三.

文字数 6,279文字

「着いたわ」

 プリモとハリアーが歩き始め、すでに十分。
 二人を導くローブの女魔術師パペッタが、細く薄暗い裏路地で立ち止まった。
 プリモも、パペッタから一歩遅れて足を止め、拳闘士姿のハリアーが響かせるブーツの足音も、直ぐに途切れた。

 プリモは、辺りにぐるりと視線を巡らせる。
 今、三人がいるのは、左右を高く古めかしい石塀に挟まれた、狭苦しい袋小路だ。バザールの喧騒がわずかに届きはするものの、人の姿はなく、生活感は薄い。ついでに高い石塀に遮られ、届く陽光も、何となく心もとない。しんと静まり返った路地裏に、置き去りにされたような心細さが、プリモの内側にじわじわと押し寄せる。
 つい振り返ったプリモの視線が、ハリアーの紫紺の眼差しと結び付いた。女拳闘士の強い目が、プリモを見据えてわずかにうなずく。その温かさと心強さに、プリモは安堵の息をふと洩らした。
 そんなプリモの耳に、パペッタの声が聞こえた。

「あれが私のお店、“久遠庵(カーサ・アンフィニ)”よ」

 プリモが前の方へと再び向き返ると、パペッタが小道の奥を指差した。路地の突き当り、十歩ばかり先に、一軒の小屋が立っている。飴色の板壁で造られた粗末な小屋だ。二階ほどの高さもなく、本当小さい。
 よくよく見てみると、その白い石で組まれた玄関の鴨居には“久遠庵(カーサ・アンフィニ)”と刻まれた銅板が掲げてある。

「何だ、ぞっとしない場所だな」

 開口一番、ハリアーが遠慮なしに言い放った。久遠庵と狭い路地、それに澄まして立つパペッタを胡乱な眼差しで見比べて、ハリアーがずばずばと続ける。

「大体、お前店やってるクセに、何でこんな人も来ない場所に店開いてるんだよ。後ろめたい商売でもやってるのか?」

 どこまでも不信に満ちたハリアーの態度だが、パペッタは気にする様子がない。ローブの肩をすくめるように上下させ、パペッタはフラットな口調で答える。

「魔法屋には、他人に知られたくない相談をする人も多いのよ。目立たない場所にある方が、お客さんが来やすいの。それに」

 パペッタが、意味ありげな含み笑いを洩らす。

「この辺りの土地は、借り賃がとても安くて。昔、墓地だった場所を均して街を広げた場所だから。もう何十年も前の話だけれど、おかげでこの辺りに住む人は少ないわね」

 思わず顔を見合わせるプリモとハリアーに、パペッタは手招きして言葉を重ねる。

「さあ、いらっしゃい。私のお店は、見た目よりも中はずっと広いから。中でゆっくりと……」

 と、そこで突然、パペッタが言葉を切って、空を仰いだ。

「あの、どうしました?」

 プリモは小首を傾げつつ、何気なく尋ねた。が、パペッタは答えない。
 プリモもパペッタの目線を追ってみると、このローブの女魔術師は、宙を舞う一匹のハエを見ている。羽音も立てず、静かにパペッタの頭上を飛ぶただのハエだが、女魔術師はその小さな虫を只ならない様子で凝視する。
 プリモが見守る前で、パペッタがおもむろに左手を挙げた。
 そして彼女がぼそぼそと奇妙な言葉をつぶやいた次の瞬間、その高々と挙げられた左手から、灰色の波動がほとばしった。
 大気を揺らめかせ、渦のように広がる怪しい波動が、ハエをいとも容易く飲み込む。と見るや、ハエは緑色の閃光と、わずかな破裂音を放ち、粉微塵に四散した。
 パペッタの奇妙な行動と現象を前に、目をしばたかせて立ち尽くすばかりのプリモ。

