一.
文字数 3,242文字
プリモも足早に食堂から走り出た。
「あの、ハリアーさん!」
食堂を飛び出し、旋風の勢いで塔を駆けるハリアーを追って、プリモも瞬く間に一階の玄関ホールにたどり着いた
階段の下で、はあはあと息を切らせるプリモ。
その彼女の目の前で、今しもハリアーが勝手に玄関扉を開け放つところだ。
「あ、あの、ハリアー、さん?」
切れ切れのプリモの言葉も聞こえないのか、ハリアーがぎぎぎ、と鋼鉄の門扉を開け放った。
傲然と戸口に立ちはだかる女剣士の背後から、プリモもひょいと爪先立って外を窺う。
今、玄関の外には一人の男が立っている。
二十代も終わりごろだろうか。
こげ茶色の長い髪を風になびかせた青年だ。浅黒い精悍な顔つき、鳶色の目に溢れる静かな闘志。しかも単身とあれば、熟練の戦士に間違いないだろう。
飴色の革鎧の上に、質素な茶色の外套を着込んだその戦士、先端が深く二股に分かれた長柄の武器を手にしている。
プリモもあまり見た記憶がない、刺叉 というポールアームだ。
玄関を挟んで対峙する女剣士と戦士だったが、先に口を開いたの男の方だった。
真っ直ぐにハリアーを見据えたまま、落ち着き払った口調で男が訊く。
「ここは『黒龍の塔』で間違いないな?」
この大陸の共通語だが、わずかに訛りがある。
プリモは男の問いに答えようと、息を吸った。
が、ハリアーの返答の方が早かった。
「ああ、まあ世間ではそう呼ばれてるね。で、何か用? この塔の住人と知り合いかい?」
「お前は?」
逆に問い返してきた男に、ハリアーが不敵に笑って指を振って見せる。
「ちょっとちょっと。ひとに名前を聞くんなら、まずしきたりどおり、自分から名宣れよ。お前、戦士なんだろ? 戦士なら、“戦士の礼”は守ってくれなくちゃ」
ハリアーが冷やかすと、男の上体がわずかに仰け反った。鳶色の目の奥にわずかばかりの羞恥を覗かせて、男が小さく唸る。
「確かに正論だ」
一言呻いた男は、胸を張り直す。そして冒険者のしきたりに則った名宣りを上げた。
「私はヴァユー。ヴァユー=メトセール=ヴァスバンドゥ。第六階戦士“戦士 ”だ。剣士ならお前も名宣れ」
「ああ、いいよ」
ハリアーも不敵な笑みを崩さないまま、このヴァユーの不躾な求めに応じる。
「あたしはハリアー。ハリアー=ローサイト=シフレ。一応、階梯上は第八階戦士“万器練達 ”ってことになってる」
彼女の名を聞き、男の太い眉がいびつに動いた。平静を装っているが、その顔にはどこか怯んだような陰が差す。
「お前、“流星雨のハリアー”か? 冒険者崩れを専門に狙うという女賞金稼ぎ」
「おっ、だいぶあたしの名前も知られてきたな」
ハリアーが弾んだ声を上げると、ヴァユーは冷静な表情のまま、天を衝く円塔を見上げた。
「そうか、お前が来ているということは、この黒龍の塔の主人は賞金首だったのか」
彼の素っ気なさ過ぎる言動が、ぶすりとプリモに突き刺さる。
「違いますっ!」
我慢しきれずに声を上げ、プリモはハリアーの前にパッと跳び出した。
彼女はハリアーとヴァユーの間に割り込むと、ヴァユーをぐっと反抗的に見上げ、不満を並べる。
「旦那さまは、そんな人殺しや泥棒さんなんかじゃありませんっ! 旦那さまは、とても立派な魔術師なんですからっ! 本当に、冒険者さまたちは、何にも知らないんだから……!」
必死に主人を庇って声を上げるプリモ。だが高く愛らしい声で綴る文句は、何だか小鳥のさえずりのように響く。もちろん迫力は全くない。
そんなプリモを見下ろして、ヴァユーが短く聞く。
「お前は?」
