夏巡・Ⅱ
文字数 2,540文字
日曜日。
忌々しい程の晴天。
こんなに明るい朝なのに、起きた瞬間鉛みたいな気持ちになるなんて。
レンがどんよりした表情で顔を洗っていると、後ろから蹴り玉が飛んで来た。
「わっ!?」
受け止めた正面で、ユゥジーンがウインクして言った。
「よ! 悩める青少年! 行けるみたいだぞ、蹴り玉大会」
「えっ?」
「明け方リリが戻ってね。今日は自分が一人で罰則やるからって、ホルズ様に掛け合ってくれたらしい」
「ホントに?」
「本来なら徹夜明けは休養日なんだ。リリに感謝しろよ」
「うん! うん!」
レンはたちまち子供らしく元気になって、蹴り玉をドリブルしながら会場へ向かって駆けて行った。
「ゲンキンだなあ」
見送りながらユゥジーンも、懐かしそうに目を細めた。
まあ、自分だってあの位の年頃は、蹴り玉が人生の最重要事項だった。
(ただ、リリ……あいつ、大丈夫かな……)
大会場所の修練所の広場は、参加する子供達や応援の家族で賑わっていた。
たまの行事に、皆楽しそうにニコニコしている。
就学前の小さい子が駆け回り、気の早い家族は土手に宴席を広げている。
レンが駆け付けると、同級生達は歓声を上げて出迎えてくれた。
よかった! 参加出来て、ホントに。
最初の方は下級生の試合だったので、レンは仲間達と土手に座って見学していた。
「よ! 馬盗人(うまぬすっと)小僧!」
人聞きの悪い声に振り向くと、見知った厩番の青年がいた。
馬事係の中で一番若いこの青年は、レンが馬を盗んだ馬房の係りで、戻ってからこっぴどく叱られた。
しかし、レンが草の馬の訓練を受けられる許可を、何でか嬉しそうに持って来てくれたのも、彼だった。
「弟が出場するんだ。お前の対戦相手のチーム。俺がコーチしたんだから、なかなか手強いぞ」
「へえ! お手柔らかに」
青年は、レンに麦菓子を差し出して隣に腰掛けた。
「懲罰が厩掃除じゃなくて、時間のかかる書類整理をやらされているって聞いて、参加出来ないんじゃないかと心配していたよ。間に合ってよかったな」
「いえ、罰はまだ終わっていないけれど、リリのお陰で来られたんです。今日は一人で書類整理を引き受けてくれて。後で埋め合わせしてやんなきゃですよね」
「リリ……?」
青年は不思議そうな顔をして首を傾げた。
「リリ……って、あのリリだろ、長娘の? 彼女、書類整理なんか出来るのか?」
「えっ?」
「俺が修練所の高学年の時、あの子、入所して来たんだけれど」
「……」
「いや、そうか、努力して読めるようになったのか、彼女」
青年は自己完結して話題を切ろうとした。
「リリ、修練所に入った時は随分苦労したって言っていました」
レンはわざと知ったか振ってみた。
思い通り青年は、この仲良しっぽい少年にはリリは何でも話しているんだろうと、気を許してくれた。
「そう、本当に、当時はどうなる事かと思ったな。文字を覚える事を強要した教官を吹っ飛ばすわ、教室の黒板を粉々にするわ、挙げ句にはヒステリー起こして屋根のてっぺんで大竜巻だもんな。
誰も取り押さえられなくて、俺ら半日外へ出られないで震えていたっけ。あれは強烈だった」
「……」
「さすがの長様も、あの時は困り果てていらしたな。入所三日で、早、就学する事を諦めて」
「そう? でも、修練所は卒業したって……」
「ああ、あのヒト」
青年は、遠くで係員として走り回るサォ教官を指した。
「あのヒトが、毎日彼女ん所に通って、我慢強く話し合ったって。んで、彼女は文字の授業は受けないって事で修練所に通い出したんだ。父兄とかあちこちから文句が上がったのも、サォせんせが説得して回ったって。良いせんせだよな。俺、今でも好きだよ」
「……」
「聞いていなかった? 彼女から」
「う、ううん。少し聞いてた。そ、そう、数式やんなくていいって、お得だなあって思った!」
「お得ねえ。確かに、上級生の講義に勝手にバンバン出まくって、好きな講義だけで単位の帳尻合わせて、とっとと修了しちまったけれど。あれ、お得っていうのかなあ? 友達もいなくていつも独りでさ。だから今、お前らとつるんでるの見て、不思議な感じ、ってのが正直な感想さ。この間もビックリだったし」
「この間って?」
「お前が盗んだ馬に乗って、彼女が帰って来た時。馬事係の詰所に捩(ね)じ込んで来たんだ。レンの馬泥棒の責任は自分にあるんだって」
「え??」
「何だか、カノン? あの子が予知を早くに伝えて来たのに、取り合わなかった自分がイケなかったって。彼女があんなに必死で沢山喋るの、初めて見た」
「……」
「それで、まあ、事情も事情だし、お前の草の馬の訓練の凍結も解除になったのさ。これは聞いていなかったろ? 伝えておいた方がいいと思ったから」
「…………」
広場の端から蹴り玉をドリブルしながら、一人の少年が駆けて来た。
「兄ちゃん、ヒールキック教えて!」
「よし来た。じゃあな、レン」
青年は麦菓子をもう一つレンに渡して、土手を滑り降りて行った。
レンはふらりと立ち上がって、吸い寄せられるように、係員の詰所に歩いた。
明るい広場の歓声が、さっきと比べて少し遠くになった気がする。
詰所に目当てのヒトが、丁度一仕事終えて休んでいた。
「サォせんせ……」
「よおー! レン。参加出来てよかったな」
「せんせ、あの、今一つ聞いてもいいですか?」
「何だ? 相手チームの弱点は教えられないぞ」
「リリの、事です」
「ああ、何だ? リリの弱点も教えられないぞ」
「いえ、リリ、本当にまったく文字が読めないんですか?」
「……」
「だって、カノンに借りた物語の本とか、手紙とか、普通に読んでいるから」
「ああ、レン、それは…… リリはね、文字の形から内容を読み取らないんだ」
「??」
「書かれたモノから、書いたヒトの心を読み取れるんだ。それはそれで凄い能力だと思うがね」
「……」
「その代わり、ただの形としての文字を認識出来る普通の能力を、神サマは、くれ忘れちゃったんだな」
「……」
「分かりにくいか? そうだな、私も当時は理解するのに時間が掛かった。そういう見え方の子供もいるんだって事に」
「あの、じゃあ……じゃあ、ただの資料とか報告とか、心の入っていない書類は?」
「ちんぷんかんぷんだろうな」
「!!」
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