二.
文字数 2,345文字
椅子の上のハリアーが、悪戯な表情を浮かべ、借りた服に身を包むプリモを見ている。
人懐っこそうな笑顔には映るものの、その女剣士の紫紺の瞳に宿る光は、強気で挑戦的だ。何を言っても聞きそうにない。
とは言え、分をわきまえたつもりのプリモだって、簡単に引き下がるつもりはない。プリモは控えめながら姿勢を正し、凛と主張する。
「いいえ、この塔は旦那さまの持ち物で、わたしの物ではありませんから。わたしがハリアーさんから宿泊代を頂くのは、正しくありません」
「をを? 理屈は合ってる」
むう、と一言洩らしたハリアーは、うつむいて口をつぐんだ。
何か思案を巡らせる様子の剣士の顔を見て、プリモは後ろめたさを覚えた。せっかくのハリアーの厚意を拒絶してしまったのは、誤りかもしれない。
良心の呵責を覚えたプリモがうなだれたとき、ハリアーの明るい声が聞こえた。
「よし、じゃこうしよう」
プリモが顔を上げると、ハリアーが先と同じく悪戯な表情を見せている。
「とりあえず、その服は貸してあげる。プリモのメイド服は仕事着だから、遊びに行くときに着るのは正しくないんだ。明日はそれ着て行くんだよ」
「分かりました」
納得のプリモがうなずくと、ハリアーがさらに続ける。
「で、バザールから帰ってきたら、その服をどうするかは、メヴィウスに決めてもらおう。アイツなら正しい判断するだろ。それでいいかな?」
「はい」
ハリアーの言い分に説得力を感じ、スッキリしたプリモは、大きくうなずいた。
それに応えて、女剣士も小気味よく声を上げる。
「よし、決まり」
にっ、と笑ったハリアーだが、椅子の上からため息混じりの苦笑を洩らした。
「それにしても、プリモもマジメで強情だねえ。こんなの大したことないんだから、ヘンな遠慮されると、却って気持ち悪いよ」
「ごめんなさい」
二度目の呵責にうなだれたプリモの肩が、ぽんと叩かれた。
顔を上げると、目の前に腰を上げたハリアーの笑顔がある。
「ま、いいさ。そういうマジメなプリモだから、メヴィウスも安心して留守を預けるんだろうからさ」
「あ、ありがとうございます」
プリモが感謝の思いを胸に深々と頭を下げると、ハリアーは苦笑とともに片手を軽く振った。
「やめてよ、気持ち悪い。あたしとプリモの仲じゃない」
すぐにプリモは、地味なメイド服に戻った。
彼女はハリアーから渡された衣装一式を箱に戻すと、ストーブからポットを取った。程よく湧いた湯で、ハリアーに香り立つハーブティーを淹れる。
「どうぞ」
「ああ、ありがと」
軽く手を振るハリアーを見ながら、プリモは再びぬいぐるみと並んでベッドに座った。期待と不安の交錯した視線を彼女に注ぎ、どこか弾んだ口調で短く尋ねた。
「ハリアーさん、『ありおすとぽり』、って、どんなところなんですか?」
バザール行きは彼女が懇願した話だが、当のプリモは、この黒龍の塔以外のことには無知の極みと言っていい。それを充分に自覚している彼女の胸中には、ハリアーに教えて欲しいことがうず高く積み上げられている。
ハリアーが悠然と脚を組みつつ、期待して待つプリモにゆっくりと答えた。
「アリオストポリは、アープっていう国の都だよ。アープは交易で成り立ってる小さな王国さ。ちょうど明日は月に一度のバザールが出る日なんだ。アリオストポリの中央広場にね」
「『ばざーる』っていうのは、市場のことですよね?」
「そうだよ。それは知っているんだね」
「はい。旦那さまからも、他の方からも、お話だけは聞いています。でも」
