六.

文字数 9,093文字

「あっ、いた!」

 万有術士メヴィウスは、器械を注視したまま、小さく叫んだ。
 彼が食い入るように見つめる鏡面には、遥か真上から俯瞰した街並みが映し出されている。
 何重もの運河に囲まれた、白い王城に兵舎。そして方眼状に整然と並ぶ幕屋と人波が覆い尽くした広場。間違いなく、遥か彼方の異国の街、アリオストポリのバザールである。
 そんな抽象的なモザイク画を思わせる群衆の中の一点に、メヴィウスの目は釘づけられている。

「ああ、やっと見つけたか……!」

 器械を前に腰を浮かせたメヴィウスは、はあ、とわずかばかりの安堵が混じる深い息をつく。

「全く……」

 鏡台に顔を寄せるようにして、彼は器械のダイヤルやゲージを注意深く操作する。それに合わせ、鏡面の映像も、ぐうんと大写しになった。画面の中心に捉えられているのは、柔らかな栗色の髪が揺れる頭頂部。真上から写した姿は、頭のてっぺんと肩口くらいしか見えていない。
 だが、その長い髪と華奢な肩、それにふんわりとした罪のない佇まいは、間違いない。毎日を一緒に暮らすメイドのプリモだ。
 その傍らには、高く結い上げた特徴的な赤い髪も見えている。真紅の拳闘士を気取るハリアーだろう。
 今プリモがまとう楚々とした服を見て、メヴィウスは目を見張った。主人のメヴィウスでさえ、初めて見る真新しい服だ。
 彼は思わずつぶやく。

「あれはプリモが持ってた服じゃないな。ハリアーが調達したのか」

 ……無一文とか言っておきながら、ハリアーの奴、お金は持ってたのか。
 などと、面白くない考えが頭を過ぎった彼だった。
 が、すぐにそんな思いは、ハリアーへのささやかな感謝に変わった。

「プリモも喜んで着てるみたいだし、少しはハリアーの待遇も考えてやるか」

 わずかに頬を綻ばせてつぶやくメヴィウス。プリモの清純な雰囲気によく似合った、仕立てのいい服のようだ。ガサツで大雑把なハリアーだが、どうしてなかなか、意外と趣味は洗練されている。
 ほんの少しばかり、ハリアーを見直した彼だったが、すぐに難しく眉根を寄せた。

「しかしプリモ、バザールへ何しに来てるんだ? 一体何を買いに……」

 彼の独り言も終わらないうちに、モニターの中のプリモとハリアーは、連れ立って歩き出した。メヴィウスも操作盤を軽くいじり、二人の姿を追尾した。
 

 プリモは、開店準備に勤しむグラムに一旦別れを告げ、ハリアーとともバザールへと繰り出した。
 ゆったりとしたグラムの区画を中心に、馬車も通れるほどのメイン通りが南北に走っている。その通路の左右には無数の露店がひしめき、途切れることのない人の大河が、ゆっくりと流れてゆく。そんながやがやと賑やかな群衆の流れに乗りながら、プリモとハリアーは通路に並ぶ露店に視線を巡らせる。
 バザールに集う露店の商品は、実にさまざまだ。
 店先にどっさりと積み上げられた、野菜や果物。
 その隣の露店で大きな袋に入れられているのは、量り売りのスパイスだろうか。開いた袋の口から、甘いような辛いような、何ともいえない不思議な芳香が漂ってくる。
 それにロープに吊るされた衣服を売る露店、敷物に剣や斧を並べた武器屋など、確かにこのバザールで買えないものなどない、何となく気持ちも大きくなるプリモだった。

 そうして、プリモたちが露店の迷宮を行くこと、十数分ばかり。行き交う人々を避けながら、ハリアーがバザールの見取図を開いた。

「うーん、宝石商がこの辺に店出してるはずなんだけど」

 立ち止まったハリアーの指先が、見取り図の一点を指し示す。プリモも往来の只中に足を止め、ハリアーが指差す見取図に視線を注ぐ。
 確かに、ハリアーが指差す図面の区画には、『宝石・宝飾クルップ』と書いてある。その周りに書かれている露店の品目と、実際の露店が売る商品から推測すると、クルップとかいう宝石商も、今いる位置から遠くはないはずだ。

