三.

文字数 5,911文字

 プリモとハリアーが土の小道を行くこと、ほぼ半時。
 二人は石畳の街道に足を踏み入れた。
 
 幅の広い街道には、多様な人々が往来している。
 近隣の集落を往復する軽装の市民、一杯の荷物を背負った商人、そして武具を身につけた冒険者。そんな人々の間を、山盛りの商品を運ぶ馬車がことことと通り抜けてゆく。
 平たいパンプスで石畳を歩くプリモは、すぐ隣からの声に一瞬歩みを止めた。

「ねえ、プリモ。足は大丈夫? 歩く速さが落ちてきたけど、足痛くなってない?」

 紅のブーツを履き、軽快に足を進めるハリアーが立ち止まってプリモを見ていた。気遣わしげな視線と言葉が、プリモに注がれている。

「プリモは歩き慣れてないし、靴も新しいから、歩くの辛いよね」

 ハリアーの言うとおり、下ろしたての靴で石畳を歩き続け、プリモの足の裏には一歩ごとに痛みが走っていた。だが彼女は、気丈に微笑んで答える。

「いいえ、大丈夫です。あんまり長時間歩いたことがないのは、確かですが」

 そう言ってまた一歩踏み出したプリモだった。だが爪先に力が入らず、その膝が、かくんと崩れる。

「あ、おっとと」

 プリモの体が前のめりに倒れるより早く、ハリアーの手がプリモ支える。彼女を抱きかかえる護衛ハリアーが、紫紺の瞳を曇らせた。

「ホントに大丈夫? プリモ」

 重ねて問われ、プリモはうつむいた。何となく抵抗感と良心の呵責を覚えつつ、彼女は思い切って正直に答える。

「ちょっとつま先が……」

 ハリアーに聞かれるまで、痛みに気が付かずにすたすた歩いてきたプリモだった。が、一度歩みを止めた途端に、石畳に痛めつけられた足の裏とつま先が、ずきずきと脈打つ。

「少し休もう」

 拳闘士風ハリアーの手を借りて、プリモは街道脇の古木の陰に腰を下ろした。

「ほら、ちょっと見せてごらん」

 そう言うハリアーに、プリモの真新しいパンプスがそっと脱がされた。
 プリモの白く繊細な爪先は、血こそ出てはいないものの、赤くはれ上がってしまっている。
 その状態を見るなり、ハリアーが眉根を寄せた。痛々しげに頭を振り、彼女が同情的な吐息をつく。

「あー、これはだいぶ痛いね。もう結構歩いてるからな……」
「ごめんなさい……」

 黒龍の塔に籠って生活してきたプリモ。休むことなく家事をこなし、決して歩いていないワケではない。しかしただひたすらに道を歩く、そういう経験は初めてだ。何だか申し訳なさが胸につかえて、彼女はうなだれた。     
 ハリアーが、気遣いがいっぱいに溢れた笑顔を浮かべ、首を横に振る。

「謝るコトなんかないよ。もっと歩きやすい靴を用意しなかったあたしが悪いんだから。謝るのはあたしの方。ゴメンね」

 深い吐息とともにハリアーが詫びたとき、不意に甲高い中年男の声が聞こえてきた。

「よう、ねえさん方」

 ちょっと訛ってはいるものの、きちんと聞き取れる共通語だ。

「どうしなさったね? 何か難渋されてるみたいだが」

 プリモが顔を上げでみると、彼女たちが座る古木の脇に、何やら旗を立てた一頭立ての荷馬車が横づけされていた。その座席にいるのは、実に小さな男だ。
 背丈は人間の六歳児程度だが、頭や手足の長さなど、体の各部はちゃんと均整が取れている。
 普通の大人をぎゅっと縮小した、そんな印象だ。
 麦わら色の柔らかな髪に、黒曜石のような漆黒の目。年は四十がらみだろうか。緑色の服の上から、黄色っぽいベストを着ている。穏やかな笑顔を見せてはいるものの、その表情はどこか曖昧で捉え処がない。
 黒毛の馬の手綱を握り、にこやかな表情を見せるこの小人を見て、ハリアーが意外そうな声を上げた。

