二.
文字数 4,443文字
プリモは、浮き上がるような感覚に身を包まれながら、ゆっくりと目を開けた。
……軽い頭痛と、妙な口の渇きが気持ち悪い。
目覚め切らないまま辺りを見回すと、プリモはがらんとした部屋の中で、壁際の椅子にちょんと座っていた。
天井の高い、真四角の部屋だ。窓も調度品も何もない。ただ梁から吊るされた球形のランタンが、部屋の中をぼんやりと照らしている。あの無数の鬼火も、今は一つも見えないようだ。
それ以上の状況を把握しきれず、ふるふると首を振るばかりのプリモ。そんな彼女の耳に、聞き覚えのある女の声がか細く響いた。
「お目覚めのようね」
はっと向き直ると、少し離れた壁際にローブ姿の人影が佇んでいる。女屍師のパペッタだ。
驚きとちょっぴりの怖さに、プリモは椅子の上でわずかに仰け反った。が、すぐにプリモは椅子から身を乗り出すようにして、パペッタを見つめた。
「あ、あのっ」
パペッタに聞きたいことは山のようにあるが、何をどう聞いていいのか頭の整理が付かない。
半端な一言洩らしたプリモに、パペッタの方が話しかけてきた。
「貴女に不自由を強いてしまうことは、素直にお詫びするわ。ごめんなさいね」
謙虚に謝るパペッタの口調は、至極滑らかで、とても穏やかだ。怒りや憎しみなどは、毛先ほども感じられない。
プリモは新鮮な驚きと、ちょっぴりの安堵を覚えた。
椅子に座り直し、プリモはまずパペッタに尋ねる。
「あの、ハリアーさんはご無事ですか……?」
「それは彼女次第ね」
パペッタが胸の下で腕を組みつつ、何よりもまずハリアーの身を案じたプリモに、無関心そうに答える。
「ハリアーさんと因縁の深い怨霊を喚起したけれど、最後は彼女の意志の強さがものを言うわ」
パペッタの口ぶりや言葉から察する限り、どうやらハリアーに対しても特別な感情は抱いていないようだ。邪魔さえされなければ、ハリアーには全く関心がないのだろう。
そう感じ取り、プリモはホッと胸を押さえた。
そしてプリモは、パペッタを楕円の瞳でつい上目遣いに見つめ、おずおずと尋ねる。
「あの、パペッタさんは、わたしをどうするおつもりですか?」
「さっき言ったとおりよ」
淡々と答えたパペッタが、抑揚のない口調で続ける。
「貴女のご主人様が来るまで、ここで待ってもらうわ。ハリアーさんには邪魔をされたくないから、強制的に排除したけれど」
この女屍師の素振りも口振りも、あくまで無関心を貫く。
「今までたくさんの賞金稼ぎが、私の研究の邪魔をしてくれたわ。でも、私はただ邪魔されたくないから、彼らを排除してきた。私としては、ただそれだけのことなのよ」
そこでパペッタが皮肉っぽく肩をすくめた。
「結果として、私を狙った賞金稼ぎは、みんな死んでしまったけれど」
平常過ぎる口調のパペッタだが、語った内容は穏やかではない。
――研究の邪魔をされたくないから、排除する――
なるほど、その辺りの考え方は、このパペッタと主人のメヴィウスも、共通しているようだ。が、やはりどこか違う。
どこがどう、とは言葉にできないが、そのプリモの感覚に引っかかる違和感は、一体どこからくるのだろうか……?
