六.
文字数 2,768文字
プリモは腕組みのハリアーに向かって、深々と頭を下げた。目をギュッと瞑ったプリモの手が、エプロンの裾を堅く握り締める。
必死に懇願した彼女の耳に、ハリアーの朗らかな笑い声が聞こえてきた。
「他人行儀はやめてよ。アリオストポリのバザールなら、あたしもちょっと覗こうかと思ってたトコでさ。せっかくだから、一緒に行こうよ」
「じゃあ、わたしを、アリオストポリのバザールへ、連れて行って下さるんですね?」
声を弾ませたプリモは、じっとハリアーの瞳を見つめて念を押す。
と、途端にぷふっとハリアーが噴き出した。
「どうしたの? プリモ。目が寄っちゃってるよ」
「え? あ? え?」
自分でも気の付かない間に、プリモの視線は縋るような上目遣いになっていたようだ。
かあっと頬が紅潮するのを覚え、プリモは首を竦めてうなだれた。
どうしても不安な時、うつむき加減に相手を見上げるのが悪い癖だ、と指摘されたことをプリモは思い出す。
「ご、ごめんなさい……」
小さくなるばかりのハリアーを見ながら、ハリアーがうんうんと好意的に何度もうなずく。
「いいよ、そんなの。あたしが案内してあげる。プリモの探しもの、あたしも手伝うよ」
「ありがとうございます! よろしくお願いします!」
顔を上げたプリモは、精一杯の感謝と喜びを満面の笑みに変え、もう一度ハリアーに頭を下げた。
ハリアーも悪戯で不敵な笑みを口元に湛え、プリモに片目を瞑って見せる。
「よし、じゃ決まり! 明日朝一に出発して、夕方に戻るよ」
歯切れよく口にしたハリアーだが、何か怪訝な目でプリモの全身を見回している。
「で、プリモ、外へ着ていく服はあるよね?」
「服って、これじゃだめですか?」
ハリアーに聞かれたプリモは、彼女の視線を追うように、自分の着ている服を眺め回した。
今のプリモは、白黒のワンピースに純白のエプロンというメイド姿だ。
彼女の頭から爪先までをじろじろと眺め回すハリアーの視線が、だんだんと胡乱になってくる。
「……ねえプリモ、もしかして持ってる服って、それだけ?」
「はい。あの、何か変ですか?」
当たり前のようにうなずいてから、プリモはハリアーの引き気味な眼差しに気が付いた。
ハリアーが、長い前髪の下の額に片手を当てて、深く深く濁ったため息をつく。
「……あんたも重症だよ、プリモ」
一言そう呻き、彼女はきっと顔を上げた。
「アイツ何考えてるんだろう! 自分は万有術士 なんて呼ばれて、いい気になってるクセに!」
口許の尖った歯を光らせて咆えたハリアーだったが、すぐにがっくりと肩を落とした。
「あー、ケチのメヴィウスには何言ってもムダか。いいよ。あたしが外出着、用意してあげる。何が何でも、プリモは外へ連れ出して、広い世界を見せてやらないと」
顔を上げたハリアーが、鼻息も荒く言い放つ。
きっぷのいい、姐御肌の片鱗を覗かせるハリアーを見ながら、プリモは思い出していた。
……旦那さまは、確かハリアーを『無一文』と言っていたはず。
彼女の懐具合を気遣い、プリモはおずおずと尋ねる。
「用意って、どうなさるんですか? 旦那さまは、ハリアーさん、お金がないと」
するとハリアーは、にやりと笑った。紫紺の瞳が、意味ありげに煌めいている。
「プリモも、あたしが本当に無一文だと思ってるんだ。まあ、確かにココへ来る時は、大体おケラだけどね」
「『おケラ』って、何ですか?」
またも疑問をそのまま口にしたプリモだった。だがハリアーもプリモを理解してきたのか、面白そうな苦笑を交えつつ、親切に答える。
「全然お金がないこと。でもね、あたしの場合、ちょっと違うよ。まだ受け取ってない賞金が、あちこちの街で結構そのままになってる。だから手持ちはいつも少ないけど、正真正銘の無一文、ってワケでもないんだよね」
「どうしてお金を受け取っていないんですか?」
プリモが尋ねると、彼女は冷めた紅茶を一気に飲み干した。
「あたしは流れ者だからね。重いし危ないから、そんなに大金を持ち歩けないんだ。だからこの国に来て、賞金を受け取れる街が遠くてどうしようもない時に、ココへ来るんだよ」
ちょっと舌を出し、へへっと笑ったハリアーが決まり悪そうに告白する。
