三.

文字数 3,645文字

 黒龍の塔の食堂は、長い階段を昇り切った最上階だ。
 円塔のてっぺんに載っかった黒い釜の底に位置する。全体の形としては、直径十歩ばかりの円形で、黒い壁によって半月型に二分されている。片方は大きな窓がぐるりと囲むダイニング、もう半分は厨房だ。
 その半月型のダイニングに一歩踏み入るなり、ハリアーが無遠慮な驚きの声を上げた。

「うっわー! すっごい綺麗じゃない!」

 ダイニングの床は、黒光りする大理石で覆われている。ほとんど鏡面の床が、きょろきょろと視線を彷徨わせるハリアーを逆さまに映す。

「前に来た時は、もっと汚くてさー。ホコリとカビが同居人、って感じだったのに」

 ため息交じりの減らず口を叩き、ハリアーがプリモに称賛の眼差しを注ぐ。

「プリモが掃除してるの? すっごいね!」
「はい、ありがとうございます」

 ハリアーの熱い視線が、プリモにはくすぐったくも気持ちいい。むすっと目を伏せて黙した主人メヴィウスを気にしつつも、プリモはにっこりと笑顔でうなずく。

「床も窓も、毎日わたしが磨いていますから。気に入って頂けて、うれしいです」

 半月型のダイニングは、大きな窓にぐるりと取り囲まれている。
 湧水のように透明な窓ガラスを通して、緑の絨毯を思わせる湿原の彼方まで見渡せる。さらに天井には、円いクリスタルの採光窓が開けられていて、絶えず光を提供している。黒龍の塔の真っ黒な外見とはかけ離れ、光と清潔感に溢れたダイニングだ。
 ダイニングの真ん中には、きれいに拭かれた丸テーブルと椅子が四脚置かれている。
 その側でしゅんしゅんと湯気を吐くのは、鋼鉄の小さなストーブに載せられた銀色のポット。全てが、外からの光を受けて清廉に煌めく。

「これなら気持ちよくご飯たべられそうー!」

 言いながら、ハリアーがダイニングの真ん中に置かれた丸テーブルへと歩み寄る。両手をすり合わせ、これ以上ないほど笑顔の弾ける女剣士。
 対照的に、憂鬱そうにうなだれるメヴィウスも、とぼとぼと円卓に足を向ける。
 すぐにこの塔の主も、深いため息とともに椅子に腰を落とした。
 ほとんど正反対の表情で向き合って座ったハリアーとメヴィウスに、プリモは一礼する。

「あの、少々お待ち下さい」

 短く言い残し、プリモは速足に厨房への戸口をくぐった。
 支度をしておいた昼食を木製の給仕用ワゴンに載せて、プリモはダイニングの円卓へと取って返し、料理をてきぱきと二人の前に並べる。
 藤籠一杯の温かい丸パン、素朴なハムのソテー、それに湯気の立つクリームシチューを手早く給仕して、プリモもメヴィウスの横の席に腰掛けた。

「いっただきまーす!」

 こぼれる笑顔のハリアーが、声を上げた。 
 続けて一片の遠慮も見せることなく、彼女は食卓の真ん中に盛られた丸パンに手を延ばす。
 まだまだ温かい丸パンを手にしつつ、ハリアーが隣り合って座るメヴィウスとプリモを不思議そうに見比べた。

「それにしてもメヴィウス、お前意外と開放的だな。使用人と同じテーブルつくなんて」

 ハリアーの言葉に、メヴィウスも自らパンを取って平然とうなずく。

「俺は平気だ。そう言うハリアーだって。赤龍(レッド・ドラゴン)はもっと自尊心(プライド)が高いと思ってた」
「確かに、あたしたち赤龍一族は誇り高いけどな。でもそういうヘンな気位とは全然違うさ」

 パンをちぎる彼女は、張りのいい胸を反らせて断言した。
 そんな誇らしげな顔のハリアーに、メヴィウスが怪訝な視線をよこす。

「そんな誇り高い赤龍が、何でこんな原野をさまよってるんだよ。しかも無一文で」

 すると彼女は、根菜たっぷりのシチューを豪快に口に運びながら、こう答えた。

「さっきも言ったろ。いい“仕事”を探して渡り歩いてるところでさ。この湿原の一番近くの村で、おケラになっちゃって。雨には降られるし、全く参ったよ」
「参ったのはこっちだ」 
 
 すかさずメヴィウスが突っ込んだ。彼もシチューを静かに食べつつ、ぶちぶち文句を垂れる。

「いつもいきなり俺の塔に来ては、さんざん引っ掻き回して去っていく。困るんだよ。何でハリアーは、そういつもいつも計画性がないんだ。いくら賞金稼ぎは不確定性が高いとは言っても、物事には限度ってものがあるだろう。大体が大体、ハリアーは……」

