五.

文字数 4,602文字

 自分の意志を自らに問い、決意を固めたプリモ。
 彼女は熱く闘志をたぎらせるハリアーの背中に、はっきりと告げる。

「いいえ、わたしで切り抜けられるものなら、そうしたいです。旦那さまのお手を、煩わせる前に」
「いいねえ! そう言ってくれると思ったよ」

 へへっと笑ったハリアーが、ぐっとマドゥを握り締めた。周りをぐるりと取り囲む骸骨を見渡して、女拳闘士が低く身構える。やる気は十分だ。

「もちろん、あたしは全力で協力するよ。今日のあたしは、プリモの護衛だからさ」

 ハリアーの挑戦的な言葉が聞こえたのか、パペッタも残念そうな声を上げた。

「仕方ないようね」

 ため息でもつくように、パペッタの両肩がぐうっと持ち上がる。どこか欺瞞的に映る、わざとらしい動作だ。

屍体(カルナ)たち、あの二人を取り押さえなさい!」

 パペッタの命令に従い、古く不潔な骸骨たちが動き出した。固まった関節をかたかたと鳴らしながら、骸骨が緩慢な動作でじわじわと二人に迫ってくる。

「行くぞ!」

 威勢よく一声上げて、ハリアーがザッ、と一歩だけ踏み出した。
 と見るや、一番手近な骸骨の顔面に、右の丸盾を叩き込んだ。
 古く朽ちかけた骸骨の顔は、パカッという軽い音とともに砕け散り、骸骨はからからとその場に崩れた。ばらばらになった骸骨は、もう微動だにしない。
 ハリアーの動きは、まだまだ止まらない。
  わらわらと向かってくる骸骨たちの頭を狙い、マドゥを握る両の拳を閃かせる。彼女の鉄拳は、瞬く間に数体の骸骨を打ち砕いた。
 上体を捻ったハリアーは、そのまますらりとした右脚を高々と振り上げると、居並ぶ骸骨たちのこめかみに、風を斬り巻いてブーツの堅固な踵を見舞う。ハリアーの華麗な回し蹴りを喰らい、骸骨たちのもろい頭蓋は木っ端微塵に吹き飛んだ。
 続けざまに、舞うような体さばきで左脚を振り上げたハリアーは、向かってくる骸骨たちに横殴りの上段蹴りを喰らわせる。骸骨たちの頭蓋は頚椎から弾き飛ばされ、からからと地面に倒れ伏した。

「一丁上がり!」

 憤然と言い放ったハリアーは、両手のマドゥをくるくると風車のように回し、さっと左右の腰に下げ直した。 
 粉砕された骸骨の一群は、土の床に散乱している。
 よくよく見れば、この踏み荒らされた床には、ほとんどハリアーの足跡がない。彼女はプリモの前にしっかりと留まり、骸骨の群れから守りきってくれたのだ。
 張り切った胸を反らせ、傲然とその場に立つハリアー。
 プリモは、彼女の誇りと自信に溢れる後ろ姿を見上げ、どきどきと早鐘を打つ胸を押さえた。

「あ、ありがとうございます」

 塔から出たこともなく、ましてや魔物に襲われた経験などないプリモ。文字通り、瞬く間の戦いだったが、ハリアーの強さと勇ましさは、瞼に強く焼き付けられた。

「本当にお強いんですね、ハリアーさん」

 プリモは、つたないながらも無垢の賛辞と、尊敬の眼差しをハリアーの背中に贈る。
 だが、へへっと小さく笑ったハリアーは、その紫紺の瞳をパペッタに注いだままだ。

「あたしが強いんじゃなくて、こいつらが弱すぎるのさ」

 威勢良く言い捨てて、ハリアーは再び腰のマドゥを取り、ぐっと握り締めた。

「これで終わりか? でかいこと言う割には、屍霊術(ネクロクラフト)ってヤツも大したことないな!」

 ハリアーの嘲笑的な大声が、この奇妙な空間に反響する。
 この女賞金稼ぎの声の残滓が霧散してしまうと、今度はパペッタが弾かれたように笑い出した。たおやかな上体を弓なりに反らせ、彼女はさもおかしげに哄笑を響かせる。
 ハリアーが再び怒鳴り声を上げた。

