一.
文字数 6,149文字
金銀の細工物が彩るワゴンの並ぶ、微小人グラムの露店。
そのきらびやかな店先に、プリモは立つ。
と同時に、もみ手の店主グラムが、ワゴンの後方に設営されたテントの入口に陣取った。彼の黒いまなこは、何かの期待に活き活きと煌めく。
プリモを見守るハリアーも、小さなグラムの横で胡坐をかいている。その彼女の眼差しに溢れるのは、初めて外界、それも異国のバザールで働くプリモへの、深すぎる気遣いと不安。
二人の対照的な視線を浴びながら、プリモはグラムの指示に従い、素直に宝飾品を手にとって眺め始めた。
そんな彼女の耳に、グラムとハリアーの会話が聞こえてくる。
「おいおい、お前プリモにサクラをやらせるつもりか? そんなのうまくいくのかよ」
「いやいやいや」
胡散臭そうなハリアーの疑問の言葉だが、グラムは自信たっぷりに打ち消した。
「あっしの見たところ、今のこのバザールにゃあ、奥様以上に集客力 のある方はいないってもんさ」
へへへ、と笑うグラム。
「まあ見ててごらんよ。あんたにも、すぐに分かるさね。奥様の威力が」
そして数分。
良家の子女を装うプリモの姿に釣られたのか、露店の周りに人垣が出来上がった。それも数十人からなる、かなり分厚い人の壁。果たして、グラムの予言どおりだ。
そんなお客たちを一瞥し、グラムがむふふ、と満ち足りた笑いを洩らした。隣のハリアーをわずかに肘で小突き、ひそひそと囁く。
「ほら見なよ、流星雨の。この揃いに揃った上客を。奥様のおかげで、がっぽり儲かるぜ」
「むう、た、確かにな……」
決まり悪そうに洩らし、ハリアーもぐうの音もでない顔で露店を見渡す。
なるほど、アクセサリーが満載されたワゴンに群がる客は、身なりのいい貴婦人や、装備の整った冒険者が揃っている。誰も彼もみな、羽振りがとてもよさそうだ。
「ごめんくださいな。ご店主はいらっしゃるー?」
「はいはい、ただいまー」
すぐに客たちからお呼びがかかり、にんまり笑顔のグラムが、いそいそと立ち上がった。
ワゴンに向かって佇むだけのプリモをよそに、アクセサリーは飛ぶように売れてゆく。しかもお客は次々と入れ替わり立ち代り現われ、ひきも切らない賑わいぶりだ。
それでも約束の小半時には、まだまだ時間がある。グラムから任された仕事を続けるべく、プリモはワゴンの上を見渡した。目に見えて点数は減ってきたものの、まだ宝飾品はいろいろと残っている。
プリモは、ふと銀のペンダントに目を留めた。
円い枠の中に、何か複雑な模様が刻んである。表面は黒ずみ、縁もかなり磨耗していて、かなり古い物のようだ。いわゆる魔法陣か魔除け、だろうか。
プリモは何気なく、どこか馴染みのあるペンダントに指を伸ばした。
と、彼女の指が、同じペンダントを取った誰かの手に触れた。陶器のように白く滑らかで、ひんやりと冷たい手。
プリモはびくっと手を引っ込めると、その異様に繊細な手の主に謝った。
「あ、ごめんなさい」
顔を上げてみると、プリモの真横にいるのは、頭のてっぺんから爪先まで、真っ黒なローブをすっぽりと被った小柄な人物だ。
顔の部分に細長いスリットが空いていて、トパーズのような瞳が煌めいているのが見える。どこか表情に乏しく瞬きのない目だが、女性的な印象は漂う。
実際、どこか華奢な体の線や、額の辺りに付けられた金のヘアバンドなどは、この人物が女性であることを匂わせる。
プリモと視線を合わせた瞬間、ローブのこの人物は、身を仰け反らせて低く呻いた。
「“薄暮人(ダスカン)”……!?」
「はい?」
記憶に残る言葉を聞いて、プリモは小首を傾げた。明らかに驚きの色を見せたこの人物だが、すぐに平然と首を横に振る。
「いえ、お気になさらず」
高く澄んだ女性な女性の声だ。間違いなく女性だろう。このローブの女は、続けてプリモに短く聞いてきた。
「貴女は魔術師かしら?」
「いいえ。どうしてですか?」
プリモが尋ね返すと、ローブの女は銀のペンダントを手に取った。
