四.
文字数 3,073文字
ダイニングから出て、元の魔道書室へと戻ってゆくインバネス姿の主人、黒龍メヴィウス。
そんな彼の背中を立って見送るプリモの耳に、赤龍ハリアーの呆れ切った声が聞こえてきた。
「メヴィウス、相変わらずケチで不愛想だね」
プリモが振り向くと、テーブルに頬杖のハリアーが、不思議そうな表情を浮かべていた。紫紺の瞳も半眼に、女剣士は同情しきりの調子で肩をすくめる。
「プリモ、いくら生みの親だからって、よくあんなのと暮らしてるな。ホント、感心するよ」
主人を揶揄されたプリモは、ちょっぴり不満を覚えた。だが同時に可笑しさがこみ上げるのを感じ、彼女はくすっと笑う。
「でも、良いところはたくさんあるんです、旦那さまは。本当は優しい方ですし。今は何か複雑な器械を創っていらっしゃる最中ですから、神経質になっていらっしゃるんです」
主人を弁護して、プリモはワゴンからティーカップとポット、それに異国風の銀の茶壺をテーブルに移した。入れ替えに、空の食器をサッサッとテーブルからワゴンへと下げてゆく。
手を休めないプリモに、ハリアーが椅子の上から聞いてくる。
「で、メヴィウス、今度は何の器械を創ってるって?」
質問はしながらも、ハリアーの声は割と興味なさげに響く。メヴィウスの動向くらい、多少は気にしている、というところだろうか。
プリモは花柄も可愛らしい厚手のミトンを右手に着けながら、小さくため息をつく。
「さあ、わたしには分かりません。旦那さまは、わたしには魔術も技術も、何も教えて下さいませんから」
一言答えたプリモは手を止め、力なくうなだれた。置き去りにされたような思いが胸を塞ぎ、深い吐息が唇から洩れる。
しかしプリモは、すぐに顔を上げた。深く静かな長い吐息で胸の痞えを全て掃き出し、彼女はにっこりと笑顔を浮かべて見せる。
「紅茶を淹れますね」
「あー、いいねえ! ありがと」
即座に返ってきたのは、ハリアーの無邪気に弾んだ声。
プリモはくすっと好意的な息を洩らし、ミトンを着けた手でしゅっしゅっと湯気を吐くポットを取った。彼女が白陶のポットに湯を注いだ途端、辺りには爽やかな茶葉の香気に満ち満ちる
くんくんと鼻を鳴らしたハリアーが、期待に満ちた笑みをこぼした。
「あー、いい匂い。ちゃんとした紅茶飲むのも、ホント久しぶりだよ。うれしいね」
「どうぞ」
馥郁たる薫りを燻らすカップをハリアーの前にそっと置き、プリモは軽く会釈した。
ハリアーも笑顔を湛えて小さくうなずく。
「ありがと。頂くね」
カップを取ったハリアーは、一口紅茶を含むと、ほう、大きな吐息をついた。
「あー、ホントにイイ紅茶だね、プリモ。これって東大陸からの舶来品だよね? プリモの淹れ方も、スゴく上手だよ」
「ありがとうございます」
ハリアーの賛辞に、プリモはじんわり頬が熱くなるのを覚えた。熱を帯びたミトンをつい頬に当ててはにかむ彼女に、ハリアーが好意的な眼差しとともに声をかけてくる。
「プリモも座ったら?」
「いいえ。わたし、食器を片付けないと。ハリアーさんは、ゆっくりくつろいで下さい」
女剣士の誘いをやんわり断り、プリモは食器を載せたワゴンをころころと押して、厨房へと向かう。
するとハリアーも椅子から腰を上げた。彼女もカップを持ったまま、厨房の入口までついてくる。