「あ、あの、パペッタさん? 今のは?」

 しかし彼女の問いは、パペッタの質問に弾き返された。

「貴女のお身内に、魔術師の方がいらっしゃる? それも、かなりのお腕前の」

 問い返されつつも、プリモは満面の笑みでうなずいた。

「はい。わたしの旦那さまは、立派な魔術師です。それも、万有」
「そんなのどうでもいいだろ!」

 ハリアーの苛立たしげな声が、プリモの言葉を遮った。プリモに咎めるような視線を寄こしつつ、ハリアーはパペッタに不平をぶつける。

「とっとと商売を終えようじゃないか。こんな陰気な場所に、いつまでもいられるか!」
「そうね」

 事務的に、淡々と答えたパペッタ。

「お互い暇ではないようだし、商談は手早く済ませましょう」

 軽くうなずき、パペッタは再びプリモを手招きした。

「さあ、いらっしゃい。落ち着いて偏向水晶のお話をしましょうね」
「あ、はい」

 素直に答えてうなずいたプリモは、パペッタのあとに続いて久遠庵の玄関をくぐった。
 一瞬、全くの闇に視界を閉ざされ、立ちすくんだプリモだった。不安と心細さが胸中に広がったプリモだったが、背中から聞き慣れた声が聞こえてきた。

「ねえ、プリモ」

 女賞金稼ぎハリアーが、ひそひそと耳打ちしてくる。

「プリモ、得体の知れない相手に、あんまり身の回りのことは言わない方がいいよ」
「そうですか?」
 
 ハリアーの意図が理解できず、プリモは疑問を素直に口にして、小首を傾げる。

「この方は好意で案内して下さってるんですから、あまり冷たくするのもどうかと……」
「いや、そういう問題じゃなくて」

 ハリアーの呆れたため息が、闇をかすかに揺らす。

「これはかなり教育が必要だね」

 そこで、あのパペッタの声が前から響いてきた。

「もうすぐ回廊を抜けるから。まっすぐ、そのまま歩き続けて」

 口を閉じたプリモは、この久遠庵の主パペッタの言葉に従い、足を止めずに歩き続ける。
 そして数秒。不意に周囲の闇が薄くなり、プリモの歩みが止まった。

「まあ、広いお部屋……」

 漆黒の闇が詰まった回廊の先は、広い円形の部屋になっていた。
 差し渡しは十数歩ばかり、どちらかというと、きちんとした建物の中というよりは、大きな幕屋の内側、といった雰囲気が漂う。高い天井を見上げると、細い梁から吊られた小さなランプが仄かな橙色の光を投げかけてくる。
 淡い灯火を頼りに、プリモはこの広い部屋の中を見回した。
 茶色の地面が剥き出しになった円形の床の上には、円いテーブルと三脚の椅子が据えられている。その床をぐるりと取り巻くように、壁際には大きな本棚や、怪しげな品々が納められた飾り棚が立ち並ぶ。
 そして円テーブル挟んだ向こう側の壁には、一枚のドアが見えている。

「本当に広いお部屋ですね。パペッタさんのお店よりも、このお部屋の方が大きいくらい」

 プリモが言うと、影のように佇むパペッタが小さく笑った。

「私の術法で、空間を少し広げてあるの。“同空間結界”、と言っても、貴女には分からないかしら」

 だが、プリモは素直に首を横に振る。

「いいえ。旦那さまから伺ったことがあります。詳しいことは知りませんが、部屋を広く使うのには便利だそうですね。異空間結界よりもずっと難しいと伺っていますが。」

 パペッタがくるりと向き直った。透明な目を煌めかせ、彼女がプリモに短く聞く。

「貴女の旦那さまは?」
「プリモ待った!!」

 背後から、ハリアーの上ずった声が飛んできたが、プリモは答えてしまった。

「メヴィウスさまです。とても立派な技師さまで、魔術師さま」

 言ってしまってから、プリモは熱くなった頬に両手を添えた。
 ……誰かに自慢の旦那さまのことを話すと、何故かいつも顔が火照る。

 浅く、しかし心地よく乱れた息を整えて、プリモがふと顔を上げると、目の前のパペッタが、じっとプリモを見ていた。そのトパーズの目には、奇妙な色が宿る。光のような影のような、おかしな煌めきだ。
 不思議に思い、プリモは小首を傾げた。