「を? グラムじゃないか。何でこんな所にいるんだ?」

 名前を呼ばれた男は、一瞬しまった、というような表情を見せた。どうやらこの男は、ハリアーのことを知っているらしい。
 グラムと呼ばれたこの男が、ほろ苦くも温かみの滲む息を洩らした。

「何だ、ハリアーだったのかい。あんたにこんな所で遇うたあ、思わなかった」

 しかしグラムは、すぐに元の曖昧な笑顔に戻った。ハリアーとプリモを見比べながら、この男が気のいい調子で聞いてくる。

「それはそうと、実際あんたはこんなとこで何してるんだ? “流星雨”の」
「アリオストポリのバザールに行くところなんだけど、このコが足傷めちゃってさ」

 正直に答えたハリアーが、グラムの黒いまなこを正視した。不意に思い付いた風に、いきなりグラムに言う。

「そうだ、お前もアリオストポリへ商売に行くんだろ? ちょうどいいから乗せてけよ」

 お願いにしては命令口調だが、グラムに怒った様子はない。慣れっこになっているのか、彼が皮肉っぽく笑って肩をすくめた。

「まあいいか。あんたの言うとおり、アリオストポリへはひと稼ぎに出向くところさね」

 彼が楓のような小さな手で、自分の乗る幌なしの荷馬車を示した。プリモとハリアーを交互に見遣り、好意的な笑顔でグラムが二人を誘う。

「ほら、良かったら乗りなぃ。中央広場までなら、乗っけてくよ」
「ありがと。助かるよ」

 素直に礼を言ったハリアーが、にっこりと十代少女の快活な笑顔を浮かべた。実に爽やかで、可愛い笑顔だ。
 グラムも釣られて笑みを返した途端、ハリアーが両手を腰に当て、眉を険しく寄せた。中年男の顔に鼻先を寄せ、彼女は強い口調で釘を刺す。

「いいか? このコはやんごとなきお嬢さまなんだから、丁重に扱えよ」
「へいへい」

 可愛い笑顔も吹き飛んだ、ハリアーの豹変ぶり。
 グラムが苦笑交じりに肩をすくめた。
 そんな彼とハリアーを見比べて、プリモは口を開きかけた。
 
 “わたしはただのメイド……”、というそのプリモの言葉は、しかしハリアーの「黙れ」という無言の仕草と視線に触れて、慌てて喉の奥へと戻された。
 思わず口をおさえたプリモに、グラムが片手を差し延べる。

「さ、どうぞ、お嬢さん。乗っておくんなさい」
「あっ、ありがとうございます」

 プリモは、グラムの子供のような手を借りて、荷馬車の座席に上がった。彼女がグラムの左にちょんと腰かけるのと同時に、ハリアーもひらりとグラムの右に跳び乗った。
 少女たちが自分の左右に座ったのを確認して、グラムが黒毛の馬に一鞭当てる。

「じゃ、行くよ」

 プリモとハリアーを乗せた荷馬車は、ことことと走り出した。
 鬱金の旗が翻る馬車に揺られながら、プリモは膝の上に両手を揃えた。そして手綱を執る隣のグラムに、丁寧に頭を下げる。

