夏蕾・ⅩⅠ
文字数 1,634文字
蒼の里から少し離れたハイマツの丘は、丈の高い夏草の海の中、ポツリと漂流船のよう。
てっぺんの瓦礫の上に、一人の大きな人影と、大小二頭の馬影。
大きな人影は、蒼の里の前長のノスリ。
現役時代は強面(こわもて)だったが、今ではすっかり目尻の下がった好好爺。
大小の馬影は、恰幅のいい彼の馬と、ぐしゃぐしゃなたてがみの白蓬(しろよもぎ)色の馬。
二頭の馬は仲良さそうに戯れ、ノスリは静かにそれを眺めている。
「シンリィは元気か? 馬を寄越してくれてありがとうと伝えてくれよな」
馬に伝言が出来る訳はないのだが、白蓬なら可能かもと思っている自分に、ノスリは一人苦笑する。
遊び足りた二頭が夕陽をあびて丘を登って来る。
白蓬の馬が、どこで見付けたか、橙(だいだい)色の花の蕾をくわえている。
「何だ? くれるってのか? いや……・・ナーガに渡すのか?」
夕陽みたいな赤い瞳でノスリをじっと見つめてから、花を受け取らせると馬は満足したように、また仲良しの大きな馬にじゃれ付き始めた。
「ありがとうな、うん、そうなんだ。ナーガは今、至上最低に不調なんだ」
――西風のモエギは、ナーガの人生にとって、懸想(けそう)とか、そういった次元から超越した、半身のような存在だった。共に長となる運命に生まれ、苦しい青年時代を分かち合った、同士だったのだ。
蒼の長だって……生き神様にだって、心はあるし、悲しい時は悲しい。
「夜くらいは一人きりにして、泣く時間を作ってやらにゃな」
やがて一番星の下、白蓬は舞うように上昇して藍の空に溶ける。
「何も無い時でも、時々は顔を見せに来ておくれ」
ノスリは手にした初夏の花蕾を眺めながら、しばらくそこに佇んでいた。
シンリィ・・
まだリリが生まれる前、未熟だった我々を助けるべくこの世に来てくれた、緋い羽根の子供。
ナーガが一人前になり長を襲名すると、役目を終えたように姿を消した。
今回多分、ナーガが不調で至らない中にユゥジーンの危機を察知して、『足りるだけの助け』をしてくれたのだろう。だが、それ以上の手出しは、して来ない。
「あの子はもう、そういう存在なんだな」
~ エピロ―グ ~
修練所の穏やかな午後。
「行っくぞぉ!」
広場で溌剌(はつらつ)と駆け回る、赤いバンダナのレン。
「危ない! 避けろ!」
――ベゴン!
散らばった書物の中で頭を抱える、青銀の髪の少年。いつもの光景。
「まったく、蹴り玉を引き付ける磁力でも発してるのか?」
駆け寄ったレンが助け起こすのも、いつもの光景。
「やる? カノン」
「ううん、今日中に訳しておきたい書物があるの」
「そうか、頑張り過ぎて図書室の壁の染みになるなよ」
「なったらご飯運んでよ」
「任せとけ」
二人は笑い合って別れた。
カノンは広場の賑わいを背にして、建物の自習室へ。
レンのやる事、自分のやる事、それはきっと別々の物なんだ。
いつものように、頭の中のソラの写本を辿りながら原本を繰り、流石のソラの語学力に感心する。
そしてある時点でふぅっと気付く。
ソラが、自分は読める古語をわざわざ訳して、難語の注釈まで書き込んだ写本。
それは、西風でその写本を待っていたルウシェルの為、そしていつかその書物に触れる、僕の為だったんだ。
今日もハウスの子供達に『歴史の授業』の約束をしている。
いつの間にかハウス以外の子供も混じるようになった。
カノンの話す歴史語りの一つ一つにソラの心が染み込んでいるのを、子供達はちゃんと感じ取っていた。
あの子達の誰か一人でも、未来にここと西風を、そして大きな大河の流れとを繋ぐ者になれれば、それが『ソラの書物の部屋』の行き着く先なんだ。
本を閉じてカノンは、窓辺を見やった。
軟らかい陽射しの中で、長い髪をかき上げながら一心に写本をする青銀の妖精が、そこにいる気がした。
~夏蕾・了~
***参照、シンリィの話『緋い羽根のおはなし』『六連星』***
挿し絵:シンリィと、幼いリリと、白蓬
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