 くどくど続く彼の苦言など、ハリアーは全く意に介さないようだ。あっという間に平らげたシチュー皿を涼しい顔でプリモに差し出すハリアー。

「もう一杯ちょうだい。久しぶりの美味しいシチューなんだ」     
 
 自分の料理を褒められて、プリモは素直に喜びを顔に表わす。にっこりと笑顔を浮かべ、ハリアーから白陶のシチュー皿を受け取った。

「わたし、お料理だけは得意なんです」

 しかし主人のメヴィウスは、不機嫌極まる調子で嘆息する。

「居候の癖によく食べるなあ」
「いいじゃないか。プリモがくれるって言ってるんだ」

 口を尖らせたハリアーの反論に、頬杖のメヴィウスは深いため息をついた。そんな彼の顔に差す憂鬱な影は、途方もなく濃い。
 プリモは、主人の漂わすどんよりとした空気が気になった。
 が、そこはプリモも使用人。きちんと弁えたつもりだ。ぐっとこらえて余計な口はきかず、黙って客の皿にシチューを注ぐ。

「で、さっきから気になってるんだけど」

 プリモが差し出した皿を受け取って、ハリアーがメヴィウスに目を向けた。半眼だけを差し向けるメヴィウスに、彼女が聞く。

「さっきお前、プリモはお前が創ったって言ったよな? 何のためにプリモを創ったんだ?」
「そんなの別にどうだっていいだろう。ハリアーには関係ない」

 即座にハリアーの問いを突き放し、メヴィウスが銀のゴブレットに手を延ばした。軽く目を伏せた彼は、それきりだんまりを決め込んでいる。
 そんな彼のすまし顔を正面から眺めつつ、ハリアーがにやにや笑いで食い下がる。どこか含みのある、悪戯で大人びた変な笑顔だ。

「プリモ、可愛いよな。お前、自分のお楽しみのためにこのコを創ったんじゃないだろうな?」

 刹那、いきなり棒立ちになったメヴィウスの口から、ガーネット色のしぶきがぷーっと吹き出した。自分が噴いた葡萄酒で、彼のインバネスの胸元にはじっとりと染みが広がる。
 そんな呆然と立ち尽くす主人を見て、プリモも弾かれたように立ち上がった。

「だ、旦那さま?」

 彼女はさっと白いナプキンを取り、主人の汚れた胸を脇から懸命に拭く。甲斐甲斐しく世話を焼くプリモには一瞥もくれず、メヴィウスが荒々しくハリアーに言葉をぶつける。

「何でそんな発想にいくんだよっ、ハリアー!!」

 彼女を睨み付ける主人の漆黒の目には、真剣な怒りと軽蔑、それに何か奇妙な羞恥のようなものが渦巻く。

「剣士って奴は、全くこれだから困る!! 野蛮で、無教養で、下品で!!」

 憤然と罵倒をぶつける怒りのメヴィウス。だが彼の灼けつく視線を軽く受け流し、ハリアーが涼しい顔でへへっと肩をすくめた。

「そんなに怒るなって。お前ってば、相変わらず冗談が通じないヤツだなー」 「ハリアーの頭が単純なだけだろ! 全く……」

 むすっと一言洩らし、メヴィウスが椅子に腰を落とした。頬に紅潮の跡を留めつつ、何故か彼はプリモにちらちらと視線を寄越す。何か気にしているようだ。
 しかしプリモには、ハリアーの言葉の意味も、メヴィウスの怒りの理由も全く分からない。小首を捻って、小さく唸るのが精一杯だった。

 やがて三人は、黒龍の塔最上階でのささやかな昼食を終えた。
 大満足の様子の剣士ハリアーが、プリモにきらきらの笑顔を向けてくる。

「ごちそうさま。本当に美味しかったよ。ホント、料理上手だね」
「ありがとうございます。わたし、こんなことくらいでしか旦那さまのお役には立てませんから」 

 ハリアーの賞賛の視線を受けて、プリモの胸が喜びに満たされる。じんわりと広がる充実感と気恥ずかしさに、プリモはちょっぴり目を伏せる。
 しかしすぐに顔を上げ、プリモは二人に尋ねた。

「お茶を淹れますが、どうなさいます?」

 先に答えたのは、椅子から腰を上げた主人のメヴィウスだった。

「俺は研究に戻る。二時間後に頼む」
「はい、旦那さま」

 笑顔のプリモに小さくうなずくメヴィウスは、じろりとハリアーを睨んだ。

「邪魔するなよ、ハリアー。俺は静かに器械創りに没頭したいんだ」
「はいはい、分かったよ。あたしらは女同士でお茶でも飲んでるさ」

 おどけて肩をすくめたハリアーが、苦笑交じりに軽く手を振った。
 メヴィウスも鼻息一つを残してくびすを返すと、二人を置き去りにしたまま、独りダイニングを立ち去っていった。



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