「でも、この塔は割と居心地が好くてさ、つい長居しちゃうんだ」
「どうしてですか?」
「ココってば、きったないトコだけど、誰も来ないから静かでさ。でも前に来た時、あんまり退屈だったからメヴィウスの倉庫を探検して、器械を壊しちゃってね。まだ根に持ってるんだよ、アイツ」
そこでハリアーが、プリモの顔を見つめてきた。
「ね、忙しくなかったらさ、プリモ、話し相手になってよ。退屈しなくて済むからさ」
ハリアーのお願いを受けて、プリモは控えめな微笑を口許に湛えつつ、謙虚にうなずく。
「わたしなんかでよければ。もしご迷惑でなければ、わたしにも外のお話、聞かせて下さい」
「もっちろん! お安いご用さ」
満面の笑顔でうなずいたハリアーだったが、そこで慌てた様子で付け加えた。
「あ、賞金のことは、メヴィウスにはナイショにしといて。アイツ、がめついんだから」
悪戯っぽく片目を閉じた彼女を見て、プリモはくすっと笑った。
「はい。ナイショにしておきます」
プリモが笑顔で返したその時、この塔の中にベルの音が鳴り響いた。
高らかに澄んだ音色だが、リズムは乱雑。耳に心地よいとは、およそ言い難い。
「をを? お客かい? さっきプリモが言ってた商人?」
何気ないハリアーの問いに、プリモは深いため息で答えた。
「いいえ。契約している商人さんや、この塔に関わりのある方は、わたしたちに分かるように、決まった鳴らし方をして下さいます」
「ああ、あたしもメヴィウスから、一応呼び鈴の鳴らし方は聞いてる」
ハリアーの言葉に、プリモはうなずく。
「この鳴らし方は、きっと冒険者ご一行さまでしょう」
「じゃあ、あたしが追い返してやるよ。宿賃の代わりさ」
不敵に笑ったハリアーが、足元から剣を取った。
だがプリモは慌ててハリアーを押し留める。
「あ、いえ、大丈夫です。これがわたしの……」
「いや、のぼせ上がった冒険者ってヤツは危ないよ」
そこで再び呼び鈴が鳴った。さっきよりもより一層乱暴に。
「ほら、冒険者サマがお待ちだ。行くよ!」
言うが早いか、反り身の剣を背負い直したハリアーが、食堂から飛び出す。
プリモもハリアーの足音を追って、塔の一階へと急いだ。
必死に懇願した彼女の耳に、ハリアーの朗らかな笑い声が聞こえてきた。
「他人行儀はやめてよ。アリオストポリのバザールなら、あたしもちょっと覗こうかと思ってたトコでさ。せっかくだから、一緒に行こうよ」
「じゃあ、わたしを、アリオストポリのバザールへ、連れて行って下さるんですね?」
声を弾ませたプリモは、じっとハリアーの瞳を見つめて念を押す。
と、途端にぷふっとハリアーが噴き出した。
「どうしたの? プリモ。目が寄っちゃってるよ」
「え? あ? え?」
自分でも気の付かない間に、プリモの視線は縋るような上目遣いになっていたようだ。
かあっと頬が紅潮するのを覚え、プリモは首を竦めてうなだれた。
どうしても不安な時、うつむき加減に相手を見上げるのが悪い癖だ、と指摘されたことをプリモは思い出す。
「ご、ごめんなさい……」
小さくなるばかりのハリアーを見ながら、ハリアーがうんうんと好意的に何度もうなずく。
「いいよ、そんなの。あたしが案内してあげる。プリモの探しもの、あたしも手伝うよ」
「ありがとうございます! よろしくお願いします!」
顔を上げたプリモは、精一杯の感謝と喜びを満面の笑みに変え、もう一度ハリアーに頭を下げた。
ハリアーも悪戯で不敵な笑みを口元に湛え、プリモに片目を瞑って見せる。
「よし、じゃ決まり! 明日朝一に出発して、夕方に戻るよ」
歯切れよく口にしたハリアーだが、何か怪訝な目でプリモの全身を見回している。
「で、プリモ、外へ着ていく服はあるよね?」
「服って、これじゃだめですか?」
ハリアーに聞かれたプリモは、彼女の視線を追うように、自分の着ている服を眺め回した。
今のプリモは、白黒のワンピースに純白のエプロンというメイド姿だ。
彼女の頭から爪先までをじろじろと眺め回すハリアーの視線が、だんだんと胡乱になってくる。
「……ねえプリモ、もしかして持ってる服って、それだけ?」
「はい。あの、何か変ですか?」
