七.
文字数 2,781文字
「あら、小鳥さん?」
プリモがつぶやいたとおり、この魔道書室に入り込んできたのは一羽の白い小鳥だった。
部屋の天井近くを優雅に舞うその翼は、雪の結晶のように、繊細に煌めく。小さな体を覆う羽毛の白さも、およそこの世の物とは思われないほど清らかだ。
「まあ、きれい……!」
無心に嘆息を洩らすプリモの見ている前で、小鳥はすぐにテーブルの上へと降り立った。と、次の瞬間、小鳥は白い紙の折り鶴に変わった。
「あら?」
プリモは、目を何度もぱちくりさせる。だが純白の折り鶴は、ぴくりとも動かない。ついさっきまでの生きた姿が、まるで嘘のようだ。
目を瞬かすばかりのプリモを尻目に、メヴィウスは悠然とカップを置いた。そっと折り鶴を手に取り、ためらうことなく開きにかかる。
「あの、旦那さま。それは何ですか? 小鳥さんはどこに?」
巨大な疑問符を胸中に抱えてプリモは尋ねたが、メヴィウスはこともなげに淡々と答える。
「これは“飛文字 ”だ。特殊な紙に術を掛けて、相手に飛ばす。手紙だよ。こんな手の込んだことをするのは……」
そこで言葉を切ったメヴィウスの顔に、ふと気の進まなさそうな表情が浮かんだ。主人は、この空飛ぶ手紙の差出人に、心当たりがあるのだろう。
すぐにメヴィウスは折り鶴を開き終え、テーブルに白い紙を広げた。真四角の紙の裏側には、細かく几帳面な文字がしたためてある。確かに手紙のようだ。
黙って手紙に目を通したメヴィウスは、椅子から腰を上げた。
「出かけてくる」
いかにも面倒そうに眉根を寄せた彼は、手紙を折り畳んで懐に入れ、プリモに顔を向けた。
その顔には、憂鬱そうな陰が差す。が、反面、主人が作った渋面の中に、抑え込まれた期待のようなものがちらちら覗く気のするプリモだった。
それでも彼女は使用人としての本分を守り、最低限の一言だけ尋ねる。
「どちらへですか?」
「ラメッド台地だ」
このよく知る地名を聞き、プリモの胸にきゅんと自覚しない痛みが走った。うなだれる首を必死に支え、プリモは真っすぐにメヴィウスを見る。
「それでは、白耀龍 の“神殿集落”に?」
「ああ。俺を呼んでいる」
うなずいたメヴィウスは、深い吐息を一つ容れ、面倒そうに首を振る。
「どうせつまらない用事に決まっているんだが、無視はできない。ああ、難儀だ」
口ではそう言うメヴィウスだが、寄せられた眉根に反して、目許は笑っている。
プリモは思う。
……神殿集落に行くときのメヴィウスは、いつもそうだ。やはり本当は、神殿集落に行くのが楽しいのに違いない。
メヴィウスが少し冷めた珈琲を一気に飲み干して、めまいをこらえるプリモに向き直った。
「なるべく早く帰ってくるから後は頼む。夕食は要らない。ハリアーのことも、しっかり見ててくれ」
「あ、あの、旦那さま。お話を……」
ハッと気を取り直し、プリモは食い下がった。
しかしメヴィウスは否定的に首を横に振る。
「ああ、済まないが帰ってからにしてくれ。今は急ぐんだ」
そう言われては、使用人のプリモに二の句は告げない。
彼女は是非なくうなだれた。だがすぐにスッと顔を上げ、プリモは姿勢とともに気持ちを整える。主人が気持ちよく出立できるように、明るい笑みを作って大きくうなずいた。
「はい。分かりました」
「済まない、プリモ」
メヴィウスが本棚のフックに引っ掛けられた黒い外套を取った。小皿に残ったマーブルクッキーをさくっと口にくわえ、プリモに最後の一瞥を向ける。
「それじゃ、行ってくる。プリモの話は帰ってから、ゆっくり聞くよ」
「はい」
プリモは精一杯の笑顔を湛え、深々と頭を下げた。
「行ってらっしゃいませ。お気をつけて」
さっと外套を羽織ったメヴィウスは、ぶつぶつ繰り言しながら魔道書室を立ち去ってゆく。
「ああ、そうだ。ハリアーの奴にも言っておかないと」
そして魔道書室のドアは閉じられ、プリモは物音一つしない小部屋にぽつりと取り残された。文字どおりの置いてけぼりを食らって、胸は塞がり、自然と吐息が洩れる。だが即座に気持ちを立て直し、プリモは空の珈琲カップと小皿をトレイに載せ、魔道室を離れた。
プリモは食堂にトレイを置くと、ハリアーが待つ自室へと戻った。