真っ赤なふくれ顔でふーふーと肩を上下させるプリモに代わり、ハリアーが軽く答える。
「プリモだ。この塔でメイドやってる」
「そうか、使用人か」
うなずいたヴァユーが、眉一つ動かさず、淡々と居丈高に言う。
「では主人に取り次げ。話はそれからだ」
「おい、ちょっと待てよ」
と、またハリアーが、ずいとプリモの前に進み出た。
「まだお前の用件を聞いてないぞ。アイツに何の用なんだ?」
玄関から一歩踏み出した彼女は、腕組みしてヴァユーを軽く睨んだ。
だがヴァユーは取り合わない。ハリアーからついと視線を逸らし、冷淡に突き放す。
「お前には関係ない。“流星雨のハリアー”」
つっけんどんな彼の言葉と態度に触れて、にやりと笑ったハリアーが腕組みを解いた。
ものすごく挑戦的な気配が、ハリアーの両肩から立ち昇る。ゆらめく陽炎にも似た、燃え上がる闘気。
「いいや、あるね」
ハリアーを取り巻く空気が焦げ臭く、まるで炉端のようにプリモの頬をひりひりと灼く。
「アイツとあたしは同族で、一宿一飯の恩義もあるからな。お前をこのままほっとくのも、寝覚めが悪い。ここはアイツの関係者になっといてやるよ」
「同族?」
ヴァユーの鳶色の目が、ぴくりとハリアーを捉える。
「この塔の主は悪辣な黒龍 だと聞いているが、お前も龍 だったのか?」
飄々と問われたハリアーが、深くうなずく。答える言葉にも、ありったけの自信と自負が籠っているようだ。
「龍である以前に、あたしは剣士だけどな」
「そうか」
一言答え、ヴァユーが目を伏せた。ふう、と深い吐息をついて、彼が言う。
「できれば穏便に話を済ませたいのだが、そうもいかないか。部外者に依頼の内容を明かすには、それなりの理由が要る」
諧謔的な息を洩らし、ヴァユーが腕をゆっくりと下げた。
じりじりと後ずさりしつつ、彼が玄関前から地面の小道へと退いてゆく。しかし逃げる気はなさそうだ。
ハリアーとヴァユーの距離は、八歩ばかり。間合いとしては、長物を持つヴァユーに有利に見える。
「あの、ハリアーさん……?」
プリモはハリアーとヴァユーを交互に見比べた。
彼の言葉の意味も意図も、プリモには全く理解できない。
「『りゆう』って、何ですか? ヴァスバンドゥさんは、何が言いたいのでしょう?」
戸惑いを隠せないプリモの問いに、不敵な笑みのハリアーが、ハッキリと答える。
「ああ、あれはあたしへの挑戦だよ」
「『ちょうせん』って」
不安いっぱいのプリモの言葉を、ハリアーは威勢のいい声で打ち消した。
「あたしと“太刀合え”ってことさ!」
言うが早いか、ハリアーが玄関口から跳び出した。
「お望みどおり、明かさせてやるよ、ヴァユー! その依頼ってヤツを!」
そして瞬き二つ。
あっという間もなく、ヴァユーと半歩の距離まで肉薄したハリアーが、背負った反り身の剣を抜き払いざまに斬り下ろす。
彼女の閃く白刃は、髪一筋の間合いでヴァユーにかわされた。
鋭い銀色に煌く鋒(きっさき)が、流星のような目映い光跡を彼の鼻先に描く。
「速い……!」
ハリアーの一閃を際どく避け、ヴァユーが驚愕に呻く。
彼の得物は、ほぼ身の丈ほどの長さを持った刺叉だ。懐に飛び込んできた相手には有効性を欠く。ましてや、構えを固める前に踏み込まれては、反撃もままならない。
両手で刺叉をぐっと握り、ヴァユーは得物の柄で白刃をキンキンッと弾きつつ、攻勢に立つハリアーの隙を必死に探る。
だが、無尽に斬撃を放つ彼女の体勢は、全く崩れない。どんな角度で剣を振っても、ハリアーは即座に姿勢を整えて、次の一閃を繰り出す。その絶え間ない斬撃の連続が、無数の流星雨を虚空に刻む。