「何がおかしい!」
「何が、ですって?」

 パペッタが、ぴたりと高笑いを止めた。彼女の肩が、深く息を吸うように大きく持ち上がる。

「本当に嫌だわ、冒険者と戦士とか、って。すぐ自分に酔って、調子に乗るんだから」

 嫌悪感も露わにそう言い放ったパペッタだったが、すぐに淡々とした物腰に戻った。

「そうね、屍術(コルポクラフト)なんてこんなものよ。貴女は予想以上にお強いわ、“流星雨のハリアー”さん」

 言葉を切ったパペッタが、低い含み笑いを洩らす。何か異様な自信に溢れた、もったいぶった笑い声だ。

「でもね、私と戦って勝てるひとがいるとしたら、それは自ら手を汚したことがないひとだけよ」
「どういう意味だ!?」

 問うたハリアーが、身を半歩引いた。マドゥを構えた女闘士は、パペッタの次の行動に目を光らせる。
 戦う意志も姿勢も明確なハリアーを軽く眺め、パペッタがゆっくりと両手を差し上げた。

「すぐに分かるわ。賞金稼ぎに私を倒せない、その理由が」

 パペッタは、何か詠唱し始めた。
 その響きは、骸骨たちを地下から呼び出した呪文とは明らかに違う。高く歌うような声でありながら、どこか恨めしげで、聞く者の胸の中に不安を呼び起こす。
 プリモも言いようのない不安と心細さを覚え、ぎゅっとショールの胸元を握り締めた。
 やがて詠唱を終えたパペッタが、呪文の結句を放った。

「“ヴェニーロ・オー・ディウム”……」

 不意に灯りが小さくなった。辺りは蝋燭一本で照らされた食堂よりも暗くなる。
 空気の流れも変わった。これまでのじっとりと纏わり付くような感じは消え失せ、逆に乾き切った空気が、プリモの肌を冷たく刺す。
 夕闇にも似た暗がりの中に、ふっと炭火色の光点が浮かび上がった。
 その数は四つ。もの悲しげに揺らめく四個の赤い光は、ゆっくりとプリモたちの方へと近付いてくる。
 そして十歩先にまで迫った不気味な光点が何かの形をとったとき、ハリアーが驚愕に満ちた呻きを洩らした。

「お前らは……!!」

 薄闇に浮かび上がった影は、武装した二人の男の姿に見える。まだ年若いようだが、人相や年齢はよく分からない。
 だが体はあちこち黒く焼け焦げ、手ひどく火傷を負っている。両目は鈍い真紅を宿し、表情も生きた人間ではたどり着けない、深く濁りきった恨みに満ち満ちる。
 ハリアーの玉の口許は微かに震え、紫紺の瞳は厭わしげに細められている。
 これまで豪胆さばかりが際立ってきたハリアーが、初めて見せる怯みの色。
 拳闘士の少女が漂わせる押し殺した怖れを感じ取り、プリモもじわじわと侵食するような不安を覚えた。
 二人を押し包む嫌な空気の中に、パペッタの高笑いが割り込んでくる。そんなパペッタの姿は闇に半ば溶け込み、ぼんやりとした輪郭だけが浮かんで見える。

「懐かしいでしょう? ハリアーさん」

 パペッタはどこか嘲笑が覗く、変に弾んだ言葉を投げかけてくる。

「本当に因業な商売よね、賞金稼ぎって。彼らはひとの命を踏み台にして日々を生きているというのに、そのことを考えないようにしている。でもね、お金のために殺された賞金首の恨みと妄執は、何をしても消えはしないわ」