部屋に入ってみると、椅子に跨った女剣士が、テーブルに載せたぬいぐるみと何やらにらみ合っている。傍から見たら乙女ちっくな構図だが、何故だかその表情は真剣そのものだ。
不思議に思いつつも、プリモはハリアーに声をかけた。
「お待たせしました」
プリモが後ろ手にドアを閉じた途端に、ハリアーの気遣わしげな問いが飛んできた。
「どうしたの? しょんぼりしちゃって」
ぬいぐるみを手にしたまま、ハリアーが出窓の外をチラ見する。
「さっきメヴィウスが来て、出かけるからおとなしくしてろ、みたいなこと言ってたけど。何だかカビた干しあんずみたいな、食えない顔しちゃってさ」
ひどい形容を口にして、独りうぷぷと笑ったハリアー。彼女は両手で持ったぬいぐるみをテーブルに置いて、プリモに再び紫紺の瞳を向けてきた。
「それでプリモ、アイツにあの話はできた?」
プリモはベッドの縁にちょんと腰を下ろし、目を伏せて小さく息を吐いた。その落胆しきった様子を見て、向き直ったハリアーがまじまじとプリモを見つめる。
「あら、どうしたんだい?」
ため息交じりのプリモが経緯を話すと、ハリアーは椅子の背もたれの上で腕組みした。
「ラメッド台地の神殿集落、って言ったら、この大陸の南西の端っこだったよな」
「ご存知ですか?」
「まあ、あの街は、この大陸でも最大の龍の本拠だしね」
ハリアーが素っ気なくうなずく。
「“中央万神殿 ”って、バカでっかい神殿があってさ、龍族の祭儀も半分はそこでやるから、あたしも行ったことあるけど」
ハリアーは両手を頭の後ろに組んだ。そして口許を曲げて、ふん、と鼻を鳴らす。
「また遠くまで出かけて行ったな。たぶん飛んで行ったんだろうけど、アイツがいつ帰ってくるかは分からない、ってことか」
んー、と唸ったハリアーだったが、すぐにあっけらかんと言い放った。
「考えててもしょうがない。明日の朝まで待って戻ってこなかったら、いいから出かけよう。プリモの身は、あたしが全力で護る。アイツの文句も、全部あたしが引き受けるよ」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
プリモは感謝の視線を自信たっぷりのハリアーに注ぎ、深々と頭を下げた。
「ああ。任せときなって」
プリモがつぶやいたとおり、この魔道書室に入り込んできたのは一羽の白い小鳥だった。
部屋の天井近くを優雅に舞うその翼は、雪の結晶のように、繊細に煌めく。小さな体を覆う羽毛の白さも、およそこの世の物とは思われないほど清らかだ。
「まあ、きれい……!」
無心に嘆息を洩らすプリモの見ている前で、小鳥はすぐにテーブルの上へと降り立った。と、次の瞬間、小鳥は白い紙の折り鶴に変わった。
「あら?」
プリモは、目を何度もぱちくりさせる。だが純白の折り鶴は、ぴくりとも動かない。ついさっきまでの生きた姿が、まるで嘘のようだ。
目を瞬かすばかりのプリモを尻目に、メヴィウスは悠然とカップを置いた。そっと折り鶴を手に取り、ためらうことなく開きにかかる。
「あの、旦那さま。それは何ですか? 小鳥さんはどこに?」
巨大な疑問符を胸中に抱えてプリモは尋ねたが、メヴィウスはこともなげに淡々と答える。
「これは“
そこで言葉を切ったメヴィウスの顔に、ふと気の進まなさそうな表情が浮かんだ。主人は、この空飛ぶ手紙の差出人に、心当たりがあるのだろう。
すぐにメヴィウスは折り鶴を開き終え、テーブルに白い紙を広げた。真四角の紙の裏側には、細かく几帳面な文字がしたためてある。確かに手紙のようだ。
黙って手紙に目を通したメヴィウスは、椅子から腰を上げた。
「出かけてくる」
いかにも面倒そうに眉根を寄せた彼は、手紙を折り畳んで懐に入れ、プリモに顔を向けた。
その顔には、憂鬱そうな陰が差す。が、反面、主人が作った渋面の中に、抑え込まれた期待のようなものがちらちら覗く気のするプリモだった。
それでも彼女は使用人としての本分を守り、最低限の一言だけ尋ねる。
「どちらへですか?」
「ラメッド台地だ」
このよく知る地名を聞き、プリモの胸にきゅんと自覚しない痛みが走った。うなだれる首を必死に支え、プリモは真っすぐにメヴィウスを見る。
「それでは、
