二.
文字数 6,101文字
食堂を出たプリモとハリアーは、メヴィウスの先導で塔の一室に入った。
そこは、飾り気の全くない、広い部屋だ。天井は高く、差し渡しは奥行き十数歩ばかりだろうか。
真四角な床の中央に、何か大きな器械が据えてある。細長い三本の脚で立つ、見上げるように大きな器械。どうやら、鉄と真鍮でできているようだ。歯車やら小箱やらがごちゃごちゃと入り組み、独特の金属臭が漂う本体のてっぺんから、一本の腕が突き出しているのが見て取れる。プリモも初めて見る、奇妙な器械だ。
その器械の側には、質素な衣装掛けが二つ立ててある。どちらもそこらにありふれた、鉄のラックだ。白い円に立てられた衣装掛けは空だが、もう一方には二、三着の服が吊り下げられている。
そんな室内を胡散臭そうに一瞥して、ハリアーがプリモに聞く。
「プリモ、この部屋は?」
「旦那さまの“次元器械室”です。わたしも、数えるほどしか入ったことがありません」
プリモがハリアーの質問に答えるのと同時に、メヴィウスが器械の側に立てられた衣装掛けから一着の服を取った。
「これに着替えて、今着ている服は、ハンガーに掛けてくれ。ああ、俺は見てないから」
メヴィウスから差し出されたのは、いつものメイド服と黒い靴だった。見た目は同じだが、どうやら新品らしく、しわ一つない。
主人の命じるまま、しかしためらいがちに、プリモは今着ているワンピースをするりと脱いだ。下着姿のままに主人の様子を伺うと、メヴィウスは偏向水晶を真鍮のバルブに取り付けている。宣言どおり、プリモを見てはいないようだ。
偏向水晶を組みこんだ部品を手にしたまま、メヴィウスが大きな器械のハンドルを回す。すると器械から突き出した一本の腕が、音もなくメヴィウスの目の高さにまで下がってきた。彼はその器械の先端に、慎重な手付きで偏向水晶のバルブを取り付ける。
「よし」
メヴィウスが口許を締めてうなずくのと同時に、プリモも着替えを終えた。着慣れない高価な服から、いつものメイド姿へと戻ったプリモ。ちょっぴりの残念感と深い安堵が、小さなため息となってプリモから洩れる。
器械の腕を再び上げたメヴィウスが、ハリアーから借りた衣装を抱えるプリモへと振り向いた。
「あのハンガーに、その服を掛けてくれ」
彼が指差したのは、白い円の中に立てられた、空の衣装掛けだ。
プリモは主人の指示どおり、衣装掛けにワンピースとショール、それにベルトを掛けた。パンプスもそろえて円の内側に置くと、メヴィウスが告げる。
「始めるから、二人とも、ちょっと下がってくれ」
主人の指示どおり、プリモとハリアーは衣装掛けから六歩離れた。
同時に、メヴィウスが器械の側面に取り付けられた操作盤に手を触れる。歯車が回る軋みとともに器械の腕がきりきりと動き、円の中の衣装へと向けられる。その先端に光るのは虹色の結晶が、あの偏向水晶に違いない。
一体何が起こるのか。固唾を呑んで見守るプリモは、つい息を詰めた。
と、次の瞬間、偏向水晶から一筋の光線がほとばしった。ピンク色に輝く一条の光が衣装を捉えたその刹那、ハンガーに掛けられた衣装は、音もなく消え失せた。
「あら?」
「を?」
目をぱちぱちさせるプリモ、裏返った声を上げたハリアーをよそに、メヴィウスが操作盤に軽く触れた。すぐに動作を止めた器械は沈黙し、部屋が再び静寂を取り戻す。
「ここまでは成功か……」
メヴィウスが小さくつぶやいた。しかしまだ硬い表情を留めたまま、彼は器械の裏へと回り、胴体についた小窓から何か取り出した。
「何だ? ソレ」
ハリアーが、メヴィウスの手の中ををひょいと覗き込む。プリモも、ハリアーに釣られてメヴィウスの手元へと視線を注いだ。
主人の手の中にあるのは、銀と水晶で作られたペンダントだ。銀の鎖が付いた燻し銀の環の中に、小指ほどの透明な結晶が嵌めてある。
メヴィウスは、そのペンダントをハリアーに手渡した。
「プリモの首に掛けてやってくれ」
「ああ、いいよ。ちょっとゴメンね、プリモ」
