四.

文字数 4,783文字

 微小人の承認グラムに聞かれ、ハリアーは膝小僧を両手で抱えたまま、ふふんと笑った。

「今日は仕事抜きなんだ。買い物の付き添いだから、剣は置いてきたよ。プリモ、アリオストポリは初めてだから、あたしはその護衛なんだ」

 答えたハリアーの表情は勝ち気で、絶対の自信に輝いている。

「今日は護衛に徹するつもりだから、防禦重視の装備だよ。あたしは剣士だけど、万器練達(マスター・アット・アームズ)たるもの、得物は選ばないさ。この体だって、立派な武器なんだから」
「にしても、その恰好はちょっと目立ち過ぎゃしないか? 流星雨の」

 少々呆れ気味のグラムだが、ハリアーの自信たっぷりな表情は崩れない。

「このくらい目立つヤツが付いてれば、誰もプリモに近付こうとは思わないだろ?」
「警戒色って訳か。こいつぁ、下手に触るとヤケド間違いなしだな」

 ははは、と愉快そうに笑うグラム。
 そんな小さな異人種の商人に、ハリアーが聞いた。

「で、そういうお前は、バザールでひと稼ぎなんだろ?」

 ハリアーが再び空を見上げた。
 水晶のごとくどこまでも透明な蒼穹に、金鏡の日輪と白いちぎれ雲が浮かんでいる。

「がめつい商人にしては、えらく出遅れてるじゃないか。場所は大丈夫なのか?」

 鋭い指摘だが、商人グラムは軽く笑ってのける。

「あっしが店を出す場所は、いつも決まってるんでさ。お上が決めていて下さるんでね」
「それなら間違いはないんだろうけどな。その分、ショバ代をがっぽり払ってるってワケか。で、儲かるアテはあるのか?」

 ハリアーがどこか胡乱な口調で聞いたが、グラムは涼しい顔。

「そこんとこは抜かりなしってもんさ。あっしには黒箱があるからね」

 そこでグラムが、ハリアーを見上げながら逆に聞き返してきた。

「それで、さっきも聞いたが、あんたたち、アリオストポリへは何しに行くんだい? まあアリオストポリのバザールなら、大抵の物は買えるってもんだが」

 商人の問いに、プリモは瑠璃色に煌めく楕円の瞳を注ぐ。

「あの、わたし、探しものがあるんです」

 プリモが探しもののことを話すと、グラムは手綱を握ったまま、小さく唸った。

「なるほど、“偏向水晶(ディフレクター・クォーツ)”ねえ……」

 首を捻りつつ、グラムがつぶやく。
 その抜け目のなさそうな目は、鋭く虚空を探る。これまでの売り買いの記憶でも、手繰っているのだろうか。
 ややあって、グラムがプリモに黒い目を向けてきた。

「何か物凄い魔力のある水晶だって、あっしも話にゃあ聞いたことはあるんだが、まだ実物にお目にかかったことはないなあ。でもバザールにゃあ、宝石商も毎回来るし、“魔法屋(マジック・セラー)”も来ることがありますぜ」

 聞きなれない言葉を耳にして、プリモは小首を傾げる。

「『まじっく・せらー』って何ですか?」
「ああ、魔法屋っていうのは、魔術師が出してる店のことだよ」

 脇からハリアーが親切に説明する。

「引きこもってない魔術師は、魔術や占いや術具の切り売りをしてることがあってさ。そういう連中の出してる店が、魔法屋って言われてるのさ」

 ハリアーは、さもおかしげな表情で、皮肉っぽく笑う。

「メヴィウスのヤツ、ケチで自尊心(プライド)高いから、魔法屋なんて絶対やらないからね。プリモが知らないのも、無理ないよ」

 肩をすくめたハリアーが、呆れ半分、感心半分の息を洩らす。

「アイツが持ってる知識と道具は、その辺の魔術師なんか足元にも及ばないくらい高度で、ものスゴいんだけどねー」

 主人が誉められたのか貶されたのか、一瞬判断に迷ったプリモだった。だが、ハリアーの苦笑めいた表情から察すると、どうやらここは賞賛と受け取るのが正解らしい。
 何となく安堵の息をついたプリモに、グラムが言った。