「そうみたいですね……」

 うなずき合った二人は、きょろきょろと辺りに視線を巡らせた。
 黒龍の塔から出たこともないプリモには、露店の宝石商がどんなものなのか、想像さえ付かない。が、それでも彼女は、一心にそれらしい露店を探す。
 と、すぐにプリモの目に、地味な露店が留まった。
 色とりどりの花を店先に並べた露店と、きらびやかな衣装を軒先に吊るした出店に挟まれて、つましく開かれた見世棚がある。プリモは、その露店を指差した。

「あのお店でしょうか?」

 ハリアーも、彼女の指先を紫紺の視線で追う。プリモが示した出店は、きらきら光る石を山と積んだ幾つものワゴンを並べ立ててある。
 一瞬視線を交わしたプリモとハリアーだったが、すぐにその露店に足を向けた。 
 店先では、男たちが売り物を物色している。みな質素な服に身を包み、真剣な表情で石を手に取って、睨むように見入る。
 暑苦しく、一種異様な雰囲気にたじろいだプリモだったが、すぐに気を取り直した。そして狭い店先に視線を巡らせながら、声を上げた。

「ごめんください」
「あいよう」

 プリモの挨拶に応え、目線の下から野太い声が聞こえた。はっと視線を落とすと、小柄な男が彼女を見上げていた。
 身の丈は十歳児くらいだろうか。あのグラムよりも二回り半ほど大きい。体つきは隆々としていて、シルエットはほとんど正方形に映る。
 大きな鼻の下にはこげ茶色の髭をたっぷりと蓄え、大きな目はふさふさの眉毛に半分埋もれている。
 龍、人間、それに微小人とも異なる異人種、頑小人(ドヴェルガン)だ。
 髭と眉のせいで表情は読み取れない頑小人だが、妙に陽気な口調でプリモに聞いてきた。

「これぁまた、えれぁべっぴんさんのお出ましだわ。このクルップの『男の店』に、何かご用かい?」

 ……ありえないほどの強烈な訛り。
 黒龍の塔を訪れる異国の商人は少なくないが、ここまで訛った異人は初めてだ。微妙に早口で、聞き取りにくいものの、一応は共通語には違いない。この頑小人が言わんとしていることは、プリモにもどうにか理解できる。

「おい、ちょっと待てよ」

 と、いきなり脇からハリアーが突っ込んだ。その胡乱な半眼には、不信と疑いがどんよりと渦巻く。

「『男の店』って何だよ。大体が大体、この店は宝石商なんだろ? 男が宝石なんか買って、どうするんだよ」

 両手を腰に当て、居丈高な態度を見せるハリアー。
 そんな彼女の鼻先に、この店の主人クルップが、太い人差し指を突き出した。

「ええか? べっぴんちゃん」
「べべべ、べっぴんちゃん?」

 一言洩らして絶句したハリアー。目を点にしたまま、彼女はぽかんと顎を落としている。
 そんなハリアーの様子に構うことなく、この小さなクルップは、指を振り振り強烈な訛りでまくしたてる。

「このクルップの店ぁ、ガイタの鉱山から採った宝石の原石を商っとる。オレらドヴェルガンが厳選した、バッチリとした最高級の原石ばっかだもんで、ほれこそ違いの分かる職人の憧れの的ってモンでなぁ。そもそも、ほの道の達人は男の方だと、神話の昔から決まっとるでよぅ。ほんだもんで、オレの店ぁ『男の店』っちゅう訳なんだわ」
「何おう!?」