プリモに続き、厨房に一歩踏み入るなり、ハリアーが驚きの声を上げた。
「をを!? ココもスッゴい!」
白いタイル張りの厨房は、几帳面にきちんと片付けられ、清潔そのものだ。
鍋やフライパンもピカピカに磨き上げられ、食器棚の中も整然としている。水がこぼれた跡さえ、見当たらない。
プリモの日々の努力の結晶たる厨房をぐるりと見渡して、ハリアーがほう、と大きな嘆息を洩らす。
「前の台所のおぞましさったら、グリーンスライムでも飼ってるのか、ってホドだったのにねえ……! アイツ、『プリモがいるといないとでは大違い』って言ってたけど、よく分かるよ、うん」
「あ、そんな……」
くすぐったさを追い払うように、うつむき加減のプリモは、小さく首を振る。
流し台の前にまでワゴンを転がして、プリモは昼食の食器を流し台に移し、煌めく真鍮の蛇口を捻った。
蛇口から流れ出す水は、冷たく澄んでいる。塔の頂上に幾つも据えられた風車が、絶えず汲み上げる地下水だ。ちょっぴり火照ったプリモの手に、新鮮な湧水がひんやりと気持ちいい。
剣士ハリアーはというと、戸口にもたれ掛かって立ったまま、プリモの動きを目で追ってくる。
そのハリアーから、プリモに質問が飛んできた。
「ねえ、プリモ、塔の外へは出ない?」
「はい。わたし、旦那さまにお仕えして三年目に入りますが、この塔から出たことはありません」
プリモは華奢な肩越しにうなずいて見せる。
「必要なことは、ほとんど旦那さまに教えて頂きました。必要なお野菜は屋上の農園で採れますし、穀物やお肉も、契約した商人さんが運んできて下さいます」
「あたしはそんなの耐えられないな。退屈で死んじゃうよ」
「『たいくつ』?」
プリモは、ハリアーが言う『退屈』という感覚が理解できず、小首を傾げた。
この黒龍の塔には、プリモに任された仕事が山積みになっている。お掃除、お洗濯、お食事の支度に、実験用動物の餌付け。それに何よりも、主人メヴィウスの身辺の世話。
『退屈』などという間延びしたような感覚に囚われるもなく、日々は穏やかに、しかし目まぐるしく過ぎてゆく。塔の毎日は充実していて、プリモは今の生活に満足している。
と、そこまで考えたプリモは、ふと食器を洗う手を止めた。
彼女は、戸口にもたれかかったハリアーへと楕円の瞳孔を向ける。
「ところで、先ほどハリアーさんは、『お仕事』を探して、この辺りにいらっしゃった、って仰っていましたね」
「ああ、言ったよ」
「旦那さまは、ハリアーさんを『しょうきんかせぎ』だ、って仰っていましたが……」
「そうだよ。これでも割と有名なんだから」
得意げに胸を反らすハリアーを真っ直ぐ見つめ、プリモはさらに疑問を投げかけた。
「『しょうきんかせぎ』って、何ですか? ハリアーさんの生業、なんですよね?」
「!?」
ハリアーが、ぶはっと紅茶を噴き出した。紅の少女は、紫紺の瞳を真ん丸に見開いてプリモを凝視してくる。
「プリモ知らないの? 賞金稼ぎ」
「はい」
笑顔でうなずくプリモ。
口許を拭うハリアーが眉根を寄せて、プリモをじっと見つめてきた。
プリモにしてみれば、知らないことを素直に聞いただけに過ぎず、他意など全くない。
……ハリアーのお仕事、『しょうきんかせぎ』とは何なのか?