「あの、どうかなさいました?」

 プリモがおずおずと尋ねると、パペッタが聞き返してきた。

「あの“万有術士(マグス・ウニヴェルサリス)”と呼ばれる、黒龍(ブラック・ドラゴン)のアンドレイオン師?」
「はいっ! 旦那さまをご存知ですか?」

 力を込めてうなずいたプリモは、パペッタを見つめる。
 しかし、プリモの答えを聞いたパペッタの態度は、妙によそよそしく映る。どこか緊張を漂わせ、パペッタが傍らの円テーブルを指し示した。

「お噂は聞いているわ。魔術師の世界では、よく知られた方だもの」

 堅い口調でそれだけ答え、パペッタが丸テーブルの向こう側にゆったりと回る。

「さ、それは置いておいて、お二人ともお座りなさいな。ゆっくりお話しましょう」

 プリモは、ふと振り返った。すぐ後ろに立つハリアーは、むすっとした顔を見せている。きっと極度の不信にあるのだろう。彼女の忠告に従わなかった後悔が、プリモの胸をちくちくと苛む。
 呵責を覚えてうなだれたプリモの肩に、そっと手が添えられた。上目遣いに顔を上げると、女剣士が温かな苦笑を浮かべ、プリモを見ている。
 プリモを促すように、彼女が小さくうなずいた。プリモも、謝意を込めてうなずき返し、ゆっくりとテーブルに着く。同時に、ハリアーもプリモの隣にどっかと腰を下ろした。
 二人の客が座ったのを見て取り、主のパペッタも、プリモたちの真向かいに座った。

 パペッタが、オレンジの灯火に染まった目をプリモに向け、口火を切った。

「それでは、貴女がお探しの物のこと、詳しくお話して下さる?」
「あ、はい。わたし、『偏向水晶(でぃふれくたー・くぉーつ)』を探しているんです。それは……」

 パペッタを真っ直ぐ見ながら、プリモは自分の探しものを彼女に語る。先日、メヴィウスが口走った数字まで、一言一句、間違いなく。
 黙ったまま、プリモの説明に耳を傾けていたパペッタ。プリモの話がひとしきり終わると、パペッタがおもむろに立ち上がった。魔法屋の主は、円い床をぐるりと取り巻く棚の一つに歩み寄ると、何かを取り出してテーブルに戻ってきた。

「あったわ」

 言いながら元の椅子に座ったパペッタは、テーブルの真ん中に、ことり、と何かを置いた。
 プリモが目を凝らしてみると、それは古びた小さな箱だ。木で造られた素朴な小箱だが、表面には象牙と黒檀のチェック模様が嵌め込まれていて、造りはかなり凝っている。宝石箱だろうか。
 プリモが見守る前で、パペッタはその小箱をそっと開いた。
 赤い布の敷かれた宝石箱の中には、何か光る結晶が三つ、収められている。少しの間、じっと箱の結晶を見比べていたパペッタだった。
 が、すぐにその中の一つを慎重な手付きで取り出すと、その透明な結晶をプリモに差し出した。

「この結晶が、貴女の求める条件に合う偏向水晶ね」
「これが、偏向水晶……!」

 プリモは、感動と緊張に震える指先で、水晶の結晶を受け取った。
 大きさは、親指くらいだろうか。微妙にシンメトリーが崩れた六角柱をしている。まるで湧水がそのまま凝結したように、一点の曇りも、傷もない。ランプの光の下、偏向水晶の結晶は、鮮やかな虹色に煌めく。
 何もかも、あの『男の店』店主クルップの言葉どおりだ。
 プリモは、虹の欠片をそっと掌に包み込み、夢想する。

 ……旦那さまが探しているものが、今自分の手の中にある。
 ああ、旦那さまはすごく喜んで下さるに違いない。
 
 メヴィウスの喜びに満ちた顔を密かに思い浮かべつつ、プリモは偏向水晶に魅入られる。
 じんわりとした深く熱い喜びが、胸の内から全身へと広がってゆく。言いようのない幸福感に浸り切るプリモだった。
 だがパペッタの現実的な言葉が、すぐにプリモの空想に割り込んできた。