プリモの後ろに立ったハリアーが、ペンダントの金の鎖にプリモの首を通した。ひんやりとしつつも、確かな存在感が、プリモの胸元にじんわりと掛かってくる。
「うんうん、よく似合ってるじゃない」
プリモの正面に立ったハリアーが、笑顔で何度もうなずく。そんな女闘士の横で、メヴィウスがポケットから何か取り出した。
「これをプリモの指に嵌めてやってくれ。どの指でもいい」
ハリアーが手渡されたのは、金の指輪。小さな丸い水晶が埋め込まれた、アクセサリーとしては簡素なものだ。だが、そこが却って品の良さを際立たせる。
「これでいいか? メヴィウス」
プリモの左手を取ったハリアーが、金の指輪を薬指に通した。指輪は計ったように、するりとプリモの指の付け根に収まった。
「水晶が手のひらの内側に向くように。ああ、そうそう、それでいい」
まだ表情を緩めないまま、浅くうなずいたメヴィウスがプリモに目を向けた。
「指輪の水晶を、ペンダントの水晶に当ててみてくれ、プリモ」
「あ、はい。旦那さま」
訳も分からないまま、プリモは手のひらに向いた指輪の水晶を、ペンダントに重ねた。
と、その瞬間、白黒のメイド服姿だったプリモは、音もなくあのワンピースとショール、それにパンプスに身を包んでいた。
「まあ!」
驚くプリモの横で、をを!? とハリアーが裏返った声を上げた。瞬時に良家の子女風に装ったプリモを眺め回しながら、メヴィウスも、口許を綻ばせて何度もうなずく。
「水晶の面を換えて、もう一度指輪を当ててくれ」
主人の指示に従い、結晶を回したプリモは、指輪を水晶の別の面に当てた。すると今度は、プリモはまた白黒のメイド服へと瞬時に戻った。
「成功だ」
メヴィウスが、深い安堵の息を洩らした。硬かった表情も漸く緩み、余裕が戻ってきたようだ。何となく安心したプリモから、メヴィウスがさっさっとペンダントと指輪を取り去った。
……一体、これはどういうことなのか?
頭の中に、『?』だけが山盛りに積み上がる。
困惑の只中に放置されたプリモは、素直に疑問を口にした。
「あ、あの、旦那さま? それは何ですか……?」
楕円の瞳の中で、メヴィウスがペンダントと指輪を黒いビロードの箱に収めながら、無感情に答える。
「これは“水晶衣装櫃 ”と“鍵指輪 ”だ。偏向水晶 で取り込んだ衣装を、ペンダントの“記憶水晶 ”に取り込んである」
会心の笑みが、メヴィウスの口元に覗く。
「指輪の水晶が記憶水晶に触れると、装着している者の衣装が入れ替わる。記憶水晶は六面あって、六つまで衣装を記憶できる。今は一面使ってるから、あと五着だな」
メヴィウスが、箱をぱちんと閉じた。その表情には、どこか作られた不機嫌さが見て取れる。
「偏向水晶さえあれば、衣装の書き換えも自由にできる。これでやっと、この器械と研究は完成した」
「あの、それで旦那さま、そのペンダントと指輪は、どうなさるんですか?」
プリモの質問に答えずに、メヴィウスはプリモの前に立った。そして箱をそっとプリモに差し出すと、赤い顔をあらぬ方へ向けたまま、こう添えた。
「誕生日、おめでとう。今夜のうちに渡せてよかった。クローゼット、持ってないだろう? プリモ」
「旦那さま……!?」
両手で口を覆ったプリモ。
「本格的なクローゼットは、指物師に注文を掛けてる。その内に届くから、それまではその次元衣装櫃で我慢してくれ、プリモ」
目の前で、わざと無愛想に突っ立つメヴィウスの顔が、じんわりとぼやけてくる。目尻も耳も熱く灼け、プリモの胸はばくばくと高鳴る。
「あ、ありがとうございます、旦那さま……!!」
胸の内に抱えきれない感謝の念が、プリモの目許を潤ませる。
……旦那さまに、思い切って触れたい。
でも、使用人には守らなくてはならない分別と、距離がある。
葛藤に立ち尽くすプリモ。
ビロードの小箱を差し出したままのメヴィウス。
一歩を挟む二人の間に、ハリアーの悪戯な声が割って入った。