うなずいたプリモは、翳の差した瞳を一瞬テーブルに落とした。しかしすぐに顔を上げた彼女は、再び向かいに座るハリアーを真っ直ぐ見つめる。
「わたしは一度も市場に行ったことがないので、何も知らなくて。『ばざーる』って、何でも売っているんですか? 魔法の品々でもあるんですよね?」
「たぶんね」
ハリアーも軽くうなずく。記憶をたどっているのか、紫紺の瞳が斜め上の虚空を探っている。
「アープのバザールは方々からいろんな連中が集まってくるから、どんなものでも売ってるよ。食べ物でもアクセサリーでも、武器でもね。でも奴隷の売買は禁止だってさ」
「『どれい』って何ですか?」
素直にプリモが疑問を口にすると、ハリアーは白い歯を見せ、にやっと笑った。何か意味ありげな、大人の笑みだ。
「所有されて働く人々さ。身体を使ってね。この大陸の国には、ない仕組みだけどね」
これを聞き、プリモはにっこりと無邪気に笑う。
「わたしと同じですね」
「あー、それはちょっと違うと思うけど」
それから三十分ばかりおしゃべりしたところで、ハリアーがおもむろに腰を上げた。
「そろそろあたしは寝ようかな。明日は早いからね」
両腕を頭上に挙げて、大きく伸びをするハリアー。
小刻みに体を震わす彼女を見ながら、プリモも立ち上がった。澄み切った瞳に感謝と好意を一杯に浮かべ、彼女は深々と頭を下げる。
「今夜は本当にありがとうございました。明日も、よろしくお願いします」
「だから他人行儀はやめてってば。まだまだ厄介になるのは、あたしの方なんだから」
ハリアーは、まだ何か入っている様子の包みを小脇に抱え、照れ臭そうに何度もかぶりを振る。
「じゃ、おやすみプリモ。明日は夜明けには出発するから、それまでよく眠っておいてね」
いっぱいの期待と、一抹の不安を胸に抱き、プリモは強くうなずいた。
「はい。ハリアーさんも、ゆっくりお休み下さい」
人懐っこそうな笑顔には映るものの、その女剣士の紫紺の瞳に宿る光は、強気で挑戦的だ。何を言っても聞きそうにない。
とは言え、分をわきまえたつもりのプリモだって、簡単に引き下がるつもりはない。プリモは控えめながら姿勢を正し、凛と主張する。
「いいえ、この塔は旦那さまの持ち物で、わたしの物ではありませんから。わたしがハリアーさんから宿泊代を頂くのは、正しくありません」
「をを? 理屈は合ってる」
むう、と一言洩らしたハリアーは、うつむいて口をつぐんだ。
何か思案を巡らせる様子の剣士の顔を見て、プリモは後ろめたさを覚えた。せっかくのハリアーの厚意を拒絶してしまったのは、誤りかもしれない。
良心の呵責を覚えたプリモがうなだれたとき、ハリアーの明るい声が聞こえた。
「よし、じゃこうしよう」
プリモが顔を上げると、ハリアーが先と同じく悪戯な表情を見せている。
「とりあえず、その服は貸してあげる。プリモのメイド服は仕事着だから、遊びに行くときに着るのは正しくないんだ。明日はそれ着て行くんだよ」
「分かりました」
納得のプリモがうなずくと、ハリアーがさらに続ける。
「で、バザールから帰ってきたら、その服をどうするかは、メヴィウスに決めてもらおう。アイツなら正しい判断するだろ。それでいいかな?」
「はい」
ハリアーの言い分に説得力を感じ、スッキリしたプリモは、大きくうなずいた。
それに応えて、女剣士も小気味よく声を上げる。
「よし、決まり」
にっ、と笑ったハリアーだが、椅子の上からため息混じりの苦笑を洩らした。
「それにしても、プリモもマジメで強情だねえ。こんなの大したことないんだから、ヘンな遠慮されると、却って気持ち悪いよ」
「ごめんなさい」