玄関先から二人の剣戟を見守るプリモも、ハリアーの身のこなしに息を呑んだ。
……ああ、これがハリアーの二つ名、『流星雨』の由来なのか。
「あの、ハリアーさん!」
食堂を飛び出し、旋風の勢いで塔を駆けるハリアーを追って、プリモも瞬く間に一階の玄関ホールにたどり着いた
階段の下で、はあはあと息を切らせるプリモ。
その彼女の目の前で、今しもハリアーが勝手に玄関扉を開け放つところだ。
「あ、あの、ハリアー、さん?」
切れ切れのプリモの言葉も聞こえないのか、ハリアーがぎぎぎ、と鋼鉄の門扉を開け放った。
傲然と戸口に立ちはだかる女剣士の背後から、プリモもひょいと爪先立って外を窺う。
今、玄関の外には一人の男が立っている。
二十代も終わりごろだろうか。
こげ茶色の長い髪を風になびかせた青年だ。浅黒い精悍な顔つき、鳶色の目に溢れる静かな闘志。しかも単身とあれば、熟練の戦士に間違いないだろう。
飴色の革鎧の上に、質素な茶色の外套を着込んだその戦士、先端が深く二股に分かれた長柄の武器を手にしている。
プリモもあまり見た記憶がない、
玄関を挟んで対峙する女剣士と戦士だったが、先に口を開いたの男の方だった。
真っ直ぐにハリアーを見据えたまま、落ち着き払った口調で男が訊く。
「ここは『黒龍の塔』で間違いないな?」
この大陸の共通語だが、わずかに訛りがある。
プリモは男の問いに答えようと、息を吸った。
が、ハリアーの返答の方が早かった。
「ああ、まあ世間ではそう呼ばれてるね。で、何か用? この塔の住人と知り合いかい?」
「お前は?」
逆に問い返してきた男に、ハリアーが不敵に笑って指を振って見せる。
「ちょっとちょっと。ひとに名前を聞くんなら、まずしきたりどおり、自分から名宣れよ。お前、戦士なんだろ? 戦士なら、“戦士の礼”は守ってくれなくちゃ」
ハリアーが冷やかすと、男の上体がわずかに仰け反った。鳶色の目の奥にわずかばかりの羞恥を覗かせて、男が小さく唸る。
「確かに正論だ」
一言呻いた男は、胸を張り直す。そして冒険者のしきたりに則った名宣りを上げた。
「私はヴァユー。ヴァユー=メトセール=ヴァスバンドゥ。第六階戦士“
「ああ、いいよ」
ハリアーも不敵な笑みを崩さないまま、このヴァユーの不躾な求めに応じる。
「あたしはハリアー。ハリアー=ローサイト=シフレ。一応、階梯上は第八階戦士“
彼女の名を聞き、男の太い眉がいびつに動いた。平静を装っているが、その顔にはどこか怯んだような陰が差す。
「お前、“流星雨のハリアー”か? 冒険者崩れを専門に狙うという女賞金稼ぎ」
「おっ、だいぶあたしの名前も知られてきたな」
ハリアーが弾んだ声を上げると、ヴァユーは冷静な表情のまま、天を衝く円塔を見上げた。
「そうか、お前が来ているということは、この黒龍の塔の主人は賞金首だったのか」
彼の素っ気なさ過ぎる言動が、ぶすりとプリモに突き刺さる。
「違いますっ!」
我慢しきれずに声を上げ、プリモはハリアーの前にパッと跳び出した。
彼女はハリアーとヴァユーの間に割り込むと、ヴァユーをぐっと反抗的に見上げ、不満を並べる。
「旦那さまは、そんな人殺しや泥棒さんなんかじゃありませんっ! 旦那さまは、とても立派な魔術師なんですからっ! 本当に、冒険者さまたちは、何にも知らないんだから……!」
必死に主人を庇って声を上げるプリモ。だが高く愛らしい声で綴る文句は、何だか小鳥のさえずりのように響く。もちろん迫力は全くない。
そんなプリモを見下ろして、ヴァユーが短く聞く。
「お前は?」
真っ赤なふくれ顔でふーふーと肩を上下させるプリモに代わり、ハリアーが軽く答える。