「それじゃあ、プリモに貸してた服一式、あたしからの誕生日の贈り物にしてもいいよな?」
「ああ」
即座にうなずいたメヴィウスに、ハリアーがさらに畳みかけた。
「よし、メヴィウス。指輪とペンダントは、お前がプリモに着けてやれよ」
「え? お、俺が……!?」
頓狂な声を上げたメヴィウスに、ハリアーが不敵な笑みを見せている。
「お前からの贈り物なんだろ? だったらそれが当然だろ、メヴィウス」
口元の犬歯を挑戦的に煌めかせつつ、紫紺の一瞥がプリモには至極優しい。
「お前って、ホンっトに乙女心ってモノが分かってないよな」
「あ、でも、俺はセフォラにもまだ……」
困惑を隠さずに、うつむいたメヴィウスが口ごもる。
ああ見えて、メヴィウスはかなり義理堅い、真面目な少年だ。たぶん、婚約者を差し置いて、自ら使用人の手を取り、指輪を嵌めるのが心苦しいのだろう。
迷いに満ちた主人の顔を見て、プリモの胸にずっしりと何かがつかえた。
プリモにとって恩人でもある、婚約者セフォラへの遠慮と申し訳のなさ。その一方で、主人メヴィウスの迷いは、プリモへの想いのかけら、でもあるハズだ。
そんな望みが、プリモにじんわりと喜びをもたらしてくる。そこはかとない自己嫌悪を覚えて、プリモはうなだれた。
向き合ったままうつむく二人に、ハリアーがじれったげに声をかける。
「何を迷ってるんだ? メヴィウス。お前とプリモ、ホントは強い絆があるんだろ? 知ってるぞ」
メヴィウスとプリモを見比べるハリアーの眼差しは、いつになく真剣な光を帯びている。
「あたしは、もうプリモの保護者だ。今ココで何があっても、あたしは見てないフリなんかしないからな。何があったか全部確かめたうえで……」
ハリアーが不敵に笑う。
「そっくりそのまま何もかも、あたしの墓まで持っていってやるよ。だからお前も、今このときだけは素直になったらどうだ? メヴィウス」
女闘士の静かだが力強い言葉を聞き、メヴィウスが深い嘆息を洩らした。
「……分かったよ」
目を伏せ、諦めにも似た表情を浮かべるメヴィウス。
そんな主人の面差しに触れて、プリモの胸にきゅんと痛みが走る。
「旦那さま……」
立ち尽くすプリモの前で、メヴィウスが手にした小箱から、ペンダントと指輪を取り出した。そして箱をポケットにねじ込むと、どこか硬く響く声でプリモに告げる。
「後ろを向いて、プリモ」
どくん、とプリモの心臓が揺れた。メヴィウスから視線を逃がし、プリモは湯気が立つほど上気した顔を、ふるふると何度も横に振る。
「で、でも旦那さま。わたしは、無理にそんな……」
「いいから後ろを向け」
不機嫌な命令口調のメヴィウス。
指示を出されては、プリモも従う他はない。
「は、はい、旦那さま……」
熱く火照った顔を伏せたまま、プリモは躊躇いがちにゆっくりと後ろを向いた。背中越しに聞こえたメヴィウスのため息が、自分の心音と耳で重なる。主人の気配が、身震いさえ覚えて待つプリモの背中に触れた。
と思った瞬間、視界の両端にメヴィウスの手が見えた。その繊細な指先は、銀の鎖をつまんでいる。
その鎖がゆっくりと下がり、メイド服の胸元に水晶の嵌められた銀の環が見えた。首の後ろにくすぐったいような感覚が走り、ついぴくんと肩を揺らしたプリモ。
「こっちを向け、プリモ」
「は、はい」
メヴィウスの命令に、プリモはおずおずと主人へと向き返った。が、プリモの瞳は、恥ずかしくてメヴィウスを見ていられない。そんなプリモの両手に、メヴィウスの手が延ばされる。
「あっ……!」
プリモは思わず声を上げた。
――主人も使用人も、お互いに体は触れない――
最初にそう教えられたメイドのプリモ、それに主人メヴィウスも、ずっとそれを守ってきた。
だが驚くプリモに構うことなく、メヴィウスは優しく取ったプリモの両手を、黙して見比べる。チラッと主人の顔を窺うと、メヴィウスは赤い顔に不機嫌な表情を貼り付けたまま、何か考え込んでいる。
