襲い来る戦士たち

文字数 2,931文字


 その若い戦士が、憤然と振り上げた脚。
 頑丈そうなブーツには、黒光りする武骨な鉄鋲が幾つも打ち込んである。

「巨悪が潜む孤塔っ! 扉なんか蹴破られて当然っっ!」

 恐らくは二十歳前後、若い戦士が血気盛んに振り上げた脚は、しかし、虚空で止まった。
 半身鎧に身を包み、剣を腰に吊ったその彼は、ゆるゆると脚を下ろす。
 そして、でかでかと扉の真ん中に書かれた几帳面な文字を、まじまじと二度見する。

「『御用の方は、呼び鈴を鳴らしてください』……?」

 この大陸の共通語で書かれた文章を口に出し、彼はそびえ立つ黒い円塔を睨むように見上げた。途端に、冷たい霧雨が彼の顔に降りかかる。全天を覆い尽くす鉛色の雲を背景に、漆黒の塔が不吉な威容を誇示している。
 すっくと真っ直ぐに屹立する、黒い塔。
 その頂には、黒い釜のような石の半球が載っかり、釜の緑の木立が風にそよぐ。

 ……この奇妙な塔は一体何階建てで、中にどれだけの部屋があるだろう?
 
 まだまだ経験の浅い若い戦士には、想像さえ付かない。彼は困惑を隠さないまま、肩越しに振り向いた。

「どうしましょうか? 先生……」

 頼りなさげな戦士の視線の先には、髪の先から雫の滴る壮年の戦士が立っている。
 若い戦士から数歩の間をおく戦士は、黒光りする半身鎧を着込み、腰には一振りの剣が吊り下がる。
 『先生』と呼ばれたその壮年の戦士が、腕組みしつつ思慮深げに答えた。

「この“黒龍の塔”には、ひとの命を何とも思わない残忍な黒龍(ブラック・ドラゴン)が住み、邪悪な研究に日々明け暮れているという。あるいは、この呼び鈴も罠なのかも知れん。現に、この塔に踏み入って帰った者はいないと聞く」

 若い戦士が、先生の訳知り顔をまじまじと見つめる。その視線には、尊敬と疑問とがぐるぐると渦巻く。

「先生は“(ドラゴン)”のこと、よくご存知なのですか?」
「いや」

 尋ねられた壮年の戦士だったが、彼は否定的に目を伏せた。

「だが『創世記』では、“(ドラゴン)”は十種類の人類の中でも、“精人(アールヴ)”、我々“人間(ホムス)”に先立って生まれた“人類の長兄”と云われている。普段の見た目は、人間となんら変わるところがないらしい。それに感性も生活習慣も、人間にかなり近い。だから街の中に龍がいても、大抵の者は気が付かないという話だ」

 顔を上げた先生が、真摯でひたむきな弟子の目を見据える。

「龍は飽くまで我々と同じ人類だからな。よほどの悪龍でない限り、龍とコトを構えるような事態にはなりえないのが普通だ」

 師の言葉を聞き、若い戦士がごくりと生唾を飲む。

「じゃあ、この塔の龍は……」
「そういうことだ」

 先生が重厚そうな様子で深くうなずく。

「だからこそ、我々“冒険者”が悪龍を退治し、人々に平穏を保証せねばならん。気を引き締めていくぞ」

 弟子を鼓舞した壮年の戦士が、ふっと小さく不敵に笑う。

「まず、ここは誘いに乗ってみようではないか。入口はこれだけだ。何か対案はあるか?」
「いいえ、ありません。この壁を登攀する手段も道具もありませんし、先生に賛成です」

 彼は口を真一文字に結び、小刻みに震える手で組み紐を引く。
 が、すぐに反応はない。
 それでも二人が三分ほど待った頃だろうか。軽い軋みを立てながら鋼鉄の扉がゆっくりと開き始めた。
 若い戦士は息を乱しつ剣の柄に手を掛ける。
 壮年の戦士も、不測の事態に備えて両腕の力を抜く。
 