警戒心も疑いも半分忘れ、プリモは思い切って尋ねてみる。
「あの、どうしてパペッタさんは、賞金稼ぎに狙われているんですか?」
するとパペッタは、じっとプリモの楕円の瞳を覗き込んできた。
女屍師の意図が分からず、プリモは小首を傾げる。そんな彼女に、パペッタが肩をすくめて小さく笑ってうなずいた。
「貴女、本当に罪がないわね。変わった人だわ。そうね、貴女にならお話ししてもいいかしら」
ため息にも似た音を口許から洩らし、パペッタはぽつぽつと語り始めた。
「私の罪状は三つよ。まず、魔術結社中央会議 から『舟の書』を勝手に持ち出したこと。二つ目は、その時に司書を一人死なせたこと。最後は、私を狙う賞金稼ぎを排除してきたこと」
そこでパペッタが、ふふっと皮肉っぽく笑った。
「賞金稼ぎは、次々と私の邪魔をしに来るもの。そのたびに私の賞金は上がっているようね」
「パペッタさんの賞金は、誰が出すんですか?」
「魔術結社中央会議。司書の仇と、『舟の書』を奪い返す報酬ね。『舟の書』は、どうしても私に必要だったの。だけど……」
パペッタがうつむいた。深いため息をつくかのように、両肩が静かに上下する。
「司書に邪魔をされて、仕方なく排除したのよ。そう、仕方なく……」
「あの、パペッタさんは、どうして『舟の書』が必要なんですか?」
プリモのこの問いを受け、パペッタが椅子の側に音もなく寄ってきた。そして気だるげな様子で壁にもたれかかると、床に視線を落としてうなだれた。
「私は孤児だったのよ。幼いとき、ある魔術師に拾われて育てられたの。でも私が十のときに、私の先生は死んでしまった。寂しくて、私は先生のなきがらを埋葬できなかったの。ずっと先生と話がしたかった。でも、死者の霊魂と対話をするには、死体を操作する“屍術 ”と、霊魂を操る“霊術 ”が必要なのよ」
プリモに視線を戻し、パペッタは続ける。
「さっきもお話ししたけれど、『舟の書』は屍霊術 が書かれた唯一の魔道書なのよ。逆に言えば、屍霊術を学ぶには、『舟の書』を読む以外にないの。でもね、魔術結社中央会議に保管されている『舟の書』は、頼りにならないの」
「どういうことですか?」
プリモが尋ねると、パペッタは再びうつむいた。
「今存在が知られている『舟の書』はね、全部一冊の同じ原典から誰かが書写した写本なのよ。魔術結社中央会議の『舟の書』は、写し間違いがたくさんあって、信頼できない魔道書なの」
パペッタの答えを聞いて、プリモはようやく理解ができた。何度もうなずきながら、相槌を打つ。
「ああ、それで、旦那さまがお持ちの『かんぽん』が必要なのですね?」
「そう。アンドレイオン師の『舟の書』は、悪名高い妖術師だった彼の伯父から受け継いだものだと聞いているわ。その妖術師は、自分で間違いを正しながら、写本を作ったらしいのよ。アンドレイオン師なら、さらに手を加えているはず。だから私はその『舟の書』、有能な黒龍二人が手を入れている『黒龍版・舟の書』が欲しいの」
穏やかに綴られたパペッタの話を聞き、プリモは納得の思いで深くうなずいた。
それでも、パペッタの最初の目的は、その『舟の書』で果たせたのだろうか?
プリモはちょっぴり気になった。
「それで、パペッタさんの先生とは、お話しできましたか?」
「ちょっとだけね」
パペッタは、壁にもたれかかったまま、天井を見上げた。
そして肩を落とし、力なく答える。
「魔術結社中央会議 の司書は私の知ってるひとだったから、何とか『舟の書』の一番簡単な霊術、“交信 ”だけ見せてもらったのよ。その部分に間違いはなかったけれど、先生が死んで時間が経ち過ぎたせいで、ほんの少ししかお話しできなくて」
パペッタの口調が、不意に力を失った。その様子には、深い寂しさが色濃く漂う。
「もっともっと、『舟の書』を研究する必要があったの。でもね、司書には反対されたわ」
「どうしてですか?」
プリモの問いに、パペッタがうなだれた。その打ちひしがれた姿が、プリモの胸をキュッと締め付ける。
「屍霊術というのはね、死者の霊魂と身体をその意志に関係なく、不当に拘束して、無理やり働かせる術法なのよ。だから屍霊術の行使は、本当は死者の恨みを買うの。それで屍霊術師が死ぬと、それまで屍霊術で使役した死者の霊が、復讐に来ると言われているのよ」