「これはかなり古い魔除けなの。四百年ほど前の魔道書、『百図譜』に描かれた魔法陣を忠実に模してあるのよ。地味で目立たないけれど、これに目を留めるのは、ある程度の階位に至った魔術師だけだから」
どうやら魔術について、かなり詳しい女性のようだ。いでたちから察すると、メヴィウスと同じ魔術師なのだろう。
ぶかぶかのローブに覆われた外見からは、年齢など全く分からない。だが布の下で響く声の調子から察するに、二十代前半といったところだろうか。
その魔術師らしい女性は、透明過ぎる瞳でプリモを正視した。
「ところで、貴女も何かお探しかしら?」
プリモは特に疑問も抱くことなく、素直にうなずく。
「はい。わたし、このバザールに偏向水晶 を探しに来たんです」
正直に目的を口にして、プリモはうなだれた。ふう、と小さな吐息が、彼女の唇から洩れる。
「でもこのバザールでは見つからなくて。これから街の中の魔法屋さんと骨董屋さんを探しに行くところです」
「偏向水晶 ……!」
プリモの言葉を繰り返し、女性が肩を揺らした。ローブのせいで表情は窺えないが、素振りから察するに、かなり驚いているようだ。
「偏向水晶は、用途も限定的で知る人も少ない、かなり特殊な水晶よ。今はもう相当な希少品になっているから、扱っているお店は少ないでしょうね」
言いながら、このローブの女性は、手にした魔除けのペンダントをワゴンに戻した。
そうしてプリモに向き直り、柔らかな口調でプリモを誘う。
「それなら、私のお店に来ない? 私はこの街で小さな魔法屋 を開いているの。偏向水晶なら、幾つか在庫があったはずだから」
「まあ、本当ですか!?」
思わず声を弾ませたプリモは、喜色満面にぱんと手を打った。彼女はローブのスリットから覗く女性の目を真っ直ぐに見つめ、謙虚に頭を下げる。
「ぜひ、あなたのお店にお邪魔させて下さい。お願いします」
「ええ、もちろん。ついていらっしゃい」
魔法屋の主人を名乗るこの女性は、快くうなずいた。ローブの裾を翻して踝を反しつつ、女性はプリモを差し招く。
だが、プリモはそこで首を横に振った。
「わたしには連れの方がいます。お呼びしないと」
「ここからそんなに遠くないから、すぐ戻れるわ」
と、どこか急かすように女性は言うが、プリモは受け容れない。もう一度首を横に振って、女性にハッキリと言う。
「いいえ、ここまで一緒に来て、一緒に帰る方ですから。せめて断っておかないと」
そうしてプリモは、女性が何か言うより早く、大きな声を上げた。
「ハリアーさーん」
プリモの呼ぶ声を聞くなり、ハリアーがぴくんと顔を起こした。
「どうした?」
それまで赤い豹の置物のように座っていた彼女が、すっくと立ち上がる。そして客たちをかき分けて、即座にプリモの側にやってきた。
「どうしたんだ? 何かあった?」
緊迫した口調で短く問い、鋭い眼差しでプリモと女性を見比べるハリアー。
しかしプリモは興奮を抑え切れず、弾んだ調子で女性を紹介する。
「こちらの方が魔法屋 を開いていて、偏向水晶を売っていらっしゃるそうなんです。わたし、この方のお店に伺おうと思うのですが……」
嬉しさを隠せないプリモは、満面の笑みでハリアーに告げた。すると息を吸いかけたハリアーの機先を制し、ローブの女性が短く聞いてきた。
「こちらの戦士は?」
「ハリアーさんです。有名な賞金稼ぎなんですって」
プリモは、腕組みで傲然と立つハリアーを女性に紹介した。そのハリアーは、油断のない眼差しで女性をじろじろと眺め回している。
彼女の短い説明を聞き、女性がローブの下で低く洩らした。
「『流星雨のハリアー』……!」
ローブの隙間から覗く目つきは平常なままだが、わずかに上体を引いたようにも映る。
ハリアーがローブの女性をぐっと見据え、ぶっきらぼうに問いをぶつけた。
「お前、どこの何者だ?」
いかにも無作法に響くハリアーの質問だが、女性の態度には目に見える変化がない。どこか人工的に、女性は飄々と答える。