素朴な疑問にプリモは小首を傾げる。
プリモの単純な思いがハリアーにも伝わったのか、彼女はカップを手にしたまま、張り切った胸の下で腕を組んだ。
むう、と小さく唸って、考え込むハリアー。
「あたしは赤龍 だから、寿命の短い人間 よりは賞金稼ぎ暦長いけど、ココまでど真ん中に聞かれたのは久しぶりだよ」
カップを手にしたまま、返答に困った様子で小さく唸ったハリアーだったが、すぐに顔を上げた。そして誇りに満ちた視線をプリモに注ぎ、ゆっくりと答える。
「『賞金稼ぎ』ってのはね……」
そんな彼の背中を立って見送るプリモの耳に、赤龍ハリアーの呆れ切った声が聞こえてきた。
「メヴィウス、相変わらずケチで不愛想だね」
プリモが振り向くと、テーブルに頬杖のハリアーが、不思議そうな表情を浮かべていた。紫紺の瞳も半眼に、女剣士は同情しきりの調子で肩をすくめる。
「プリモ、いくら生みの親だからって、よくあんなのと暮らしてるな。ホント、感心するよ」
主人を揶揄されたプリモは、ちょっぴり不満を覚えた。だが同時に可笑しさがこみ上げるのを感じ、彼女はくすっと笑う。
「でも、良いところはたくさんあるんです、旦那さまは。本当は優しい方ですし。今は何か複雑な器械を創っていらっしゃる最中ですから、神経質になっていらっしゃるんです」
主人を弁護して、プリモはワゴンからティーカップとポット、それに異国風の銀の茶壺をテーブルに移した。入れ替えに、空の食器をサッサッとテーブルからワゴンへと下げてゆく。
手を休めないプリモに、ハリアーが椅子の上から聞いてくる。
「で、メヴィウス、今度は何の器械を創ってるって?」
質問はしながらも、ハリアーの声は割と興味なさげに響く。メヴィウスの動向くらい、多少は気にしている、というところだろうか。
プリモは花柄も可愛らしい厚手のミトンを右手に着けながら、小さくため息をつく。
「さあ、わたしには分かりません。旦那さまは、わたしには魔術も技術も、何も教えて下さいませんから」
一言答えたプリモは手を止め、力なくうなだれた。置き去りにされたような思いが胸を塞ぎ、深い吐息が唇から洩れる。
しかしプリモは、すぐに顔を上げた。深く静かな長い吐息で胸の痞えを全て掃き出し、彼女はにっこりと笑顔を浮かべて見せる。
「紅茶を淹れますね」
「あー、いいねえ! ありがと」
即座に返ってきたのは、ハリアーの無邪気に弾んだ声。
プリモはくすっと好意的な息を洩らし、ミトンを着けた手でしゅっしゅっと湯気を吐くポットを取った。彼女が白陶のポットに湯を注いだ途端、辺りには爽やかな茶葉の香気に満ち満ちる
くんくんと鼻を鳴らしたハリアーが、期待に満ちた笑みをこぼした。
「あー、いい匂い。ちゃんとした紅茶飲むのも、ホント久しぶりだよ。うれしいね」
「どうぞ」
馥郁たる薫りを燻らすカップをハリアーの前にそっと置き、プリモは軽く会釈した。
ハリアーも笑顔を湛えて小さくうなずく。
「ありがと。頂くね」
カップを取ったハリアーは、一口紅茶を含むと、ほう、大きな吐息をついた。
「あー、ホントにイイ紅茶だね、プリモ。これって東大陸からの舶来品だよね? プリモの淹れ方も、スゴく上手だよ」
「ありがとうございます」
ハリアーの賛辞に、プリモはじんわり頬が熱くなるのを覚えた。熱を帯びたミトンをつい頬に当ててはにかむ彼女に、ハリアーが好意的な眼差しとともに声をかけてくる。
「プリモも座ったら?」
「いいえ。わたし、食器を片付けないと。ハリアーさんは、ゆっくりくつろいで下さい」
女剣士の誘いをやんわり断り、プリモは食器を載せたワゴンをころころと押して、厨房へと向かう。
するとハリアーも椅子から腰を上げた。彼女もカップを持ったまま、厨房の入口までついてくる。