「プリモだ。この塔でメイドやってる」
「そうか、使用人か」
うなずいたヴァユーが、眉一つ動かさず、淡々と居丈高に言う。
「では主人に取り次げ。話はそれからだ」
「おい、ちょっと待てよ」
と、またハリアーが、ずいとプリモの前に進み出た。
「まだお前の用件を聞いてないぞ。アイツに何の用なんだ?」
玄関から一歩踏み出した彼女は、腕組みしてヴァユーを軽く睨んだ。
だがヴァユーは取り合わない。ハリアーからついと視線を逸らし、冷淡に突き放す。
「お前には関係ない。“流星雨のハリアー”」
つっけんどんな彼の言葉と態度に触れて、にやりと笑ったハリアーが腕組みを解いた。
ものすごく挑戦的な気配が、ハリアーの両肩から立ち昇る。ゆらめく陽炎にも似た、燃え上がる闘気。
「いいや、あるね」
ハリアーを取り巻く空気が焦げ臭く、まるで炉端のようにプリモの頬をひりひりと灼く。
「アイツとあたしは同族で、一宿一飯の恩義もあるからな。お前をこのままほっとくのも、寝覚めが悪い。ここはアイツの関係者になっといてやるよ」
「同族?」
ヴァユーの鳶色の目が、ぴくりとハリアーを捉える。
「この塔の主は悪辣な
飄々と問われたハリアーが、深くうなずく。答える言葉にも、ありったけの自信と自負が籠っているようだ。
「龍である以前に、あたしは剣士だけどな」
「そうか」
一言答え、ヴァユーが目を伏せた。ふう、と深い吐息をついて、彼が言う。
「できれば穏便に話を済ませたいのだが、そうもいかないか。部外者に依頼の内容を明かすには、それなりの理由が要る」
諧謔的な息を洩らし、ヴァユーが腕をゆっくりと下げた。
じりじりと後ずさりしつつ、彼が玄関前から地面の小道へと退いてゆく。しかし逃げる気はなさそうだ。
ハリアーとヴァユーの距離は、八歩ばかり。間合いとしては、長物を持つヴァユーに有利に見える。
「あの、ハリアーさん……?」
プリモはハリアーとヴァユーを交互に見比べた。
彼の言葉の意味も意図も、プリモには全く理解できない。
「『りゆう』って、何ですか? ヴァスバンドゥさんは、何が言いたいのでしょう?」
戸惑いを隠せないプリモの問いに、不敵な笑みのハリアーが、ハッキリと答える。
「ああ、あれはあたしへの挑戦だよ」
「『ちょうせん』って」
不安いっぱいのプリモの言葉を、ハリアーは威勢のいい声で打ち消した。
「あたしと“太刀合え”ってことさ!」
言うが早いか、ハリアーが玄関口から跳び出した。
「お望みどおり、明かさせてやるよ、ヴァユー! その依頼ってヤツを!」
そして瞬き二つ。
あっという間もなく、ヴァユーと半歩の距離まで肉薄したハリアーが、背負った反り身の剣を抜き払いざまに斬り下ろす。
彼女の閃く白刃は、髪一筋の間合いでヴァユーにかわされた。
鋭い銀色に煌く鋒(きっさき)が、流星のような目映い光跡を彼の鼻先に描く。
「速い……!」
ハリアーの一閃を際どく避け、ヴァユーが驚愕に呻く。
彼の得物は、ほぼ身の丈ほどの長さを持った刺叉だ。懐に飛び込んできた相手には有効性を欠く。ましてや、構えを固める前に踏み込まれては、反撃もままならない。
両手で刺叉をぐっと握り、ヴァユーは得物の柄で白刃をキンキンッと弾きつつ、攻勢に立つハリアーの隙を必死に探る。
だが、無尽に斬撃を放つ彼女の体勢は、全く崩れない。どんな角度で剣を振っても、ハリアーは即座に姿勢を整えて、次の一閃を繰り出す。その絶え間ない斬撃の連続が、無数の流星雨を虚空に刻む。
玄関先から二人の剣戟を見守るプリモも、ハリアーの身のこなしに息を呑んだ。
……ああ、これがハリアーの二つ名、『流星雨』の由来なのか。