「私はパペッタ。この街で魔法屋“久遠庵 ”を開いているわ」
「魔法屋の主人なら、魔術師だろ? だったら“継承名 ”と階位も名宣れよ」
ハリアーが、さらに胡乱な目で突っ込んだ。しかし、女性は冷淡に首を横に振る。
「一応、コンコード学派に属する魔術師だけれど、階位までは言う必要はないでしょう。私は冒険者ではないもの」
どこか侮蔑的に響く女性の言葉を聞き、ハリアーは眉を吊り上げた。しかし不機嫌な彼女には取り合わず、このパペッタと名乗る女が、プリモに視線を注ぐ。
「さ、私のお店に行きましょう。案内するわ」
と、プリモが応えるより早く、ハリアーがプリモの華奢な肩をぐっと掴んだ。彼女は、そのままプリモの耳元にそっと口を寄せる。
「ちょっとプリモ。ホントにコイツの誘いに乗るつもり? 何だか怪し過ぎるよ」
今までになく真剣な顔のハリアーが、さらに用心深げに眉をひそめた。彼女は黙して立つパペッタをチラ見しながら、ひそひそとプリモに耳打ちする。
「プリモがアイツのために一生懸命なのは分かるけどさ、もっと相手は選んだ方がいいよ。他にも店はあるんだろうから、あたしらで探そう」
護衛を自任するハリアーの諫言を聞き、プリモはわずかにうつむいた。
楕円の瞳を伏せて、彼女はじっと考える。
……確かに、このパペッタと名乗る女性は、どこか普通ではない。
とは言うものの、『右も左も分からないこの広い街で、見たこともない虹色の水晶を、夕方までに捜し出す』、ハリアーと二人だけで、そんなことが本当にできるのだろうか。
おまけに、こうしている間にも、帰還の刻限はじりじりと迫る。このままメヴィウス独りを塔に残したまま、外泊して明日も探す、なんてできるワケもない。
それに、この女性も好意で誘ってくれているのだろうし、断るのも何だか心苦しい……。
心を決めて、プリモは顔を上げた。緊張漲るハリアーの顔を楕円の瞳に映し、プリモはにっこりと笑って見せる。
「いいえ、わたし、パペッタさんのお店に伺おうと思います。せっかく見ず知らずのわたしに教えて下さったのですから」
はっきり答えたプリモの声が、買い物客の喧騒の中でも凛と響く。
ハリアーの殺ぎ立った眉から力が抜けた。がっくりと肩を落としたハリアーが、諦めたように大きなため息をつく。
「……分かったよ。プリモがそこまで言うんなら、あたしも止めない」
言っておきながら、ハリアーは再びぎんっ、と目を剥いた。彼女は、黙して立つパペッタに向き直り、爛々と光る紫紺の視線をローブの女に突き立てる。
「でも、あたしも一緒に行く。プリモの護衛だからな。まさかダメとは言わないよな? パペッタ」
「別に気にはしないわ。来たいならいらっしゃい、“流星雨のハリアー”さん」
飽くまで無関心なパペッタの答えを聞き、プリモは辺りを見回してグラムを呼んだ。
「あのー、グラムさーん」
「はいはい」
即座に答える声が聞こえ、グラムが買い物客の間から姿を現わした。そのほくほく顔は、実に明るく輝いている。かなりの儲けが上がっているのだろう。
「おお、奥様。どうなさいました?」
弾んだ声で聞くグラムを真っ直ぐ見ながら、プリモは尋ねる。
「あの、そろそろわたしは偏向水晶を探しに行きたいのですが、構いませんか?」
「ああ、もちろんでさ! 大変なお働き、ありがとうございます。いや、そりゃもう助かりました」
深々とうなずいたグラムは、小さな両手でプリモの手をぎゅっと握り締めた。
プリモ的には、店の前に突っ立って商品を眺めていただけで、グラムのお礼の意味が全く理解できない。だが彼の感謝感激だけは、びんびんに伝わってくる。
とりあえずは、グラムの役には立てたようだ。ささやかな充足感が、プリモの内にじんわりと広がってくる。
プリモも嬉しさに溢れた笑顔を浮かべ、謙虚に頭を下げた。
「いえ、こちらこそ、たくさん助けて頂きました。本当にありがとうございます」
「何をおっしゃいますか、奥様」
グラムの手に力が篭ったのが分かった。
