九.

文字数 2,484文字

 たった独り、午後の黒龍の塔に残ったプリモ。
 しかし彼女は、黙々と働く。掃除洗濯、庭園の植栽の世話まで、プリモは生真面目にこなしてゆく。
 幸い、“冒険者さまご一行”の襲来はなかったものの、家事というものは意外と時間を使う。息つく暇もなく働いたプリモが厨房の椅子に座った時には、すでに陽が傾き始めていた。
 一息容れたプリモが、初めて自分のために湯を沸し始めた時だった。
 食堂と屋上の庭園を繋ぐドアが開く音が響いた。続けて、階段からコツコツと足音が聞こえてくる。
 それを耳にするなり、プリモはぱっと椅子から跳び上がった。期待と喜びに胸を膨らませ、まるで子犬のように厨房を跳びだした彼女は、大きく弾んだ声を上げた。

「おかえりなさい!」

 食堂で出迎えたプリモの前に現われたのは、女賞金稼ぎハリアーだった。

「ただいまぁー」

 ハリアーの朗らかな声に反して、プリモは心ならずも一気に落胆した。
 彼女の気落ちは顔にも表われたのだろう。にっと笑ったハリアーが、からっとした口調でプリモを冷やかす。

「期待ハズレだった? その顔だと、メヴィウスのヤツはまだみたいだね」
「え? あ? え?」

 図星を刺され、プリモは顔に焼けるような熱を感じた。目いっぱいの恥ずかしさを覚えた彼女は、うつむいてハリアーに侘びる。

「ご、ごめんなさい」
「いいのいいの。あたしとプリモの仲なんだから」

 特に気にした風もなく、ハリアーがいつものようにあっははは、と笑う。そこではあ、と大きな息を吐いた彼女が、食堂の椅子にどっかりと腰を落とした。いつになく鈍いハリアーの動作には、激しい疲労感が漂う。手足を動かすのも、かなり億劫そうだ。

「あの、大丈夫ですか?」

 プリモが気遣うと、ハリアーは、あはっと笑って大きな布の包みをテーブルに置いた。

「平気平気。でも、やっぱり時々は飛ばないとダメだね。久しぶりにまともに飛んだら、肩こって」

 気だるげに肩をぐるぐる回したハリアーは、へへっ、とばかりにちょっと舌を出した。だがすぐに真顔に戻った彼女が、食堂に苛立ちの視線を巡らせる。

「それにしても、メヴィウスのヤツ、何を長居してるんだろうな、全く」
「ご無事ならよいのですが……」

 プリモはうなだれた。
 実のところ、メヴィウスがいきなり塔から出て行ったきり、一日二日帰って来ないことは、それほど珍しくもない。おまけに今回の行先は、主人もよく知る場所だ。不安に駆られる要素など、全然ない。そのハズなのに、何故かプリモの気持ちは落ち着かない。
 胸のざわめくプリモを尻目に、ハリアーがけらけらと笑う。

「アイツならよっぽど大丈夫。今はココに引きこもってるけど、昔は放浪してた時期もあるからさ」

 プリモの不安を軽く笑い飛ばしたハリアー。
 何だかメヴィウスのことは、ことごとく知り尽くしているような、そんな余裕の表情だ。彼女の訳知り顔を見て、プリモはふと気になった。

 ……どうして彼女は、こんなに主人のことを知っているんだろう?

 プリモは思い切って尋ねてみることにした。
 プリモはハリアーの向かいに座り、横向きに腰掛ける彼女を上目遣いに見つめた。そして恐る恐る、控えめながら、つい疑り深く問いを投げてみる。

「あの、ハリアーさん。ハリアーさんは、旦那さまとは、どういうご関係ですか?」
「ん? 『どういう関係』?」

 プリモの質問を繰り返したハリアーが、一瞬きょとんとした顔を見せた。しかしすぐに小さく唸った女剣士が、頭の後ろで両腕を組み、天井を仰ぐ。

「そうだねえ、あたしらの世代の龍は、みんな兄妹とか、従姉弟みたいなもんだからねえ」
「『きょうだい』、ですか?」

 プリモが彼女の言葉をなぞると、ハリアーがプリモに目を戻してうなずいた。

「あたしら龍は、全部で数千人くらいのものすごい少数民族でさ。それが四つの大陸に散ってるから、一つの大陸にいる龍は、千人くらいしかいないんだ。その中で、あたしと同じ世代の龍っていったら、それこそ十数人くらいしかいなくてさ。だから、あたしらはみんなつながりが強くてね」

 ハリアーが続ける。

「メヴィウス、この塔を建てて引きこもる前は、あちこちいろいろ探し回ってた時期があってさ。あたしもまだ賞金稼ぎ始める前で、アイツの探索の護衛を何度もしてるんだよ。この塔を構えてからも、ちょくちょく手を貸してる。その代わり、あたしはこの塔を時々宿にしててさー」

 そこでハリアーが肩をすくめた。

「メヴィウスとは性格も考え方も、職能(スキル)だって正反対だから、仲は……、まあ微妙だね。お互い腕だけは、認めてると思うけど」

 ハリアーの独白を聞き終えたプリモは、軽く目を伏せ、ホッと胸を押さえた。
 もやもやした気持ちの霧はおおむね消え去り、いがいがした喉元の(つか)えがすとんと落ちたのを感じた。
 と、プリモは頬をくすぐる視線に気が付いた。向き直ってみると、ハリアーがにやにや笑いでプリモを見ている。

「あ、なに? プリモ、もしかしてあたしとアイツがデキてる、って思ってたりした?」

 途端にプリモは、顔が一気に火照るのを覚えた。

「あ、いえ、わたしはそんな」

 ぶんぶんと首を何度も横に振り、中途半端な弁解をしたプリモ。
 自分の頬が、やけに熱過ぎる。決まり悪さと恥ずかしさに覆われて、プリモは椅子の上で首をすくめた。
 ははははは、とお腹を抱えたハリアーが、遠慮のない大きな声で笑う。

「ないない。あたしは魔術とか魔術師がキライだし、あたしにも好みと選ぶ権利ってものがあるんだから」

 そこで、ハリアーがもう一度頭の後ろで腕組みした。

「にしてもアイツ、ホントに遅いな」

 深く組んだ長い脚に、頬杖を付いたハリアー。思案顔を見せた彼女だったが、すぐに顔を上げ、あっけらかんと言い放った。

「来ないものは来ないんだから、仕方ないな。明日は朝早く出かけるからさ、後で準備しようね」
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