ホライズン・Ⅸ

文字数 2,343文字

 


 夜が終わって陽が昇り、忙しなく大空を横切って、今、西の空を黄色に染めている。
 眼下の砂漠が途切れ途切れになり、空気の匂いが変わって来た。

「カノン、あれ!」
 レンが前方を指差した。
 目に鮮やかな緑の森が、地平の端から端まで広がっている。
 こんもりとした樹木の中に、鏡みたいな三日月型の湖。

「凄い!」
 砂漠育ちの二人には初めて見る光景。
「砂漠地帯と草原地帯の境目に、三日月湖の森があるって聞いた。きっとこれの事だ。降りてみていい?」
 レンは馬の高度を下げた。

 湖から分岐した小さな流れの淵に、円形の広場があった。程よく木陰で、下生えが少なく居心地が良さそうだ。

 着地して下馬すると、レンはヘナヘナと尻餅を付いてしまった。
 こんなに馬を飛ばしたのは初めてで、集中が一気に切れたのだ。

「大丈夫?」
「うん、それよりここの地面、めっちゃフカフカしてる。もう夕方だし、ここで泊まっちゃわない?」

「あ、うん……」
 まだ明るいし気持ちは急いていたが、レンも馬も疲れている。
 カノンは素直に同意した。
 一人だったらここまで来るのにもっと日にちが掛かっただろう。感謝しなくちゃ。
 でもシドさんにはヒョイと来られる距離だという。つくづく自分の非力さを思い知った。

「僕、水汲んで来るよ。レンは休んでいて」
「火くらい起こしておく。馬も連れて行って水を飲ませてやって」
「分かった」
「二人きりで夜営なんてワクワクするな」
「はは」

 少しの藪を越えると清水の流れがあった。
 馬はすぐに鼻面を突っ込んでゴブゴブと水を飲み始める。
(そういえば修練所の野外学習も、ルウシェルが不安定で参加を止めたんだっけ。外で寝るの初めてだ)
 ちょっとだけワクワクした。

 ピクニック気分を一転させたのは、レンの悲鳴だった。

「ひゃああ!」

 泡喰って彼の所へ戻ったカノンも、悲鳴を上げそうになった。
 鎌首を持ち上げた巨大ミミズが、灌木の間から何匹も覗いているのだ。

 胴体が大人の太もも程もあり、しかもミミズの癖に長い触手がうごめいてシャアシャアと威嚇している。
 レンは焚き火を挟んで尻餅をついて、ミミズと睨み合っている。腰は抜けているけれど、しっかり短剣は掴んでいる。
 カノンも慌てて隣へ駆け寄って、自分の短剣を構えた。

「ちくしょ! もう半年後だったら長剣を持っていたのに!」
 西風では帯剣は十二歳からで、カノンより早生まれのレンも、まだ長剣は提げていない。

 子供の突き出す短剣なんて、巨大蟲にとっては爪楊枝みたいな物だ。
 ミミズは数を増やしながら、段々と間合いを詰めて来る。

「ヤバイって、逃げよう!」
「で、でも走り出すと一気に襲って来る気が、する……」
 頼みの草の馬は水辺に置いて来てしまった。馴染みの馬じゃないから呼んだって来てくれない。
「カノン……」
「レン……」

 二人背中を合わせで情けない声を出した時……

 ――バサバサバサッ ボフ!!

 頭上でせわしい音が響くと同時に、何かが落っこちて焚き火に直撃した。
 黒い煙がグワッと湧いて、視界が真っ黒になった。

「うわわっ!」
「げほほ」

 真っ暗な中、後ろから肘を掴まれた。
 ミミズじゃない、ヒトの手だ。
 次の瞬間、風に巻かれて頭の先から引き上げられる。
 
「えっ、ええっ!?」
 視界が開いて、二人は清浄な空気の中に居た。
 黒い煙が足元でモウモウ渦巻き、森の木々が遥か足の下だ。

「バァカ! ミミズの巣の真っ只中で火を炊くなんて、アンタ達、ホンット、バカだわよ!」

 甲高い声がして、見上げた二人は度肝が抜けた。
 エノシラの馬と全然違う、鮮やかな竜胆(りんどう)色の草の馬。
 その鞍上で腕組みしているのは、ファーと同じ位の女の子だった。
 紫の前髪がヤマアラシみたいに広がって、衣装も馬具も紫紺(しこん)染めの、紫尽くしの女の子。