 ハリアーが、クルップをぎんっ、と見下ろした。両手を腰に当ててたまま、彼女はこの頑小人に食ってかかる。

「神話だったら、男神と女神の数は半々だろ? 大体、『べっぴんちゃん』って何だ!? 女をバカにするのもいい加減にしろ! この頑小人(ドヴェルガン)オヤジ!」
「馬鹿になどしとりぁせん。本当のことだでよぅ」

 クルップも負けてはいない。ハリアーをぐっと見上げ、分厚い胸板を反らせて言い返す。

「神がみぁ男女半々だけども、英雄ともなりゃあ、ほれぁもう、みんなバッチリ男だで。戦士も技師も魔術師も、みーんな男なんだわ」

 と、そこまで口にした主人だったが、ふとあらぬ方へ視線を逸らした。

「おっとっと、そういやぁ魔術師と神官だけぁ違ったわ。大昔に邪悪を極めた術者にぁ、女もおったでよぅ。悪名高過ぎる屍師(ヴェネフィクス・モルテ)の大元も、女だったと聞いとるんだわ」
「『ゔぇねふぃくす・もるて』……」

 聞き覚えのある言葉を繰り返したプリモ。つい小首を傾げた彼女だったが、すぐに隣のハリアーの異常に気が付いた。
 ぐぬぬ、と唸るハリアーの両肩から、めらめらと陽炎が立ち昇る。歯噛みする口許は煙を吐き、結い上げた長い髪もぞわぞわと逆立つ。辺りにきな臭く、硫黄めいた臭いが立ち込め始めたのは、気のせいだろうか。
 肌を焼くような赤龍ハリアーの殺気を感じ取り、プリモは内心焦りを感じた。
 
 ……ああ、これはもの凄く怒っている。
 捕縛師にだまされた時よりも、もっともっと。
 早く話を換えないと。

 クルップが洩らした一言が気になりつつも、今はそれどころではない。プリモは、頑小人クルップにラピスラズリの視線を注ぎ、努めて穏やかに尋ねた。

「あ、あの、わたし、探し物があるんですが、いいですか?」
「ん? ああ、ええぞ、べっぴんさん。このクルップに分かることなら、何でも教えたるわ」

 隣で全身から湯気を立てるハリアーを気にしつつ、プリモは主人に質問する。

「わたし、フレゲトン火山の偏向水晶(でぃふれくたー・くぉーつ)を探しているんです。こちらで扱っていませんか?」

 主人は目を丸くした。上体をわずかに仰け反らせ、驚きを素直に顔に出す。

「ほれぁ大変な探し物だわ。何せフレゲトン火山の鉱山ぁ、数年前に鉱脈が尽きて、閉鎖されとるでよぅ。オレもここ何年か、偏向水晶は見とらんのだわ」
「そうですか」

 プリモはうなだれた。やはりメヴィウスの言葉どおり、簡単に見つかるものではないらしい。
 ふと小さなため息をついたプリモの耳に、クルップの陽気な声が聞こえた。

「ほんながっかりせんでもええぞ、べっぴんさん」

 プリモが顔を上げると、主人は指を振って明るく言う。

「偏向水晶を探すんなら、宝石商よりぁ、魔法屋か骨董屋を回るとええんだわ。昔掘られた古いモンが、どっか眠っとるかも知れんでよぅ」

 紅蓮のハリアーが、敵意も露わな視線で主人を睨み、ぴしゃりと極め付ける。

「いい加減なこと言うな!」
「いい加減なことなん言うとらんがね。本当のことだわ」

 ハリアーの焼け付く視線を浴びつつも、主人は負けていない。反って語気を強め、プリモたちに教える。

「偏向水晶ぁ加工ができんもんで、職人は欲しがらんのだわ。宝飾品としてぁ価値がねぁもんでよぅ。ほれに使い方ぁ知っとるのは、かなり熟練した魔術師だけだって噂だでなぁ。ほれもフレゲトン火山でも採れんくなって、結構経っとるんだわ。と、くれぇあ、魔術師が出しとる店か、古物を扱う骨董屋ぁ回ったが、まだ見つかるかも知れんでよぅ」