しかしメヴィウスが、すぐにプリモの左手を離した。残った右手を宝物でも扱うように丁重に取り直すと、その薬指に鍵指輪をそっと挿し込んだ。
「旦那さま……!」
深い嘆息を洩らし、プリモはしっとりと光る水晶の指輪に見入る。
大波のように打ち寄せる喜びと、引く波のようなちょっぴりの後ろめたさ。相反する二つの気持ちに翻弄されて、立ち尽くすばかりのプリモだった。
そんな彼女の前で、メヴィウスも突っ立ったまま、何故かもじもじしている。いつもの万有術師としての堂々たる態度からは、想像もできない迷いぶりだ。
挙動不審に佇むメヴィウスの真横に、ハリアーがスッと歩み寄った。同時に、ハリアーが肘で彼の脇を軽く小突く。途端にびくんと仰け反ったメヴィウス。
「あ? うう……」
戸惑いに溢れたそんな半端な声を出して、メヴィウスがプリモに半歩歩み寄る。
「えっ……?」
息を呑み、身を強張らせるプリモの目の前で、メヴィウスが爪先立つ。と、刹那の間もなく、メヴィウスの顔がプリモの瞳に大映しになった。そして次の瞬間、わずかに背伸びしたメヴィウスの唇が、プリモの額にそっと触れた。
「あ……!!」
一声洩らしたきり、意識も吹っ飛んで、プリモは棒立ちになる。呆然と目を見開き、かちこちに固まるプリモ
そんなプリモに、顔を隠すようにうつむいたメヴィウスが、くるりと背中を向けた。
「しゅ、祝福の接吻 だからな! それだけだぞ! ただの魔術なんだからな! た、誕生日、おめでとう……」
それだけ吠えるように言い放ち、メヴィウスはそそくさとこの部屋から出ていった。乱暴にドアの閉じる音を聞きながら、ハリアーが苦笑する。
「アイツにしては頑張ったな。やっぱりメヴィウスは、やれる時はやれる男ってコトか。ま、最後のトコだけは、減点だけどなー」
ハリアーの言葉が耳に届き、今さらのように痺れるような感動が、つま先から頭の全身までをふんわりと包む。愛しさと歓喜だけが、胸を張り裂くばかりに膨れ上がってくる。
どうしようもない感激が、目から涙となって溢れ出す。とめどのない涙を隠すように、プリモは両手で顔を覆った。
「ありがとうございます、メヴィウスさま……! わたし、幸せです……!」
そこは、飾り気の全くない、広い部屋だ。天井は高く、差し渡しは奥行き十数歩ばかりだろうか。
真四角な床の中央に、何か大きな器械が据えてある。細長い三本の脚で立つ、見上げるように大きな器械。どうやら、鉄と真鍮でできているようだ。歯車やら小箱やらがごちゃごちゃと入り組み、独特の金属臭が漂う本体のてっぺんから、一本の腕が突き出しているのが見て取れる。プリモも初めて見る、奇妙な器械だ。
その器械の側には、質素な衣装掛けが二つ立ててある。どちらもそこらにありふれた、鉄のラックだ。白い円に立てられた衣装掛けは空だが、もう一方には二、三着の服が吊り下げられている。
そんな室内を胡散臭そうに一瞥して、ハリアーがプリモに聞く。
「プリモ、この部屋は?」
「旦那さまの“次元器械室”です。わたしも、数えるほどしか入ったことがありません」
プリモがハリアーの質問に答えるのと同時に、メヴィウスが器械の側に立てられた衣装掛けから一着の服を取った。
「これに着替えて、今着ている服は、ハンガーに掛けてくれ。ああ、俺は見てないから」
メヴィウスから差し出されたのは、いつものメイド服と黒い靴だった。見た目は同じだが、どうやら新品らしく、しわ一つない。
主人の命じるまま、しかしためらいがちに、プリモは今着ているワンピースをするりと脱いだ。下着姿のままに主人の様子を伺うと、メヴィウスは偏向水晶を真鍮のバルブに取り付けている。宣言どおり、プリモを見てはいないようだ。
偏向水晶を組みこんだ部品を手にしたまま、メヴィウスが大きな器械のハンドルを回す。すると器械から突き出した一本の腕が、音もなくメヴィウスの目の高さにまで下がってきた。彼はその器械の先端に、慎重な手付きで偏向水晶のバルブを取り付ける。
「よし」