「困っていたところを助けて頂いて、ありがとうございました」

 ちょっぴり自責の念に捉われて、プリモは重苦しく目を伏せる。

「お急ぎのところ、お手間を取らせてしまって、ごめんなさい」

 だがグラムは、前を向いたまま、鼻をこすって頭を振る。その横顔は、ちょっと照れ臭そうだ。

「なぁに、困った時はお互いさまでさ。それにそんなに急いでいた訳でもないから、気にしないでおくんなさい」

 グラムがプリモの顔をチラ見してきた。その中年男の顔は、いかにも嬉しげに、にんまり笑っている。

「それに、こんな美人を見捨てたとあっちゃあ、あっしの名折れってもんでさ」

 軽快な口調でそう言って、グラムがまた街道の彼方へと真っ直ぐに目を戻す。
 顔を上げたプリモは、彼の笑顔を横から見つめ、小首を傾げるようにして尋ねた。

「あの、お名前をお聞きしてもいいですか?」
「あっしですかい? あっしは……」

 ぽっと頬に赤みが差したがグラム答えるより早く、ハリアーがサッと口を挟んだ。

「こいつはグラム。“微小人(コリガン)”のケチな屑屋さ」

 途端に、この微小人グラムが、ムッと口許を曲げた。

「人聞きが悪いから、古道具屋と言っておくれよ」
「へっ、故買屋(こばいや)の間違いだろ」

 二人のやり取りが理解できないプリモは、ハリアーに視線を移した。

「あの、『くずや』とか、『こばいや』って何ですか?」

 待ってましたとばかりに、ハリアーが白い歯を見せて、にやりと笑う。

「いいかい? 屑屋っていうのは、何の役にも立たないガラクタを、何も知らないお客に高く売りつけるあくどい商売さ。で、故買屋は、泥棒が盗んできた物を買い取って売る仕事だよ」

 『あくどい商売』に『泥棒』、などと陰惨な言葉を聞き、プリモはにわかに不安を覚えた。
 眉根を寄せて、彼女は重苦しくつぶやく。

「怖いお仕事があるんですね」
「そうとも」

 ハリアーも深刻そうに顔をしかめ、大げさな仕草でうなずいた。

「だからプリモも気を付けるんだよ」
「ちょ、ちょっと!」

 たまらずに、グラムが慌てた声を上げた。

「変な説明はやめておくれよ! このお嬢さん、おかしな誤解をしてるじゃないか!」

 手綱を握ったままのグラムは、にやにや笑いのハリアーを睨んで抗議した。すぐに正面に目を戻しつつも、彼はぶつぶつとこぼす。

「怖い仕事なんて、“賞金稼ぎ”の方がよっぽど怖い仕事じゃないか」
「まあそう言うなって、グラム」

 全く意に介さない様子で、賞金稼ぎハリアーはけらけらと笑う。

「お前が諸国の王侯貴族に重宝がられるスゴ腕商人だっていうのは、認めるからさ。謎が多くて胡散臭いけど」
「褒めるかけなすか、どっちかにしてくれよ、流星雨の。まあ、あんたに褒められても、何だか嬉しくないんだが」

 グラムは諦めが漂う鼻息を一つ洩らしつ、ハリアーに視線を戻した。

「それはそうと、今日はなんだってアリオストポリヘ行くんだい? このお嬢さん、えーと、お名前何と言いなすったかな?」

 グラムの言葉と目線を受けて、プリモはくすっと笑った。

「プリモです。よろしくお見知り置き下さい」
「こちらこそ。こんな美人と知り合えて嬉しいね」

 そこでグラムは不思議そうな表情を見せた。
 彼はプリモのラピスラズリの瞳を注視している。

「それにしても、変わった目をしていなさるね。あっしが知る限り、どんな人種とも違うようだが」

 初対面の男性から、ほぼ間違いなく出てくる言葉だ。もう慣れてしまっているとはいえ、聞かれて楽しい問いとは言えない。漠然とした胸の痛みを覚えつつ、プリモは気の抜けた口調で尋ねてみた。

「やっぱり、カエルの目は、気持が悪いですか?」

 自嘲的な響きを帯びた彼女の問いは、しかし、グラムによって軽く笑い飛ばされた。

「全然。体の特徴なんざ、大した問題じゃありやせんや。ごらんなさいよ、あっしの体」

 彼は気持ちの沈むプリモに向かって、自分の小さな体格を指し示す。

「あっしら微小人(コリガン)は、人類の中じゃあ一番のチビですがね。あっしときたら、その中でもとびっきりのチビ助でさ。でもね、あっしは見下ろされてるつもりなんざ、さらっさらありませんぜ。あっしはね、いつだって見上げて生きてるんでさ」