 主人の言葉を聞き、ハリアーが敵意の薄れた顔で小さく唸った。

「むう、理屈は合ってる」

 プリモも小さくうなずく。この主人の言葉には、説得力があふれている。クルップの言うとおりにすれば、探し物が見つかるかも知れない。

「おめぁさんたちぁ、偏向水晶見たことぁあるかい?」
「いいえ」

 プリモが素直に首を横に振ると、主人は親切に教える。

「偏向水晶の結晶ぁ、親指くらいの大きさでよぅ。両端がバッチリと尖った六角柱をしとんだわ。これぁまあ普通の水晶とぁ違って、表面は虹色に光っててなぁ。形ぁきれいなものよりも、多少いびつなモンのが、魔術師的にぁ価値があんだそうだわ」

 プリモはにっこり笑い、感謝を込めて深々と頭を下げた。

「分かりました。ありがとうございます。わたし、魔法屋さんと骨董屋さんに行ってみます」

 小さな主人クルップも、にこやかに手を振る。

「頑張ってちょうよ、べっぴんさん。力になれんで悪ぃが、陰ながら応援しとるでよぅ」
「ありがとうございます」

 もう一度、頑小人の主人クルップに会釈を残したプリモは、ハリアーとともにこのバザール唯一の宝石商、『男の店』を後にした。
 並んで雑踏を行きながら、ハリアーがプリモに聞く。

「で、これからどうする?」

 人ごみをひょいひょいと避けながらも、ハリアーの目は広げた見取り図とプリモの顔を往復している。

「あのドヴェルガンの言うとおりにするのかい?」
「はい」

 迷うことなくうなずいて、プリモは立ち止まった。同時に足を止めたハリアーから見取図を受け取って、彼女はもう一度、紙面に視線を巡らせる。だがどんなに探してみても、図面の上には魔法屋の文字も、骨董の言葉も見当たらない。
 プリモは見取図を丁寧に畳み、ハリアーに差し返した。

「まずは、グラムさんのお店まで戻ります。グラムさんが、後で寄れと仰っていましたし、そこから出直そうと思います」
「そうだね」

 ハリアーも、プリモの考えを否定しない。見取図をしまい込みながら、彼女が諧謔的に肩をすくめた。

「今はそれしかないか」

 小さく息を吐いたハリアー。プリモもつられて吐息をつく。お互いにくすっと苦笑を洩らし、プリモとハリアーは再び歩き出した。
 グラムの露店を目指してバザールの小路を戻りつつ、ふとプリモはすぐ隣を歩くハリアーに目を向けた。

「ハリアーさん。ちょっとお聞きしてもいいですか?」

 おずおずと尋ねるプリモに、ハリアーは気安い顔でうなずいた。

「何だい? 何でも遠慮なく聞いてよ」

 プリモは、さっきの店先でクルップが口にした言葉を思い出していた。偶然なのか、主人メヴィウスも確か同じ言葉を言っていたハズだ。
 が、殺気だったハリアーの手前、あの場ではクルップに聞けなかった。今はもうすっかり落ち着いた様子を見せる彼女に、プリモは尋ねてみる。

「クルップさんが言っていた、『ゔぇねふぃくす・もるて』、って何ですか? 旦那さまも、同じことをおっしゃっておられましたが……」
「あー……」

 ハリアーは、両手を頭の後ろで組みながら、素っ気ない口調で答える。

「あたしもよく知らないんだけど、屍師(ヴェネフィクス・モルテ)っていうのは、屍霊術師(ネクロロジスト)の成れの果てらしいよ」
「『ねくろろじすと』?」

 聞いたことがあるようなないような、曖昧な言葉を繰り返したプリモに、ハリアーがどこか不思議そうな目を向けてくる。

「幽霊やら死体やらを操る、とんでもない魔術師が屍霊術師だよ。メヴィウスの方が詳しいと思うけど、アイツからは聞いてない?」

 プリモは黙したまま、首を横に振る。
 ……専門的な難しい話は、いつだって旦那さまは教えてくれない。わざと隠しているのか、単に意味がないと考えているのか、それは分からない。でも、いつものこととはいえ、やっぱり置き去りにされたような寂しさがつきまとう。
 重苦しく小さな息をつくプリモの耳に、ハリアーの説明が聞こえてきた。