二度目の呵責にうなだれたプリモの肩が、ぽんと叩かれた。
顔を上げると、目の前に腰を上げたハリアーの笑顔がある。
「ま、いいさ。そういうマジメなプリモだから、メヴィウスも安心して留守を預けるんだろうからさ」
「あ、ありがとうございます」
プリモが感謝の思いを胸に深々と頭を下げると、ハリアーは苦笑とともに片手を軽く振った。
「やめてよ、気持ち悪い。あたしとプリモの仲じゃない」
すぐにプリモは、地味なメイド服に戻った。
彼女はハリアーから渡された衣装一式を箱に戻すと、ストーブからポットを取った。程よく湧いた湯で、ハリアーに香り立つハーブティーを淹れる。
「どうぞ」
「ああ、ありがと」
軽く手を振るハリアーを見ながら、プリモは再びぬいぐるみと並んでベッドに座った。期待と不安の交錯した視線を彼女に注ぎ、どこか弾んだ口調で短く尋ねた。
「ハリアーさん、『ありおすとぽり』、って、どんなところなんですか?」
バザール行きは彼女が懇願した話だが、当のプリモは、この黒龍の塔以外のことには無知の極みと言っていい。それを充分に自覚している彼女の胸中には、ハリアーに教えて欲しいことがうず高く積み上げられている。
ハリアーが悠然と脚を組みつつ、期待して待つプリモにゆっくりと答えた。
「アリオストポリは、アープっていう国の都だよ。アープは交易で成り立ってる小さな王国さ。ちょうど明日は月に一度のバザールが出る日なんだ。アリオストポリの中央広場にね」
「『ばざーる』っていうのは、市場のことですよね?」
「そうだよ。それは知っているんだね」
「はい。旦那さまからも、他の方からも、お話だけは聞いています。でも」
うなずいたプリモは、翳の差した瞳を一瞬テーブルに落とした。しかしすぐに顔を上げた彼女は、再び向かいに座るハリアーを真っ直ぐ見つめる。
「わたしは一度も市場に行ったことがないので、何も知らなくて。『ばざーる』って、何でも売っているんですか? 魔法の品々でもあるんですよね?」
「たぶんね」
ハリアーも軽くうなずく。記憶をたどっているのか、紫紺の瞳が斜め上の虚空を探っている。
「アープのバザールは方々からいろんな連中が集まってくるから、どんなものでも売ってるよ。食べ物でもアクセサリーでも、武器でもね。でも奴隷の売買は禁止だってさ」
「『どれい』って何ですか?」
素直にプリモが疑問を口にすると、ハリアーは白い歯を見せ、にやっと笑った。何か意味ありげな、大人の笑みだ。
「所有されて働く人々さ。身体を使ってね。この大陸の国には、ない仕組みだけどね」
これを聞き、プリモはにっこりと無邪気に笑う。
「わたしと同じですね」
「あー、それはちょっと違うと思うけど」
それから三十分ばかりおしゃべりしたところで、ハリアーがおもむろに腰を上げた。
「そろそろあたしは寝ようかな。明日は早いからね」
両腕を頭上に挙げて、大きく伸びをするハリアー。
小刻みに体を震わす彼女を見ながら、プリモも立ち上がった。澄み切った瞳に感謝と好意を一杯に浮かべ、彼女は深々と頭を下げる。
「今夜は本当にありがとうございました。明日も、よろしくお願いします」
「だから他人行儀はやめてってば。まだまだ厄介になるのは、あたしの方なんだから」
ハリアーは、まだ何か入っている様子の包みを小脇に抱え、照れ臭そうに何度もかぶりを振る。
「じゃ、おやすみプリモ。明日は夜明けには出発するから、それまでよく眠っておいてね」
いっぱいの期待と、一抹の不安を胸に抱き、プリモは強くうなずいた。
「はい。ハリアーさんも、ゆっくりお休み下さい」