八.
文字数 2,239文字
うなずいたハリアーが、犬歯をきらりと光らせて、にっと笑う。が、すぐにその自信と気風に溢れた笑みは、すぐに消えた。彼女がじっとプリモに注ぐ視線も、どことなく重苦しい。
ハッキリキッパリの彼女にしては、変に歯切れの悪い口調で、小首を傾げるプリモに聞く。
「ところでさ、ヘンなこと聞くけど、この塔ってホントに誰も来ない?」
確かにおかしなことを聞く、とは内心思いつつも、プリモは正直に首を縦に振る。
「はい。商人さんと冒険者さま以外は、どなたもいらっしゃいませんが。それが何か?」
「うーん、大したことじゃないんだけど」
珍しく口ごもったハリアーが、テーブルの上のぬいぐるみに目を向けた。プリモお手製のぬいぐるみをじっと見ながら、女剣士が慎重な口調で疑問を吐露する。
「プリモ、メヴィウスに育てられたんだよね? あの無神経に育てられて、プリモ、こんなに可愛くなるかなあ、なんて思っただけ」
プリモの胸に、この日何度目かの痛みが走った。あまり触れたくはない話だが、隠すほどでもない。
彼女は重く沈んだ楕円の瞳を床に彷徨わせて、ハリアーの問いに正直に答える。
「本当は、わたしを育てて下さった方が、もう一人いらっしゃるんです。“セフォラ”さまとおっしゃる、とてもお綺麗な……」
わざと未完で切った、プリモの告白。
「なるほどね……」
どこからしくない微かな笑みを口元に湛え、ハリアーが小さくうなずいた。彼女がプリモに注ぐ紫紺の目には、いたわりと気遣いがいっぱいに溢れている。
どうやらハリアーは、すべてを理解したらしい。椅子の背もたれに頬杖をつき、深い吐息をつく。
「セフォラなら知ってるよ。確かあたしと同い年の白耀龍 だね。ちょっと強情なトコもあるけど、のんびりした可愛いコだ。確かセフォラとアイツって、親同士が決めた婚約者なんだよな」
『婚約者』という言葉、そしてハリアーの続ける独白が、プリモの耳にほろ苦い。
「メヴィウスんちは、オヤジさんが黒龍 で、おフクロさんが白耀龍だったっけ。この婚約話、セフォラのお父ちゃんから持ちかけた『投資』だとかで、ホント、ワケ分かんないよな。まあ色の違う龍同士の結婚は普通だし、メヴィウスの才能だけはホンモノだから、驚きゃしないけど」
ハリアーが、苦笑の混じった吐息をついた。何となく揶揄したような雰囲気が漂うが、どこか遠慮がちに響く。
「アイツが婚約話を受け入れた、って聞いた時は耳を疑ったけどね。アイツ、『後援者 はいた方がいい』、とか何とか言ってたらしいけど。ま、ちょっとだけ安心したんだけどさ。アイツも男なんだなー、って」
どこかお姉さんめいた息をつき、ハリアーが嫌味なくへへっと笑った。
「手芸と料理が好きな、メヴィウスにはもったいないくらいのいいコだもんな、セフォラは。それ聞くと、今のプリモの性格もよく分かるよ。いろいろ教えてもらったんだね?」
こくりとうなずき、プリモはうつむいた。
唇を噛む彼女の胸の内に、奇妙な感覚が湧き上がる。感謝と、それに何と呼ぶのか分からない息苦しさが、胸の中で渾沌と蟠る。
しかしプリモは大きく息を吐き、心の澱をすべて吐きした。すぐに顔を上げたプリモは、努めて明朗に答える。
「普段はラメッド台地の神殿集落にお住まいの方ですが、半年間ご滞在になって、お掃除とか、お料理とか、お洗濯とか、たくさんのことを教えて頂きました。それに、使用人の心得も……」
相手を上目遣いに見るプリモの癖に気付き、そっと諭してくれたのも、セフォラだった。
楕円の瞳が曇り、胸の内側がしくしく疼くのが自分で分かる。それでもプリモは、気丈に胸を張って、努めて冷静に付け加えた。
「……今は、月に一回、旦那さまの様子を見にいらっしゃいます。二日ほどお泊りになって、家事全般、旦那さまのお世話を。旦那さまからお出かけになることは、滅多にありませんが」
「なるほどね。白耀龍の一族は、家庭を大事にするからなー」
ハリアーは納得顔で何度もうなずいた。と、そこでにんまりと笑う彼女。
「ホントはレース編みも、セフォラから教わったんだろ?」
「いいえ、それは本当に旦那さまから教わっています」
ハリアーの冷やかしに、プリモは真顔で答えた。
そんなプリモの真面目な顔を見て、彼女がうぷぷ、と奇妙な笑いを容れた。そして、よっと声を上げ、パッと立ち上がる。
「さっ、あたしも行かなきゃ」
「あの、どちらへ行かれます?」
プリモが尋ねたその口調には、やはりどこか寂しさが滲んでしまう。
眉根を寄せたプリモを元気付けるように、ハリアーが紫紺の瞳を活き活きと煌めかせ、明るく告げる。
「急いで明日の準備の買い出しに行ってくるよ。あんまりゆっくりしてると、帰りが遅くなっちゃう」
そう言って、ハリアーが出窓の外に目を移した。
プリモも、彼女の視線を楕円の瞳で追う。