「で、その屍霊術師のなれの果てって屍師のことで、あたしが知ってるのは、三つだけ。まず屍師になるのは難しいから、人数は極端に少ないってこと。ホンモノの屍師を全世界から集めても、十人もいないらしいよ」

 ハリアーは足をとめないままに続ける。

「二つ目は、屍師連中がどんな見た目なのか、知ってる者は少ないってこと」
「旦那さまならご存知でしょうか?」
「まあアイツなら知ってるかもね」

 ふと洩らしたプリモの疑問に、ハリアーが小さく苦笑した。そしてそのまま、言葉をつなぐ。

「で、最後に屍師ってのは、自己中魔術師の成れの果てだから、何かやらかして賞金が掛かってるヤツもいるってこと」

 ハリアーの目が、鋭く細められる。漂う気配も、どこかピンと張り詰めてきたようだ。

「でも知られてるのは、そいつの名前と依頼主と賞金額だけで、顔も出身も謎なんだよな」

 そこでハリアーが、獲物を狙う猛禽の目をしたまま、晴れ渡った空を見上げた。

「噂じゃ、大物賞金稼ぎがそいつを狙って、何人もやられてるらしいけどね」
「どうしてですか?」

 プリモの素朴な問いに、ハリアーも首を捻る。

「あたしも知らないけど、その屍師ってのは、かなり強いヤツみたいでさ。そいつと戦って生き延びた賞金稼ぎがいないから、情報が何もないんだ」
「怖いお話ですね」

 何かよく分からないが、ハリアーの話を聞く限りでは、屍師というのは危険な魔術師のようだ。関わり合いにならないのが一番だろう。でも全世界に十人しかいないなら、このバザールで出会うことなど、普通に考えてあり得ない。そう考えて、独り安堵の息を洩らすプリモだった。
 そんな話をしているうちに、プリモとハリアーは、だんだんとバザールの中心に近付いてきた。
 ゆったりとしたあの区画では、微小人のグラムも露店を構え、商売を始めている頃だろう。

「さあて、グラムのヤツ、ちゃんと売れるもの売ってるんだろうな? 確かめてやる」

 悪戯っぽくつぶやいたハリアーはにやりと笑い、口許の犬歯を煌めかす。
 やがて二人は見覚えのある小道を通り抜け、バザールの中心にたどり着いた。そうしてすぐにグラムの店先に立ったプリモは、感嘆に目を丸くした。

「まあ……!」

 プリモたちの前には、幾つものワゴンや台が置かれている。その上に整然と陳列されているのは、金銀の宝飾品だ。どの指輪や首飾りを取ってみても、琥珀や翡翠、それにルビーやエメラルドなど、高価な宝石をふんだんにあしらってある。
 そうかと思えば、貴石や角を刻んだペンダントや髪飾りもあって、割に安価に手に入りそうなアクセサリーも並べられている。実に広範な需要に応える、幅広い品揃えだ。
 山と陳列されたジュエリーを前に、プリモは素直に嘆息を洩らした。
 主人のメヴィウスは、派手な装飾を好まない。だから彼の好みを酌んで、アクセサリーは一つも持たないメイドのプリモ。でも一方で、プリモは黒龍の塔を訪れる客への応対を全て任されている。本当は、何か一つくらい、アクセサリーを身に付けていた方がいいのかも知れない……。
 憧れと、ほとんど他愛もないジレンマを胸に抱えつつ、プリモは露店の奥に視線を向けた。
 そこには小さなテントが鎮座している。駱駝色のテントのてっぺんでは、あの蛙の旗がそよ風にひらひらとはためく。