「あっしは、ただ奥様たちをアリオストポリにお連れした、ただそれだけでさ。それをここまでお手伝い頂いて、感謝の言葉もありやせんや。ここまでくれば、もう安心」
彼は小さな両手を大きく広げ、店先を示した。その店先には、まだまだ上品な女性を主とした買い物客がひしめいている。
と、そこでグラムの表情が変わった。プリモを見上げるグラムの表情は、実に心配そうに映る。
「それで、偏向水晶を探しに行くあてはあるんですかい? 奥様」
「はい。魔法屋さんにお会いしました。お店まで案内して頂くので」
プリモの言葉を聞き、グラムはプリモに視線を注いだまま、安堵の笑顔でうなずいた。
「そいつは良かった。じゃあ探し物が済んだら、またここへ立ち寄っておくんなさい。ぜひとも奥様にお話したいことがありますんで」
「分かりました。また後でお邪魔しますね」
プリモも、屈託のない笑顔で応えた。
「お待ちしてますよ、奥様」
そうしてグラムは、プリモの傍らでむすっと立ち尽くすハリアーに目を向けた。
「奥様をよろしく頼むぜ、流星雨の」
「言われなくても、何があったって、あたしがプリモを守るさ」
不信と不満の渦巻く不穏な顔で返しつつ、ハリアーが黙って待つパペッタを横目に睨む。
そのパペッタは、ガラス玉の目でプリモとハリアーを見比べながら、再び二人を誘う。その物腰も口調も、実に淡々としている。
「では行きましょう。私のお店は、ここから近い裏路地にあるから」
パペッタは黒いローブの裾を翻し、プリモとハリアーに背中を向けた。そしてゆっくりとした足取りで、グラムの店を離れてゆく。
プリモは踏み出す前に、ハリアーの顔をちらりと見た。むっつりと黙り込んだ彼女は、口許をぐっと曲げ、疑念の漲る目でパペッタの背中を睨んでいる。
……本当に、このパペッタに着いて行っていいのか?
一雫の迷いが胸に湧き上がったプリモだった。
腕利きのハリアーがこれだけの警戒心を見せているのは、やはり何か危険の匂いを嗅ぎ取っているからに違いない。
だがプリモは軽く頭を振った。探し物の手がかりが、今目の前にある。そして、旦那さまの役に立てるのも、もうすぐだ。
迷いを払拭したプリモは、十歩ばかり先を行くパペッタの背中を追った。
そのきらびやかな店先に、プリモは立つ。
と同時に、もみ手の店主グラムが、ワゴンの後方に設営されたテントの入口に陣取った。彼の黒いまなこは、何かの期待に活き活きと煌めく。
プリモを見守るハリアーも、小さなグラムの横で胡坐をかいている。その彼女の眼差しに溢れるのは、初めて外界、それも異国のバザールで働くプリモへの、深すぎる気遣いと不安。
二人の対照的な視線を浴びながら、プリモはグラムの指示に従い、素直に宝飾品を手にとって眺め始めた。
そんな彼女の耳に、グラムとハリアーの会話が聞こえてくる。
「おいおい、お前プリモにサクラをやらせるつもりか? そんなのうまくいくのかよ」
「いやいやいや」
胡散臭そうなハリアーの疑問の言葉だが、グラムは自信たっぷりに打ち消した。
「あっしの見たところ、今のこのバザールにゃあ、奥様以上に
へへへ、と笑うグラム。
「まあ見ててごらんよ。あんたにも、すぐに分かるさね。奥様の威力が」
そして数分。
良家の子女を装うプリモの姿に釣られたのか、露店の周りに人垣が出来上がった。それも数十人からなる、かなり分厚い人の壁。果たして、グラムの予言どおりだ。
そんなお客たちを一瞥し、グラムがむふふ、と満ち足りた笑いを洩らした。隣のハリアーをわずかに肘で小突き、ひそひそと囁く。
「ほら見なよ、流星雨の。この揃いに揃った上客を。奥様のおかげで、がっぽり儲かるぜ」
「むう、た、確かにな……」
決まり悪そうに洩らし、ハリアーもぐうの音もでない顔で露店を見渡す。
なるほど、アクセサリーが満載されたワゴンに群がる客は、身なりのいい貴婦人や、装備の整った冒険者が揃っている。誰も彼もみな、羽振りがとてもよさそうだ。
「ごめんくださいな。ご店主はいらっしゃるー?」