「ああ。俺を呼んでいる」
うなずいたメヴィウスは、深い吐息を一つ容れ、面倒そうに首を振る。
「どうせつまらない用事に決まっているんだが、無視はできない。ああ、難儀だ」
口ではそう言うメヴィウスだが、寄せられた眉根に反して、目許は笑っている。
プリモは思う。
……神殿集落に行くときのメヴィウスは、いつもそうだ。やはり本当は、神殿集落に行くのが楽しいのに違いない。
メヴィウスが少し冷めた珈琲を一気に飲み干して、めまいをこらえるプリモに向き直った。
「なるべく早く帰ってくるから後は頼む。夕食は要らない。ハリアーのことも、しっかり見ててくれ」
「あ、あの、旦那さま。お話を……」
ハッと気を取り直し、プリモは食い下がった。
しかしメヴィウスは否定的に首を横に振る。
「ああ、済まないが帰ってからにしてくれ。今は急ぐんだ」
そう言われては、使用人のプリモに二の句は告げない。
彼女は是非なくうなだれた。だがすぐにスッと顔を上げ、プリモは姿勢とともに気持ちを整える。主人が気持ちよく出立できるように、明るい笑みを作って大きくうなずいた。
「はい。分かりました」
「済まない、プリモ」
メヴィウスが本棚のフックに引っ掛けられた黒い外套を取った。小皿に残ったマーブルクッキーをさくっと口にくわえ、プリモに最後の一瞥を向ける。
「それじゃ、行ってくる。プリモの話は帰ってから、ゆっくり聞くよ」
「はい」
プリモは精一杯の笑顔を湛え、深々と頭を下げた。
「行ってらっしゃいませ。お気をつけて」
さっと外套を羽織ったメヴィウスは、ぶつぶつ繰り言しながら魔道書室を立ち去ってゆく。
「ああ、そうだ。ハリアーの奴にも言っておかないと」
そして魔道書室のドアは閉じられ、プリモは物音一つしない小部屋にぽつりと取り残された。文字どおりの置いてけぼりを食らって、胸は塞がり、自然と吐息が洩れる。だが即座に気持ちを立て直し、プリモは空の珈琲カップと小皿をトレイに載せ、魔道室を離れた。
プリモは食堂にトレイを置くと、ハリアーが待つ自室へと戻った。
部屋に入ってみると、椅子に跨った女剣士が、テーブルに載せたぬいぐるみと何やらにらみ合っている。傍から見たら乙女ちっくな構図だが、何故だかその表情は真剣そのものだ。
不思議に思いつつも、プリモはハリアーに声をかけた。
「お待たせしました」
プリモが後ろ手にドアを閉じた途端に、ハリアーの気遣わしげな問いが飛んできた。
「どうしたの? しょんぼりしちゃって」
ぬいぐるみを手にしたまま、ハリアーが出窓の外をチラ見する。
「さっきメヴィウスが来て、出かけるからおとなしくしてろ、みたいなこと言ってたけど。何だかカビた干しあんずみたいな、食えない顔しちゃってさ」
ひどい形容を口にして、独りうぷぷと笑ったハリアー。彼女は両手で持ったぬいぐるみをテーブルに置いて、プリモに再び紫紺の瞳を向けてきた。
「それでプリモ、アイツにあの話はできた?」
プリモはベッドの縁にちょんと腰を下ろし、目を伏せて小さく息を吐いた。その落胆しきった様子を見て、向き直ったハリアーがまじまじとプリモを見つめる。
「あら、どうしたんだい?」
ため息交じりのプリモが経緯を話すと、ハリアーは椅子の背もたれの上で腕組みした。
「ラメッド台地の神殿集落、って言ったら、この大陸の南西の端っこだったよな」
「ご存知ですか?」
「まあ、あの街は、この大陸でも最大の龍の本拠だしね」
ハリアーが素っ気なくうなずく。
「“
ハリアーは両手を頭の後ろに組んだ。そして口許を曲げて、ふん、と鼻を鳴らす。
「また遠くまで出かけて行ったな。たぶん飛んで行ったんだろうけど、アイツがいつ帰ってくるかは分からない、ってことか」
んー、と唸ったハリアーだったが、すぐにあっけらかんと言い放った。
「考えててもしょうがない。明日の朝まで待って戻ってこなかったら、いいから出かけよう。プリモの身は、あたしが全力で護る。アイツの文句も、全部あたしが引き受けるよ」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
プリモは感謝の視線を自信たっぷりのハリアーに注ぎ、深々と頭を下げた。
「ああ。任せときなって」