットや美鈴の家のものが並んで、女王を見ていた。
「あなたは悪いことをしてきた」
だからといって、彼女が免罪されることはない。美鈴にはそのつもりは無い。
「あなたに何がわかるの!? 最初から全部あったくせに! 愛情を一身に受けてきた癖に、わたくしに偉そうなことが言えるの!?」
女王はヒステリックに叫び、その場にすとんと腰を抜かして座り込んだ。おそらく、経験したことがない恐怖に直面して混乱しているのだろう。1万年も貼り付けてきた、強固な仮面がはがれ落ちた瞬間だ。見た目相応の少女のように泣きじゃくった。
「いや、いやよ! どうして!? わたくし、お父様もお母様もいなかったの! ずっとひとりぼっちで、評議会の通りのままにしてきただけなのよッ!?」
生まれ落とされ、傀儡のように言い操られていたのは事実だ。彼女は何も教えられず、ただ力の権化として魔法を磨き、その圧倒的な魔力で幾多の世界を押しつぶして征服してきた。
その絶対の存在であり、彼女の存在意義でもあった魔力が、今の彼女にはまったく作り出せない。一万年の間彼女を支えてきた唯一の存在がなくなった今、一瞬にして茨の女帝は瓦解していく。
かつんという、美鈴が近づく音がするたびに、肩を大きく揺らして少しでも這って逃れようとする。純白の手袋をした手で、濡れてぐしゃぐしゃになった顔を覆って、小さく震えた。
「それでも、あなたは許されない。沢山の人を殺して、傷つけてきたのは、本当なんだから」
静かに言い、美鈴はあと二歩まで近づいた女王に刃を向けようとした。
「それじゃあよ」
突然の声に、恐怖に歪んだ女王は戸惑った。
満身創痍の宗孝が、前に出てきて、美鈴の剣を持つ手を押さえた。
「俺が、一緒にいてやるよ。おまえさんも、俺の可愛い孫娘だしなぁ」
愛刀を杖にした宗孝は女王の隣にしゃがみ、いつものように柔和な笑みを浮かべて彼女の頭を撫でた。
「ムネタカお祖父様……?」
泣きじゃくり不思議そうに顔を上げた女王は、年端も行かない少女だった。狂気の仮面が砕かれた素顔だった。
「おまえさんはよ。踏み込んじゃ行けねぇとこまで行っちまった。それなりに罰も受けにゃならねぇ。それはわかるな?」
こくりと小さく頷く。
「いい子だ。でもよ、おまえさんも、俺の孫娘だしよ。一緒に、お叱り受けようや。な?」
目を見開き、信じられないという顔で宗孝を見上げた。
そして宗孝は一度厳しい顔を作り、ふっと振り返った。そこには彼の部下で、家に仕えているもの達が複雑な顔で立ち尽くしていた。
「大岡! 聞こえるかッ!?」
「はい!」
いつもとなにも変わらない大岡が、背筋を伸ばした。
「わりぃが、俺は孫と一緒に近所まで頭下げてくるからよ。戻ってくるまで、家の事を任せるぜ。少しばっかり遅くなるかもしらねぇから、そしたら美玲に家の鍵を渡してやってくれねぇか?」
言葉の意味を察したのか、大岡は細い目をいっぱいに開いた。そして膝を付いて、深々と頭を下げた。
「お任せください! 必ず、お留守お守りしてみせます!」
「それじゃあ、そろそろいってくるかな」
掛け声を共に立ち上がり、座り込んでいた女王の手を掴んで立たせる。
事態を把握した美玲は、顔を青ざめさせて駆け寄ろうとして、人生で二度目の祖父の叱責をもらった。
「おまえさんは、おねぇちゃんだろうが。あんまり、妹の前でわがままいうなよ、な? それにちょいと近所まで頭下げて来るだけだからよ。そんな顔すんじゃねぇやい」
美鈴は泣きそうな顔を俯かせた。
「今生の別れじゃぁ、ねえんだからよ」
柔和な笑みを浮かべた宗孝は、すこしだけ手を伸ばして美鈴の頬を軽く撫でるように、雫をふき取る。
「すぐ、戻るからよ。しゃんとしてんだぜ」
言われて、美鈴は小さく頷く。
「よし。それじゃあ、行ってくる。ほら、お姉ちゃんに、ちゃんと挨拶しな」
とんと女王の背中を押しやりると、赤面した彼女は小さく頭を下げた。悄然としたしぐさは、確かに美鈴よりも幼い印象を受ける。
「まあ、そういうこった。じゃあ、行くか」
また小さく女王、美鈴の妹、
「お、お姉さま、少しだけ、お許しを……」
畏怖が拭えないのだろう。小さく震える声で美鈴に魔力を返してくれるように願いを請う。
「うん……」
わずかに美鈴は後ろを向いて、シャルロットの顔を見た。視線に気付いたシャルロットは前に出て、愛子の前に出る。
「ぼくには、何も力がない。だから、あなたを断罪することも、復讐する事も叶わない。それでも、今のぼくと同じ立場の人は、いくらでもいることを忘れないでください」
複雑な思いを語ることは出来ない。目前で殺された家族や仲間のこと、助けてくれた人々のことを考えれば、今すぐにでも殺したいのが心情だろう。しかし、それをしてどうなるというのだろうか。おそらく、三桂評議会や女王という絶対的な支配者を失った数千の世界すべてで暴動が起きる。それは想像を絶する被害を生み、その殆どの世界で文明が滅ぶだろう。
帝国という存在は、膨大な犠牲を基に八百兆の人を束ね、無数の世界を安寧に導いたことに違いはないのだ。
その事実だけは、憎もうが敬おうが変わらないのだ。ならば、束ねた人々をよりよい方向へ導くことこそが、茨の女帝と恐れられた彼女の使命なのだろう。ここで、死ぬことではないはずだ。
「わかり、ました……」
今の愛子には、魔力を錬れるだけでも恐怖の対象なのだろう。今まで虫ほどにも思っていなかった相手に恐怖して、萎縮する。
「それじゃあ、いくよ」
戻ってきた魔力に、愛子はほっと胸をなでおろし、それでも背後の絶対的恐怖に震えながら、世界を行き来する門を呼び出した。
荘厳にして贅を凝らした巨大な門は、そこに在って無い存在。わずかにかすんで向こう側が透けている。そしてそのデザインは、美鈴の家の離れにあった、事故の原因になったものによく似ていた。
ゆっくりと開いていく門。並んだ少女と老人。
「それじゃ、いってくらぁ」
後ろ手を振り、宗孝は愛子の肩に手を置いて、その向こう側へと消えていった。
それを、美鈴はいつまでも見送っていた。