「それで、お代のことだけれど」

 パペッタの無粋な言葉だが、プリモは特に気にすることもなく、水晶を一旦箱に戻した。

「あ、はい。あの、それで、これはお幾らですか?」

 プリモの問いに、パペッタは思わせぶりな動作で、両肘をテーブルに付く。
 そしてプリモをじっと見つめながら、ゆっくりと告げた。

「偏向水晶は今では貴重品だもの。そうね、五千G.D.(ゴルダ)|は頂きたいわね」
「バカ言うな!」

 即座にハリアーの怒鳴り声が、土間を囲む調度をびりびりと震わせる。

「金貨五千枚なんて、人間(ホムス)の貴族だって簡単には払えない大金なんだぞ!」

 大喝したハリアーが腰を浮かせて目を剥いた。が、パペッタは全く動揺を見せない。

「あら、そちらはあのアンドレイオン師のご家族なんでしょう? 彼は相当な吝嗇家で、想像も付かないような財物を溜め込んでるって噂だわ」

 プリモは立ち上がったハリアーを見上げ、ひそひそと聞いてみた。

「『りんしょくか』って何ですか?」
「ケチってことだよ」

 途端に、ムッと反感を覚えたプリモ。
 膨れたプリモをちら見するハリアーに、パペッタが畳み掛ける。

「実際のところ、そちらの方は、アンドレイオン師を『旦那さま』と呼ぶくらいだから、彼の奥様なのでしょう?」

 パペッタの何気ない言葉を聞き、プリモはわずかにうなだれる。
 この日、何回メヴィウスの『奥様』と呼ばれたか。特に悪い気はしないどころか、ちょっぴり嬉しさもあり、ここまで誤りを正さずにきたプリモだった。しかし、お金の絡む話ともなれば、きちんと身分を説明しなくては。
 気恥ずかしく思いつつも、顔を上げたプリモは、誤解を正すべくパペッタに告白する。

「わたしは、旦那さまの奥様ではありません。ただの使用人です」
「それじゃあ、貴女はアンドレイオン師のメイドさん、というわけね?」

 プリモは素直にうなずいた。何となく、決まりの悪い感じを覚えてうつむく彼女に、パペッタがさらにこう聞いてきた。

「彼の許に住み込みで、お休みなく働いているのでしょう?」
「はい」
「彼のメイドさんなら、高いお給料が出ているんじゃないかしら?」
「『おきゅうりょう』って、何ですか?」

 聞いたことのない言葉を耳にして、プリモはまじまじとパペッタを見つめた。
 だがパペッタは、プリモの不思議そうな顔を透明な瞳に映したまま、何も言えずに凍り付いている。
 うぷぷ、というハリアーの苦笑を背景に、肩をすくめた女魔術師が力なく首を振る。

「アンドレイオン師は、聞きしに勝る吝嗇家のようね」
「そんなことありませんっ」

 ほとんど反射的に、プリモはメヴィウスを擁護する。

「旦那さまは、身持ちが堅いだけです! そんなケチな方じゃありませんからっ!」

 思わず大きな声を上げたプリモだったが、つい剥きになっていた自分に気が付いた。ハッと両手で口を覆う彼女に、パペッタがしんみりと洩らす。

「貴女、本当にアンドレイオン師を尊敬しているのねえ……」

 ベールの下で、パペッタはため息にも似た音を立てた。どこか諦めを感じさせるが、その一方で何か憧れのようなものも漂う。
 奇妙に思うプリモの前で、パペッタがすぐに投げ遣りに言い放つ。

「どうでもいいわ、そんなこと」

 パペッタがプリモに向き直り、事務的な口調でハッキリと告げた。

「とにかく偏向水晶が欲しいなら、多少は対価を頂きたいの」
「どうすればいいのですか?」

 プリモがおずおずと尋ねると、パペッタはテーブルに両手で頬杖をつき、プリモの目をじっと覗き込んだ。そしてはっきりとした口調で、こう切り出した。

「貴女の眼球を頂けないかしら?」
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