「はいはい、ただいまー」
すぐに客たちからお呼びがかかり、にんまり笑顔のグラムが、いそいそと立ち上がった。
ワゴンに向かって佇むだけのプリモをよそに、アクセサリーは飛ぶように売れてゆく。しかもお客は次々と入れ替わり立ち代り現われ、ひきも切らない賑わいぶりだ。
それでも約束の小半時には、まだまだ時間がある。グラムから任された仕事を続けるべく、プリモはワゴンの上を見渡した。目に見えて点数は減ってきたものの、まだ宝飾品はいろいろと残っている。
プリモは、ふと銀のペンダントに目を留めた。
円い枠の中に、何か複雑な模様が刻んである。表面は黒ずみ、縁もかなり磨耗していて、かなり古い物のようだ。いわゆる魔法陣か魔除け、だろうか。
プリモは何気なく、どこか馴染みのあるペンダントに指を伸ばした。
と、彼女の指が、同じペンダントを取った誰かの手に触れた。陶器のように白く滑らかで、ひんやりと冷たい手。
プリモはびくっと手を引っ込めると、その異様に繊細な手の主に謝った。
「あ、ごめんなさい」
顔を上げてみると、プリモの真横にいるのは、頭のてっぺんから爪先まで、真っ黒なローブをすっぽりと被った小柄な人物だ。
顔の部分に細長いスリットが空いていて、トパーズのような瞳が煌めいているのが見える。どこか表情に乏しく瞬きのない目だが、女性的な印象は漂う。
実際、どこか華奢な体の線や、額の辺りに付けられた金のヘアバンドなどは、この人物が女性であることを匂わせる。
プリモと視線を合わせた瞬間、ローブのこの人物は、身を仰け反らせて低く呻いた。
「“薄暮人(ダスカン)”……!?」
「はい?」
記憶に残る言葉を聞いて、プリモは小首を傾げた。明らかに驚きの色を見せたこの人物だが、すぐに平然と首を横に振る。
「いえ、お気になさらず」
高く澄んだ女性な女性の声だ。間違いなく女性だろう。このローブの女は、続けてプリモに短く聞いてきた。
「貴女は魔術師かしら?」
「いいえ。どうしてですか?」
プリモが尋ね返すと、ローブの女は銀のペンダントを手に取った。
「これはかなり古い魔除けなの。四百年ほど前の魔道書、『百図譜』に描かれた魔法陣を忠実に模してあるのよ。地味で目立たないけれど、これに目を留めるのは、ある程度の階位に至った魔術師だけだから」
どうやら魔術について、かなり詳しい女性のようだ。いでたちから察すると、メヴィウスと同じ魔術師なのだろう。
ぶかぶかのローブに覆われた外見からは、年齢など全く分からない。だが布の下で響く声の調子から察するに、二十代前半といったところだろうか。
その魔術師らしい女性は、透明過ぎる瞳でプリモを正視した。
「ところで、貴女も何かお探しかしら?」
プリモは特に疑問も抱くことなく、素直にうなずく。
「はい。わたし、このバザールに
正直に目的を口にして、プリモはうなだれた。ふう、と小さな吐息が、彼女の唇から洩れる。
「でもこのバザールでは見つからなくて。これから街の中の魔法屋さんと骨董屋さんを探しに行くところです」
「
プリモの言葉を繰り返し、女性が肩を揺らした。ローブのせいで表情は窺えないが、素振りから察するに、かなり驚いているようだ。
「偏向水晶は、用途も限定的で知る人も少ない、かなり特殊な水晶よ。今はもう相当な希少品になっているから、扱っているお店は少ないでしょうね」
言いながら、このローブの女性は、手にした魔除けのペンダントをワゴンに戻した。
そうしてプリモに向き直り、柔らかな口調でプリモを誘う。
「それなら、私のお店に来ない? 私はこの街で小さな
「まあ、本当ですか!?」
思わず声を弾ませたプリモは、喜色満面にぱんと手を打った。彼女はローブのスリットから覗く女性の目を真っ直ぐに見つめ、謙虚に頭を下げる。
「ぜひ、あなたのお店にお邪魔させて下さい。お願いします」
「ええ、もちろん。ついていらっしゃい」
魔法屋の主人を名乗るこの女性は、快くうなずいた。ローブの裾を翻して踝を反しつつ、女性はプリモを差し招く。
