四.
文字数 3,348文字
プリモは、女剣士ハリアーと寄り添うようにして、塔に戻った。
玄関ホールから階段を昇るプリモは、隣のハリアーをちらちら気遣う。
戦いを終えた彼女の足取りは、かなり鈍っている。石段を踏む歩調が、まるで鉛の車輪のように重苦しい。剣戟自体は余裕のハリアーだったが、おかしな幻への抵抗は、かなりの負担だったようだ。
二階に昇ったプリモは、すぐにハリアーを質素なドアの前へと案内した。
「どうぞ。遠慮なくお入り下さい」
そう告げて、プリモは鍵のないドアを押し開けた。
「ありがと。お邪魔するね」
ホッとした口調で一言断り、ハリアーが先に部屋に入った。
プリモもすぐに自室の戸口をくぐり、きちんとドアを閉じて向き直ってみると、ハリアーは部屋の真ん中に佇んで、物珍しそうにきょろきょろしている。
プリモの個室は、ベージュの壁紙も落ち着いた、数歩四方ばかりの小さなものだ。
簡素な木のベッドに、丸テーブルと椅子が一脚。部屋の片隅には、小さな鋼鉄のストーブが鎮座している。 そんな部屋を薄ぼんやりと照らしているのは、質素な出窓から差し込む陽光だ。
透明なガラスの外側は、頑丈そうな鉄格子ががっちりと護っている。
「ふーん、なかなか地味な部屋だね」
突っ立ったまま部屋を見回すハリアーが、思ったままの感想を口にする。
「ひょっとして、クローゼットもなかったりする?」
「わたしが持つ服は少ないですから」
ハリアーの呆れた視線を目で追って、プリモも、くすっと笑う。
ベージュの壁のフックには、ありったけのプリモの服が掛けてある。といっても、掛かっているのは替えのメイド服が二着だけ。下着、肌着と靴の類は、ベッド下の箱の中だ。
「何だかゾッとしない話だなー。クローゼット一つないなんて」
ハリアーが渋い表情でぶつぶつこぼす。
「アイツも、もうちょっとプリモの身の回りのコトも考えてやらないと」
「旦那さまは、派手なことがお嫌いですから。服のことだけじゃなくて」
「んにしてもねえ……」
この黒龍の塔は、総じて飾り気がない。プリモの部屋も例外ではなく、プリモが持つ数少ないメイド服さえも、白と黒のモノトーンだ。
小ぢんまりとした部屋を観察して巡るハリアーを好意的に見ながら、プリモは膝を屈めてストーブに火を起こす。すぐに薪がぱちぱちと音を立て始めた。
「ねえプリモ、これってプリモの手作り?」
ハリアーの声にプリモは立ち上がった。
向き直ってみると、ハリアーがレースのカーテンを触っている。この女剣士は、紫紺の瞳に驚きと賞賛の光を湛えつつ、部屋のあちこちに視線を巡らせる。
「よく見ると、他にもレースがあるんだね。最初は気付かなかったよ」
ハリアーの言葉どおり、出窓の両脇で束ねられたカーテンや、ベッドのシーツなどは、縁に白いレースをあしらった愛らしい布を使っている。目立たないように、それでも愛らしさが失われないように、プリモなりに工夫を凝らせた結果だ。
ちょっぴり気恥ずかしさを覚えつつも、プリモは素直にうなずく。
「はい。編み方は、旦那さまから教えて頂きました。道具も一式、頂いています」
「へ? アイツがレース編み?」
一瞬目を丸くしたハリアーが、腕組みして口を閉じる。
そのまま何秒か考え込んだかと思うと、突然うぷぷと吹き出した。彼女の紫紺の視線が、横目に虚空を流し見ている。さもおかしげに。
「思いっきり似合わないな、メヴィウスには」
……不機嫌な顔で純白のレースをちくちく編む、不愛想な少年メヴィウス。
たぶんハリアーは、そんな様子を想像したのだろう。
そう感じたプリモは、真剣な眼差しをハリアーに注ぐ。
「でも、お上手なんですよ、旦那さま」
「アイツ、器用だからなー」
あっははは、と明朗に笑ったハリアー。
しかしすぐに、はあ、と疲れたように大きく息を吐き、ハリアーは剣をテーブルに置いた。
