二.

文字数 2,727文字

 黒龍メヴィウスは、器械の目を通して、バザールとプリモとハリアーの様子をじっと注視する。
 飽きもせず、真上から二人を観察していた彼は、二人が動き始めたのに気が付いた。
 ついさっきまで、宝飾品の屋台でサクラ紛いの真似をしていたプリモだった。が、今そのメイドは露店から離れ、怪しげなローブ姿の人物について行こうとしている。
 メヴィウスは器械の眼を操る操作盤に指を延ばした。かりかりとダイヤルを回しつつ、水晶の画面に顔を近づける。
 拡大された黒いローブの人物を脳天から凝視しつつ、メヴィウスはつぶやく。

「こいつ何者だ? 女、だよな」

 画面から顔を離したメヴィウスは、左手の掌を水晶に映し出される女に向けた。魔術師たる彼の左手に、遥かな街の女が漂わす波動が伝わってくる。しかし、その魔力を孕んだ波動は余りに微弱だ。このローブの女が漂わす魔術の力量は、全く予測が付かない。
 メヴィウスは厳しく眉根を寄せ、疑念に満ちたつぶやきを洩らす。

「……おかしい。俺の“検知手鑑(ディテクティヴ・ハンド)”にも反応しないなんて、この女、ローブを着てるだけの素人なのか? それでも魔力量がほぼゼロなんて、あり得ない」

 普通の生命体であれば、生来何がしかの超自然的な力を秘めている。
 その力が一般的に『魔力』などと呼ばれていて、いわゆる魔術師とは、その力を特殊な修練で強化している人々をいう。そう、生命体であれば、たとえ素人であっても魔力量がゼロなどということは、まずありえないのだ。
 メヴィウスは、胸中に苛立ちと不安がむくむくと湧き上がるのを覚えた。

 ……どうしてプリモは、あんな不可解な女について行っているんだか。
 大体、プリモが何故アリオストポリにいるんだ? 
 どうせハリアーがそそのかしたに決まってる。
 プリモに何かあったら、ハリアーの奴、どうしてくれよう……

 などと思いつつ、メヴィウスは監視器械を操作した。
 彼の意図に従って、遥かアリオストポリの上空を飛ぶ器械も、三人の女を追う。

 プリモとハリアーの先に立つ謎の女が、にぎやかな中央広場から離れた。
 大通りを抜け、枝道に入り込み、女は二人をどんどんと人気のない裏路地へと導いてゆく。
 そうしてバザールを離れて、十分ばかり。建物の合間を縫うような小道の奥で、三人足を止めた。人影はおろか、画面の中に動くものは何も見えない。実際にその路地に立ったとしても、恐らく何の物音も聞こえてはこないだろう。
 時間さえも凍りついたような静寂の中、ローブの女は小さな建物を指差している。
 
 メヴィウスは、女が指し示す建物に、監視器械の照準を合わせた。
 二十歩四方の区画にすっぽり収まるほどの、小ぢんまりとした建物。小屋と言っても差し支えはないくらいの大きさである。
 上から見たその小屋はほぼ真四角、まっ平らなその屋根には、何か複雑な円形の模様が描き付けられている。地上からでは、その屋根の模様は決して目にできないだろう。

「あれは、魔法陣か……?」

 メヴィウスは、屋根の上に描かれた魔法陣を、穴が開くほど凝視する。
 ほんの刹那の後、屋根の魔法陣が意味するものを察したメヴィウスは、脳天から血の気が退くのを覚えた。

「まさか、いや、そんな……」

 口を押さえた彼は、軽いめまいを抑えつつ、ぱっと立ち上がった。ぐっと目を伏せ、彼は語気も鋭く呪文を発する。

「“アペラ・セサマエ・サピエンティアエ”!」

 続けてメヴィウスは、ぱちっぱちっぱちっ、と三回指を鳴らした。その刹那、手許の虚空に忽然と開いた暗い穴から、彼は一冊の本を引っ張り出した。ちょっとの衝撃でばらばらになりそうな古書、『舟の書』である。
 メヴィウスは、異空間の書庫から取り出した奇覯本を素早く、しかし慎重な手付きでめくってゆく。すぐに数十ページ目を開いたメヴィウスは、大きく目を見開き、低く呻いた。

「ああ、やっぱり……!」

 深い吐息をついたメヴィウスは、そのページに大きく書かれた図形を注視する。
 横長の目を中心に、円や三角形など単純な幾何学模様を組み合わせた、実に奇妙な図形である。だが、メヴィウスにはこの魔法陣が意味するものが、よく分かっていた。

「内部空間を広げる、存在の神エスの結界陣だったか。これがあるってことは……」

 彼は、水晶のモニターに映し出された結界陣に目を移した。

「“屍師(ヴェネフィクス・モルテ)”が、あそこにいる」

 ぱたんと『舟の書』を閉じたメヴィウスは、魔道書を小脇に抱えたまま、この小部屋をうろうろする。

 ……ああ、どうしたものか。
 よりにもよって、屍師があの街にいたとは。
 屍師って奴は、利己主義の塊みたいな屍霊術師(ネクロロジスト)の成れの果てだ。
 関わるとろくなことにならない。
 一体、プリモは屍師の住処に行って何をしようとしているのか……

  メヴィウスは、落ち着きなく歩き回りながら、モニターをちらりと見遣った。
  当のプリモは、今しもローブの女の差し招くまま、小さな建物に入ろうとしている。そのプリモの側には、ハリアーが付き添っているのも見える。
 メヴィウスは逡巡する。

 ……まだプリモの身に差し迫った危険があると決まったわけではない。
 だが、メヴィウスの知る限り、屍師というのは目的のためなら手段は選ばない連中だ。
 おまけに、生身の魔術師とは全く違う。
 手練のハリアーが護衛に付いているとはいえ、ハリアーに屍師をどうこうできるとは、とても思えない。

 しかし、メヴィウスは深いため息をつく。

 ……アリオストポリは塔から遠過ぎる。
 とにかく遠いのだ。
 自分が出向くのは難儀過ぎる。

「も、もうちょっとだけ様子を見よう」

 自分に言い聞かせるようにそうつぶやくと、メヴィウスは本を小脇に抱えたまま、自分の黒い髪の毛を一本引き抜いた。

「とにかく視界を確保しないと。建物に入られたら、器械では見透かせない」

 彼は指先で自分の長い髪をより合わせながら、低く呪文を唱える。

「“我が身の一部よ、我が目となりて、我に全てを伝えよ”」

 自分の髪を転がすメヴィウスの指先から、緑色の煙が一筋立ち昇る。煙はだんだんと濃くなり、すぐに何かの形を取り始めた。そこを見計らい、メヴィウスは煙をまとう指を水晶のモニターにびしっと向け、呪文の結句を放った。

「“メウス・オクルース”!」
    
 すると煙は彼の指から離れ、一匹の小さなハエになったかと思うと、そのまま器械の画面に吸い込まれていった。
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