当たり前のようにうなずいてから、プリモはハリアーの引き気味な眼差しに気が付いた。
ハリアーが、長い前髪の下の額に片手を当てて、深く深く濁ったため息をつく。
「……あんたも重症だよ、プリモ」
一言そう呻き、彼女はきっと顔を上げた。
「アイツ何考えてるんだろう! 自分は
口許の尖った歯を光らせて咆えたハリアーだったが、すぐにがっくりと肩を落とした。
「あー、ケチのメヴィウスには何言ってもムダか。いいよ。あたしが外出着、用意してあげる。何が何でも、プリモは外へ連れ出して、広い世界を見せてやらないと」
顔を上げたハリアーが、鼻息も荒く言い放つ。
きっぷのいい、姐御肌の片鱗を覗かせるハリアーを見ながら、プリモは思い出していた。
……旦那さまは、確かハリアーを『無一文』と言っていたはず。
彼女の懐具合を気遣い、プリモはおずおずと尋ねる。
「用意って、どうなさるんですか? 旦那さまは、ハリアーさん、お金がないと」
するとハリアーは、にやりと笑った。紫紺の瞳が、意味ありげに煌めいている。
「プリモも、あたしが本当に無一文だと思ってるんだ。まあ、確かにココへ来る時は、大体おケラだけどね」
「『おケラ』って、何ですか?」
またも疑問をそのまま口にしたプリモだった。だがハリアーもプリモを理解してきたのか、面白そうな苦笑を交えつつ、親切に答える。
「全然お金がないこと。でもね、あたしの場合、ちょっと違うよ。まだ受け取ってない賞金が、あちこちの街で結構そのままになってる。だから手持ちはいつも少ないけど、正真正銘の無一文、ってワケでもないんだよね」
「どうしてお金を受け取っていないんですか?」
プリモが尋ねると、彼女は冷めた紅茶を一気に飲み干した。
「あたしは流れ者だからね。重いし危ないから、そんなに大金を持ち歩けないんだ。だからこの国に来て、賞金を受け取れる街が遠くてどうしようもない時に、ココへ来るんだよ」
ちょっと舌を出し、へへっと笑ったハリアーが決まり悪そうに告白する。
「でも、この塔は割と居心地が好くてさ、つい長居しちゃうんだ」
「どうしてですか?」
「ココってば、きったないトコだけど、誰も来ないから静かでさ。でも前に来た時、あんまり退屈だったからメヴィウスの倉庫を探検して、器械を壊しちゃってね。まだ根に持ってるんだよ、アイツ」
そこでハリアーが、プリモの顔を見つめてきた。
「ね、忙しくなかったらさ、プリモ、話し相手になってよ。退屈しなくて済むからさ」
ハリアーのお願いを受けて、プリモは控えめな微笑を口許に湛えつつ、謙虚にうなずく。
「わたしなんかでよければ。もしご迷惑でなければ、わたしにも外のお話、聞かせて下さい」
「もっちろん! お安いご用さ」
満面の笑顔でうなずいたハリアーだったが、そこで慌てた様子で付け加えた。
「あ、賞金のことは、メヴィウスにはナイショにしといて。アイツ、がめついんだから」
悪戯っぽく片目を閉じた彼女を見て、プリモはくすっと笑った。
「はい。ナイショにしておきます」
プリモが笑顔で返したその時、この塔の中にベルの音が鳴り響いた。
高らかに澄んだ音色だが、リズムは乱雑。耳に心地よいとは、およそ言い難い。
「をを? お客かい? さっきプリモが言ってた商人?」
何気ないハリアーの問いに、プリモは深いため息で答えた。
「いいえ。契約している商人さんや、この塔に関わりのある方は、わたしたちに分かるように、決まった鳴らし方をして下さいます」
「ああ、あたしもメヴィウスから、一応呼び鈴の鳴らし方は聞いてる」
ハリアーの言葉に、プリモはうなずく。
「この鳴らし方は、きっと冒険者ご一行さまでしょう」
「じゃあ、あたしが追い返してやるよ。宿賃の代わりさ」
不敵に笑ったハリアーが、足元から剣を取った。
だがプリモは慌ててハリアーを押し留める。
「あ、いえ、大丈夫です。これがわたしの……」
「いや、のぼせ上がった冒険者ってヤツは危ないよ」
そこで再び呼び鈴が鳴った。さっきよりもより一層乱暴に。
「ほら、冒険者サマがお待ちだ。行くよ!」
言うが早いか、反り身の剣を背負い直したハリアーが、食堂から飛び出す。
プリモもハリアーの足音を追って、塔の一階へと急いだ。