メヴィウスが口許を締めてうなずくのと同時に、プリモも着替えを終えた。着慣れない高価な服から、いつものメイド姿へと戻ったプリモ。ちょっぴりの残念感と深い安堵が、小さなため息となってプリモから洩れる。
器械の腕を再び上げたメヴィウスが、ハリアーから借りた衣装を抱えるプリモへと振り向いた。
「あのハンガーに、その服を掛けてくれ」
彼が指差したのは、白い円の中に立てられた、空の衣装掛けだ。
プリモは主人の指示どおり、衣装掛けにワンピースとショール、それにベルトを掛けた。パンプスもそろえて円の内側に置くと、メヴィウスが告げる。
「始めるから、二人とも、ちょっと下がってくれ」
主人の指示どおり、プリモとハリアーは衣装掛けから六歩離れた。
同時に、メヴィウスが器械の側面に取り付けられた操作盤に手を触れる。歯車が回る軋みとともに器械の腕がきりきりと動き、円の中の衣装へと向けられる。その先端に光るのは虹色の結晶が、あの偏向水晶に違いない。
一体何が起こるのか。固唾を呑んで見守るプリモは、つい息を詰めた。
と、次の瞬間、偏向水晶から一筋の光線がほとばしった。ピンク色に輝く一条の光が衣装を捉えたその刹那、ハンガーに掛けられた衣装は、音もなく消え失せた。
「あら?」
「を?」
目をぱちぱちさせるプリモ、裏返った声を上げたハリアーをよそに、メヴィウスが操作盤に軽く触れた。すぐに動作を止めた器械は沈黙し、部屋が再び静寂を取り戻す。
「ここまでは成功か……」
メヴィウスが小さくつぶやいた。しかしまだ硬い表情を留めたまま、彼は器械の裏へと回り、胴体についた小窓から何か取り出した。
「何だ? ソレ」
ハリアーが、メヴィウスの手の中ををひょいと覗き込む。プリモも、ハリアーに釣られてメヴィウスの手元へと視線を注いだ。
主人の手の中にあるのは、銀と水晶で作られたペンダントだ。銀の鎖が付いた燻し銀の環の中に、小指ほどの透明な結晶が嵌めてある。
メヴィウスは、そのペンダントをハリアーに手渡した。
「プリモの首に掛けてやってくれ」
「ああ、いいよ。ちょっとゴメンね、プリモ」
プリモの後ろに立ったハリアーが、ペンダントの金の鎖にプリモの首を通した。ひんやりとしつつも、確かな存在感が、プリモの胸元にじんわりと掛かってくる。
「うんうん、よく似合ってるじゃない」
プリモの正面に立ったハリアーが、笑顔で何度もうなずく。そんな女闘士の横で、メヴィウスがポケットから何か取り出した。
「これをプリモの指に嵌めてやってくれ。どの指でもいい」
ハリアーが手渡されたのは、金の指輪。小さな丸い水晶が埋め込まれた、アクセサリーとしては簡素なものだ。だが、そこが却って品の良さを際立たせる。
「これでいいか? メヴィウス」
プリモの左手を取ったハリアーが、金の指輪を薬指に通した。指輪は計ったように、するりとプリモの指の付け根に収まった。
「水晶が手のひらの内側に向くように。ああ、そうそう、それでいい」
まだ表情を緩めないまま、浅くうなずいたメヴィウスがプリモに目を向けた。
「指輪の水晶を、ペンダントの水晶に当ててみてくれ、プリモ」
「あ、はい。旦那さま」
訳も分からないまま、プリモは手のひらに向いた指輪の水晶を、ペンダントに重ねた。
と、その瞬間、白黒のメイド服姿だったプリモは、音もなくあのワンピースとショール、それにパンプスに身を包んでいた。
「まあ!」
驚くプリモの横で、をを!? とハリアーが裏返った声を上げた。瞬時に良家の子女風に装ったプリモを眺め回しながら、メヴィウスも、口許を綻ばせて何度もうなずく。
「水晶の面を換えて、もう一度指輪を当ててくれ」
主人の指示に従い、結晶を回したプリモは、指輪を水晶の別の面に当てた。すると今度は、プリモはまた白黒のメイド服へと瞬時に戻った。
「成功だ」
メヴィウスが、深い安堵の息を洩らした。硬かった表情も漸く緩み、余裕が戻ってきたようだ。何となく安心したプリモから、メヴィウスがさっさっとペンダントと指輪を取り去った。
……一体、これはどういうことなのか?