だが、プリモはそこで首を横に振った。
「わたしには連れの方がいます。お呼びしないと」
「ここからそんなに遠くないから、すぐ戻れるわ」
と、どこか急かすように女性は言うが、プリモは受け容れない。もう一度首を横に振って、女性にハッキリと言う。
「いいえ、ここまで一緒に来て、一緒に帰る方ですから。せめて断っておかないと」
そうしてプリモは、女性が何か言うより早く、大きな声を上げた。
「ハリアーさーん」
プリモの呼ぶ声を聞くなり、ハリアーがぴくんと顔を起こした。
「どうした?」
それまで赤い豹の置物のように座っていた彼女が、すっくと立ち上がる。そして客たちをかき分けて、即座にプリモの側にやってきた。
「どうしたんだ? 何かあった?」
緊迫した口調で短く問い、鋭い眼差しでプリモと女性を見比べるハリアー。
しかしプリモは興奮を抑え切れず、弾んだ調子で女性を紹介する。
「こちらの方が
嬉しさを隠せないプリモは、満面の笑みでハリアーに告げた。すると息を吸いかけたハリアーの機先を制し、ローブの女性が短く聞いてきた。
「こちらの戦士は?」
「ハリアーさんです。有名な賞金稼ぎなんですって」
プリモは、腕組みで傲然と立つハリアーを女性に紹介した。そのハリアーは、油断のない眼差しで女性をじろじろと眺め回している。
彼女の短い説明を聞き、女性がローブの下で低く洩らした。
「『流星雨のハリアー』……!」
ローブの隙間から覗く目つきは平常なままだが、わずかに上体を引いたようにも映る。
ハリアーがローブの女性をぐっと見据え、ぶっきらぼうに問いをぶつけた。
「お前、どこの何者だ?」
いかにも無作法に響くハリアーの質問だが、女性の態度には目に見える変化がない。どこか人工的に、女性は飄々と答える。
「私はパペッタ。この街で魔法屋“
「魔法屋の主人なら、魔術師だろ? だったら“
ハリアーが、さらに胡乱な目で突っ込んだ。しかし、女性は冷淡に首を横に振る。
「一応、コンコード学派に属する魔術師だけれど、階位までは言う必要はないでしょう。私は冒険者ではないもの」
どこか侮蔑的に響く女性の言葉を聞き、ハリアーは眉を吊り上げた。しかし不機嫌な彼女には取り合わず、このパペッタと名乗る女が、プリモに視線を注ぐ。
「さ、私のお店に行きましょう。案内するわ」
と、プリモが応えるより早く、ハリアーがプリモの華奢な肩をぐっと掴んだ。彼女は、そのままプリモの耳元にそっと口を寄せる。
「ちょっとプリモ。ホントにコイツの誘いに乗るつもり? 何だか怪し過ぎるよ」
今までになく真剣な顔のハリアーが、さらに用心深げに眉をひそめた。彼女は黙して立つパペッタをチラ見しながら、ひそひそとプリモに耳打ちする。
「プリモがアイツのために一生懸命なのは分かるけどさ、もっと相手は選んだ方がいいよ。他にも店はあるんだろうから、あたしらで探そう」
護衛を自任するハリアーの諫言を聞き、プリモはわずかにうつむいた。
楕円の瞳を伏せて、彼女はじっと考える。
……確かに、このパペッタと名乗る女性は、どこか普通ではない。
とは言うものの、『右も左も分からないこの広い街で、見たこともない虹色の水晶を、夕方までに捜し出す』、ハリアーと二人だけで、そんなことが本当にできるのだろうか。
おまけに、こうしている間にも、帰還の刻限はじりじりと迫る。このままメヴィウス独りを塔に残したまま、外泊して明日も探す、なんてできるワケもない。
それに、この女性も好意で誘ってくれているのだろうし、断るのも何だか心苦しい……。
心を決めて、プリモは顔を上げた。緊張漲るハリアーの顔を楕円の瞳に映し、プリモはにっこりと笑って見せる。
「いいえ、わたし、パペッタさんのお店に伺おうと思います。せっかく見ず知らずのわたしに教えて下さったのですから」
はっきり答えたプリモの声が、買い物客の喧騒の中でも凛と響く。
ハリアーの殺ぎ立った眉から力が抜けた。がっくりと肩を落としたハリアーが、諦めたように大きなため息をつく。