「パペッタさんの先生も、ですか?」
「さあ……、先生が私に復讐しに来るかどうかは、分からないけれどね」
そこでパペッタの声が、深く沈み込んだ。
「彼が私の屍霊術の研究に反対だったのは、私のことを心配してくれていたからなのよ。心から。それは、本当はよく分かっていたの」
そこでプリモは気が付いた。彼女は、うつむいたままのパペッタを見つめて、おずおずと尋ねる。
「あの、パペッタさん。もしかして、パペッタさんは、その司書の方のことが、お好きだったのでは?」
「え?」
パペッタがびくんと仰け反った。
「ええ、そうね。そうだったかも」
動揺を隠せない様子で、パペッタが苦笑した。大げさに肩を揺らしたその笑いには、自嘲と悲しみが滲む。
傍で聞くプリモの胸に、どうしようもない哀しみと、痛みが走った。
しかしすぐにうつむいたパペッタが、淡々と続ける。わざと感情を抑え込んだ、不自然な口調だ。
「でも、私は先生を亡くしてから、研究だけに没頭したわ。魔術は、屍霊術も含めて奥が深いの。知れば知るほど、もっともっと知りたくなる」
真っ白な両掌に視線を注ぎ、パペッタはうなされたように呻く。
「そう、そのうち、私は魔術だけではなくて、この世界の始まりから終わりまでを知りたくなったの。そのためなら私は何でもするし、何を犠牲にしても平気。たとえそれが、最愛のひとであっても」
プリモの脳裏に、蒼い閃光が走った。
……分かった。
知るためにすべてを犠牲にできるパペッタと、犠牲にできないものを持つメヴィウス。
いや本当は、
――犠牲にしてはいけないものを、知識のために捧げてしまった――
そうしてついには、歯止めが効かなくなった可哀想な魔術師。それがパペッタだったのだ。
同じく知識を求める者でありながら、踏みとどまれた者と踏みとどまれなかった者。
そこに二人の差があるのに違いない。
パペッタの苦笑交じりのため息が聞こえてきた。
「永いこと先生のことも、あの人のことも忘れていたわ。研究は何もかも忘れさせてくれるもの」
言いようのない寂しさと哀しさが、プリモの胸中にじわじわと広がる。
プリモが震える唇を開こうとしたとき、パペッタがあらぬ方へ視線を向けた。緊迫した様子で黙した女屍師は、何かを探っているようだ。
プリモも言いかけた言葉を飲み込み、パペッタを見守る。
「ああ、何て強い波動 。かなり高度な魔術が行使されたわ。来たようね」
小首を傾げたプリモに、パペッタの冷たく鋭い視線が注がれる。
「貴女の言葉がどう転ぶか、私にも分からない。だから、貴女は黙ってそこにいてちょうだいね」
言うが早いか、パペッタの左の人差し指がプリモの額に触れた。
その瞬間、頭の中に灯りが消えたような感覚が走り、プリモは椅子の上にゆらりと崩れた。
……軽い頭痛と、妙な口の渇きが気持ち悪い。
目覚め切らないまま辺りを見回すと、プリモはがらんとした部屋の中で、壁際の椅子にちょんと座っていた。
天井の高い、真四角の部屋だ。窓も調度品も何もない。ただ梁から吊るされた球形のランタンが、部屋の中をぼんやりと照らしている。あの無数の鬼火も、今は一つも見えないようだ。
それ以上の状況を把握しきれず、ふるふると首を振るばかりのプリモ。そんな彼女の耳に、聞き覚えのある女の声がか細く響いた。
「お目覚めのようね」
はっと向き直ると、少し離れた壁際にローブ姿の人影が佇んでいる。女屍師のパペッタだ。
驚きとちょっぴりの怖さに、プリモは椅子の上でわずかに仰け反った。が、すぐにプリモは椅子から身を乗り出すようにして、パペッタを見つめた。
「あ、あのっ」
パペッタに聞きたいことは山のようにあるが、何をどう聞いていいのか頭の整理が付かない。
半端な一言洩らしたプリモに、パペッタの方が話しかけてきた。
「貴女に不自由を強いてしまうことは、素直にお詫びするわ。ごめんなさいね」
謙虚に謝るパペッタの口調は、至極滑らかで、とても穏やかだ。怒りや憎しみなどは、毛先ほども感じられない。
プリモは新鮮な驚きと、ちょっぴりの安堵を覚えた。
椅子に座り直し、プリモはまずパペッタに尋ねる。
「あの、ハリアーさんはご無事ですか……?」
「それは彼女次第ね」
パペッタが胸の下で腕を組みつつ、何よりもまずハリアーの身を案じたプリモに、無関心そうに答える。
