ホライズン・ⅩⅡ
文字数 2,054文字
顔に何かが当たって、頬を伝う。
「う、う~ん……ぶわっぶ」
顔面にいきなり冷たい海水を浴びせられ、カノンは跳ね起きた。
「目が覚めた?」
漁師小屋にあったバケツをぶらぶらさせながら、紫の前髪の女の子が仁王立ちしている。
「しょっぱい……」
「そりゃ、海の水はしょっぱいわ」
「どうして?」
「海の底で巨大ミミズがおしっこしているからよ」
「ええっ、嘘でしょ!」
「さぁね、見て来たヒトがいる訳じゃなし、だからって嘘っていう証明も出来ないわね。ま、そんな事はどうでもいいわ。私達何の為にここに来たんだっけ?」
「え、えとえと」
寝起きで脳みそが働いてないカノンの頭の中は、ひたすら巨大ミミズがのたくっている。
「お父さんに会いに来たんでしょ!」
「あっ、うんっ、そうっ」
「じゃあとっとと街へ行って、お父さんの居場所を聞き出していらっしゃい!」
「えっ、術で見付けてくれるんじゃないの?」
「甘ったれるんじゃないわよ!」
リリにお尻を蹴飛ばされるように、カノンは朝霧の浜を歩いて鯨岩の街へ向かった。
噂なんてちょいと突つけばすぐに転がり出る物なのに、内気な少年は大層な苦労をしてやっと、迷子が『へっぽこ勇者』に出会った場所を聞き出す事が出来た。
「遅かったわね」
リリは浜の木陰で、自分の馬とゴロゴロしながら待っていた。
手には大きな棒付きの飴を持っている。
「ソラのそっくりさんが出現した場所が分かったよ。北の海岸沿いの、竜返しの滝の淵」
カノンはゴクンと唾を呑み込みながら飴を凝視した。
「ふぅん、じゃあ行きましょう」
女の子はそっけなく言って、砂を払って立ち上がった。
「あ、あの、僕、足が棒みたいなんだ。あと、朝から何も食べてない」
「それで?」
「……」
「行くわよ、後ろに乗って」
情けない顔のカノンを後ろに乗せて、リリの若紫は大きく跳躍して、真っ白な霧の空へ舞いあがった。
霧で視界が悪いが、海岸沿いに飛ぶと、切り立った崖と川の流れが見えた。
リリは海に背を向けて、川に沿った山の方へ手綱を引いた。
「あ、そっちじゃなくて、竜返しの滝……」
「滝壺に住んでいる訳じゃあないでしょう? 飴売りのオジサンに聞いた話では、滝の上流に一ヵ所だけヒトの住む村があるって」
「……」
「カマイタチで飴を切って実演販売を手伝ってあげたら、喜んで色々教えてくれたわ。情報は渡り商人に聞くのが一番だもの」
「……」
「昔の戦で追いやられた少数部族の村だって。外に対して凄く警戒心を持っていて、馴染みの商人以外とは殆ど関わらないらしいわ」
「……じゃあ、僕は無駄足だったんだ。最初からリリが調べるだけでよかったじゃな……フガッ」
拗ねて尖ったカノンの口に、横幅一杯に大きなの飴が突っ込まれた。
「今あたし、そんな話をしていたかしら? ふふん、あの辺りね。不自然に霧が固まっていて、上空からは完全に姿を隠している。なるほどね。急降下するわよ、掴まっていて」
カノンに何を言う隙も与えず、リリは山あいに立ち込める濃い霧の中に突っ込んで行った。
落っこちるより早い降下、置き去りにされないようしがみ付いているだけで精一杯・・
・・と思ったら、いきなり地面が現れた。
「酷い! あんまりだわ! どうしてくれんのよ!」
半泣きで怒鳴り散らすリリの後ろ頭には、棒の付いたままの飴がベッタリ。
「ご、ごめん…」
村から少し離れた森の中に降りたのだが、霧で地面が見えなくて、急停止したら案の定こうなった。
「レディの髪を何だと思ってるのよ!」
「だって、リリがもうちょっと優しく降りてくれたら……」
「ヒトのせいにするの!?」
このあたりでカノンは、もうホンットに嫌ンなった。
朝起きてから、リリはずっと意地悪しか言わない。
お父さんを確定する術を使って貰わねばならないから我慢していたけれど、もう限界だ。
「いい加減にしないと僕はもう……」
カノンが言い掛けた所で、背後の繁みが激しく揺れた。
「うわぁっ!」
悲鳴と共に飛び出したのは、小さい男の子と、続いて大きな猪。
「た、助けてぇ!」
長い牙が上下に突き出した雄だ。
男の子の背中に尖った牙が届く寸前、
――キュン!
風切り音と共に、猪は後ろへ弾き飛ばされた。
リリが両手の指を立ててカマイタチを起こしたのだ。
更に指を交差させ、猪の眼前で空気の火花をパチパチと数回鳴らすと、野生の獣は踵を返して、林へ去ってくれた。
「タゥト!」
繁みから離れた細い道から、もう一人飛び出して来た。長い髪を赤いリボンで束ねた少女。
先の子と顔立ちが似ているから多分姉弟だろう。二人とも色白で、灰色の髪と瞳、姉の方はカノンより二つ三つ年上な感じだ。
「お姉ちゃん!」
男の子が駆け寄った。
「怖かった! あの子が魔法で助けてくれたの」
リボンの少女は見知らぬ来訪者を見てビクッとしたが、気を取り直して礼を言おうとした。
その前にリリがクルリと回って後ろ頭を指さした。
「お礼の代わりに、これ、何とかしてくれない?」
風を使ったせいで更に飴が絡まって、スゴイ事になっている。
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