「おい、グラム!」

 ハリアーが、露店の前でいきなり大きな声を上げた。

「いるんだろ? どこだ」

 彼女の声に応え、ワゴンの間から小さな中年男が姿を現わした。

「おっ、ハリアーに奥様。こいつは丁度いいところにお戻りだ」

 グラムは満足げな表情を浮かべつつ、両手をぱんぱんとはたく。しかし対照的に不機嫌なハリアーの口からは、怒涛の文句が溢れ出した。

「お前も宝石商やるのか? だったら、最初に言っといてくれよな。そしたらお前の店から偏向水晶(ディフレクター・クォーツ)を探したのに」

 そこでハリアーは呆れ半分、感心半分に宝飾品を見回す。

「大体これだけの物、どうやって手に入れてきたんだよ。お前が持ってきたのは、あの汚い黒い箱だけだろ」

 プリモも、ハリアーの言葉に心の中で同意する。
 グラムは一体どこからこれだけのアクセサリーを持ってきたのだろうか? その数は、恐らく百は下らないだろう。それにワゴンや籠を合わせると、とてもあの黒い箱に入り切るとは思えない。しかしグラムは、もったいぶった様子で指を振るばかり。

「あっしにはあっしの調達経路がある、ってもんさ。商売敵(ライバル)が少ない売れ線を狙うのが、商売のコツだからねえ。そんなことより」

 彼は小さな両手をすり合わせ、プリモの真正面に立った。真っ黒なまなこでプリモを見上げ、何か含みのある笑顔を見せている。

「実は、奥様のお時間を小半時ばかり、頂戴したいんですがね。もちろん、相応のお礼は致しやすが」

 プリモが答えるより早く、ハリアーがずいっとグラムの前に立ちはだかった。

「おい、グラム」

 妙に低姿勢のグラムをじろりと睨み付け、彼女はグラムの鼻先を指差して、しっかりと釘を刺す。

「お前、まさかプリモを店員に使おうってハラじゃないだろうな? このプリモは深窓のご令嬢だって言っただろ。こんなお嬢様をコキ使おうなんて、とんでもないヤツだ」
「待ってください、ハリアーさん」

 黙ってはいられずに、プリモがハリアーを止めた。

「わたし、グラムさんのお話をお聞きしたいです」

 プリモは楕円の瞳でグラムとハリアーを交互に見ながら、自分の考えを臆することなく綴る。

「わたしはこのバザールまでグラムさんに乗せてきて頂きましたし、バザールの見取図も下さいました。そのお返しは、きちんとしておきたくて。わたしにできることなら、何でもしたいと思うのですが」

 これを聞いて、グラムは喜色満面にぱちっと指を鳴らした。

「さすがは奥様。いやあ、本当に律儀でいなさるねえ」
「んー、まあプリモがそう言うんなら」

 あまり気乗りのしない表情を見せつつも、ハリアーが脇に身を退いた。プリモはグラムの正面に姿勢を正し、にっこりと笑って彼に尋ねる。

「それで、わたしは小半時の間、何をすればいいのですか?」

 するとグラムは、にんまりと笑ってプリモを手招きした。

「ちょいとこっちに来ておくんなさい。ぜひとも奥様にお願いしたい、大事なお仕事があるんでさ」

 グラムに誘われるまま、プリモは財宝満載のワゴンの前に立った。店主のグラムが、ワゴンの上を指差して言う。

「ここに立って、宝飾品を手に取って見ていて下さいな」
「それが『大事なお仕事』ですか?」

 プリモは小首を傾げて聞いたが、グラムは大きくうなずいた。

「そう、奥様にしかできない、とても大事な仕事なんでさ」

 グラムの意図が全く理解できないプリモだった。が、自分にしかできない大事な仕事と聞いた以上、断るワケにもいかない。
 プリモはすぐに笑顔でうなずいた。

「分かりました。わたし、がんばります」
「頼みますよ、奥様」
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