「厳しい事を言うんじゃない。お陰で煙幕が使えたんだから、いいじゃないか」

 今度は二人の真後ろで、落ち着いた男性の声がした。
 振り向いて、また二人は息を呑んだ。
 こんな綺麗な青があるのか? と思うくらい深い湖みたいな青い瞳と髪の青年が、心配そうに覗き込んでいる。
 二人の腕を掴んで引っ張り上げてくれたのはどうやらこのヒトで、レンとカノンは取りあえずホッとした。
 幾ら何でも、ファーくらいの女の子に助けられたんじゃ情けなさ過ぎる。

 青年は大きな草の馬から身を乗り出して、逞しい腕で二人をまとめて抱え上げていた。
「さてと、三人乗りは厳しいな。リリ、どちらか引き受けて、後ろに乗せてやってくれ」

「嫌ぁよ、あたしの若紫は男子禁制なの!」

「こっちだってオンナの世話になんかなるもんか」
 レンが精一杯の意地を奮い立たせた。
「チ――ビ、チ――ビ! ブ――ス!」

「何よ、このっ」

「レン!」
 カノンは泡喰って遮る。
「ねぇ、君……えーと、リリ? お願いします、今だけ主旨を曲げて、僕を乗っけてください」

「ふん!」
 女の子は鼻を広げて、カノンの横に馬を付けた。
「あんただけ特別よ」

「ああ、ありがとう、僕は」
「西風のカノン、見りゃ分かるわよ」
「えっ」

 二頭は黒い煙を避けて、森の奥の三日月湖の中洲へ着地した。そこには既に、エノシラの草の馬が心許なさそうに待っていた。

「何だよお前、ちゃっかり自分だけ逃げてたのかよ」

「バァカ!」
 女の子は背筋をそらせてレンを睨み付けた。
「あたしが助けなきゃ、大ミミズに襲われてた。自分の馬を守れないヒトに草の馬に乗る資格なんてないわ! この子は持ち主の元に帰らせる。いいわね!」

 少年二人は黙った。それは困るけれど、反論出来ない。

「まあまあ、リリ」
 青年が割って入ってくれた。
「自己紹介がまだだったね。俺はユゥジーン。蒼の里から君達を迎えに来たんだ」

「えええっ?」



リリの馬








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登場人物紹介

カノン:♂ 西風の妖精

西風の長ルウシェルの息子。今年十一歳。

記憶が曖昧な母と暮らす、イヤでもしっかりせねばならない子。

レン:♂ 西風の妖精

シドとエノシラさんちの長男。

カノンとは同い年で親友。健全な両親に健全に育てられた陽キャ。

ルウシェル:♀ 西風の妖精

当代の西風の長。カノンの母親。

カノン出産の時よりランダムに記憶が飛び始める。

シドさん一家

シド:♂ 西風の妖精、外交官、ソラ(カノンの父)の親友  

エノシラ:♀ 蒼の妖精、助産師、医療師、ルウシェルの親友

子供たち レン:♂ ファー:♀ ミィ:♀  カノンと仲良し

モエギ:♀ 西風の妖精

カノンの祖母、ルウシェルの母。

病気がちで、長を娘に譲った後は田舎で隠遁している。

今回はモブの人々

フウヤ ♂ 三峰の民、旅の彫刻家。ルウシェルやシドと昔馴染み。

カーリ ♀ 砂の民、砂の民の総領の養女で、モエギの義妹。

アデル ♂ 砂の民、モエギとハトゥンの子供。ルウシェルの歳の離れた弟。

リリ:♀ 蒼の妖精

蒼の長ナーガ・ラクシャの娘。

成長の仕方がゆっくりで、幼く見えるがレンやカノンより年上。

ユゥジーン:♂ 蒼の妖精

執務室のエースだが、好んでリリの世話係をやっている。

叩き上げの苦労人なので、子供達には甘そうで甘くない。

リューズ:♂ 海霧の民

アイシャの夫。巫女を支える神職。

アイシャ:♀ 海霧の民

リューズの妻。予言者、巫女。

ナーガ・ラクシャ:♂ 蒼の妖精

当代の蒼の長。リリの父親。

近年で最も能力的に信頼されている長。

ホルズ:♂ 蒼の妖精

長の執務室の統括者。

若者の扱いが上手な、ゆるふわ中間管理職。

ノスリ:♂ 蒼の妖精

ホルズの父。ナーガの前の蒼の長。

血統外の繋ぎ長だったが、人望厚く、いまだ頼られる事が多い。


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