頭の中に、『?』だけが山盛りに積み上がる。
困惑の只中に放置されたプリモは、素直に疑問を口にした。
「あ、あの、旦那さま? それは何ですか……?」
楕円の瞳の中で、メヴィウスがペンダントと指輪を黒いビロードの箱に収めながら、無感情に答える。
「これは“
会心の笑みが、メヴィウスの口元に覗く。
「指輪の水晶が記憶水晶に触れると、装着している者の衣装が入れ替わる。記憶水晶は六面あって、六つまで衣装を記憶できる。今は一面使ってるから、あと五着だな」
メヴィウスが、箱をぱちんと閉じた。その表情には、どこか作られた不機嫌さが見て取れる。
「偏向水晶さえあれば、衣装の書き換えも自由にできる。これでやっと、この器械と研究は完成した」
「あの、それで旦那さま、そのペンダントと指輪は、どうなさるんですか?」
プリモの質問に答えずに、メヴィウスはプリモの前に立った。そして箱をそっとプリモに差し出すと、赤い顔をあらぬ方へ向けたまま、こう添えた。
「誕生日、おめでとう。今夜のうちに渡せてよかった。クローゼット、持ってないだろう? プリモ」
「旦那さま……!?」
両手で口を覆ったプリモ。
「本格的なクローゼットは、指物師に注文を掛けてる。その内に届くから、それまではその次元衣装櫃で我慢してくれ、プリモ」
目の前で、わざと無愛想に突っ立つメヴィウスの顔が、じんわりとぼやけてくる。目尻も耳も熱く灼け、プリモの胸はばくばくと高鳴る。
「あ、ありがとうございます、旦那さま……!!」
胸の内に抱えきれない感謝の念が、プリモの目許を潤ませる。
……旦那さまに、思い切って触れたい。
でも、使用人には守らなくてはならない分別と、距離がある。
葛藤に立ち尽くすプリモ。
ビロードの小箱を差し出したままのメヴィウス。
一歩を挟む二人の間に、ハリアーの悪戯な声が割って入った。
「それじゃあ、プリモに貸してた服一式、あたしからの誕生日の贈り物にしてもいいよな?」
「ああ」
即座にうなずいたメヴィウスに、ハリアーがさらに畳みかけた。
「よし、メヴィウス。指輪とペンダントは、お前がプリモに着けてやれよ」
「え? お、俺が……!?」
頓狂な声を上げたメヴィウスに、ハリアーが不敵な笑みを見せている。
「お前からの贈り物なんだろ? だったらそれが当然だろ、メヴィウス」
口元の犬歯を挑戦的に煌めかせつつ、紫紺の一瞥がプリモには至極優しい。
「お前って、ホンっトに乙女心ってモノが分かってないよな」
「あ、でも、俺はセフォラにもまだ……」
困惑を隠さずに、うつむいたメヴィウスが口ごもる。
ああ見えて、メヴィウスはかなり義理堅い、真面目な少年だ。たぶん、婚約者を差し置いて、自ら使用人の手を取り、指輪を嵌めるのが心苦しいのだろう。
迷いに満ちた主人の顔を見て、プリモの胸にずっしりと何かがつかえた。
プリモにとって恩人でもある、婚約者セフォラへの遠慮と申し訳のなさ。その一方で、主人メヴィウスの迷いは、プリモへの想いのかけら、でもあるハズだ。
そんな望みが、プリモにじんわりと喜びをもたらしてくる。そこはかとない自己嫌悪を覚えて、プリモはうなだれた。
向き合ったままうつむく二人に、ハリアーがじれったげに声をかける。
「何を迷ってるんだ? メヴィウス。お前とプリモ、ホントは強い絆があるんだろ? 知ってるぞ」
メヴィウスとプリモを見比べるハリアーの眼差しは、いつになく真剣な光を帯びている。
「あたしは、もうプリモの保護者だ。今ココで何があっても、あたしは見てないフリなんかしないからな。何があったか全部確かめたうえで……」
ハリアーが不敵に笑う。
「そっくりそのまま何もかも、あたしの墓まで持っていってやるよ。だからお前も、今このときだけは素直になったらどうだ? メヴィウス」
女闘士の静かだが力強い言葉を聞き、メヴィウスが深い嘆息を洩らした。
「……分かったよ」
目を伏せ、諦めにも似た表情を浮かべるメヴィウス。