「……分かったよ。プリモがそこまで言うんなら、あたしも止めない」
言っておきながら、ハリアーは再びぎんっ、と目を剥いた。彼女は、黙して立つパペッタに向き直り、爛々と光る紫紺の視線をローブの女に突き立てる。
「でも、あたしも一緒に行く。プリモの護衛だからな。まさかダメとは言わないよな? パペッタ」
「別に気にはしないわ。来たいならいらっしゃい、“流星雨のハリアー”さん」
飽くまで無関心なパペッタの答えを聞き、プリモは辺りを見回してグラムを呼んだ。
「あのー、グラムさーん」
「はいはい」
即座に答える声が聞こえ、グラムが買い物客の間から姿を現わした。そのほくほく顔は、実に明るく輝いている。かなりの儲けが上がっているのだろう。
「おお、奥様。どうなさいました?」
弾んだ声で聞くグラムを真っ直ぐ見ながら、プリモは尋ねる。
「あの、そろそろわたしは偏向水晶を探しに行きたいのですが、構いませんか?」
「ああ、もちろんでさ! 大変なお働き、ありがとうございます。いや、そりゃもう助かりました」
深々とうなずいたグラムは、小さな両手でプリモの手をぎゅっと握り締めた。
プリモ的には、店の前に突っ立って商品を眺めていただけで、グラムのお礼の意味が全く理解できない。だが彼の感謝感激だけは、びんびんに伝わってくる。
とりあえずは、グラムの役には立てたようだ。ささやかな充足感が、プリモの内にじんわりと広がってくる。
プリモも嬉しさに溢れた笑顔を浮かべ、謙虚に頭を下げた。
「いえ、こちらこそ、たくさん助けて頂きました。本当にありがとうございます」
「何をおっしゃいますか、奥様」
グラムの手に力が篭ったのが分かった。
「あっしは、ただ奥様たちをアリオストポリにお連れした、ただそれだけでさ。それをここまでお手伝い頂いて、感謝の言葉もありやせんや。ここまでくれば、もう安心」
彼は小さな両手を大きく広げ、店先を示した。その店先には、まだまだ上品な女性を主とした買い物客がひしめいている。
と、そこでグラムの表情が変わった。プリモを見上げるグラムの表情は、実に心配そうに映る。
「それで、偏向水晶を探しに行くあてはあるんですかい? 奥様」
「はい。魔法屋さんにお会いしました。お店まで案内して頂くので」
プリモの言葉を聞き、グラムはプリモに視線を注いだまま、安堵の笑顔でうなずいた。
「そいつは良かった。じゃあ探し物が済んだら、またここへ立ち寄っておくんなさい。ぜひとも奥様にお話したいことがありますんで」
「分かりました。また後でお邪魔しますね」
プリモも、屈託のない笑顔で応えた。
「お待ちしてますよ、奥様」
そうしてグラムは、プリモの傍らでむすっと立ち尽くすハリアーに目を向けた。
「奥様をよろしく頼むぜ、流星雨の」
「言われなくても、何があったって、あたしがプリモを守るさ」
不信と不満の渦巻く不穏な顔で返しつつ、ハリアーが黙って待つパペッタを横目に睨む。
そのパペッタは、ガラス玉の目でプリモとハリアーを見比べながら、再び二人を誘う。その物腰も口調も、実に淡々としている。
「では行きましょう。私のお店は、ここから近い裏路地にあるから」
パペッタは黒いローブの裾を翻し、プリモとハリアーに背中を向けた。そしてゆっくりとした足取りで、グラムの店を離れてゆく。
プリモは踏み出す前に、ハリアーの顔をちらりと見た。むっつりと黙り込んだ彼女は、口許をぐっと曲げ、疑念の漲る目でパペッタの背中を睨んでいる。
……本当に、このパペッタに着いて行っていいのか?
一雫の迷いが胸に湧き上がったプリモだった。
腕利きのハリアーがこれだけの警戒心を見せているのは、やはり何か危険の匂いを嗅ぎ取っているからに違いない。
だがプリモは軽く頭を振った。探し物の手がかりが、今目の前にある。そして、旦那さまの役に立てるのも、もうすぐだ。
迷いを払拭したプリモは、十歩ばかり先を行くパペッタの背中を追った。