 緊張に包まれる二人の目の前で、ドアは大きく開け放たれた。
 幾瞬きの間もなく、戸口から聞こえてきたのは、高く澄んだ少女の声。

「いらっしゃいませ」

 柔らかで、どこか舌足らずながら、安心感のある口調だ。
 何となくほんわりとした言葉とともに、ドアの向こうに現われた人影を見るなり、戦士たちは毒気 を抜かれて立ち尽くした。

 戸口に立っているのは、小柄な少女。
 年は十八前後だろうか。肌は象牙のように白く、ストレートの長い髪は明るい栗色。愛嬌のあるくりっとしたラピスラズリの目で二人の戦士を見つめ、穏やかな口調で尋ねてくる。

「こんな不便な場所まで、ご苦労さまです。ご用件は何でしょうか?」

 メリハリの利いた体を包む白黒のワンピース、それに大きなポケットがついたエプロンは、彼女がこの塔のメイドであることを暗示している。

「あの、大丈夫ですか?」

 メイドに重ねて問われても、呼び鈴を引いた若い戦士は、ただメイドの顔に見入るばかりで、一言も口を利けない。

 が、はっと我に還った戦士は、ふとメイドの瞳の異形に気が付いた。その途端、ぞぞぞっと極寒のヤスデの足が、彼の背中を這いずりまわる。
 意図せず怖気を覚え、口の利けない若い戦士の前に、ずいっと先生が進み出た。内心の戸惑いと不信をハッタリまがいに微笑で隠し、ぐっと強気に問う。

「ここは“黒龍の塔”、で間違いないか?」

 そこはかとなく威圧的な空気が漂うが、メイドは屈託なく、にっこり笑う。

「はい。ここにおいでになる方は、この塔をそうお呼びになります」
「主人の黒龍はいるか?」
「はい」

 先生の続けての問いに、メイドは控えめながら可憐に笑み、深くうなずいた。だがすぐにうつむき加減に困った色を浮かべる。

「あの、旦那さまはまだ手が離せないそうですが、お急ぎでしたでしょうか?」

 先生は、むむむ、と唸って考え込んだ。
 しかしすぐに顔を上げた彼は、いかにもばつが悪そうに、わさわさと頭をかく。

「いや、結構。また出直そう」

 一言呻いた彼に、メイドが丁寧に頭を下げた。
 その顔には、安堵と気遣いの満面の笑みが浮かぶ。

「それでは、旦那さまにはそのようにお伝えします。道中、お気を付けてお帰り下さい」
「あ、ああ。ありがとう。失礼。お邪魔した」

 頭を何度も振りつつ詫びた先生が、メイドに背中を向けた。
 先生が歩き出すと、若い戦士も、ぼんやりとした表情のまま、その後を追う。

 そんな先生が、天を仰いだ。ふう、と大きな吐息とともに、先生が肩をすくめた。

「まあ噂とはだいぶ違うが、冒険者稼業に手を染めていると、いろいろなことが起こる。ガセネタなんていうのも、しょっちゅうだ。あの状況で無理を通せば、下手をすると逆に我々の方が強盗になってしまう。引き揚げだ」

 苦笑を洩らしつ、先生が若い戦士に顔を向けてきた。
 その表情は、さばさば、さっぱりとしている。
 しかし若い戦士は、気もそぞろなままに、一言洩らした。

「カエルの目……」
「ん? どうした?」

 先生に短く問われ、若い戦士はハッと顔を上げた。
 怯えと嫌悪感で眉を歪めつつも、彼は無言で首を横に振る。

「あ、いえ、何でもありません……」

 うなだれる若い戦士の肩が、ポンと先生に叩かれた。

「街へ帰ったら、一杯引っ掛けて他所へ行くぞ。とりあえず“黒龍の塔”は放っておこう」
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