「バザールに来る宝石商と魔法屋なら、あっしが分かるんで。後で教えて差し上げまさあ」
「本当ですか? ありがとうございます!」

 思わずぱんと手を打ち、期待に顔を綻ばせるプリモだった。

 深々と頭を下げるプリモの耳に、グラムの快く弾んだ声が聞こえた。

「さあさ、顔をあげておくんなさいな。本当、お嬢さんは生真面目でいなさるねえ」

 やがて、馬車をのんびり進めるグラムが前方を指差した。

「お、見えてきましたぜ。アリオストポリの城門が」

 プリモも顔を上げ、彼が指差す先を見つめた。いつの間にか街道には人が溢れ返っていて、見通しはとても悪い。
 緩慢に流れゆく人の海の只中にあって、グラムが手綱を引いた。馬車を曳く黒毛の馬は歩みを緩め、小人の荷馬車の速さが、周りの人の波とほぼ同調する。
 そんなのろのろの馬車の上で、ハリアーがひょいと立ち上がった。彼女はグラブをはめた右手を額に翳し、遠方を望む。

「むう、急にたて混んできたな」
「ハリアーは知ってるだろうが、陸路からアリオストポリに入る道は、この街道だけだからねえ」
「まあな。アリオストポリの城門はあれ一つだからなー」

 プリモも、二人の会話を聞きながら、腰を上げた。
 ハリアーの真似をして、プリモが額に手を翳してみると、群集の頭のずっと向こうに、四角い石組みと城壁が見えている。

 薄褐色の石で造られた堅牢な城門は、人の背丈の何倍もの高さがあり、その城門の上にも、人の姿が窺える。

 ハリアーが不機嫌に鼻を鳴らし、どっかと腰を下ろした。腕組をした彼女は、心底うんざりした表情で目を閉じる。
 プリモも、ちょんと座り直しながら、隣のグラムに聞いてみた。

「出入口が一つしかないんですね。街というのは、どこもそうなんですか?」

 元々、黒龍の塔以外の建造物は、何も知らないプリモだ。しかしグラムは、呆れたり馬鹿にした様子も見せず、好意的な口調で教える。

「大抵の街や村は、どこからでも入れるが、城壁に囲まれた街は城門から街に入るしかないんでさ。特にアープは周りが大国ばかりなんで、このアリオストポリも厳重な城壁の中にあって、城門も一つだけ。これも都を守るためでさ」

 そう語り、グラムは朗らかに笑って蒼天を仰ぐ。

「まあここまで来れば、何も急ぐことはありゃしない。ゆっくり行きましょうや」
「はい」

 気の長いプリモも、満面の笑顔でうなずいた。
 そうして人の波に乗って、のろのろ進む荷馬車に揺られること十分ばかり。巨大で堅牢な石の城門のずっと手前で、馬車はぴたりと静止した。

「どうしたんでしょう?」

 そうつぶやいて、プリモは辺りに視線を巡らせた。
 荷物を抱えてぼんやり佇む旅人、大きな袋や鞄を椅子代わりに微睡む商人、それに苛立った表情で武具をいじる戦士。様々な人々が、一様に退屈さを主張しながら何かを待っている。
 それまで悠長に構えていたグラムも、少々参ったような表情で手綱を放り出した。

「やれやれ、アリオストポリ名物、長い検問のおでましだ」
「『けんもん』って何ですか?」

 プリモが尋ねると、グラムは頭の後ろで手を組み、小さく肩をすくめた。

「この都に入る者すべての荷物を調べることでさ」
「どうして調べるんですか?」

 ハリアーも、はあ、と澱み切ったため息をつく。

「この国での売り買いが禁止されている物がないかどうか、他の国からアリオストポリを荒すヤツが来てないか、詳しく調べるのさ。もちろん、このアリオストポリを守るためにね」

