二.

文字数 2,755文字

 額に手を当てて、しばし茫然と立ち尽くしたメヴィウスだったが、すぐに正気に還った。
 薄ら寒く感じられる食堂の中をうろうろしながら、苛立ちを抑えて思考を巡らせる。
 
 ……プリモは一体どこへ行ったのか?
 あの手紙には、『アり』なんとかの『バザール』と書いてあった。
 今日『バザール』が立つ、『アリ』なんとかの都市とは……?

「どうせハリアーが乗せて飛んで行ったんだな。夕方までにハリアーの翼で往復できるのは……」

 彼の脳内で、知識と記憶とが結びついては、細切れに分解されていく。
 十数秒の解析を終えて、彼はぴたりと足を止めた。その答えを、彼は独りつぶやく。

「そうか、『アープ』の王都『アリオストポリ』だ。今日は確か特別な国家行事はなかったけど、大規模なバザールが出るんだったな」

 そこで彼は、ふと考える。
 ……アープのアリオストポリは、極めて治安のいい、安全な街だ。近付く場所さえ間違えなければ、初めて塔から出たプリモも、それなりに過ごせるだろう。それにハリアーは単細胞の無鉄砲だが、今日まで生き延びてきた腕利きなのは間違いがないし、危険を察知する嗅覚も鋭い。ハリアーが付いていれば、プリモの身の安全は心配要らない筈だ。
 遥か遠地のアープまで、自分が出向く必要はないだろう。
 たぶん。

 自分をそう納得させて、メヴィウスが腕組みした。

「ま、まあ俺が直接行く必要はないな。難儀はもう嫌だ」

 実のところ、神殿集落からの飛行で疲れていて、もう塔から出たくないというのが、メヴィウスの本音である。
 とはいうものの、初めて塔の外、しかも遠く離れた隣国の王都へ向かったプリモが心配なのも、これまた事実である。
 メヴィウスが、弱々しく吐息をつく。

「ああ、でも、放ってもおけないか。見付けるだけ見つけておかないと……」

 そして数秒、打つ手に思案を巡らせたメヴィウスだったが、すぐに顔を上げた。

「“遠隔透視(クレヤヴォイヤンス)”が一番早いけど、何かあった場合に他の術法が一切行使できない。ここだけは器械に頼るか」

 方針が決まった瞬間、忘れていたイライラがむくむくと頭をもたげてくる。

「全く、あいつらは……」

 舌打ちとともに食堂から跳び出したメヴィウスは、弧を描く暗い回廊を小走りに抜け、いつもの魔道書室に駆け込んだ。無人の魔道書室も薄暗く静まり返っていて、メヴィウスが出かけ時そのままだ。
 彼は机の前に身を屈めると、足元の空間から大きな箱を引きずり出した。
 全ての縁に鋼の鋲が打ち込まれ、かなり頑丈な印象が漂う木箱である。箱に付いた取っ手を握りつつ、メヴィウスは憂鬱の極みに陥る。

「世間知らずのプリモに無鉄砲のハリアー。ああ、あの二人が何かやらかす前に見つけておかないと。全く難儀だ……」

 誰へのものでもない文句を虚空にぶつけるメヴィウス。その不平が大気に消えるより早く、メヴィウスは箱の蓋を開いた。
 頑丈な木箱に保管されていたのは、無数のリベットに覆われた銀色の金属球である。
 大きさはメロン程度で、上半球には円環型の回転翼が一対、下半球には小さな望遠鏡が突き出している。
 箱の中に手を突っ込んだ彼は、二枚の円い羽根が生えた球体器械と、さらに丸い小さな鏡台を思わせる器械を取り出した。

「“遠隔監視器械(テレ・ゲイザー)”……」

 遠く離れた場所を観察するために、メヴィウスが設計、作製した器械だ。
 本体の下に突き出した望遠鏡が捉えた画像は、大気中の生命素を仲介して、鏡台型の受像機に映される。
 もちろん、術法で遠くの風景を見通すことなど、メヴィウスにしてみれば造作もない。が、遠隔視の術法に意識を集中しつつ、他の術法を同時に行使するのは骨が折れるし、失敗の可能性も高くなる。それなら、初めから監視は器械に切り出した方が効率的で、確実である。
 じっくりと手の中の器械を検分し、メヴィウスは小さくうなずく。

「これならいけるか。ハリアーはほとんど飛ばないから、翼だけはかなり鈍ってる。俺より遅いくらいだ。そこが付け目だな」

 鏡台を机の上に据えたメヴィウスは、球体の側面に付いた鉄の環をぐっと引っ張った。
 すぐに球体の中からきりきりと音が聞こえ、球体が小刻みに震え始めた。球体の内部で、特殊な磁石とはずみ車が回っている。
 器械の起動を確認し、メヴィウスは深くうなずく。

「よし、異常なしだ」

 球体を抱えて部屋を出ると、今度は屋上の庭園へ急いだ。 
 瞬く間に塔の最上階まで登りきり、空中庭園の外縁部に立ったメヴィウス。植栽の間を吹き渡る風に黒髪をなびかせながら、彼は空を見上げた。
 陽は高くなり始め、辺りは明るい。
 だが庭園から仰ぐ天は、薄い雲のベールに覆われている。

 しばらくの間、木立を渡る風の強さと向きとを読み取る彼だったが、すぐに彼方の一点を睨み据えた。

「風速、風量から偏向を考えると、あっちが妥当だな」

 わずかにつぶやいたメヴィウスは、球形の器械を両手で高々と差し上げた。同時に器械の回転翼が、低い音とともにゆっくりと回り出す。緩かった回転は次第に速くなり、すぐに二枚の円環翼は目にも留まらぬ速度で風を斬り巻き始めた。

「よし、いいぞ……」

 メヴィウスは、頭上に掲げた器械からそっと手を離した。

 一対の円い翼が生む揚力が、球形器械を空へと持ち上げてゆく。
 天高く、鉛直に浮き上がった器械は、もうメロンの大きさから芥子粒ほどにしか見えなくなっている。
 しばらくの間、天空の一点に静止していた器械だったが、やがて高らかな唸りとともに、空の一角を目指して飛んでゆく。銀色の器械は見る間にメヴィウスの視野から遠退き、やがて雲の彼方へと消え去った。
 飛ばした球形器械が視界から消えてしまうと、メヴィウスは、急いで魔道書室に取って返した。
 机の前にどっかと座った彼は、目の前に器械式の鏡台を引き寄せた。丸い鏡面を見ながら、台座に付いたゲージやらダイヤルやらを細かく操作する。
 鏡に映った彼の顔が、ゆらゆら揺らめいた。

「長らく使っていなかったが、まだ大丈夫そうだ」

 さざめく水面のような鏡に、何かが映る。
 澄んだ碧空、白いちぎれ雲、そして緑の地平。そしてその地平間際に、かすかに山並みが見える。

「気流に乗ったな」

 鏡台を注視するメヴィウスは、小さく安堵の息をついた。

「まあ、今は追い付けなくてもいいか。どうせアリオストポリには、簡単には入れないからな」

 だがその息も、彼の憂鬱で不機嫌な鼻息に吹き散らされる。

「しかし難儀だ。ああ、難儀過ぎる……」     
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