そんな主人の面差しに触れて、プリモの胸にきゅんと痛みが走る。
「旦那さま……」
立ち尽くすプリモの前で、メヴィウスが手にした小箱から、ペンダントと指輪を取り出した。そして箱をポケットにねじ込むと、どこか硬く響く声でプリモに告げる。
「後ろを向いて、プリモ」
どくん、とプリモの心臓が揺れた。メヴィウスから視線を逃がし、プリモは湯気が立つほど上気した顔を、ふるふると何度も横に振る。
「で、でも旦那さま。わたしは、無理にそんな……」
「いいから後ろを向け」
不機嫌な命令口調のメヴィウス。
指示を出されては、プリモも従う他はない。
「は、はい、旦那さま……」
熱く火照った顔を伏せたまま、プリモは躊躇いがちにゆっくりと後ろを向いた。背中越しに聞こえたメヴィウスのため息が、自分の心音と耳で重なる。主人の気配が、身震いさえ覚えて待つプリモの背中に触れた。
と思った瞬間、視界の両端にメヴィウスの手が見えた。その繊細な指先は、銀の鎖をつまんでいる。
その鎖がゆっくりと下がり、メイド服の胸元に水晶の嵌められた銀の環が見えた。首の後ろにくすぐったいような感覚が走り、ついぴくんと肩を揺らしたプリモ。
「こっちを向け、プリモ」
「は、はい」
メヴィウスの命令に、プリモはおずおずと主人へと向き返った。が、プリモの瞳は、恥ずかしくてメヴィウスを見ていられない。そんなプリモの両手に、メヴィウスの手が延ばされる。
「あっ……!」
プリモは思わず声を上げた。
――主人も使用人も、お互いに体は触れない――
最初にそう教えられたメイドのプリモ、それに主人メヴィウスも、ずっとそれを守ってきた。
だが驚くプリモに構うことなく、メヴィウスは優しく取ったプリモの両手を、黙して見比べる。チラッと主人の顔を窺うと、メヴィウスは赤い顔に不機嫌な表情を貼り付けたまま、何か考え込んでいる。
しかしメヴィウスが、すぐにプリモの左手を離した。残った右手を宝物でも扱うように丁重に取り直すと、その薬指に鍵指輪をそっと挿し込んだ。
「旦那さま……!」
深い嘆息を洩らし、プリモはしっとりと光る水晶の指輪に見入る。
大波のように打ち寄せる喜びと、引く波のようなちょっぴりの後ろめたさ。相反する二つの気持ちに翻弄されて、立ち尽くすばかりのプリモだった。
そんな彼女の前で、メヴィウスも突っ立ったまま、何故かもじもじしている。いつもの万有術師としての堂々たる態度からは、想像もできない迷いぶりだ。
挙動不審に佇むメヴィウスの真横に、ハリアーがスッと歩み寄った。同時に、ハリアーが肘で彼の脇を軽く小突く。途端にびくんと仰け反ったメヴィウス。
「あ? うう……」
戸惑いに溢れたそんな半端な声を出して、メヴィウスがプリモに半歩歩み寄る。
「えっ……?」
息を呑み、身を強張らせるプリモの目の前で、メヴィウスが爪先立つ。と、刹那の間もなく、メヴィウスの顔がプリモの瞳に大映しになった。そして次の瞬間、わずかに背伸びしたメヴィウスの唇が、プリモの額にそっと触れた。
「あ……!!」
一声洩らしたきり、意識も吹っ飛んで、プリモは棒立ちになる。呆然と目を見開き、かちこちに固まるプリモ
そんなプリモに、顔を隠すようにうつむいたメヴィウスが、くるりと背中を向けた。
「しゅ、祝福の
それだけ吠えるように言い放ち、メヴィウスはそそくさとこの部屋から出ていった。乱暴にドアの閉じる音を聞きながら、ハリアーが苦笑する。
「アイツにしては頑張ったな。やっぱりメヴィウスは、やれる時はやれる男ってコトか。ま、最後のトコだけは、減点だけどなー」
ハリアーの言葉が耳に届き、今さらのように痺れるような感動が、つま先から頭の全身までをふんわりと包む。愛しさと歓喜だけが、胸を張り裂くばかりに膨れ上がってくる。
どうしようもない感激が、目から涙となって溢れ出す。とめどのない涙を隠すように、プリモは両手で顔を覆った。
「ありがとうございます、メヴィウスさま……! わたし、幸せです……!」