そしてぼふん、と何気なくプリモのベッドに腰を下ろしたその時、掛け布団の中からキュー、と奇妙な音が聞こえてきた。
「ん? 何かあるの?」
ハリアーの一言で、プリモはハッと思い出した。
「あっ、待って!」
彼女がめくり上げるより早く、プリモは布団に跳びついた。顔は熱く火照り、心臓がばくばくと躍り上がる。
自分でも気が付かない間に、必死の思いが顔に出たのだろう。プリモをじっと見つめるハリアーの口許が大きく緩んだ。
「何があるんだい? ちょっと見せてみなよ」
白い歯を見せ、にやーっと笑うハリアー。
プリモはぶんぶんと立て続けに首を横に振る。
「な、何にもありません。気にしないで下さい」
「何にもないんなら、いいじゃない。ちょっと見せてよ」
そう言って、ハリアーはぐいぐいと布団を引っ張る。
プリモも負けじと布団を引っ張り返すが、そこはたやすく捕縛師ヴァユーを組み伏せた剣士だ。力比べでプリモがかなうワケもない。
プリモの善戦も空しく、蒲団は大きく波打って撥ね上がり、彼女はころんとベッドに転がった。
「っあ」
プリモが声を上げたのと同時に、何かまるっこい物がベッドの中から現われた。
ん? と一声出したハリアーが、その物体に両手を延ばす。
ハリアーが抱き上げたのは、枕にも似たぬいぐるみ。手足は小さく、全体的にずんぐりした外見をしている。黒いローブを着込んだ魔術師をデフォルメさせたものだ。円らな両目はオニキスのボタン、小さな口は赤い刺繍糸。大きく単純化された頭には、裾の広がった黒髪がしつらえてある。
ベッドに鎮座のプリモはうつむいた。
湯気さえ立ちそうなほどに頬は熱く、エプロンを握る膝の上の両手がじんじんと痛い。
笑われる、そう思ってぎゅっと目をつむったプリモの耳に聞こえたのは、心地よく穏やかに響くハリアーの問いだった。
「これ、プリモが作ったの? 可愛いぬいぐるみじゃない」
おずおずと顔を上げると、目許をほころばせたハリアーの笑顔があった。
「本当ですか?」
つい上目使い聞き返すプリモに、ハリアーが笑みを湛えてうなずく。その笑顔には、欠片の厭味もない。
「ああ。別に恥ずかしがらなくても大丈夫だよ」
それ以上何も言わず、ハリアーがそっとぬいぐるみをプリモに差し返す。プリモも気恥ずかしさを覚えたまま、受け取ったぬいぐるみを膝に抱いた。
「毎日、これ抱いて寝てるんだ。そんなプリモも、なかなか可愛いじゃない」
好意的に微笑むハリアーからふと目を逸らしつつも、プリモはようやく笑みを作った。
「あ、ありがとうございます」
プリモはそっと魔術師ぬいぐるみをベッドに置き、床に降りた。
ハリアーも木の椅子を後ろ向きに引き寄せると、どっかと跨がって背もたれに頬杖をついた。
と、そこで聞こえてきたのは、かたかたという小刻みな音。プリモがストーブに目をやると、ポットの口から白い湯気が盛んに上がっている。
「ちょっと待って下さいね。ハーブティーを淹れますから」
彼女は出窓の鉢植えから、緑の葉を何枚か摘み取り、ポットに入れた。ハーブの入った紅茶を白陶のマグカップに注ぎ、そっとテーブルに置く。
「どうぞ。お飲みになって下さい」
「ああ、ありがと」
ハリアーが笑顔で返すと同時に、どこかで金属的なメロディーが響いた。
オルゴールにも似たその旋律を聞き、プリモはエプロンのポケットから丸い物を取り出した。
プリモの繊細な手の中にすっぽりと収まるほどの、銀色の円盤。ぴかぴか光るその表面には、絡み合う野薔薇をあしらった精緻な模様が、一杯に彫り込んである。
首を延ばしたハリアーが、プリモの掌の円盤を見て、おっと声を上げた。
「いい懐中時計じゃない、プリモ」
ぱちっと蓋を撥ね上げたプリモは、素直ににっこりと笑ってうなずく。
「ありがとうございます。去年の“誕生日”に、旦那さまから頂きました」
去年の誕生日の夜に、主人の手から懐中時計を受け取った時の感激が、再びプリモの全身を駆け巡る。