「ハリアーさんと因縁の深い怨霊を喚起したけれど、最後は彼女の意志の強さがものを言うわ」
パペッタの口ぶりや言葉から察する限り、どうやらハリアーに対しても特別な感情は抱いていないようだ。邪魔さえされなければ、ハリアーには全く関心がないのだろう。
そう感じ取り、プリモはホッと胸を押さえた。
そしてプリモは、パペッタを楕円の瞳でつい上目遣いに見つめ、おずおずと尋ねる。
「あの、パペッタさんは、わたしをどうするおつもりですか?」
「さっき言ったとおりよ」
淡々と答えたパペッタが、抑揚のない口調で続ける。
「貴女のご主人様が来るまで、ここで待ってもらうわ。ハリアーさんには邪魔をされたくないから、強制的に排除したけれど」
この女屍師の素振りも口振りも、あくまで無関心を貫く。
「今までたくさんの賞金稼ぎが、私の研究の邪魔をしてくれたわ。でも、私はただ邪魔されたくないから、彼らを排除してきた。私としては、ただそれだけのことなのよ」
そこでパペッタが皮肉っぽく肩をすくめた。
「結果として、私を狙った賞金稼ぎは、みんな死んでしまったけれど」
平常過ぎる口調のパペッタだが、語った内容は穏やかではない。
――研究の邪魔をされたくないから、排除する――
なるほど、その辺りの考え方は、このパペッタと主人のメヴィウスも、共通しているようだ。が、やはりどこか違う。
どこがどう、とは言葉にできないが、そのプリモの感覚に引っかかる違和感は、一体どこからくるのだろうか……?
警戒心も疑いも半分忘れ、プリモは思い切って尋ねてみる。
「あの、どうしてパペッタさんは、賞金稼ぎに狙われているんですか?」
するとパペッタは、じっとプリモの楕円の瞳を覗き込んできた。
女屍師の意図が分からず、プリモは小首を傾げる。そんな彼女に、パペッタが肩をすくめて小さく笑ってうなずいた。
「貴女、本当に罪がないわね。変わった人だわ。そうね、貴女にならお話ししてもいいかしら」
ため息にも似た音を口許から洩らし、パペッタはぽつぽつと語り始めた。
「私の罪状は三つよ。まず、
そこでパペッタが、ふふっと皮肉っぽく笑った。
「賞金稼ぎは、次々と私の邪魔をしに来るもの。そのたびに私の賞金は上がっているようね」
「パペッタさんの賞金は、誰が出すんですか?」
「魔術結社中央会議。司書の仇と、『舟の書』を奪い返す報酬ね。『舟の書』は、どうしても私に必要だったの。だけど……」
パペッタがうつむいた。深いため息をつくかのように、両肩が静かに上下する。
「司書に邪魔をされて、仕方なく排除したのよ。そう、仕方なく……」
「あの、パペッタさんは、どうして『舟の書』が必要なんですか?」
プリモのこの問いを受け、パペッタが椅子の側に音もなく寄ってきた。そして気だるげな様子で壁にもたれかかると、床に視線を落としてうなだれた。
「私は孤児だったのよ。幼いとき、ある魔術師に拾われて育てられたの。でも私が十のときに、私の先生は死んでしまった。寂しくて、私は先生のなきがらを埋葬できなかったの。ずっと先生と話がしたかった。でも、死者の霊魂と対話をするには、死体を操作する“
プリモに視線を戻し、パペッタは続ける。
「さっきもお話ししたけれど、『舟の書』は
「どういうことですか?」
プリモが尋ねると、パペッタは再びうつむいた。
「今存在が知られている『舟の書』はね、全部一冊の同じ原典から誰かが書写した写本なのよ。魔術結社中央会議の『舟の書』は、写し間違いがたくさんあって、信頼できない魔道書なの」
パペッタの答えを聞いて、プリモはようやく理解ができた。何度もうなずきながら、相槌を打つ。
「ああ、それで、旦那さまがお持ちの『かんぽん』が必要なのですね?」
「そう。アンドレイオン師の『舟の書』は、悪名高い妖術師だった彼の伯父から受け継いだものだと聞いているわ。その妖術師は、自分で間違いを正しながら、写本を作ったらしいのよ。アンドレイオン師なら、さらに手を加えているはず。だから私はその『舟の書』、有能な黒龍二人が手を入れている『黒龍版・舟の書』が欲しいの」
穏やかに綴られたパペッタの話を聞き、プリモは納得の思いで深くうなずいた。
それでも、パペッタの最初の目的は、その『舟の書』で果たせたのだろうか?