 明るく笑いながら、グラムは空を指差した。釣られて天を仰いだプリモの目に、金色の太陽がまぶしい。

 「体なんざ、人それぞれ。デカかろうがチビだろうが、目の色がどうでも、人間(ホムス)だって異人(デモス)だって、お天道さんは付いて回るってもんでさ。結局、肝心なのは、見てくれよりも心意気ってもんですぜ。それに……」

 そこでグラムが、馬車の荷台で翻る旗に指を差す。
 プリモの視線が、彼の小さな指先を追った。
 この小さな男がが示すのは、三角の切れ込みが入った横長の黄色い旗だ。濃い鬱金地に、赤と青のケープを羽織った真っ黒なカエルが、前足を振りながら踊るような姿で染め抜いてある。

「それに、カエルはあっしの標章。カエルなら、あっしは大歓迎でさ」

 グラムが自然体で綴った言葉を聞き、プリモの心の澱は一気に洗い流された。
 熱く透明な涙が滲む瞳をグラムに向けたプリモ。しかし、震える唇からは声が出てこない。感謝の言葉に替えて、プリモは深々と頭を下げた。
 そんな感極まるプリモの耳に、ハリアーのふふっという温かな笑いが聞こえた。

「世の中には、いろんなヤツがいるだろ? これだけでも、塔から出た甲斐があったね。やっぱり、時々は塔から街へ出ないとな」

 プリモは心からの賛意を込めて、大きくうなずいた。
 と、同時に、目許を拭うプリモは、心に浮かんだ疑問をそのまま口に出してみる。

「あの、ハリアーさんとグラムさんは、どういうお知り合いなんですか?」
「ん? 『どういう知り合い』?」

 プリモの言葉を繰り返したハリアーが、グラムと一瞬顔を見合わせた。
 と、何か言おうとしたハリアーの出鼻をくじいて、グラムが急いで答えを被せた。その声は、変に上ずって響く。

「あー、あっしらは、“依頼人”と“請負人”でさ」
「『いらいにん』と『うけおいにん』?」

 プリモは、まじまじと彼の顔をみつめた。
 グラムのどこか引きつった顔には、また何かおかしなことを言われてはたまらない、そんな焦りが浮かぶ。

「あっしは商人でさ。世の中にゃあ、いろんなひとがいなさってねえ。時にはあっしの手に余る注文やらもあるんでさ。そんなとき、あっしは冒険者を雇うんだが……」

 グラムがハリアーをチラ見した。紅蓮の拳闘士ハリアーは、組んだ脚の膝小僧を悠然と抱え、鼻歌交じりに青い空を仰いでいる。
 そんなハリアーから、グラムがプリモへと視線を移す。

「あっしらは、ハリアーが冒険者駆け出しの頃からの付き合いでね。腕もきっぷも、それに器量だって申し分ないんだが、口の悪さだけは、どうにかならんもんかねえ……」

 グラムが深い吐息交じりの苦笑を洩らした。その微笑ましげでありながら、どこか困った表情は、どこかやんちゃな娘を案じる父親のような雰囲気が漂う。
 ついくすっと笑ってしまうプリモだった。
 そこでグラムが、ハリアーに不思議そうな視線を注ぐ。

「ところで流星雨の」

 彼はハリアーの腰に視線を落とした。彼女の鮮やかにくびれた腰の左右には、二本の角が突き出した、あの小さな丸盾が下げられている。

「最後の依頼から半年ぶりくらいかな? 今日は剣を持ってないが、賞金稼ぎから足洗って用心棒に転職かい? マドゥなんか二つも持って」     
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