玄関ホールから階段を昇るプリモは、隣のハリアーをちらちら気遣う。
戦いを終えた彼女の足取りは、かなり鈍っている。石段を踏む歩調が、まるで鉛の車輪のように重苦しい。剣戟自体は余裕のハリアーだったが、おかしな幻への抵抗は、かなりの負担だったようだ。
二階に昇ったプリモは、すぐにハリアーを質素なドアの前へと案内した。
「どうぞ。遠慮なくお入り下さい」
そう告げて、プリモは鍵のないドアを押し開けた。
「ありがと。お邪魔するね」
ホッとした口調で一言断り、ハリアーが先に部屋に入った。
プリモもすぐに自室の戸口をくぐり、きちんとドアを閉じて向き直ってみると、ハリアーは部屋の真ん中に佇んで、物珍しそうにきょろきょろしている。
プリモの個室は、ベージュの壁紙も落ち着いた、数歩四方ばかりの小さなものだ。
簡素な木のベッドに、丸テーブルと椅子が一脚。部屋の片隅には、小さな鋼鉄のストーブが鎮座している。 そんな部屋を薄ぼんやりと照らしているのは、質素な出窓から差し込む陽光だ。
透明なガラスの外側は、頑丈そうな鉄格子ががっちりと護っている。
「ふーん、なかなか地味な部屋だね」
突っ立ったまま部屋を見回すハリアーが、思ったままの感想を口にする。
「ひょっとして、クローゼットもなかったりする?」
「わたしが持つ服は少ないですから」
ハリアーの呆れた視線を目で追って、プリモも、くすっと笑う。
ベージュの壁のフックには、ありったけのプリモの服が掛けてある。といっても、掛かっているのは替えのメイド服が二着だけ。下着、肌着と靴の類は、ベッド下の箱の中だ。
「何だかゾッとしない話だなー。クローゼット一つないなんて」
ハリアーが渋い表情でぶつぶつこぼす。
「アイツも、もうちょっとプリモの身の回りのコトも考えてやらないと」
「旦那さまは、派手なことがお嫌いですから。服のことだけじゃなくて」
「んにしてもねえ……」
この黒龍の塔は、総じて飾り気がない。プリモの部屋も例外ではなく、プリモが持つ数少ないメイド服さえも、白と黒のモノトーンだ。
小ぢんまりとした部屋を観察して巡るハリアーを好意的に見ながら、プリモは膝を屈めてストーブに火を起こす。すぐに薪がぱちぱちと音を立て始めた。
「ねえプリモ、これってプリモの手作り?」
ハリアーの声にプリモは立ち上がった。
向き直ってみると、ハリアーがレースのカーテンを触っている。この女剣士は、紫紺の瞳に驚きと賞賛の光を湛えつつ、部屋のあちこちに視線を巡らせる。
「よく見ると、他にもレースがあるんだね。最初は気付かなかったよ」
ハリアーの言葉どおり、出窓の両脇で束ねられたカーテンや、ベッドのシーツなどは、縁に白いレースをあしらった愛らしい布を使っている。目立たないように、それでも愛らしさが失われないように、プリモなりに工夫を凝らせた結果だ。
ちょっぴり気恥ずかしさを覚えつつも、プリモは素直にうなずく。
「はい。編み方は、旦那さまから教えて頂きました。道具も一式、頂いています」
「へ? アイツがレース編み?」
一瞬目を丸くしたハリアーが、腕組みして口を閉じる。
そのまま何秒か考え込んだかと思うと、突然うぷぷと吹き出した。彼女の紫紺の視線が、横目に虚空を流し見ている。さもおかしげに。
「思いっきり似合わないな、メヴィウスには」
……不機嫌な顔で純白のレースをちくちく編む、不愛想な少年メヴィウス。
たぶんハリアーは、そんな様子を想像したのだろう。
そう感じたプリモは、真剣な眼差しをハリアーに注ぐ。
「でも、お上手なんですよ、旦那さま」
「アイツ、器用だからなー」
あっははは、と明朗に笑ったハリアー。
しかしすぐに、はあ、と疲れたように大きく息を吐き、ハリアーは剣をテーブルに置いた。
そしてぼふん、と何気なくプリモのベッドに腰を下ろしたその時、掛け布団の中からキュー、と奇妙な音が聞こえてきた。