プリモはちょっぴり気になった。
「それで、パペッタさんの先生とは、お話しできましたか?」
「ちょっとだけね」
パペッタは、壁にもたれかかったまま、天井を見上げた。
そして肩を落とし、力なく答える。
「
パペッタの口調が、不意に力を失った。その様子には、深い寂しさが色濃く漂う。
「もっともっと、『舟の書』を研究する必要があったの。でもね、司書には反対されたわ」
「どうしてですか?」
プリモの問いに、パペッタがうなだれた。その打ちひしがれた姿が、プリモの胸をキュッと締め付ける。
「屍霊術というのはね、死者の霊魂と身体をその意志に関係なく、不当に拘束して、無理やり働かせる術法なのよ。だから屍霊術の行使は、本当は死者の恨みを買うの。それで屍霊術師が死ぬと、それまで屍霊術で使役した死者の霊が、復讐に来ると言われているのよ」
「パペッタさんの先生も、ですか?」
「さあ……、先生が私に復讐しに来るかどうかは、分からないけれどね」
そこでパペッタの声が、深く沈み込んだ。
「彼が私の屍霊術の研究に反対だったのは、私のことを心配してくれていたからなのよ。心から。それは、本当はよく分かっていたの」
そこでプリモは気が付いた。彼女は、うつむいたままのパペッタを見つめて、おずおずと尋ねる。
「あの、パペッタさん。もしかして、パペッタさんは、その司書の方のことが、お好きだったのでは?」
「え?」
パペッタがびくんと仰け反った。
「ええ、そうね。そうだったかも」
動揺を隠せない様子で、パペッタが苦笑した。大げさに肩を揺らしたその笑いには、自嘲と悲しみが滲む。
傍で聞くプリモの胸に、どうしようもない哀しみと、痛みが走った。
しかしすぐにうつむいたパペッタが、淡々と続ける。わざと感情を抑え込んだ、不自然な口調だ。
「でも、私は先生を亡くしてから、研究だけに没頭したわ。魔術は、屍霊術も含めて奥が深いの。知れば知るほど、もっともっと知りたくなる」
真っ白な両掌に視線を注ぎ、パペッタはうなされたように呻く。
「そう、そのうち、私は魔術だけではなくて、この世界の始まりから終わりまでを知りたくなったの。そのためなら私は何でもするし、何を犠牲にしても平気。たとえそれが、最愛のひとであっても」
プリモの脳裏に、蒼い閃光が走った。
……分かった。
知るためにすべてを犠牲にできるパペッタと、犠牲にできないものを持つメヴィウス。
いや本当は、
――犠牲にしてはいけないものを、知識のために捧げてしまった――
そうしてついには、歯止めが効かなくなった可哀想な魔術師。それがパペッタだったのだ。
同じく知識を求める者でありながら、踏みとどまれた者と踏みとどまれなかった者。
そこに二人の差があるのに違いない。
パペッタの苦笑交じりのため息が聞こえてきた。
「永いこと先生のことも、あの人のことも忘れていたわ。研究は何もかも忘れさせてくれるもの」
言いようのない寂しさと哀しさが、プリモの胸中にじわじわと広がる。
プリモが震える唇を開こうとしたとき、パペッタがあらぬ方へ視線を向けた。緊迫した様子で黙した女屍師は、何かを探っているようだ。
プリモも言いかけた言葉を飲み込み、パペッタを見守る。
「ああ、何て強い
小首を傾げたプリモに、パペッタの冷たく鋭い視線が注がれる。
「貴女の言葉がどう転ぶか、私にも分からない。だから、貴女は黙ってそこにいてちょうだいね」
言うが早いか、パペッタの左の人差し指がプリモの額に触れた。
その瞬間、頭の中に灯りが消えたような感覚が走り、プリモは椅子の上にゆらりと崩れた。