 パペッタが低く笑う。

「賞金稼ぎは、殺した賞金首の怨霊たちを常に引き連れているのよ。もし、その怨霊たちが目に見える形で一斉に迫ってきたら、賞金稼ぎは正気を保っていられるかしら?」

 パペッタは小さなため息をついた。何故かその息は、ひどく欺瞞的に響く。

「少なくとも私の記憶には、そんな賞金稼ぎはいないわ。本当に賞金稼ぎって、因果な生業ね」
「だっ、黙れ!!」

 たゆたうように迫り来る怨霊たちを前にして、ハリアーが絶叫した。ぴんと反らされたハリアーの背中は、小刻みに震えている。

「こんなもの、まやかしだ!!」

 だがハリアーの強気な態度が、戦慄を隠す去勢なのは、プリモの目にも明らかだった。
 パペッタは距離をとってハリアーを眺めやり、悠然と腕を組む。

「まやかし? そうね。そうかもしれないわ。でもね」

 パペッタが、冷淡な含み笑いを洩らした。

「そのまやかしの中で死んだとき、貴女は本当に死ぬの」

 ハリアーの口許から、歯軋りにも似た音が洩れた。と、ひと瞬きの間も容れず、彼女は左手のマドゥをパペッタに向けて投げつけた。鋼鉄が巻かれた角が突き出す小さな丸盾は、まるで手槍のように、一直線にパペッタに向かって飛んでいく。
 次の瞬間、彼女の胸の真ん中に突き刺さったかに見えたマドゥだったが、その丸盾は高く澄んだ音を立てて、弾き返された。

「パペッタ、お前!?」

 愕然と目を見開き、一瞬立ち尽くしたハリアーに、二体の怨霊がまとわりついた。

「うっ!?」

 あらゆる色素が抜けたかのような二人の怨霊は、何とも表現のしようがない気味の悪い表情を浮かべ、ハリアーに組み付く。そしてハリアーのしなやかに締まった肢体をまさぐり始めた。

「こいつら!!」

 ハリアーは右手に残ったマドゥを振るい、怨霊に抗う。が、どうしたことか彼女のマドゥは怨霊たちを素通りし、捉えることができない。

「ハリアーさん!」

 プリモも、思わずハリアーに駆け寄った。彼女に抱きつく怨霊たちを引き離そうと手を延ばしたが、プリモの手も怨霊たちの体を通り抜ける。

「無駄よ」

 パペッタの低い笑い声が、周囲に染み渡った。

「怨霊には実体がないもの。貴女たちの体術も武器も、役には立たないわ」

 パペッタは悠然とローブの袖をかき合わせ、華奢な肩を皮肉っぽくすくめて見せる。

「貴女が心の底から憎み、そして殺した二人ですものね。積もるお話もあるでしょう? ゆっくりしていてちょうだいね、ハリアーさん」

 楽しそうな口調で告げたパペッタは、ハリアーを助けようと苦闘するプリモに視線を移した。

「私たちは貴女のご主人様が来るまで、別の部屋で待ちましょう」

 両手を高々と差し上げたパペッタは、高らかに叫んだ。

「“イーア! オルベーテ”!」

 刹那、薄闇の空間は、目も覚めるような鮮やかな光に青く染め上げられた。あまりの目映さに、目を覆ったプリモ。しかしすぐに目を開いた彼女は、その目をさらに大きく見開いた。
 この円形の空間のあちこちに、青い燐光を放つ球体が幾つも浮遊している。その数は二十ばかりだろうか。林檎ほどの光球は、辺りを蒼穹の色に塗り替えながら、静かに漂う。

「この鬼火(ウィル・オー・ザ・ウィスプ)たちは、どこにでもいる浮遊霊よ。青い鬼火は自然 死者だから、悪意のある怨霊とは違うわ」

 パペッタが指をぱちっと鳴らした。この小さな音を合図にしたように、青い鬼火は一斉にプリモの方へと動き始めた。

「ああっ!?」

 立ちすくむプリモの周りに鬼火たちは群がってくる。プリモの視界も青い光に染め上げられ、かりそめの盲目に仕立て上げられた。鬼火たちに隈なく包み込まれた体だが、不思議と熱さも、切迫した恐怖もほとんど感じない。しかし奇妙な寂しさが、何故かしみじみと心を揺さぶる。

 ……この感覚、旦那さまやお客さまを見送る時の、別れの寂しさに似ている。
 プリモがそう思ったとき、二体の怨霊に空しく抗うハリアーの悲痛な叫びが、耳に届いた。

「プリモ!!」

 奇妙に体が浮くような、ふわふわした感じに包まれて、プリモの意識は遠退いた。
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