プリモに続き、厨房に一歩踏み入るなり、ハリアーが驚きの声を上げた。
「をを!? ココもスッゴい!」
白いタイル張りの厨房は、几帳面にきちんと片付けられ、清潔そのものだ。
鍋やフライパンもピカピカに磨き上げられ、食器棚の中も整然としている。水がこぼれた跡さえ、見当たらない。
プリモの日々の努力の結晶たる厨房をぐるりと見渡して、ハリアーがほう、と大きな嘆息を洩らす。
「前の台所のおぞましさったら、グリーンスライムでも飼ってるのか、ってホドだったのにねえ……! アイツ、『プリモがいるといないとでは大違い』って言ってたけど、よく分かるよ、うん」
「あ、そんな……」
くすぐったさを追い払うように、うつむき加減のプリモは、小さく首を振る。
流し台の前にまでワゴンを転がして、プリモは昼食の食器を流し台に移し、煌めく真鍮の蛇口を捻った。
蛇口から流れ出す水は、冷たく澄んでいる。塔の頂上に幾つも据えられた風車が、絶えず汲み上げる地下水だ。ちょっぴり火照ったプリモの手に、新鮮な湧水がひんやりと気持ちいい。
剣士ハリアーはというと、戸口にもたれ掛かって立ったまま、プリモの動きを目で追ってくる。
そのハリアーから、プリモに質問が飛んできた。
「ねえ、プリモ、塔の外へは出ない?」
「はい。わたし、旦那さまにお仕えして三年目に入りますが、この塔から出たことはありません」
プリモは華奢な肩越しにうなずいて見せる。
「必要なことは、ほとんど旦那さまに教えて頂きました。必要なお野菜は屋上の農園で採れますし、穀物やお肉も、契約した商人さんが運んできて下さいます」
「あたしはそんなの耐えられないな。退屈で死んじゃうよ」
「『たいくつ』?」
プリモは、ハリアーが言う『退屈』という感覚が理解できず、小首を傾げた。
この黒龍の塔には、プリモに任された仕事が山積みになっている。お掃除、お洗濯、お食事の支度に、実験用動物の餌付け。それに何よりも、主人メヴィウスの身辺の世話。
『退屈』などという間延びしたような感覚に囚われるもなく、日々は穏やかに、しかし目まぐるしく過ぎてゆく。塔の毎日は充実していて、プリモは今の生活に満足している。
と、そこまで考えたプリモは、ふと食器を洗う手を止めた。
彼女は、戸口にもたれかかったハリアーへと楕円の瞳孔を向ける。
「ところで、先ほどハリアーさんは、『お仕事』を探して、この辺りにいらっしゃった、って仰っていましたね」
「ああ、言ったよ」
「旦那さまは、ハリアーさんを『しょうきんかせぎ』だ、って仰っていましたが……」
「そうだよ。これでも割と有名なんだから」
得意げに胸を反らすハリアーを真っ直ぐ見つめ、プリモはさらに疑問を投げかけた。
「『しょうきんかせぎ』って、何ですか? ハリアーさんの生業、なんですよね?」
「!?」
ハリアーが、ぶはっと紅茶を噴き出した。紅の少女は、紫紺の瞳を真ん丸に見開いてプリモを凝視してくる。
「プリモ知らないの? 賞金稼ぎ」
「はい」
笑顔でうなずくプリモ。
口許を拭うハリアーが眉根を寄せて、プリモをじっと見つめてきた。
プリモにしてみれば、知らないことを素直に聞いただけに過ぎず、他意など全くない。
……ハリアーのお仕事、『しょうきんかせぎ』とは何なのか?
素朴な疑問にプリモは小首を傾げる。
プリモの単純な思いがハリアーにも伝わったのか、彼女はカップを手にしたまま、張り切った胸の下で腕を組んだ。
むう、と小さく唸って、考え込むハリアー。
「あたしは
カップを手にしたまま、返答に困った様子で小さく唸ったハリアーだったが、すぐに顔を上げた。そして誇りに満ちた視線をプリモに注ぎ、ゆっくりと答える。
「『賞金稼ぎ』ってのはね……」