ガラスの向こうに無限の広がりを見せる湿地帯は、ぼんやりと霞んで見える。しかし雨は降っていないようだ。
すぐにハリアーが笑顔で向き直った。
「日没には必ず戻るからさ」
「分かりました。お気を付けて」
素直にうなずき、プリモはハリアーに向かって深くお辞儀した。
ハリアーも笑顔で軽く手を振ると、プリモの部屋を足早に出て行った。
ハッキリキッパリの彼女にしては、変に歯切れの悪い口調で、小首を傾げるプリモに聞く。
「ところでさ、ヘンなこと聞くけど、この塔ってホントに誰も来ない?」
確かにおかしなことを聞く、とは内心思いつつも、プリモは正直に首を縦に振る。
「はい。商人さんと冒険者さま以外は、どなたもいらっしゃいませんが。それが何か?」
「うーん、大したことじゃないんだけど」
珍しく口ごもったハリアーが、テーブルの上のぬいぐるみに目を向けた。プリモお手製のぬいぐるみをじっと見ながら、女剣士が慎重な口調で疑問を吐露する。
「プリモ、メヴィウスに育てられたんだよね? あの無神経に育てられて、プリモ、こんなに可愛くなるかなあ、なんて思っただけ」
プリモの胸に、この日何度目かの痛みが走った。あまり触れたくはない話だが、隠すほどでもない。
彼女は重く沈んだ楕円の瞳を床に彷徨わせて、ハリアーの問いに正直に答える。
「本当は、わたしを育てて下さった方が、もう一人いらっしゃるんです。“セフォラ”さまとおっしゃる、とてもお綺麗な……」
わざと未完で切った、プリモの告白。
「なるほどね……」
どこからしくない微かな笑みを口元に湛え、ハリアーが小さくうなずいた。彼女がプリモに注ぐ紫紺の目には、いたわりと気遣いがいっぱいに溢れている。
どうやらハリアーは、すべてを理解したらしい。椅子の背もたれに頬杖をつき、深い吐息をつく。
「セフォラなら知ってるよ。確かあたしと同い年の
『婚約者』という言葉、そしてハリアーの続ける独白が、プリモの耳にほろ苦い。
「メヴィウスんちは、オヤジさんが
ハリアーが、苦笑の混じった吐息をついた。何となく揶揄したような雰囲気が漂うが、どこか遠慮がちに響く。
「アイツが婚約話を受け入れた、って聞いた時は耳を疑ったけどね。アイツ、『
どこかお姉さんめいた息をつき、ハリアーが嫌味なくへへっと笑った。
「手芸と料理が好きな、メヴィウスにはもったいないくらいのいいコだもんな、セフォラは。それ聞くと、今のプリモの性格もよく分かるよ。いろいろ教えてもらったんだね?」
こくりとうなずき、プリモはうつむいた。
唇を噛む彼女の胸の内に、奇妙な感覚が湧き上がる。感謝と、それに何と呼ぶのか分からない息苦しさが、胸の中で渾沌と蟠る。
しかしプリモは大きく息を吐き、心の澱をすべて吐きした。すぐに顔を上げたプリモは、努めて明朗に答える。
「普段はラメッド台地の神殿集落にお住まいの方ですが、半年間ご滞在になって、お掃除とか、お料理とか、お洗濯とか、たくさんのことを教えて頂きました。それに、使用人の心得も……」
相手を上目遣いに見るプリモの癖に気付き、そっと諭してくれたのも、セフォラだった。
楕円の瞳が曇り、胸の内側がしくしく疼くのが自分で分かる。それでもプリモは、気丈に胸を張って、努めて冷静に付け加えた。
「……今は、月に一回、旦那さまの様子を見にいらっしゃいます。二日ほどお泊りになって、家事全般、旦那さまのお世話を。旦那さまからお出かけになることは、滅多にありませんが」
「なるほどね。白耀龍の一族は、家庭を大事にするからなー」
ハリアーは納得顔で何度もうなずいた。と、そこでにんまりと笑う彼女。
「ホントはレース編みも、セフォラから教わったんだろ?」
「いいえ、それは本当に旦那さまから教わっています」
ハリアーの冷やかしに、プリモは真顔で答えた。
そんなプリモの真面目な顔を見て、彼女がうぷぷ、と奇妙な笑いを容れた。そして、よっと声を上げ、パッと立ち上がる。
「さっ、あたしも行かなきゃ」
「あの、どちらへ行かれます?」
プリモが尋ねたその口調には、やはりどこか寂しさが滲んでしまう。
眉根を寄せたプリモを元気付けるように、ハリアーが紫紺の瞳を活き活きと煌めかせ、明るく告げる。
「急いで明日の準備の買い出しに行ってくるよ。あんまりゆっくりしてると、帰りが遅くなっちゃう」
そう言って、ハリアーが出窓の外に目を移した。
プリモも、彼女の視線を楕円の瞳で追う。
ガラスの向こうに無限の広がりを見せる湿地帯は、ぼんやりと霞んで見える。しかし雨は降っていないようだ。
すぐにハリアーが笑顔で向き直った。
「日没には必ず戻るからさ」
「分かりました。お気を付けて」
素直にうなずき、プリモはハリアーに向かって深くお辞儀した。
ハリアーも笑顔で軽く手を振ると、プリモの部屋を足早に出て行った。