 そこで彼女は、揃えた膝の上に頬杖をついた。不服そうなため息を交え、ハリアーがこぼす。

「それにしたって、アープの衛兵って、ホントにマジメで熱心だよな。何度来ても、順番待ちなんて冴えないなー。あたしの性には合わないよ」

 女闘士のつぶやきに、グラムがぴくっと顔を上げた。

「おや、気鋭の賞金稼ぎにしちゃあ、やけに気が短いじゃないか、流星雨の」

 さっきからやられっ放しの商人グラムは、ここぞとばかりにハリアーを口撃する。

「そんなことじゃあ、大物は狙えねぇぜ。“流星雨”の。やっぱり大物を仕留めるにゃあ、一にも二にも辛抱さね。あっしが思うに、そもそもハリアーは……」

 楽しそうににやに笑いながら、グラムはくどくどと続ける。
 対するハリアーは、その視線をうるさげにあらぬ方へと逃している。痛いところを衝かれたらしく、ぐうの音も出ない顔のハリアー。
 しかしものの一、二分というところで、ハリアーが延々と続くグラムの説教を無造作に遮った。

「あー、分かった分かった」

 ハリアーが、楽しそうなグラムから目を背けた。そして視線を再び空に逃がし、ふんっ、と反抗的な吐息をつく。いかにも悔しそうに。

「どうせあたしは短気で未熟だよ!」

 そう言い捨てて、ハリアーはそれきりムッとだんまりを決めこんだ。座席に浅く腰を掛け、膨れ顔で両膝に頬杖のハリアー。こういうところは、やっぱり龍でも人間でも共通の、多感で生意気な女の子だ。
 そんな口を尖らせるハリアーを見ながら、グラムはさも愉快そうな笑い声を上げた。

「まあそうかっかしなさんな」

 そうひと声かけて、グラムが前に目を移した。
 馬車はさっきよりもいくらかはか城門に近付いたが、まだ目に付くところに兵士らしい姿はない。検問の順番が回ってくるのも当分先だろう。
 それでもグラムは、自信たっぷりな口調で断言する。

「そろそろ順番が回ってくる頃さね。退屈ともおさらばできるよ」
「本当かよ。お前の言うことなんか……」

 そんなハリアーの小馬鹿にした言葉も終わらない内に、検問待ちの群衆をかき分けて、一人の兵士が姿を現わした。
 黒鉄色の胴鎧に半球形の鉄兜で武装した、中年の男だ。肩には長いハルバードを担いでいる。
 その兵士は開口一番、グラムに向かって言った。

「よう、探したぜ、グラさん」

 そんな粗野な言葉を聞き、グラムは顔を上げた。
 知り合いらしい兵士の顔を認めて、彼が短い手足を大きく反らせて伸びをする。

「やっと見つけてもらえたか。すぐにこの旗を見つけてもらえると思ったがねえ」

 親しげに文句を飛ばしつつ、グラムは荷台にはためく蛙の旗を指差した。
 しかし兵士は苦笑を洩らして肩をすくめる。

「贅沢言うなって。何せこの人出だ。それに、こんな美人連れとは聞いてなかったんでな」

 兵士は特に表情なく、プリモとハリアーを交互に見た。
 グラムも小さく笑う。

「ああ、途中で道連れになったんだ。ちょいと難渋してたみたいでね。それはともかく、アリオストポリには入れてもらえるんだろうね?」
「ああ。話は通ってるからな。それであんたを探してたんだぜ、グラさんよ」

 そう告げて、兵士は続けてグラムに聞く。

「ところで、今回は何を商うつもりだ? ご禁制の物はないだろうな? ウチの王室はじめ、各国でも信任熱いグラさんだが、一応、聞いておかないとな」
「いつもの黒箱だけさね。何を商うかは、後で見取図を見てから決めるさ。もちろん、見せてもらえるんだろう? 見取り図は」
 
 そう答えたグラムが、小さな手で荷台を示した。そこには黒い革張りの箱が鎮座している。
 どこか胡散臭い兵士もそれを認め、わずかにうなずいた。ハルバードを動かして、兵士が少し先で威容を誇る城門を差し示す。

「ああ、いいだろ。見取図は、グラさんの場所に着いたら渡す。ほら行くぜ、グラさん。ついてきな」

 兵士がくるりと踵を返すと、グラムが放り出した手綱を取り直した。そして彼が軽くひと鞭当てると、馬車は兵士の後ろに付いて、ゆっくりと進み出した。
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