第42話 許された、わずかな時間

文字数 1,066文字

 再戦の約束を交わして、誇り高い貴公子は次の試合に向けて去っていった。

 昼食抜きで、3人見送ったことになる。

 板野さんと佐藤さん、そしてエセルバート・ウィルフレッド=ヒュー・スウィンナートン4世。


 

やれやれ……。

 店長から支給された昼食代を持って、僕は例のフードコートにやってきた。

 昼食時を過ぎてガラガラに空いたテーブルで、窓の外を眺める。

 初めて紫衣里に会った時に見た、遠い山々の燃え上がるような緑はもう、すっかり落ち着いていた。

竜田揚げ照り焼きチキンバーガーデラックス……頼んでいいかな。

 聞き覚えのある声だった。

 はっとして、その主を探す。

 ちょっと季節外れのキャミソールに、キュロット姿の少女がすぐそこにいた。

 長い黒髪を揺らして、澄んだ瞳で僕を見下ろしている。

好きなだけ。僕のおごり。
もう頼んできちゃった。

 それでいい。長月紫衣里は、それが許される女の子だ。

 だが、甘い顔をするつもりはない。ここはこの夏の……いや、いつも通りに。

 ところが、やはり紫衣里の方が一枚上手だった。

……!

 フードコートの客は少ない。

 電光石火の早業で、紫衣里の唇が僕の額に触れたのは気付かれなかっただろう。




……優勝のごほうび。
仕方ないな……。

 むしろハンバーガーのことでムッとしてみせると、紫衣里は僕の向かいに腰を下ろした。

 じゃれつく仔犬のような人懐っこさで尋ねてくる。

ねえねえ、あの後……どうなったの?
なかったことになった、何もかも。

 かいつまんで言うと、それが全てだった。

 紫衣里もいない。大手企業による将来の保証なんか、最初から期待してない。

 だが、僕は相変わらず、ゲームセンターでのアルバイトをしながら専門学校への進学資金を貯めている。

 再び、プロのe-スポーツプレイヤーを目指して。

そう……。

 全てを了解したように、紫衣里は笑った。

 僕が欲しかったのは、これだった。このために、僕は僕だけの戦いの中へと戻ったのだ。

 だが、万感の思いに浸る間もなく、不粋なアナウンスが2人の間のいい雰囲気をぶち壊しにした。

3番札をお持ちのお客様は……。
 紫衣里が無言で突き出した楕円形のプラスチック札には、「3」と書いてある。
僕が行ってくる。

 ゆっくり、ゆっくりと立ち上がった。

 あの老人の口ぶりでは、紫衣里はしばらく僕を覚えてくれているらしかった。

 その時間を、少しでも引き延ばしたかったのだ。

 だが、フードコートのカウンターまで、そんなに距離があるわけではない。

 僕の牛歩戦術は、10分ともたなかった。 

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登場人物紹介

長谷尾英輔(はせお えいすけ)

e-スポーツのプロを目指す公立高校3年生。

親からの仕送りを止められ、ゲームセンターでのアルバイトをしながら下宿生活を送っている。

情に脆く義理に厚いが、優柔不断でちょっとムッツリスケベ。

長月紫衣里(ながつき しえり)


幸運をもたらす銀のスプーンを豊かな胸元に提げた美少女。

無邪気で自由奔放、大食らいで格闘ゲームが妙に強い。

長谷尾の優柔不断を、要所要所でたしなめる。


板野星美(いたの ほしみ)


つらい過去を抱えた私立高校2年生。

ささやかな望みを叶えるために、禁止されているアルバイトをこっそりゲームセンターでやっている。

意志も意地も強い努力家で、つい無理をしてしまうところがある。

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