第8話 運命の12万円

文字数 1,134文字

あ……どうぞ、お先に。

 うまい具合に、もう昼食時間だった。

 例のフードコートで、僕は紫衣里と差し向かいで軽い食事を取った。

 そうしないと、間がもたなかったのだ。

 目の前のヤキソバ1杯が、その時間を保証してくれている。


いただきま~す!
 因みに、紫衣里のは大盛りで。
 僕はというと、ああいう話の後では、たかがヤキソバ1杯でも食欲が湧かない。
修学旅行か……。
 実は、僕には板野さんを救う手段があった。それを使うか使うまいか、僕は悩んでいたのだ。
 あっと言う間に一皿平らげた紫衣里が、不意に口を開く。 
それ、もらっていい?
どうぞ……。
ありがと~!
 僕の皿を手元に引き寄せると、ものすごい勢いで麺を啜る。
(それにしても……よく食うな)
 現実逃避したい気持ちもあって、僕は腹の中であの老人に八つ当たりした。
(本当は厄介払いしたかっただけじゃないのか、あの爺さん!)
 どういう事情があったか知らないが、これだけ食う娘を連れて歩くというのは並大抵のことではできないだろう。
ごちそうさま。
 それだけ言って、紫衣里は食器を返しに行く。
いえいえ、お粗末さま……。

 彼女の言葉は、非難にも聞こえた。

 こう言われた気がしたのだ。


 (……キミ、温いよ)

 そう、僕のやっていることは、板野さんに比べたら、かなり温い。

 僕が親に背いてe-スポーツのプロになるため、専門学校進学費用として貯めたのは、12万円。

 板野さんの修学旅行費用も、ちょうどその額らしい。

そりゃ、働いて貯めれば済む話だけど……。

 高校卒業に間に合うかどうかが問題だった。

ちょっと、よろしいですか?
……へ?
 いきなり声をかけられて、僕はびくっとした。あの老人かと思ったのだ。 
 だが、目の前にいたのはスーツ姿の朗らかな青年だった。
長谷尾英輔さんですね? お願いしたいことがあるんですが……。
え……と。
 紫衣里が行ってしまったほうを振り向いてみたが、その姿はどこにも見えなかった。
私、こういう者です。
はあ……。
 差し出された名刺を見て、はっとした。
佐藤一郎と申します。どうぞよろしく。

 偽名にはもってこいの、いちばん平凡で、そして忘れやすい名前だった。

 だが、僕の目を引きつけたのは、そこではない。

アルファレイド……ゲーム開発部門!
ご存知ですよね? 私どものことは。
 対戦型ゲーム「リタレスティック・バウト」に関することは、巨大コングロマリット「アルファレイド」の下で運営されている。
あ、店長なら下に……。

 案内しようと、そそくさ立ち上がる。

 そこで、紫衣里がまだ戻っていないのに気が付いて慌てた。

 だが、青年は僕に用があったらしい。

 

では、そちらでお相手していただけませんか……私と。
……相手?
 そこには、不敵な挑戦の響きがあった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

長谷尾英輔(はせお えいすけ)

e-スポーツのプロを目指す公立高校3年生。

親からの仕送りを止められ、ゲームセンターでのアルバイトをしながら下宿生活を送っている。

情に脆く義理に厚いが、優柔不断でちょっとムッツリスケベ。

長月紫衣里(ながつき しえり)


幸運をもたらす銀のスプーンを豊かな胸元に提げた美少女。

無邪気で自由奔放、大食らいで格闘ゲームが妙に強い。

長谷尾の優柔不断を、要所要所でたしなめる。


板野星美(いたの ほしみ)


つらい過去を抱えた私立高校2年生。

ささやかな望みを叶えるために、禁止されているアルバイトをこっそりゲームセンターでやっている。

意志も意地も強い努力家で、つい無理をしてしまうところがある。

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色