「ん? 何かあるの?」
ハリアーの一言で、プリモはハッと思い出した。
「あっ、待って!」
彼女がめくり上げるより早く、プリモは布団に跳びついた。顔は熱く火照り、心臓がばくばくと躍り上がる。
自分でも気が付かない間に、必死の思いが顔に出たのだろう。プリモをじっと見つめるハリアーの口許が大きく緩んだ。
「何があるんだい? ちょっと見せてみなよ」
白い歯を見せ、にやーっと笑うハリアー。
プリモはぶんぶんと立て続けに首を横に振る。
「な、何にもありません。気にしないで下さい」
「何にもないんなら、いいじゃない。ちょっと見せてよ」
そう言って、ハリアーはぐいぐいと布団を引っ張る。
プリモも負けじと布団を引っ張り返すが、そこはたやすく捕縛師ヴァユーを組み伏せた剣士だ。力比べでプリモがかなうワケもない。
プリモの善戦も空しく、蒲団は大きく波打って撥ね上がり、彼女はころんとベッドに転がった。
「っあ」
プリモが声を上げたのと同時に、何かまるっこい物がベッドの中から現われた。
ん? と一声出したハリアーが、その物体に両手を延ばす。
ハリアーが抱き上げたのは、枕にも似たぬいぐるみ。手足は小さく、全体的にずんぐりした外見をしている。黒いローブを着込んだ魔術師をデフォルメさせたものだ。円らな両目はオニキスのボタン、小さな口は赤い刺繍糸。大きく単純化された頭には、裾の広がった黒髪がしつらえてある。
ベッドに鎮座のプリモはうつむいた。
湯気さえ立ちそうなほどに頬は熱く、エプロンを握る膝の上の両手がじんじんと痛い。
笑われる、そう思ってぎゅっと目をつむったプリモの耳に聞こえたのは、心地よく穏やかに響くハリアーの問いだった。
「これ、プリモが作ったの? 可愛いぬいぐるみじゃない」
おずおずと顔を上げると、目許をほころばせたハリアーの笑顔があった。
「本当ですか?」
つい上目使い聞き返すプリモに、ハリアーが笑みを湛えてうなずく。その笑顔には、欠片の厭味もない。
「ああ。別に恥ずかしがらなくても大丈夫だよ」
それ以上何も言わず、ハリアーがそっとぬいぐるみをプリモに差し返す。プリモも気恥ずかしさを覚えたまま、受け取ったぬいぐるみを膝に抱いた。
「毎日、これ抱いて寝てるんだ。そんなプリモも、なかなか可愛いじゃない」
好意的に微笑むハリアーからふと目を逸らしつつも、プリモはようやく笑みを作った。
「あ、ありがとうございます」
プリモはそっと魔術師ぬいぐるみをベッドに置き、床に降りた。
ハリアーも木の椅子を後ろ向きに引き寄せると、どっかと跨がって背もたれに頬杖をついた。
と、そこで聞こえてきたのは、かたかたという小刻みな音。プリモがストーブに目をやると、ポットの口から白い湯気が盛んに上がっている。
「ちょっと待って下さいね。ハーブティーを淹れますから」
彼女は出窓の鉢植えから、緑の葉を何枚か摘み取り、ポットに入れた。ハーブの入った紅茶を白陶のマグカップに注ぎ、そっとテーブルに置く。
「どうぞ。お飲みになって下さい」
「ああ、ありがと」
ハリアーが笑顔で返すと同時に、どこかで金属的なメロディーが響いた。
オルゴールにも似たその旋律を聞き、プリモはエプロンのポケットから丸い物を取り出した。
プリモの繊細な手の中にすっぽりと収まるほどの、銀色の円盤。ぴかぴか光るその表面には、絡み合う野薔薇をあしらった精緻な模様が、一杯に彫り込んである。
首を延ばしたハリアーが、プリモの掌の円盤を見て、おっと声を上げた。
「いい懐中時計じゃない、プリモ」
ぱちっと蓋を撥ね上げたプリモは、素直ににっこりと笑ってうなずく。
「ありがとうございます。去年の“誕生日”に、旦那さまから頂きました」
去年の誕生日の夜に、主人の手から懐中時計を受け取った時の感激が、再びプリモの全身を駆け巡る。